◆第一章◆ 流浪の女(2)

文字数 1,515文字

 次第に大地はひび割れた肌を露わにし、蹄の音が響き出す。
 周囲には薄茶けた緑青色(ろくしょういろ)の雑草が茂り、痩せこけた指を伸ばしたようなサボテンが姿を見せる。柔らかな風に乗って届くのは、人々の喧騒や、何かを調理した香ばしい香り。
 街が近づいてきたのだ。女は手綱を絞り、愛馬の進む速度を落とす。
 しばし、静かに歩を進めていくと――
 街をぐるりと取り囲む木柵と、丸太を組み合わせただけの簡素な(ゲート)が現れる。
 その傍らには地下水を汲み上げる風車がそびえ立ち、からからと音を立てて回っていた。
 女は日射しに目を細めてそれを眺めながら、門を潜り、街へと入る。
 …………
 昼下がりの街並みは、この時間特有の落ち着いた雰囲気に包まれていた。
 通りには木造の家屋が建ち並び、テラスでは住人たちが思い思いにくつろいでいる。
 長椅子に横になり昼寝をしている初老の男、昼食のサンドウィッチを摘まみ一息つく羊飼いの若者、ロッキングチェアに揺られ読書にいそしむ雑貨屋の女主人。
 そんな様子を眺めながら、女は通りを進む。
 やがて、酒樽をテーブル代わりに、食後のコーヒーを飲みながら談笑する二人の牧夫の前を通りかかる。
「ちょっと訊ねるが……この街で一番の宿はどこだい?」
「あ……ああ。宿だったら一軒あるが……。この先の広場の十字路を右に曲がった先だ。ほれ、ちょうどあのでっかいオリーブの木が生えている辺りさ」
 馬上の女からの不意の問いかけに片割れの男が顔を上げ――わずかに戸惑いの表情を浮かべながらもそう答えた。
「そうか。助かったぜ、ありがとよ」
 女は軽く手を振ってそう返すと、広場へと向かっていく。
 その背を見つめながら、男たちが言葉を交わす。
「お……おい、今の女の馬。機構獣(オーガン)じゃなかったか?」
「……あ、ああ。そう……だよな、やっぱり」
「一応、保安官に――ダーレスさんに伝えといたほうがいいよな? これ……」
 …………
 ほどなく。女は広場へと辿り着く。
 ここは二つのメインストリートが交わる場所で、ちょうど街の中心に当たるようだ。
 円形に広がる空間は人通りも多く、活気に溢れている。
 周囲の建物もこれまでの民家とは違い、水色や乳白色のペンキで着色されたものや、レンガ造りのものが見受けられ、華やかな印象だ。軒先にかかる看板から、日用品店、仕立屋、食堂、銃火器店、銀行に賭場など様々な店が並んでいることが見て取れた。
 店先には幌馬車を停め、忙しく荷下ろしをする行商人の姿があり、水飲み場付きの馬駐(うまとどめ)に繋がれたサラブレッドが喉を潤している。露店に列を作る子連れの母親たちは会話に花を咲かせ、側らをカウボーイスタイルに身を包んだ男が馬を駆り、慌ただしく走り抜けていく。
 そんな人々の息づきに包まれた広場を一望したあと、女はすぐ左手にそびえ立つ巨木を見上げた。
 オリーブの木だ。
 その大きさから樹齢はゆうに数百年を超えるだろう。少なくとも――八〇〇年は下らないだろうか。豊かに茂る濃緑色の葉が、天から降り注ぐ灼熱を遮り、大きな樹影を描いていた。
 力強く広がるその枝葉には若草色のものから、熟して葡萄色(えびいろ)に染まったものまで、大粒の実が宿っており、枝先をしならせている。
 木陰を潜り抜けながら、女は腕を伸ばし色づき始めたばかりの若い実を一つ摘む。
 鮮やかな薄緑の実を手のひらの中でころころと踊らせながら、広場へと進んでいく。
 すれ違う人々から向けられる奇異の視線を気にする素振りも無く、女と銀灰の騎馬は通りを右へと曲がり、白壁の教会の前を通り過ぎていった。
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