第32話『食いしん坊のジャスミン』
文字数 3,241文字
『あれ、全部演技だったの?』と、ルーシーとジャスミンは きょとん としている。
そんな二人とは相対的に、ジーニアスは紫の密偵を仕留めた、スローイングナイフに視線を注いでいた。
投擲されたナイフは、人と人との僅かな間を潜り抜け直進し、獲物を仕留めた。少しでも狙いがズレでもしたら、確実に誰かに刺さっていただろう。その正確無比な攻撃は、人間業とは思えない。
ジーニアスはナイフが刺さった壁に背を向け、サーティン訪ねた。
「サーティン市長。あのナイフは誰が?」
「――――それは、僕のだ」
その質問に答えたのは、サーティンではない。
深緑色のフード付きマントを羽織った青年。彼は一切の気配を漂わせることなく、ジーニアスの後ろに立ち、壁に刺さったナイフを引き抜いたのだ。
ジーニアスは驚きながら振りかえる。
一瞬で臨戦態勢に移行したジーニアス ――そんな彼を見て、青年は『良い反応だ』と称賛する。
「切り替えが早いな。その反応ならゼノ・オルディオスと戦えたのも頷ける」
「貴方は?」
「すまない、まだ名乗ってなかったね。僕の名はヴェルフィ・コイル。森の管理人さ」
「なるほど。だからウッドエルフのような格好をしているのか。
にしても今のは?
君の気配がまったく検知できなかった。まるで……君が世界から消えてしまったかのような。もしくは、存在していなかったかのように感じられた――いや、正確には感じることすらできなかったのだが……。すまない、うまく言葉で表現ができない」
「すごく硬い表現だけど、言いたいことは分かるよ。
あれは気配を消す初歩的な魔法さ。
うちの森はフェイタウンと隣接しているだろ? よからぬ者たちが街を攻め入るのに、うってつけの潜伏場所だ。あれだけ広大で、そこそこ起伏がある地形上、真っ向勝負は不利益そのもの。鬼兎騎士団が 潜伏している敵を捕まえようにも、返り討ちに遭うのは目に見えている。いたずらに犠牲者を増やすだけだ。
そこで、僕の登場。
隠密に、誰にも気づかれることなく忍び寄り、敵の指揮官や重要な情報を握る者を、拘束――そのまま鬼兎騎士団へと引き渡す」
「なるほど。指揮官を失えば、部隊の連携が滞り、急所を突き易くなる。重要情報を握れば、敵の狙いが筒抜けとなり、裏をかくことができる。どちらにせよ、損失が最小限で済む」
「さすがジーニアス、噂通り飲み込みの早い男だ。つまりは、そういうこと」
「なるほど。まさに……“森の管理人”」
「褒め言葉と受け取っておくよ。にしても……本当に魔力が感じ取れない性質なんだね。さっき使った気配を消す魔法だって、初歩的なものだから、見破ることは容易いんだよ」
「見破ることが容易い? 私のマルチスキャナーには、空間上になにも捕捉できなかった。音響センサーだって、君の足音でさえも感知できなかった。
魔法とは、我々の常識から逸脱している。
まるで……世界の常識そのものに干渉し、意のままに書き換えている ――我々には、そうとすら感じられる」
「そんな大げさな――……って言いたいけど、ある意味では合っているかもね」
「合っている? それはどういう意味だ?」
そのジーニアスの問いかけに答えたのは、ヴェルフィ・コイルではなく、酒場のマスターこと、マーモンだ。
サーティンと同じく老紳士であるマーモンだが、彼は市長よりも背が高く、筋肉質である。少々怖い印象を持つかもしれないが、丁寧に整髪された髪と優しい視線が、それを払拭させていた。
「魔法とは、この世界の理にアクセスし、詠唱や魔法陣という定められた手続きを行い、攻撃や治癒といった
「プログラム? それじゃまるで、この世界が電脳空間――いや、ファンタジーゲームの世界の中。そのような口ぶりだ」
「ファンタジーゲームか。ルーシーが好きそうな話題だ」
マーモンはそう言いながらルーシーたちを見る。
ルーシーはベールゼンと共に、市長に詰め寄ろうとするジャスミンを羽交い締めにして、動きを封じようとしていた。
しかしジャスミンが力持ちなのか、それともベールゼンたちの体が軽いのか。ルーシーとベールゼンは、ズルズルと引きづられてしまう。レヴィーがルーシーの腰に手を回して加戦するが、小柄なレヴィーでは あまり意味をなさない。
ジャスミンは仲間はずれにされた――いや、作戦に参加できなかった事に対し、抗議の声を上げる。
「サーティン! 待て、逃げるな! またか! また のけものか! しかも今度は、下手な演目の手伝いをさせるなどと!!」
「ジャスミン落ち着きなさい。 敵を欺くには、まず味方からと言うだろ。 そもそも君がここに来るのは想定外だったし……あ、 ギロピタ食べるかい?」
市長のあどけない笑顔と共に、紙包みに巻かれたギロピタが差し出される。
ジャスミンは、その香ばしく、食欲を誘われる香りに釣られそうになるが、戦士としての誇りを思い出し、率直に断言する。
「そ、そんなもの決まっているだろ! ……ゴクリ。食べる!」
腹が減っては戦ができない。ジャスミンは市長の手から、ギロピタを奪い取り、口にほおばる。一見、怒っているように見える彼女であるが、そうとうギロピタがお気に召したようで、目をキラキラと輝かせていた。
サーティンは、もう一つ食べるかい? と差し出す。
ジャスミンは眉間にシワを寄せつつ、幸せそうな至福の瞳でギロピタを受け取った。怒るか食べるかどっちかにしなさいと、言いたい場面だが、とりあえずジャスミンが落ち着いたので、皆、これで良しとする。
そんな微笑ましい(?)やり取りを見ていたマーモン。彼は少し寂しそうに、それでいて感慨深い複雑な表情で、ルーシーたちを眺めていた。
「ただ、ファンタジーゲームとの違いは……我々は本当に生きている点だ。
過ちを犯しても、ゲームのようにやり直すことはできない。
外の世界は千差万別であり、多種多様を極める。ジーニアス、君にとってこの世界は、今までの常識が通用しない、虚構のような世界に感じられるだろう。
だが、この世界は間違いなく存在していて、ゲームではなく、現実なんだ。
どうか、その嘘のような現実を受け止め、それを忘れないでほしい。
もしそれを忘れるようなことがあれば、あの勇者のように……」
「あの勇者? もしかして、セイマン帝国の――」
マーモンは頷き、神妙な面持ちでそれに答える。
「彼の戦い方と言動から察するに、自分がこの世界の主人公だと、言わんばかりの振る舞いだった。
ああいった考えは、とても危険だ。
彼は亜人の奴隷を従者としているが、それでさえ、小説かなにか 創作物の影響からだろう。
もちろん、小説などに一切の罪はない。あるとすれば、歪んだ解釈をしてしまうその人に罪があるんだ。
彼は、周囲の人間は自分を引き立てる、ある種の材料とみなしている――その人を蔑む考え方と、おこがしい心は過ちであり、罪だ。誰かが、その間違えを正してあげれば良いのだが、セイマン帝国の息がかかっている相手となれば、こちらからは誰も口出しできん。しようものなら、事は外交問題に発展してしまう」
「私は彼の戦いをこの目で見ましたが、そういった心情までは読み取ることができませんでした。私が感じたのは……戦いを愉しむかのような感覚。そして高威力の火力を全力で注ぐ、直球的な戦い方です」
マーモンは視線をジーニアスから窓へと移す。
そして窓の先にある光景――傷ついた街の様子を眺めながら、悲しげに呟く。『だが、それでは駄目なんだ』と。
「そんなもんを派手にブチかませば、そりゃ~勝てるだろう。でもなぁジーニアス、それじゃ駄目なんだよ、それじゃよぉ……」
ジーニアスはこの時、マーモンの言葉の真意を理解していなかった。それを理解するのは、もう少し先の話である。