第6話 "雨"に濡れた男 ※
文字数 1,595文字
〈剣の神子〉が死んだ。赤い〝雨〟の毒は消えず、そのまま降り落ちてくる。ディルは今一度血を吐くと、ついに限界を迎えて地面に平伏した。身体の四肢に全く力が入らない。そのまま何もせず、息をするだけだった。
しばらくして、要塞の煉瓦に〝雨〟が滑り込み、じゅっ、という溶解音が聞こえるようになってきた。〝雨〟は土や岩を溶かさないが、溶けにくいだけで、毒素の強さからくる風化や劣化は起きる。街の守護者を失って要塞が劣化し、この部屋内に〝雨〟が直接降るようになると、ディルの身体の肉を溶かしていく。
〈剣の神子〉が危機に晒されたときのため、要塞内に控えていた神子もいる。あの白い男によって、すでに殺されていた。住民たちも兵士たちも〝雨〟に晒された。悲鳴を上げる間もなかった。
身体が溶けていくなか、横たわって動かないユジェの顔をディルは見続けていた。いつも笑顔で、痛みで苦しむ中でさえ笑ってくれた彼女の、その顔が苦しさに歪んでいた。こと切れる最期の瞬間、彼女は苦しかった。溶けていく自らの身体か、涙かわからないが、ディルは絶望に打ちひしがれるしかなかった。
コラーダの神子・オラドは、先日訪れたばかりの街で起きた惨劇に戦慄していた。
同名調印の為に役人を連れてくる途中で、アルマスの〝雨〟が浄化されていない様子に気付き、自分と従者だけで急行した。持ち歩いている神剣の欠片で、〝雨〟の浄化を始めたうえで街に入った。
血と〝雨〟で赤く染まった街では、転がる死体は溶けだして人間と認識できない状態となり、生き残りの姿は見えない。死の街となったアルマス。従者達は吐き気を堪えている。オラドは、〈剣の神子〉がいるはずの要塞へ向かった。そうしなければ、何もわからないと思った。
辿り着いた要塞も『神剣の間』も、惨憺たるありさまであった。騎士たちの死体らしきものと、神剣 の目の前で転がる二対の死体。それが誰のものか、察する所があった。英雄とまで呼ばれる人間が、大した争いの形跡すらなく死んだようにしか捉えられず、身が竦んだ。
(敵は……居ないのか。気配はしない。彼らを弔ってやらなければ……。いや、彼はたしか娘が……皆死んで……?)
恐怖と混乱のなか、オラドは冷静に努めようとしていた。次にやるべきことは何なのか、それを必死に考えていた。
だが、その思考は予想外の出来事で中断させられる。神剣 の前に転がっていた死体、その一体が突如動いた。あまりの事態に抵抗する間も無く、起き上がった死体が握っていた剣で、オラドは刺されてしまった。その瞬間に、従者たちも斬りかかっていったが、すぐに斬り伏せられてしまったのを見た。オラドの身体は、濡れた地面に倒れ伏した。
先ほどまで死体だったもの──〝雨〟で溶け、ほとんど液体のようになった化け物が近寄ってきて、自分の身体を抱えた。剣で自らの身体が魚のように切り広げられるのが分かった。恐怖と痛みで叫んでも何も聞こえず、見えなくなっていくのが分かった。最後に見えたのは、自分を切り開く化け物が、その眼をぎょろりとこちらへ向けたことだった。
化け物は、どうにか訪問者からはぎ取った衣服でその身を隠し、〝雨〟のもとで消えていく故郷を見つめていた。瞬きひとつせず、全てが無くなったであろう瞬間を見届けて、化け物は故郷へ背を向けた。肩から提げるようにした剣帯には、古びたぼろぼろの神剣 があった。〝雨〟の中、その剣の柄をぎりりと握り、足を踏み出した。
――――――――――――――――――――――――――――
大陸南部の街・アルマスの滅亡以降。
〝雨〟に合わせて〈剣の神子〉を襲い、国を滅ぼしてしまうという、信じがたい事態がたびたび起こるようになる。その凶行の実行者は、数年が経っても正体不明であった。人々は国がいつ襲われるか知れない恐怖に苛まれながら、〝雨〟が降るたび、怯えて暮らすようになっていった。
しばらくして、要塞の煉瓦に〝雨〟が滑り込み、じゅっ、という溶解音が聞こえるようになってきた。〝雨〟は土や岩を溶かさないが、溶けにくいだけで、毒素の強さからくる風化や劣化は起きる。街の守護者を失って要塞が劣化し、この部屋内に〝雨〟が直接降るようになると、ディルの身体の肉を溶かしていく。
〈剣の神子〉が危機に晒されたときのため、要塞内に控えていた神子もいる。あの白い男によって、すでに殺されていた。住民たちも兵士たちも〝雨〟に晒された。悲鳴を上げる間もなかった。
身体が溶けていくなか、横たわって動かないユジェの顔をディルは見続けていた。いつも笑顔で、痛みで苦しむ中でさえ笑ってくれた彼女の、その顔が苦しさに歪んでいた。こと切れる最期の瞬間、彼女は苦しかった。溶けていく自らの身体か、涙かわからないが、ディルは絶望に打ちひしがれるしかなかった。
コラーダの神子・オラドは、先日訪れたばかりの街で起きた惨劇に戦慄していた。
同名調印の為に役人を連れてくる途中で、アルマスの〝雨〟が浄化されていない様子に気付き、自分と従者だけで急行した。持ち歩いている神剣の欠片で、〝雨〟の浄化を始めたうえで街に入った。
血と〝雨〟で赤く染まった街では、転がる死体は溶けだして人間と認識できない状態となり、生き残りの姿は見えない。死の街となったアルマス。従者達は吐き気を堪えている。オラドは、〈剣の神子〉がいるはずの要塞へ向かった。そうしなければ、何もわからないと思った。
辿り着いた要塞も『神剣の間』も、惨憺たるありさまであった。騎士たちの死体らしきものと、
(敵は……居ないのか。気配はしない。彼らを弔ってやらなければ……。いや、彼はたしか娘が……皆死んで……?)
恐怖と混乱のなか、オラドは冷静に努めようとしていた。次にやるべきことは何なのか、それを必死に考えていた。
だが、その思考は予想外の出来事で中断させられる。
先ほどまで死体だったもの──〝雨〟で溶け、ほとんど液体のようになった化け物が近寄ってきて、自分の身体を抱えた。剣で自らの身体が魚のように切り広げられるのが分かった。恐怖と痛みで叫んでも何も聞こえず、見えなくなっていくのが分かった。最後に見えたのは、自分を切り開く化け物が、その眼をぎょろりとこちらへ向けたことだった。
化け物は、どうにか訪問者からはぎ取った衣服でその身を隠し、〝雨〟のもとで消えていく故郷を見つめていた。瞬きひとつせず、全てが無くなったであろう瞬間を見届けて、化け物は故郷へ背を向けた。肩から提げるようにした剣帯には、古びたぼろぼろの
――――――――――――――――――――――――――――
大陸南部の街・アルマスの滅亡以降。
〝雨〟に合わせて〈剣の神子〉を襲い、国を滅ぼしてしまうという、信じがたい事態がたびたび起こるようになる。その凶行の実行者は、数年が経っても正体不明であった。人々は国がいつ襲われるか知れない恐怖に苛まれながら、〝雨〟が降るたび、怯えて暮らすようになっていった。