第73話 遺したもの

文字数 1,728文字

 イブ大陸を覆った、帝国と法王領を中心とした戦が、終わりを告げた。
 あの日、〝雨〟により大陸の中央部分を占有していた、聖地レ・ユエ・ユアンは消え去った。大陸中心の土地が開けた事で、多くの国の間で交易が拓かれていった。

 聖地が消えた結果、〝雨〟が降る頻度も減った。ただ、〝雨〟は消えたわけではなかった。相変わらず赤い雨雲は上空を漂い、命を脅かす〝雨〟が降る。その状況に変わりはなかった。
 ノア世界の勢力と聖者ユリアスが消え、イブの国々は皆、大小はあるが被害を受けた。これまでの歴史の裏で起きていたこと、その真実を知らされた人々は、聖者の教えに従って国を建てる事を辞め、できるだけ一所(ひとところ)の同じ国に集まって暮らすようになる。国を守る〈剣の神子〉は神剣を持ち歩くようになり、何人かの〈剣の神子〉で浄化の役目を交代制にする事で、ある程度は自由な生活を得た。一人では五年で尽きてしまう寿命も、皆で担う事で十年、十五年と伸びた。


     ***


 三年後、エルムサリエ帝国。
 ケラウ居住区からアダマス交易区にかけて、街の中をずかずかと歩き回る少女の姿があった。
「カイン! カインーーっ!」
 背中まである桃色の髪が風に靡く。その背丈は大人より少し低い程度で、顔付きは大人びている。少女と呼ばれる年頃を終え、大人への過渡期を迎えようとしている、そんな外見をしていた。

「ねえ! カインを見てない?」
「カイン? うーん、見てないかなあ……どうしたんだい?」
「そう! 聞いて! カインったら、クリフに『クリスティの事を頼む』とか言い残して、どこか行っちゃったの! 本当、かっこ付けてんじゃないわって! もー!」
 怒り心頭のクリスティに、話しかけられた商人もたじたじの様子だ。皇帝の親類たるクレフェルド皇子を、『クリフ』と呼び捨てに出来るのは、ごく限られた人間のみだ。だから、この女性・クリスティもまた、国内では特に有名な人物だった。

 戦争の後、帝国に身を寄せた彼らは、この三年の間で帝国民たちに親しまれ、気軽に声を掛けられる存在になっていた。クリスティは矛先を失ったまま怒りの声を上げ、住民たちは何だ何だ、とざわめいている。




 同じ頃、大陸東の海上、ラフェトゥラ交易船。

「……本当に良かったの?」
 帆が風に打たれ、穏やかにさざ波が立つなかで、ベニーは話しかけた。歳月を経てベニーもまた成長し、背丈は大人と殆ど変わらなくなっていた。
「何がだ?」
「クリスティだよ。怒るでしょ、彼女は」
「……仕方ない」
 金髪の男・カインの返答に、ベニーは思い切りため息を付いた。

 三年前よりは血色が良くなり、人間味も増した彼だが、陰気な気質も得てしまったように見える。あの戦争で多くを失ったと聞いてはいるが、見ていられない。半ば呆れつつ、青年はもうすぐ近くまで迫った、目的の島へと眼を向けた。

 ラフェトゥラ島へ到着し、上陸する。交易目的の商人たちとは別に、ベニー達は島民たちの住まう区域まで足を踏み入れる。カインの姿を見た途端、島民たちは声をあげた。
「金の瞳と髪! 金眼の鬼だ! あいつが来た!」
「殺せ!」
 つい先ほどまで落ち着いた様子で過ごしていた島民たちは、すぐさま手に武器を取り、カイン達の周囲に迫った。

 騒ぎを聞いて、首長らしき人間も姿を見せる。あっという間に人だかりになってしまうが、カインとベニーはその場に立ち尽くしたまま、様子を伺っていた。
「……金眼。お前、何をしに来た? 一六年前とはいえ、笑って同胞の身を刻んだ冷酷無慙な姿、忘れてはおらんぞ」
 首長の男がそう言い放った。同調するように、島民たちは唸って武器を掲げる。

「……首を捧げに来た」
「何?」
 カインは低く呟いてから、その場に腰を下ろして、もう一度口を開いた。

「俺は、お前達の怒りを知ってはいたが、どうしても死ねない理由があった。だが、今はその目的も果たす事が出来た。だから、この身はもうどうなっても構わない。俺が殺した人々のように、身体を斬るのも、槍で突くのも、任せる。お前達が望むように

に、ここへ来た」
 そう言い終えて、腰に差していた剣を鞘ごと外すと、腰掛けた自身の目の前に置いた。これを好きに使え、と言わんばかりだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

カイン

三年前に滅んだアルマスの生き残り、元騎士。

褐色肌で、金髪金眼の見た目から“金狼”と呼ばれている、腕利きの剣士。

親友ディルとの約束に従って、彼の娘であるクリスティを護り続けている。

冷静で静かな気質の人物だが、戦いを好む一面があり……?

クリスティ

三年前に滅んだアルマスの、生き残りの少女。カインの親友だった、ユジェとディルの娘。

神子の証である白い肌と、母譲りの桃色の髪を持つ。

神剣『アルマス』の欠片を持ち歩いているため、欠片を奪おうとする勢力と《首喰い》に命を狙われている。

過去の出来事が原因で、声が出なくなっている。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み