第8話『命を賭けた かくれんぼ』

文字数 3,567文字



 子供を助けるため、走り出したルーシー。

 ジーニアスは彼女の腕を掴もうとするが、袖を擦めるに留まり、引き止めることはできなかった。

 ルーシーを追うため、ジーニアスもまた大通りに出ようとした――その時だった。




「クレイドル!」



 ジーニアスもまた、静止の声を投げかけられる。ジーニアスは後方を振り向き、路地裏へと視線を向けた。彼の視界に映る者。ジーニアス同様、この世界に似つかわしくないトレンチコートに、深く帽子をかぶった中年男性だった。


 その男が、ジーニアスに忠告する。


「クレイドル、目的を忘れたのではあるまいな?」



「クラウン。協力と援助、そして助言には感謝しています。しかしながら、現地協力者の保護も、世界の観測者たる、我々の義務です」


「責務……か。私達は、もはや世界の観測者ではない。帰るべき場所を放棄した、離反者(インサージェント)なのだ。この独断専行が露呈すれば、私達は排除される。ここで目的を果たすことなく死んでいいのか? なんのために、離反者まで成り下がって、目的を遂行しようというのだ?」



「しかし……」



「果たすべき目的を、忘れるな。私達は時に、理不尽な決断を選ばなければならないのだ。そして現地人が、常に友好的な味方とは限らない。――そもそも君は、今まで、理不尽な決断を選んで来たではないか」



「…………」



「離反者としてシステムから切り離されたことで、個としての自我――感情を取り戻しつつあるのかもしれない」


「感情? それは有り得ない」


「いいかクレイドル。論理的思考を取り戻せ。この世界の不確定要素は、私達の演算値に思わぬ齟齬を齎す。まぁ無理もない。オルガン島も、フェイタウンも、あらゆる時空間上に存在しない世界。――だとしても。この世界で起きたことは、この世界の現地人に対処させるべきであろう。それとも君は、特異点(D.E.A‐56)を演じるのか? もしくは、この世界の神にでも なろうというのか?」


「もし仮にそうだとしたら。私は自分自身にこう言います『思い上がりも甚だしい』と」


「そうか。だが、くれぐれも忘れるな。離反者になった時点で、もはや私達に帰る場所はない。慎重に動くことだ」




「了解した」



「クレイドル。正しい事を成せ――」




 建物が倒壊したのだろう。けたたましい轟音と共に、大通りから砂埃が舞い込む。




 ジーニアスは警戒のため、一瞬だけ大通りの方を一瞥する。そして路地裏にいるクラウンへ視線を向けたが、彼はもう、その場所には居なかった。





           ◇



 
 魔獣の全高 約12メートル。

 大通りの建物よりかは小さい。だが人と比べると、体格差は歴然だ。その中の一体が、黒く鋭利な尻尾をくねらせ、精肉店の一階に顔を突っ込む。そして目当てのものを見つけ、それを外へと引き釣り出した。


――肉だ。


 他の二体もそれに気付き、大通りに引き釣り出された肉にありつこうとする。

 肉を見つけた魔獣がそれを拒否したが、後から来た魔獣たちが暴力でそれを捻じ伏せ、無理矢理 その肉を奪い取る。


 彼らにとっては、力こそ、序列を決める指標なのだ。


 肉を食い千切り、骨を噛み砕く音が響き渡る。そして、くちゃくちゃと肉を味わう咀嚼音が木霊した。



 その大通りに佇む屋台の列。その中の一つに、悲鳴を上げた あの少女が隠れていたのだ。




 少女は、もう悲鳴を上げることはできない。そんなことをすれば、瞬く間に魔獣の餌食になるだろう。

 幼き少女は、震え、怯え、神に祈りながら、ただ魔獣が去るのを待つしかなかった。

「か、神様……」


 彼女の願いに反し、魔獣の一匹が少女の気配を感じ取ってしまう。鼻孔と思しき器官がないにも関わらず、まるで嗅覚の鋭い動物のように、頭部を左右上下に動かし、その気配の在り処を探り当てようとしていた。


 恐怖で動けない少女。その彼女の視界端に、動くものが映る。少女は怯えきった瞳で、瓦礫の方向を見た。彼女の目に映ったもの。それは自分よりも歳が上の、黒髪の少女だ。その人はこんな状況にも関わらず、笑顔で『シッ! 大丈夫だから、そこで動かないで』とボディ・ランゲージで訴えかけている。



 どの道、少女は恐怖で動けず、頷くのがやっとだった。



 黒髪の少女は、明後日の方向に石を投げ、魔獣の注意を反らす。そして慎重かつ素早く、瓦礫の影から、屋台の影へと滑り込む。そして小さな声で、幼き少女に語りかけた。


「ふぅ! スリル満点ね!! 私はルーシー、ルーシー・フェイ。あなたのお名前は?」

「わ、わたし……わたし――」


 幼き少女は名乗ろうとしたが、それができなかった。声帯が言うことを効かず、言葉を反復してしまう。少女はそれが怖くてたまらなくなり、ルーシーに抱きつくことしかできなかった。

 ルーシーは声を殺して泣く少女に、「がんばったね。えらいよ」と慰める。現に彼女は賢明な判断を選んでいた。叫ばなければ、ルーシーは彼女のことに気付かなかった。そして叫び続けるか、下手に動いていれば、今頃 魔獣の餌食になっていただろう。

 
 ルーシーは震える少女の肩を擦る。巨大な魔獣のすぐ側で、必死にがんばったせめてもの労いだ。


「よく今までがんばったわね……えらいわよ。大丈夫。大丈夫だから」



 ルーシーは身振り手振りで、『隙きを見て、出店の影に隠れて脱出するよ』と伝える。

 少女は顔を横に振って拒否する。『だめ! 怖くてできない!』と。


 ルーシーはそんな少女の頭を撫でつつ、『平気平気。お姉さんがついてるから』と、コニカルな動作で、二の腕で力こぶをつくるボディ・ランゲージを見せた。

 それを見た少女は、不思議と、不安と恐怖が薄まっていくのを感じる。そして冷静さと生きる意思が蘇り、ここから逃げたいという衝動に駆られる。


 次の瞬間には、幼き少女はコクンと頷いていた。





――かくして、命を賭けたかくれんぼが始まった。





 二人は肉を貪る魔獣の隙を見て、瓦礫や屋台、倒れた荷馬車の影へ移動する。


 幸いにも魔獣は、精肉店の肉に夢中で、ルーシー達に気づかない。


 二人が目指すのは、狭い路地裏だ。他にも路地裏はあるが、幅が広く、魔獣に追跡される恐れが高い。それに幼い少女の脚では、追いつかれる危険性があった――だからこそ遠くはなるが、奴らが通ることができない、狭い路地裏を目指す必要性があった。 


 少しづつ、路地裏という希望の細道が近づいている。二人にとってなんの変哲もない、見慣れた路地裏であるが、今は金色に輝いて見えた。



 ルーシーは小声で、少女を励ます。



「あともう少しよ! 楽勝ね!」



 幼き少女も『助かる』という希望から、笑顔で頷く。その可愛らしい姿に、ルーシーもまた笑顔を返し、その頭を優しく撫でた。




「それじゃあ、大通りの向かい側まで、一気に走りましょう。途中隠れる場所はないから、見つかっても、ぜったいに足を止めちゃダメよ」



 人はゴールを提示されると、自ずと気分が前向きになるものだ。ましてや、この悪夢に終わりを告げられるとなれば、安堵感すら覚えるだろう。


 二人はタイミングを見計らい、覚悟を決め、走り出す。


 しかし、走り出した直後に悲劇が起こる。ルーシーたちの近くで積み上げられていた木箱。それがバランスを崩し、ガシャンと倒れたのだ。


 派手な音が、大通りに響き渡る。


 ルーシーは祈るような気持ちで、魔獣たちの方向を見る。どうか気付かないで――と。しかし無情にも、その願いは潰えた。視覚を持たない、大きな口だけを持つ魔獣が、こちらを見ていたのだ(、、、、、、、、、、)


 魔獣たちは一斉に、ルーシーたちに向かって走り出す。


 ルーシーは直感的に悟る。間に合わない。自分は辛うじて、このまま走れば間に合うだろう。だがしかし、側にいる幼き少女は無理だ。このままでは犠牲者の一人になってしまう。


 そんなルーシーの視界に、金属製の鍋と、レードルが映る。


「やるしか……ない!」


 ルーシーは幼き少女に向けて叫んだ。


「止まらないで! さぁ走るの!! 走って!!」



 しかしルーシーは逃げない。彼女は金属鍋を手にし、それをレードルで叩きながら叫んだ。



「さぁ こっちよ!! ほら! こっちこっち! どこを見てるのおバカさん!!」



 甲高い金属音が鳴り響く。


 魔獣に聴覚があるのかは不明だが、その音に釣られたのだろう。どの魔獣たちも、幼き少女ではなく、ルーシーに狙いを定めている。


 ルーシーは見事、魔獣の注意を惹くことに成功したのだ。



「お、お姉ちゃん!!!」



 幼き少女は立ち止まり、路地裏から心配そうな表情で覗き込んでいる。そんな彼女に、ルーシーは叫んだ。




「先に行って!! 教会で落ち合いましょう!!」




 ルーシーは先に逃げるよう促し、幼き少女とは反対の路地裏へと飛び込む。そして急いで立ち上がると、教会とは真逆の方向に向かって走り出した。


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