第86話『ルーシーの冒険服』

文字数 2,131文字



 ルーシーは病院の階段を駆け下り、出口へ向かった。


 階段を降りた先の正面玄関に、コボルトの志村と、フェイタウンの重鎮たち―—

 マーモン

 サーティン

 アスモデ・ウッサー

 この四人が話し合っている。

 よほど深刻なのだろう。いつもなら、重鎮達がルーシーに気づかないことはない。むしろ、ルーシーが気づくよりも先に、向こうから声をかける事が多いくらいだ。

 そんな彼らの真横を、ルーシーは走り抜ける。

 ルーシーはすれ違い際、短い間であったが、四人の様子を目撃する。とくにコボルトの志村が印象的だった。深刻な表情で「すべての責任は俺がとる。今、最も懸念すべきは彼女ではない。あの洋上に巣食う―—」

 などと、まるで魔王討伐に赴く勇者か、これから死線を乗り越えようとする騎士のような様子だった。

 本来のルーシーなら、『なにか力になれないか?』と、お節介心で聞き耳を立ててしまうだろう。しかし今の彼女にそのような余裕はない。


 病院を出たルーシーは、自宅のある森へと向かった。



           ◇



 ルーシーは自分の屋敷へ戻った。正面玄関から入るのではなく、侍女に気づかれないよう、銅製の雨樋を登り、三階のハーフバルコニーから帰宅した。



「よい、――しょっと!」



 美しい彫刻が施された、シックな面持ちのあるフォールディングドア。しかしドアは固く閉ざされていた。魔力で内側から鍵が掛かっていたのだ。過保護に定評のあるベールゼン・ブッファが施したものだ。

 彼曰く、『固定化の魔法でガッチリガード。賊どころかネズミ一匹侵入できない完ッ璧なパーフェクトセキュリティ』――とのことだが、まるでその宣伝文句が誇大広告であったかのように、鍵がガチャリと外れ、難なくドアがスライドする。


 帰宅したルーシーであるが、ゆっくりと腰を下ろしている暇はない。彼女はすぐさま旅支度を始めた。


 音を立てないよう、ゆっくりとクローゼットを開け、必要最低限のものをバッグへ詰め込んでいく。


 常日頃から、外の世界を見てみたいという夢のため、いつでも旅立てるよう支度はしていた。バッグには薬草やポーションに塗り薬、止血剤に解毒薬。二日前に市場で仕入れた燻製肉などが、予め、バッグの中に入っていた。


――もっとも、ここまで支度をしていても、ルーシーには胸の持病がある。この見えない足枷(あしかせ)がある限り、旅などできるはずがない。

 この旅支度の済ませたバッグは、いわば夢の産物なのだ。しかしルーシーは夢見るだけの乙女ではない。現実においては、災害時の緊急避難袋として使うつもりだった。


 外の世界を見るという夢。

 仮想ではあったものの、ビジターのテクノロジーによって夢は叶った。


 様々な世界を垣間見、持病故に絶対に行けないような場所や、この世界の人々が見たことのない景色すらも、この目に焼き付けることができた。



 彼との出逢いがなければ、この夢は、永遠に夢のままだっただろう。


 ジーニアスに心から感謝しながらも、彼との思い出に想いを馳せながら、支度を整えた。白いワンピースを脱ぎ捨て、クローゼットから長旅用の装備を取り出す。

 ハーフフットやウッドエルフ、そして斥候のプロフェッショナルである、ヴェルフィが愛用している装備店――そこで購入した高級品だ。体が成長し、少しサイズがキツくなってはいたが、収縮性の高い生地を採用しているため、身動きする上で不自由さは、ほぼないと言って良い。

 息を吸い、お腹を減っこませながら「フンッ!!」と、ベルトを締める。無事に入ったことを確認しながらも、ルーシーは愚痴を零した。


「よかった~! 自信なかったけど、ちゃんと着れたみたい。こんな事になるなら、仕立て直しとくんだった……」


 ルーシーはそう言いながらも、服に異常がないか視線と手触りで確認する。


 ルーシーの本心を言えば、まさかこの服を 本来の用途として使う(、、、、、、、、、、) など、夢にも思っていなかった。


 あくまで、この部屋の中で袖を通し、鏡を見ながら夢の中で外の世界を冒険する――そんな自己満足のための正装(コスチューム)であり、バッグ同様、所詮は趣味の産物だった。


 黒髪を結い、ワンピース姿から様変わりしたルーシー。彼女は手にしていた懐中時計を、強く握りしめ、鏡に映る自分を再確認する。


 これから、この冒険服で行く場所――そこは、安全が保証された世界ではない。


 人の命のため。

 そしてフェイタウンを救うために、異世界へ向かう。 


 無事に帰って来れる保証は皆無。


 頼れるのはVR(仮想現実)で培った、知識とノウハウと技量(テクニック)。そして現地協力者権限という制限化で使用できる、デバイスの恩恵。

 ナノマシンの稼働可能残量を考慮しても、そう満足に使えないだろう。なにせ地下訓練場での戦いで、かなり消耗してしまった。


 多くの不安はある。

 しかしそれでも、ルーシーの決意は揺るがなかった。


「大丈夫。必ず成功する――いいえ、させなきゃだめ。させなきゃ……みんなが……」

 
 ルーシーはそう呟くと、バッグを肩にかけ、出発する。


 フォールディングドアを閉める際、侍女やベールゼン、そして今までお世話になったフェイタウンすべての人々に、別れの言葉を告げる。「必ず、帰ってくるから」と、誓いの言葉を贈り、雨樋を滑り降りた。


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