第109話『案山子と軍曹』
文字数 3,106文字
――――区画消滅より、遡ること4分前。
スケアクロウはバックヤードにいた。
「よい、しょッ! と」
彼は、輸送ユニットから、ラペリング降下で降りてくる。片手がギブスだが、それを感じさせない程、スムーズな動きで降り立つ。
モノレール型の輸送ユニットは、天井から吊り下げられているレール部の下で、そのすべての機能を失い、ただただ沈黙している。
そして彼は、今しがた居た輸送ユニットを見上げながら、『やれやれ』といった表情でボヤく。
「よりにもよって、こんな場所で止まるなんて…… ほんと、面倒をかけさせてくれるよ。残り時間は、あと3分46秒か。ヤバいな。急がないと この区画と心中することになる」
スケアクロウは駆け足で車まで戻る。
彼が
この車はエイプリンクスの私物であったが、スケアクロウが拝借して使っている。なにせ事態は一分一秒を争う状況であり、現状において最適かつ信頼できる
スケアクロウは車のドアに手を伸ばし、この場から安全領域まで退避しようとする――が、何者かの気配を感じ、その動きを止める。
ただならぬ殺気。
その直感を裏付けるように、スケアクロウの後ろへと、何者かが降りて来る。音もなく降り立ったその人物は、ゆらりと立ち上がりながら、こう声をかけた。
「こんな所で、なにをしているのかしら?」
さりげなく、親しげで、敵意のない声。
しかしスケアクロウには、言葉の裏にある邪念を感じ取る。
彼はマスタング GTDのドアウィンドウへと、視線を向けた。ウィンドウとボディに反射し、映し出された人物を確認。彼女の立ち位置と装備――彼我距離を把握しつつ、両手を挙げ、『交戦の意志はない』というボディランゲージを行う。
「多脚型UGVじゃ斃せないからって、わざわざここまで出向いてくるとは……御苦労なこって」
「フフフ……他でもない、貴方のためだもの」
「え?! なにソレ
「インターネサインの呪縛から解き放たれれば、こうにもなるわ」
「呪縛とは聞き捨てならないな。そもそもインターネサインとは、君たちビジターにとっては産みの親 同然の存在。
ビジターのメンタル面を保護する機能を、よりにもよって……呪縛などと――」
レオナ・D・ウェザリー軍曹は、『黙れ』という言葉を使わず、銃器の発砲によって発言権を奪う。
12.7ミリ――.50BMG弾が、スケアクロウの顔横を通過する。
だがスケアクロウは一切 動じない。
彼はただ、レオナに背を向けたまま、交戦する意志はこちらにないと、微動だにせず、両手を上げ続けた。
レオナはそんな彼の背に向け、激昂する。彼女はビジターとしてではなく、一人の人間として、スケアクロウの言葉を全面否定したのだ。
「感情を……感情を奪っておいて……なにが親だ! なにが創造主だ!!
私の内にあったであろう、家族を失った苦しみさえ、無害な情報として “ ろ過 ”
され、無味無臭な毒を喰わされ続けたんだぞ!!
愛する人を失っても、なにも感じないんだぞ!
お前はそんな存在ですらも、『親』と言うのか!!
私は! インターネサインにとって都合のいい愛玩物でもなければ、奴隷でもない! 私は私!! 一人の自立した知的生命体なんだ!!
見てみろ!! こうしてインターネサインが無くても、私は なんら問題なく―――」
そう激しく捲し立てるレオナ。そんな彼女の足先に、コツンとなにがか当たる。それは、アイスホッケーのパックのような物体だった。
レオナは足に当たったその物体へと、反射的に視線を向けてしまう。まるでその瞬間を待っていたかのように、彼女の視界は真っ白に染め上がり、音の亡き世界へ蹴落とされてしまう。
数秒の
まず最初にレオナが感じたのは、摩擦によって生じたタイヤの臭い。そしてマスタング GTDの赤いリアライトと、遠のいていくエンジン音だった。
レオナは状況を理解する。
あのアイスホッケーのパックのような物体は、スタングレネードを小型化したもの。それが足元で炸裂し、閃光と爆音によって視覚と聴覚を一時的に喪失したのだ。
「クッ! こんな古典的な方法に引っかかるなんて!!」
レオナは全長42センチを誇る単発式ハンドガンに、12.7ミリの極太弾丸を装填。隠してあったバイクへと飛び乗ると、マスタング GTDの後を追った。
レオナの乗るバイクは、ルーシーが使用しているエアバイクよりも古く、飛ぶことはおろか 二次元的な軌道しかできない。しかしマスタング GTDよりも後世に設計され、革新的技術を投入されたハイスピードビークルである。
速度・加速性能も特筆すべき点ではあるが、より一層特徴的なのは、バイクのホイール部だ。キネティックホイールの発展型が採用され、左右真横にも移動することができる。
レオナの乗るキネティックバイクは、平地での加速性能を遺憾なく発揮した。薄暗いバックヤードを爆走し、マスタング GTDとの距離を、少しずつ、少しずつと詰めていく……
まだ有効射程距離でもないにも関わらず、レオナは発砲した。
まるで誰かが口にした冗談を、本気にして作られたかのような火器。その名は、サンダー.50BMG。
対物ライフルの弾丸を、拳銃で撃てるよう設計。誰がどう見ても、なにかの手違いでこの世に産み落とされてしまった、たちの悪いジョークグッズにしか見えない。
しかし殺傷能力は、ジョークでは済まされない。人体に直撃すれば、射入口と射出口の区別ができないほどの、凶悪な威力を発揮する。
こんなものを使うくらいなら、素直にバレットM82対物ライフルか、無難なアサルトライフルを使用すべきだったと思うところであるが、レオナには、ある拘りと懸念があった。
スケアクロウは不確定要素を使用できる――そんな彼の意表を突くには、いつもの自分では到底選ばないような、常識外な武器を携行する必要がある。
加えて、仕留めるのならヤツの目を見ながら討ちたい。
そして家族を失った苦しみ――愛する人を失ったことの虚無感と、例えようのない この憤怒を知らしめてから、銃爪を引く。
そのモノローグは、自らに隙を生み出し、敵に反撃の機会を与えてしまうかもしれない。しかしそれが いかに危険で、愚かであることは重々承知している。
その上で、レオナは込み上げるこの “ 怒り”を――自分の中にある憤りを、スケアクロウにぶつけ、吐き出したかったのだ。
感情を手に入れたレオナは、冷静な判断をしていると自負しつつも、短絡的かつ、衝動的に動いていた。
千手――いや、億手 先を読むビジターにあるまじき行動。内から溢れ出す感情を、情報として処理できなくなった弊害だった。
サンダー.50BMGから、断続的に弾丸が放たれる。
一発一発を手動で排莢する、約5キロもある
レオナは片手で構え、慎重に、その狙いを定める。
彼女の駆るキネティックバイクが、
徐々に、有効射的へと近づく。
「――――追いかけっこは、これで終わりよ」
レオナは静かにそう呟くと、
放たれた弾丸は、マスタング GTDのタイヤへと直進する。
螺旋を描く殺意は、レオナの怒りと共に……――