◆第二章◆ イレギュラー(1)

文字数 4,926文字

 街の東側、歓楽区の外れに位置する一軒の建造物。
 周囲の建物より二回りほど大きく、塀に囲まれたレンガ造りの堅牢な佇まい。
 門の前には旗章が掲げられ、風に吹かれ緩やかにたなびいている。あしらわれているのは枝葉を伸ばした聖樹と、それを守護するように左右に並ぶ雄鹿と雄山羊の意匠。
 ここがこの街――ミドガに設置されたハンターズギルドだ。
 …………
「だから――払えねえってのは、どういうこった?」
 アレンと別れ、建物に入ってからすでに数十分。ディーンは苛立ちを隠すことなく詰め寄った。
 カウンターを挟み、応対しているのは困り顔の受付嬢だ。
「――ですから、ハンター登録はされてないんですよね?」
「それは何度も言ってるだろ?」
 これで三回目となる同じ質問に、ディーンはやや呆れ気味で答えた。
「今回の獲物(ターゲット)には手付金が支払われておりまして……その会員さまが討伐の優先権を持っている状態なんです。となりますと……」
「優先だろうが何だろうが、もう獲物は居ないんだぜ? 原則として成果報酬制度があるだろ」
「ですから、それは会員間であれば問題ないのですが……ギルドに加盟されてないディーンさんに報酬権を移譲するには手続きが色々と必要になるんです。なので今すぐのお支払いは――」
 平行線を辿ったまま、一向に煮え切らない会話。もうずっとこのやり取りを繰りかえしている。ディーンはカウンターに片腕で頬杖を付き、息をついた。
 が、それを気にも留めず、受付の娘は職務を全うしようと、懸命に説明を続けている。
 そんな姿勢に感服しながら、ディーンは先ほど聞かされた‘手続き’とやらを頭の中で反芻する。
 まずはギルド本部への報告、次に派遣調査員による実況見分、そして報告書の作成。ここまできてようやく審査が始まる。承認までには複数回のチェック。そんな事務処理とは別に相手方との折衝、手付金の返還手続きに伴う――、……いや、もういい。とにかくまだまだあるということだ。
 挙句、これらが完了するまでには何日――いや、何十日かかるのかわからない、ときた。
 ――いつの頃から、こんな面倒な組織になってしまったのか。
 ディーンは溜息交じりに受付の後ろの壁に貼られたギルドの旗章を見やる。
 聖樹を守護する雄鹿と雄山羊。
 古の伝説において雄鹿は蛇と毒を払うと言われた事から、破邪の力を。一方、雄山羊は神事において神々への生贄として捧げられた事から、贖罪を意味する。そして聖樹は生命の象徴であり、人々の繁栄と成長、平和を表している。
 この旗は元々、はるか古に存在した――とある王国のものだ。
 邪を破り、罪を(あがな)うことによって人は成長と繁栄を成し、平和を享受することが出来る――その精神が込められているそうだ。
 遡ること数百年前。
 この精神を忘れることなく、人に仇なす機構獣を打ち倒し、平穏をもたらす。かつての人々はこの旗印のもとに集い、立ち上がった。
 世界を取り戻すため。未来を手に入れるため。そして何より――大切な人を守るため。
 今、存在するこの世界は、間違いなく崇高な意志の下に戦った先人たちの遺勲だ。
 そして現在。
 本懐を失ったハンターは生業と成り果て、旗印はただの看板となった。
 ハンターは報酬目当てに機構獣を狩り、ギルドは会員を集め仕事を斡旋する。
 それが間違いだとは思わない。しかし――その背景にあった精神を少しでも心に刻んでいる者はどれほどいるのだろうか。
「――さん? 聞いてますか、ディーンさん!」
 ぼんやりとそんなことを考えていたディーンだが、強い口調で呼びかけられ我に返った。
 覗き込むようにこちらを見つめる娘に、ちらと視線を返す。
「だから、今からでもハンターとしてギルドに会員登録すれば、少しはスムーズになるって言ってるんです!」
「……ちょっと聞くが、アンタはこの組織の前身、その精神を知ってるか?」
 ディーンは軽く首を捻り、試すように言う。
「知ってますよ。‘破邪と贖罪を以って人を成し和を築く’即ち――機構獣の危険を取り除き、平和を提供する。それが私たちの存在意義であり、目的です。ギルドで働く以上、最初に教わる訓辞ですよ!」
 あっさりと模範解答のような返答をする娘。
 なんだ、知ってるのかよ――知識だけ無駄にあるとは、逆にタチが悪い。だが、ならばこそ言ってやるか。
「――なら、なんで会員になったら月額会費なんて払わなきゃなんないんだ? アンタがさっき言った通り――ギルドは営利が目的じゃないんだろ?」
 しれっ、と本音を含ませながら言い放ったディーンの一言。受付嬢は一瞬固まっていたが、次第に肩を震わせ――
「私たちはハンターの皆さんのサポートをしているんですよ!? 仕事の斡旋、情報収集、専用宿場の運営、それにパーティメンバーのマッチングまで! 運営資金がいるのは当然です! 大体、自分は報酬貰う気満々で何言ってるんですか!?
 溜まりに溜まった鬱憤を吐き出すように言うと、ばんっ、とカウンターに手をついた。
 あ、やっぱダメか。
 理念を引き合いに出せば会員勧誘を回避しつつ、速やかな報酬支払にこぎ着けるかと一縷の望みを託してみたのだが、大失敗のようだ。何よりも会費を払いたくないという本音が出てしまったのが致命的だった。
 身勝手な主張に聞こえるかもしれないが、ハンター登録をせずとも機構獣を狩れば報酬は貰える。それは治安維持への貢献として認められるからだ。褒賞金が掛かっている場合はその額面が、そうではない場合は実績に応じての功労金が支払われる。だからディーンには報酬を受け取る権利はある。問題は今回の獲物に手付金を払った先約がいたという事だ。これが話を面倒なものに仕立て上げてしまっている。
 …………
「お前だな。俺たちが狙っていた機構獣を狩った女ってのは?」
 振り返ると、数人の中年の男たち。
「ん……? ああ……アンタらか。手付金とやらを払ってたってハンターは」
 ディーンが片手を上げながら言う。
「……そうだ! あの獲物は俺たちが半年も前から目をつけて準備をしてきてたんだ、それを横取りしやがって……!!
「八〇万ガルの手付金だって払ってたんだぞ。それを……納得がいかねえ」
 男たちが次々と不満を口にする。
「そうかい、そりゃ災難だったな。だが……正直アンタらがアレを狩れたとは思えねぇな。むしろ命拾いしたんじゃねぇか?」
 男たちの出で立ち――装備品や、佇まいから想起される身のこなしを鑑みたうえで、ディーンは正直な感想を言う。
「なっ……な、なんだと、てめえ! こっちは凄腕を集めてんだ、他の仲間もじきに合流する予定だった! 舐めた事言ってるんじゃ――」
 顔を赤くして一人の男がいきり立ち、ディーンに迫るが――
「まあまあ――落ち着こうや。ダンナがた」
 飄々とした声が割って入る。
 向き直ると、そこには細い葉巻を咥え、ダスターコートを纏った男の姿。
 黒のカウボーイシャツに、首元には深紅のスカーフ。インディゴブルーのデニムパンツを革の防護衣(チャップス)で覆っている。ハットを斜に被った青黒い長髪に、鼻筋の通った甘いマスクと、滲むような色気の持ち主だ。
「お前、近頃この街をうろうろしてる新参者だな。こっちは忙しいんだ、すっこんで……」
「待て待て、だから少しオレがダンナがたの力になれれば、と思ってな」
「何……?」
 突然割って入ってきた男に、ハンターたちが訝しげな視線を送る。
「ダンナがたは機構獣を狩る準備を進めていた。そして――予定通りいけばダンナがたなら十分にやれた。オレはそう思う」
「お……おう、そうだ! それをこの女が……!」
 ひとりのハンターが興奮気味に声をあげた。しかしそれには取り合わず、男は続ける。
「……だが、準備が整う前に機構獣が街へと来ちまった。こいつは事故だ。実に不幸な事故だ」
 俯き加減にゆっくりと頭を振り、男は咥えていた葉巻を指の間に挟むと――
「そこにたまたまこのお嬢さんが居合わせた。結果として街は守られた、子供たちも。こいつは――不幸中の幸いだ。そうだろう、なぁ?」
 静かに息を吐き、ハンターの顔を見た。香味のある煙がゆらゆらと舞い――消える。
「……っ。まあ、そりゃあ、な……」
 正論だ。言葉に詰まり、ハンターが唸るように呟く。
「ああ、さすがは誇り高きベテランのダンナたちだ。わかってくれると思ったぜ。となれば――残る問題は手付金だけだ」
 先ほどの静かな物言いとは一変し、男は満足げな笑みを浮かべながら声を弾ませる。
「……お、おう。すぐに手付金さえ戻ってくりゃ、俺たちだってこれ以上騒ぎを起こす気はねえ」
「ホ、ホークさん、だから結局それには手続きが……」
 受付の娘が言いかけるが、ホークと呼ばれたその男は彼女の口元に指を立てそれを遮る。
「そこで――提案なんだが、ダンナがたへの手付金の払い戻しはオレが肩代わりしよう。だが、書類上はダンナがたが予定通り機構獣を狩ったとして処理する。そして褒賞金はこのお嬢さんに支払う。どうだ、誰にとっても悪い話じゃないだろう?」
「で……でもそれじゃホークさんが損をするんじゃ――」
 ホークの意外すぎる提案に、受付の娘が困惑の表情を浮かべる。
「いやいや、オレがこの街に流れ着いてからというもの、ダンナがたやギルド――いや、キミにも世話になりっぱなしだ。こいつはちょっとした恩返しみたいなものさ。オレにとっても悪い話じゃない。――で、どうだい?」
 そう言ってホークは各々の顔を見回す。
 建前だ――ディーンはわずかに眉をひそめた。
 ただの善意で、支払いの肩代わりをするなど普通にありえない。そしてこれまでのやり取りを見る限り、このホークという男、どうにも食えない。
 他に目的――何か狙いがあるはずだ。となると用があるのは誰か、自ずと見えてくる。
「もちろん、俺たちは構わねえ」
「私も――皆さんがそれでよろしいのでしたら、はい」
「……アタシは報酬さえ貰えれば、文句はねぇよ」
 ハンターたちと受付の娘に続き、ディーンもホークの提案を受け入れる。
 どのみちホークはこの後も自分に接触を試みてくるだろう。だったらこのお膳立てをひっくり返す事に意味はない。今は貰えるものを貰っておくのが正解だ。
「よし、決まりだ。じゃあダンナがた、こいつを――ああ、少しばっかり色をつけさせてもらった。だからこの件は――」
「ああ、わかってるわかってる。誰にも言わねえよ」
 帯のついた札束を受け取った男が満面の笑みを浮かべて答える。
 ほどなくして、男たちは大声で談笑しながら去っていった。
 …………
「お待たせしました、ディーンさん。こちらが褒賞金となります。ご確認ください」
 四つの束に、数十枚の紙幣。締めて――四二〇万ガル。
 無造作にそれを掴み、カウンターを後にする。
 ドアを開け、外へと出る――と、待っていたかのように塀に寄り掛かり佇む長身の男。
「……何か用か? 報酬の半分でもよこせってか?」
「まさか。オレはただ、街を救った勇敢なお嬢さんに挨拶をしたいだけさ。さっきは……そんな余裕も無かったからな」
 ホークが仰々しく両腕を開きながら言った。ディーンは鼻を鳴らす。
「紹介が遅れたな。オレはホーク。ホーク・ギャビン。見ての通り――流浪のハンターってとこだ。良かったら名前を聞かせてもらえないか、勇敢なお嬢さん」
「……ディーンだ。単に女を探してるんだったら他をあたるんだな、色男。……挨拶も済んだことだし、もう行くぜ」
 どうせ名前などとうに割れている。ディーンはそう答え、門へと向かって歩き出す。
「ああ。時間を取らせてすまなかった。……また話せるのを楽しみにしている、ディーン」
「話すほどの用があれば、な。ま……今日の件の礼は言っとくぜ。物好きな兄ちゃん」
 通り過ぎざまに言葉を交わし、ディーンはギルドを後にする。
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