第95話『君の名は』
文字数 4,599文字
ホロテーブルに投影された映像――その周囲を歩きながら、包帯まみれの男がそれがなにかを説明する。
「ルーシーはこれがなにかは分かっているね。エリシアとリゼは知らないだろうから、簡単に説明しよう。
巨大な樹に見えるけど、よく見るとそれらは光る線の集合体だ。その線一つ一つが、あらゆる世界――
掻い摘んで言ってしまえば……この光の線は、可能性の可視化だ。
こういったものは、まぁ映画や劇画本じゃ、多次元やマルチバースという言い方もされているね」
エリシアにはなにがなんだか分からず、困惑気味に訪ねてしまう。
「多次元? まるち……ばーす?」
「ああごめん。ちょっと難しかったか。
そうだな、例えば……俺が男ではなく、女性な世界もあれば、エイプリンクスがチンパンジーじゃなくてオラウータンの世界もあるだろう。もしかしたらミスターストライプが巨大な二足歩行戦車な世界も存在するかもしれない。
今、俺がこうして、コイントスをするだろ――」
包帯まみれの男がコイントスをする――が、片手がギブスで塞がっているため、取り損ね、コインを落としてしまう。仕方なく床で回転するコインの上に足を乗せて隠し、エリシアに尋ねる。
「さぁエリシア、このコインは、表か、裏か、どっちかな?」
「え?えっと……表?」
包帯まみれの男は足をどかしてコインを見せる――だが、そこにあるはずのコインはなかった。
男は包帯下で笑みを浮かべながら、リゼの頭の上を指差す。
「エリシア正解だ。コインは表! そんでもってコインは…… ななな、なんと! コインはリゼの頭の上にありましたぁ~ ビックリだね!!」
わざとらしいセリフと笑顔。
リゼは『そんなバカな』といった表情で、頭の上に手を乗せる。しかし彼の言う通り、いつの間にか頭頂部にコインがあった。リゼは彼の思い通りに事が進んでいること。そしてなにより利用されたことに腹を立て、男に向かってそのコインを投げつける。
包帯まみれの男は、片手でコインをパシッ!と受け止めつつ、器用にも流れるようなコインロールを披露しながら、説明を再開した。
「もしかしたら、別の世界ではコインを落とさなかったかもしれない。
もしかしたら、別の世界では、足の下にコインがあって、裏だったかもしれない。
世界はそうして分岐に分岐を重ね、数多に分かれていく。
それは途方もない、気の遠くなるほどの数になるだろう。
このホロディスプレイに映し出されているのは、我々でも認知できる簡略化された観測情報だ。
より精密度の高い正確な情報は、お釈迦様か、如来様か、もしくはビジタークラスの存在でないと、知覚として把握できない」
ルーシーは自分の故郷がどの線なのかが気になり、包帯まみれの男に質問する。
「あの! 私達の世界は どの線でしょうか?」
「ルーシーたちの居た世界線? ああ、それなら
まさかの回答に、ルーシーは驚愕する。
「――な、ない?! そんなはずは!」
「驚くのも無理はない。ちゃんと一から説明しよう。正確には、君たちがビジターの本拠地に訪れるまで、正確な座標は把握できなかった。ロストディメンションのどこかに存在している――確かなのはそれだけだった。
しかし君たちが持ち込んでくれた、ジーニアスとローズの懐中時計から、正確な情報が算出できた。
今、ホロディスプレイに演算結果を表示させる。ここが、君たちの居た世界だ」
ホロディスプレイの情報が更新され、ルーシー達の世界が表示される。
光の樹から遠く離れた場所。
しかもそれは線ではなく、まるで星のように点の輝きを見せていた。
「まるで星みたい……あの、どうして線ではなく、点なのですか?」
「あー……、それに関して訊きたいのは、実は我々の方なんだよ。
少なくともこれだけは言える。
君たちの住む世界の過去・未来の観測は不可能。観測者――つまりこちらの時間と強制的に同期しているような状態だ。
より簡潔に言ってしまえば、ルーシー、エリシア、リゼたちがここで過ごす時間は、フェイタウンと同じ時間経過だ。こっちの世界で4日過ごせば、向こうの世界でも4日経過してしまう」
「なら一刻も早く、ジーニアスさんの臓器を、向こうの世界へ運ばないと……。ジーニアスさんの時間はナノマシンの重力制御で止めて――。いいえ、あくまで遅らせているだけですから」
「…………。 ルーシー 一つ、君に頼みたい事がある」
包帯まみれの男は、申し訳無さそうに話を切り出す。
ルーシーは、こういった担保や見返りといった “ 要求 ” があるものと、覚悟は決めていた。彼女は険しい表情で身構える。その様子を感じ取ったエリシアやリゼまでもが触発され、警戒心を顕にする。
包帯まみれの男は、彼女たちが抱いた警戒心を解くため、両手を挙げ、決定権はこちらにない事を示した。
「大丈夫。君たちに無理難題は言わないし、非道なことはしない。危害も加えない。そもそも、それを するか、しないかは、君たちに委ねられている。いいね?」
「なにを……させるつもりですか?」
「一人の少女を、どうか救って欲しい――」
包帯まみれの男は、エイプリンクスへ合図を送る。
エイプリンクスは頷くと、コンソールを操作して隔離区画の防護扉を開放させる。金属の重々しい轟音。そして警告灯が回転しつつ、扉の奥からそれが姿を現す。
巨大な水槽――
光の胎動を刻みつつ、その中で漂う物体。
全長 25メートル、翼幅 15メートル、全高 6メートルの結晶体だった。
それを見たルーシーは、思わずこう呟いてしまった。
「結晶の……鳥?」
その言葉に、包帯まみれの男は心の中で、『見ただけで物の本質を見極め、あるがままを言い当てる……か。ジーニアスが見込んだだけのことはあるな』と思いつつ、それがなんであるのかを説明する。
「そう、これは君たちの世界で言うところの、鳥だ。しかしその奥に囚われ、幽閉されている魂がある」
包帯まみれの男は、ホロディスプレイを操作し、マルチスキャナーで件の結晶体の内部構造を投影した。
ルーシーにとって必要ないとは思っていたが、詳細は分かりやすく説明して損することはない。それよりも手違いや解釈不足によるミス、それに伴う損失のほうが遥かに危惧すべきだ。とくに人命が関わっている場合、多少は過剰なくらいで丁度良い。
ディスプレイ上の立体映像は、仮想上で結晶が剥がされ、内部に無人航空機が隠されているのを曝け出す。
「万物の構造や機構を瞬時に理解し、解体や組み立て、修復までもを行える、ルーシーの力。その力を使い、結晶に侵食されつつある少女の命を救う。
彼女に肉体はない。
電子生命体――ミスターストライプと同系列の知的生命体だ。彼女には心があり、我々と同じように傷つき、悲しみ、後悔に囚われることもある。
彼女の精神データを、情報伝達用ケーブルで航空機に直結。データ送信を行い、別区画にあるプロトフォームへ精神を移送する」
エリシアはよく分からない単語を耳にし、またしても言葉を反復してしまう。
「ぷろとふぉーむ?」
「ああごめん、聞き慣れない単語だったね。まぁようするに、我々で例えるなら新しい肉体だよ。
ただその肉体へデータ――つまり魂を移送したくても、この結晶体が邪魔で、どうすることもできない。ビジターの技術を持ってしても、除去が不可能だった」
ルーシーはホロディスプレイの結晶体を凝視し、その視線を水槽内へと移しつつ、質問をする。
「あの結晶体はなんなのですか。考え過ぎかもしれませんが、なにか……意思というか、仄かな敵意を感じます」
「
今は重力制御と、水槽を満たしている特殊な薬剤の二重効果で沈静化させているが、活性化すれば、この施設を破棄することになる程の、恐ろしい相手だ。
なにせ、有機・無機質問わずに侵食する結晶体。まさしく常識外のバケモノさ。
接触したあゆるモノを支配してしまう。厄介極まりない存在。
蟻や蜂のような群生組織構造であり、
触らぬ神に祟りなし。
もしも触れれてしまえば、結晶に摂り込まれて 即、お陀仏。
――そこでルーシー。君の出番となるわけだ。
触れることなく構造を理解して分解する能力。それで、あの結晶体を剥がして欲しい。機体へのケーブル接続は、水槽内に設置されている作業用アームを使い、ここの管制室から遠隔操作で行う。
君はただ、ここから “ 力 ” を使えば良い。ただそれだけだ」
包帯まみれの男はルーシーに向き直ると、背筋を伸ばし、頭を下げた。
「どうか……どうか
沈黙するルーシー。
彼女は口を開き、一つの質問を投げかけた。
「あの……名前、教えてもらえませんか?」
「ああすまない。彼女の名前はジェミナス。ジェミナス02という名前なんだ」
「ああいえ、そうじゃなくて、あなたの名前です」
「え?! お、俺の名前? あの……言ってなかったっけ?」
「あなたが名乗ろうとした時、リゼが――」
「ああそうだった! 名前を言おうとしたら、あの子に襲撃されたんだっけ」
包帯まみれの男は、コホンと咳払いをしつつ、改めて自己紹介する。
「俺の名は……――。スケアクロウだ」
その言葉に対し、エイプリンクスは『どういうつもりだ』という異議申し立てを込めて、「ン、ンッ!」と咳き込む。
スケアクロウと名乗った男はそれに気付くと、『まぁいいじゃないか』という意味の視線を投げつつ、エイプリンクスに向けて肩をすくめて見せた。
その様子を見れば、否応にも一目瞭然だった。
ルーシーは、ある決定的な質問を投げかける。
「本当の名前では……ないのですね」
そのものズバリな質問に、スケアクロウは正直に答える。
「ああその通りだ。すべてが終わったら、必ずや本当の名前を君に打ち明けよう。――だが今は、それはできない。そして今の俺の名は、スケアクロウだ。
こればっかりは……すまない。
だが俺の本当の名を知れば、必ずや、君は納得してくれるだろう」
ルーシーは直感的に、彼が嘘をついていないと感じる。
どの道、なんの協力もしないで、『ジーニアスの命だけは救って欲しい』などと、虫の良すぎる話だ。
このビジターの世界で唯一の協力者。そんな彼らが困り、自分に助けを求めている。しかもそれを行えるのは自分だけだ。
なにより時間がない。
ジーニアスの延命させているナノマシンは、無限に時間を止められるわけではないのだ。
そしてセイマン帝国の枢機卿――彼の動きも気になる。
ルーシーは、包帯の奥にあるスケアクロウの目を見据え、決断を下した。
「
スケアクロウもまた決意を込めた瞳で頷き、約束する。
「ああ、もちろんだとも! 必ずや、彼の命を救って見せる!」
二人は視線を合わせて頷くと、笑顔と共に、固く握手を交わした。