第17話 〈剣の神子〉シャーロットの危機
文字数 2,138文字
宵刻、一行は旅商団用の宿に入って休息を得ていた。これまでの旅路のなかでは最も質の良い宿であるので、団員たちもすぐ寝入ったのか、静かな夜だった。
ところが、憩いのひと時はすぐに打ち砕かれた。ビィィ、という甲高い音色が響いて、カイン達はがばりと起き上がった。ばたばたと、廊下から誰かが走ってくる声が聞こえる。ほどなくして、部屋の扉からコンコンと音が鳴った。
「カイン、クリスティ! 笛だ! 笛が鳴った!」
声の主はマキナで、随分と焦っている様子だ。寝台に座っていたカインは扉は開かず、そのまま尋ねた。
「シャーロットの笛か?」
「そう! 彼女を助けに行ってくれないかな? 私は念のため、団員たちと住民の避難を準備するから! 悪いけど頼む!」
声だけだが、冗談ではない事は分かる。カインは立ち上がり、クリスティに確認の意味で目線を送ったが、すでにその身に矢筒を括りつけ終わっていた。
「分かった。すぐに行く」
返事を聞くと、マキナは扉の前から走り去っていった。傍らのクリスティは不安と決意が綯い交ぜになったような表情を浮かべていた。他者の為に何かをしようとする顔に、母・ユジェの面影を感じさせる。夜の帳が下りた暗闇の中に、血のような〝雨〟がしとしとと降り始めていた。
王城内はいやに静かで、騎士や兵士の姿がない。門番すらも不在だった。日中とは様変わりして、建物全体が死んでいるかのようだ。カイン達は王城内を急いで走っていた。渡した笛が早速このような形で役立つとは思いもよらなかったが、シャーロットの身に危機が迫っているのは間違いなかった。
カインが飛び込むように〈剣の神子〉の部屋に入る。目にしたのは、黒い鎧の男が兵士の顔を鷲掴みにして持ち上げている姿だった。兵士はうめきながら、腕を何とか引き剥がそうとしているが、抵抗もむなしく投げ捨てるように放られた。
奥方でシャーロットが、泣きながら怯えていた。しかし、〝雨〟が降る中、シャーロットは神剣から手を離せないでいる。周囲には亡骸か、気を失っただけか、騎士たちがごろごろ転がっている。
角のある兜、全身黒い鎧。黒鬼士 ――その呼び名が頭を擡 げる。
黒鎧の男は、ゆらりと振り向いてシャーロットの方を見た。本能的に危険を察して、カインは男に飛びかかるようにして剣を振った。男はそれを、大剣を少し持ち上げて、たやすく受け止めた。黒鎧はずしりと見下ろしている。長身のカインの背をゆうに超え、まるで巨人だ。手にしている大剣は、ベネデットが持っていたような物よりさらに大きく、どう見ても片手で持つには重すぎるが、軽々と扱っているように見えた。角兜の内の、赤い瞳がぎろ、とカインを睨み付けている。
「邪魔を……するな」
くぐもって低く、地獄の底から鳴るような声だった。黒鎧は、交差している剣にぐっ、と重みをかけた。カインは剣を両手で支えたが、その重さは予想以上だった。これが人の扱う剣の重さか? ぎりぎり、と剣同士が音を立てる。カインが重圧に耐えきれなくなった隙を見逃さず、黒鎧は剣を持ち上げるように振り上げ、彼の身体ごと吹き飛ばした。カインは壁に背を打ちつけられ、無機物のような衝突音が響いた。
「っぐ!」
カインが痛みに呻いた。彼の身体は重力に従って真下にどさりと落ちる。壁を背につけたまま俯き、立ち上がる気配がない。ぶつかった時のすさまじい衝撃で、意識を失いかけていた。
「カイン!」
後から到着したクリスティがその瞬間を目撃し、叫ぶ。カインは懸命に身体を起こそうとするが朦朧としていた。何とか黒鎧の方へ目を向ける。ぼやける視界の先で、黒鎧が再び剣をシャーロットへ向けようとしているのが見えた。
シャーロットは、全く抵抗の意思を示そうとしなかった。神剣を握りながらじっと、目を閉じてその瞬間を、ただ受け入れようとしている。カインの代わりに、クリスティがシャーロットのもとへ駆け寄るが、間に合わない。無情にも黒鎧の凶刃は振られた。
がきん、という金属音を鳴らした。シャーロットの脳天ではなく、それより上。上方で大剣が何かに当たって止まっている。ぎりり、と鈍い音が鳴る中、黒鎧はすさまじい憎悪を込めて、睨んでいた。
何者かの、ふふっという薄笑いが聞こえた。
現れたのは透き通った肌と銀髪を持つ、美しい顔の青年だった。青い瞳が無垢に輝くさまは、まるで救世主たる聖ユリアスを思わせる容貌。髪も肌も、衣服までも白い、清らかな人間。その生 身 の 腕 が、凶悪な大剣を受け止めていた。
「コルヴァ、お前を殺す」
黒鎧は低い声で静かに宣告した。白い青年の顔は引き攣り、そして弧を描いて突如満面の笑みになる。しかし、笑顔とは裏腹に、冷めていて何の抑揚もない声が、その口から発せられた。
「貴方もしつこいですね、僕に適う筈が無いじゃないですか」
あまりの不気味さに、行方を見守っていた誰もが困惑した。コルヴァと呼ばれた青年は、その腕で大剣をがちん、と弾いてから、腰に下げた短剣を抜く。
そこから、おおよそ人間同士とは言い難い凄まじい剣戟が起きた。黒鎧は、巨大な剣を柔らかく、鞭を振るっているように扱い、白い男はそれを短剣一本でことごとく受け止める。あまりにも滅茶苦茶な光景だった。
ところが、憩いのひと時はすぐに打ち砕かれた。ビィィ、という甲高い音色が響いて、カイン達はがばりと起き上がった。ばたばたと、廊下から誰かが走ってくる声が聞こえる。ほどなくして、部屋の扉からコンコンと音が鳴った。
「カイン、クリスティ! 笛だ! 笛が鳴った!」
声の主はマキナで、随分と焦っている様子だ。寝台に座っていたカインは扉は開かず、そのまま尋ねた。
「シャーロットの笛か?」
「そう! 彼女を助けに行ってくれないかな? 私は念のため、団員たちと住民の避難を準備するから! 悪いけど頼む!」
声だけだが、冗談ではない事は分かる。カインは立ち上がり、クリスティに確認の意味で目線を送ったが、すでにその身に矢筒を括りつけ終わっていた。
「分かった。すぐに行く」
返事を聞くと、マキナは扉の前から走り去っていった。傍らのクリスティは不安と決意が綯い交ぜになったような表情を浮かべていた。他者の為に何かをしようとする顔に、母・ユジェの面影を感じさせる。夜の帳が下りた暗闇の中に、血のような〝雨〟がしとしとと降り始めていた。
王城内はいやに静かで、騎士や兵士の姿がない。門番すらも不在だった。日中とは様変わりして、建物全体が死んでいるかのようだ。カイン達は王城内を急いで走っていた。渡した笛が早速このような形で役立つとは思いもよらなかったが、シャーロットの身に危機が迫っているのは間違いなかった。
カインが飛び込むように〈剣の神子〉の部屋に入る。目にしたのは、黒い鎧の男が兵士の顔を鷲掴みにして持ち上げている姿だった。兵士はうめきながら、腕を何とか引き剥がそうとしているが、抵抗もむなしく投げ捨てるように放られた。
奥方でシャーロットが、泣きながら怯えていた。しかし、〝雨〟が降る中、シャーロットは神剣から手を離せないでいる。周囲には亡骸か、気を失っただけか、騎士たちがごろごろ転がっている。
角のある兜、全身黒い鎧。
黒鎧の男は、ゆらりと振り向いてシャーロットの方を見た。本能的に危険を察して、カインは男に飛びかかるようにして剣を振った。男はそれを、大剣を少し持ち上げて、たやすく受け止めた。黒鎧はずしりと見下ろしている。長身のカインの背をゆうに超え、まるで巨人だ。手にしている大剣は、ベネデットが持っていたような物よりさらに大きく、どう見ても片手で持つには重すぎるが、軽々と扱っているように見えた。角兜の内の、赤い瞳がぎろ、とカインを睨み付けている。
「邪魔を……するな」
くぐもって低く、地獄の底から鳴るような声だった。黒鎧は、交差している剣にぐっ、と重みをかけた。カインは剣を両手で支えたが、その重さは予想以上だった。これが人の扱う剣の重さか? ぎりぎり、と剣同士が音を立てる。カインが重圧に耐えきれなくなった隙を見逃さず、黒鎧は剣を持ち上げるように振り上げ、彼の身体ごと吹き飛ばした。カインは壁に背を打ちつけられ、無機物のような衝突音が響いた。
「っぐ!」
カインが痛みに呻いた。彼の身体は重力に従って真下にどさりと落ちる。壁を背につけたまま俯き、立ち上がる気配がない。ぶつかった時のすさまじい衝撃で、意識を失いかけていた。
「カイン!」
後から到着したクリスティがその瞬間を目撃し、叫ぶ。カインは懸命に身体を起こそうとするが朦朧としていた。何とか黒鎧の方へ目を向ける。ぼやける視界の先で、黒鎧が再び剣をシャーロットへ向けようとしているのが見えた。
シャーロットは、全く抵抗の意思を示そうとしなかった。神剣を握りながらじっと、目を閉じてその瞬間を、ただ受け入れようとしている。カインの代わりに、クリスティがシャーロットのもとへ駆け寄るが、間に合わない。無情にも黒鎧の凶刃は振られた。
がきん、という金属音を鳴らした。シャーロットの脳天ではなく、それより上。上方で大剣が何かに当たって止まっている。ぎりり、と鈍い音が鳴る中、黒鎧はすさまじい憎悪を込めて、睨んでいた。
何者かの、ふふっという薄笑いが聞こえた。
現れたのは透き通った肌と銀髪を持つ、美しい顔の青年だった。青い瞳が無垢に輝くさまは、まるで救世主たる聖ユリアスを思わせる容貌。髪も肌も、衣服までも白い、清らかな人間。その
「コルヴァ、お前を殺す」
黒鎧は低い声で静かに宣告した。白い青年の顔は引き攣り、そして弧を描いて突如満面の笑みになる。しかし、笑顔とは裏腹に、冷めていて何の抑揚もない声が、その口から発せられた。
「貴方もしつこいですね、僕に適う筈が無いじゃないですか」
あまりの不気味さに、行方を見守っていた誰もが困惑した。コルヴァと呼ばれた青年は、その腕で大剣をがちん、と弾いてから、腰に下げた短剣を抜く。
そこから、おおよそ人間同士とは言い難い凄まじい剣戟が起きた。黒鎧は、巨大な剣を柔らかく、鞭を振るっているように扱い、白い男はそれを短剣一本でことごとく受け止める。あまりにも滅茶苦茶な光景だった。