第84話『棺の中に、微かな希望を見出して……』

文字数 2,934文字




 ルーシーは病室の椅子に腰掛け、安堵の溜息を漏らす。



 彼女の目の前には、病院のベッドがあり、その上には棺に横たわるジーニアスがいた。


 棺とは埋葬や死を連想させるものだが、目の前の棺桶に埋葬されているものは、人ではない。――『時間』だ。


 ジーニアスを覆う黒い長方形の物体――。それはナノマシンによる重力制御によって、時間流れを遅延させ、外部からの干渉をシャットダウンさせている安全領域。時間という楔から隔絶された空間なのだ。

 このような作用を齎す魔法は、フェイタウンにも現存している――魔力で時間を遅らせ、物質の劣化を防ぐ “ 固定魔法 ” がある。だがしかし、ルーシーにはそのような高位魔法は使えない。


 超法規的措置である、現地協力者の緊急支援権限。


 それを行使し、ルーシーの体内に残されていたナノマシンで、ジーニアスの時間を埋葬。彼の命の灯火を絶やさぬよう、延命処置を行ったのだ。


 そもそもルーシーがジーニアスを見つけたのは、ただらなぬ胸騒ぎと、微かなものではあったが、謎の声に導かれた故のものだった。



 “ ジーニアスが危ないの! ”

 “ 路地裏よ! 早く来て!! ”

 

 脳内に直接響くような、不思議な声―― ルーシーはそれに導かれ、路地裏で倒れていた彼を発見し、悲鳴混じりに彼の名を叫んだ。その声を聞きつけた市民や鬼兎の騎士団によって、負傷していたジーニアスが病院まで運ばれたのだ。

 しかしそこで万策が尽きてしまう。ジーニアスの切創は肝臓まで達しており、早急な人工血液の輸血と、臓器移植を必要としていた。


 瀕死の者すらも救う高度な医療魔法で、ジーニアスを回復させる――魔法という選択肢もあるにはあるが、しかし彼は、異界門を使わずにこの世界に降り立った者。加えて人工血液やナノマシンの残留物質などのビジター特有の究極技術(ウルテク)。それらの要素が、魔力の使用によって、どんな弊害や副作用を引き起こすのかが分からないのだ。


 そのためルーシーは、現地協力者の緊急支援権限を使い、ジーニアスの時間を止めたのであった。


 ルーシーは椅子の背もたれに背を預け、天井を見上げながら重い溜息を吐く。


 ジーニアスの危機を報せてくれた、あの声はもう聞こえない。


 今はただ、戦時に備え、慌ただしく行き交う医師や看護師、予備役の市民の足音や声が聞こえている。


 ルーシーは、後悔していた。この悲劇を回避できなかったのか? もっと彼を気遣い、一人で出歩かないよう病院を警備している騎士や、看護師にその旨を伝えておくべきだったのでは?


 ジーニアスの体内にあるナノマシンやデバイスが、正常に機能していれば、自己修復でここまで酷くはならなかった。――いや、それ以前に、迫る危機を事前に察知し、こうなる事を防いでいたはず。


 だがそれは、“ if ” ――もしもの話。

 どんなに後悔しても、今、目の前に重く横たわる問題は解決できない。


「………――」


 ルーシーの心のなかでは、どこか……こうなる事が必然だったような気がしていた。



 ルーシーは顔を横に振って、脱線した思考を戻す。



 早急に解決すべき難題は、ジーニアスの臓器移植。そして人工血液の確保にある。


 このフェイタウンにおいて、それこそ 奇跡 でも起きない限り、それらを手に入れることは当然 不可能。まさに夢物語だ。


 だがしかし、ルーシーにはこれらの問題を一気に解決させる、考えがあった。ジーニアスの損傷した臓器を完全に修復させ、人工血液を輸血する手段を――。


 ジーニアスの故郷であるビジターの世界。――この世界の外側、異世界へと赴くのだ。


 あの場所なら、医療用臓器も人工血液も大量にストックされている。まだ破棄されていなければ、ジーニアス専用の予備臓器(スペアガット)が、まだ保管されているだろう。高望みはできないが、戦力強化に繋がるナノマシンやスーツも、運が良ければ確保できるかもしれない。


 無論、ジーニアスは離反者(インサージェント)であり、かつての仲間であったビジターから追われる存在。現地協力者であるルーシーも、おそらく例外ではないだろう。


 誰にも見つかることなく、ジーニアス治療のための物資を確保し、こちらの世界に帰還する。危険なのは重々承知の上。それに至るまでの最大の課題は、ビジターの世界へ行くための手段(、、)だ。



 ルーシーは思いつめた様子で、ジーニアスの所持していた懐中時計を見つめる。



 もちろん現地協力者に、懐中時計(超高度ウルテクデバイス)の使用権限はなく、緊急事態とはいえ、例外は適用されない。そもそもビジターの主要任務は観測であり、他の世界へ私的な干渉は、禁止されている。


 逆に、こちらからビジターに接触できないよう、彼らも相当な根回しを施していることは、想像に難くない。


 もし、鹵獲した懐中時計の使用を許せば、部外者が様々な異世界への行き来を可能にしてしまう。問題はそれだけではない。ビジターの中枢部にさえ、良からぬ者の侵入を、許してしまうのだ。


 あの場所には強大な力がある。邪念に囚われた者が脚を踏み入れ、外部にテクノロジーが漏洩した時の悲劇は、ビジター自身が怖れ、もっとも警戒している事だろう。


 故にそれを許すほど、ビジターのセキュリティは甘くない。


 魔法を知覚できないとはいえ、その他のテクノロジーはこの世界よりも遥かに発展している。テクノロジーによって裏打ちされた、文字通り難攻不落の要塞。それはビジターの仮想現実で訓練を積んだ、ルーシー自身が誰よりも痛感していた。



 仮にビジターの世界へ転移できたとして、彼らに捕まれば、二度とフェイタウンに戻っては来れないだろう。


 失敗するリスクも多大だ。


 ビジターとフェイタウンの間に、対立を生みだしてしまう危険性もある。


 そんな大役を、誰にも相談せず、独断で実行していいのだろうか?



 懐中時計に備わっている、機密保持のための緊急用帰還システム(エマージェンシー・ベイルアウト)。それを起動させることさえできれば、現地協力者であるルーシーでも、ジーニアスの故郷へ向かうことができる。


 だがそれには、セキュリティ回避のため、もう一つ懐中時計が必要であり、その超高度デバイスを分解し、内部機構を網羅しつつ、ソフトキルとリペアを行える存在を必要としていた。他にも摂取案はあるにはあるが、前者が一番安全かつ確実な方法だ。


 ルーシーは視線を、懐中時計からベッドへ向ける。重力制御によって時間が止まった長方形の空間。それを目にした者は皆、口々に『まるで棺じゃないか』と悲しげに言っていた。


 ルーシーは、目の前のそれを、本当の棺にしないためにも、鋭い視線と共に覚悟を決め、死地へ向かう覚悟で椅子から立ち上がった。


「迷う理由なんて……ないよね」


 今までのジーニアスの姿――その揺るぎない勇姿が、ルーシーの脳裏を駆け巡る。まるでフラッシュバックのように走り抜けた記憶が、彼女の背中を、優しく押した。



「だってジーニアスさんは、自分の命を賭けて、みんなのために戦ってくれた! 今度は……私が助ける番!」



 ルーシーは病室を後にし、ドアをガチャりと開ける。そして目の前には見慣れぬ幼女がいた。



「あ! おねえちゃん だ!」



 それはゼノ・オルディオスとしての人格や記憶を失った存在――リゼ・ルーテシア・オルディーヌだった。


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