第10話 ラダン湖の集落、ハラ・ダヌ
文字数 2,575文字
ハラ・ダヌに到着して、カイン達は団の面々に礼を告げつつ旅商団を離れた。マキナの旅商団の彼らは、ここで数日滞在してから、さらに南のエルムサリエ帝国へ向かうようだ。
宿場で部屋を取ってから、ふたりは情報収集を兼ねて夕食を取ることにする。たいていの宿場は二階部分が宿泊、一階部分が食堂となっているが、ここも同様のようだ。
クリスティが久しぶりの馳走を満足そうに平らげている。カインは自身はすでに食べきった後だが、彼女が食事する様子を時折見つめたりして待ち続ける。和やかに食事をする風を装い、この食堂で人々が会話している内容を盗み聞きしているのだ。常に周りに気を配っておかなければクリスティの身が危ない。カインの癖のようなものだった。
「……の前財布をすられちまってさあ! 最近本当……」
「……息子なら家に置いてきたのよ。普段畑も耕さないで……」
「……〝黒鬼士 〟が現れたって聞いたか?」
喧噪のなか耳に入った情報の中のひとつに、彼の意識が留まる。
「北部のトリアって国だろ、神子様が襲われたって。そしたら危ないからってんで自領の傘下に入らないか誘ったとか。さすが法王様だよな! ……」
カインは心の内で、トリアか、と言つ。自分たちがいま滞在している南部とは丸きり逆だが、欲しい情報がひとつ手に入った。用事が済めば北へ向かう選択肢もありそうだ。
その時、自身のすぐ近くに誰かが近づいた気配を感じ、意識を戻す。ふたりの食卓に椅子を持ちながら、見覚えのある女性が混ざろうとしていた。
「ねえ、ちょっとここ混ざってもいいかな?」
赤毛で身なりの良い女だった。
「……マキナ。何のつもりだ。まだ出発していなかったのか」
やや呆れ気味にカインが言えば、ここまでの道程で同行した旅商団の主、マキナは無邪気な笑顔を覗かせる。
「お誘いしなきゃと思って」
こちらは許可を出していないが、彼女は勝手に椅子を差し込んで、食卓に割り込んだ。
「言った筈だ。これ以降の同行はできん」
「君たちに得な話が多いんだよ。とりあえず話を聞いてみない?」
食い下がるマキナに、カインは小さく舌打ちをした。
「俺たちは誰とも連れ合わん。時間の無駄だからさっさと帝国へ向かえ。ではな」
そう言って、カインは椅子から立ち上がる。クリスティはカインに目線で合図され、従うようにして食卓から立ち去って行った。
「う~ん。なかなか手強いねえ」
取り残されたマキナは、食卓に頬杖をつきながら、嬉しそうに笑った。
思わぬ引き止めに遭いつつ、ハラ・ダヌで一晩の休息を経たふたりは、陽が昇らぬうちに宿を発つ。早々に次の目的地に向かった。ふたりだけの移動。街の外の移動は危険なため、食うにも困る盗賊か巡礼者以外は行わない。神子で、欠片を持つクリスティが居るからこそ、出来ることだ。
彼らの目的地はハラ・ダヌからは遠くないが、それでも日数を要する。隣町への移動だけでも数日、それ以上であれば十日程度はかかる。ふたりはこれまでの旅と同じように、夜ごと野宿をして、陽が昇れば歩き、と繰り返して少しずつ南部を移動していった。幸運にも〝雨〟と賊に遭う事はないまま、目的地に到着した。正確には到着したかどうかも、おおよそにしか分からないのだが。
「……ただ、いま」
クリスティは何も無い、乾いた黄土が広がる景色に向かいそう言った。
三年前のあの日、隣町のコラーダに居たふたり以外の全てが、アルマスから消え去った。
その瞬間に、コラーダは味方では無くなった。彼らは欠片と神子を我がものとする為、カイン達を襲ったのだ。追われる身となり、故郷の惨状を見ることもなく、身を隠さざるを得なかった。三年ぶりに見た故郷は予想通り、人が住んでいたとは到底考えられないような空っぽの土地と化していた。
「……何となく分かるな。ここから東に海があって、南にあの山脈が見える景色だったよな」
カイン達は連れ立って歩きつつ話しかける。クリスティはこくり、と頷く。ふたりは何もない土地の上をゆっくり進んで、記憶を辿っていた。外壁からはじまり、畑や田園、貧民街、住宅、商店街、要塞。まるで観光をするようにひとつずつ確かめながら歩く。
「そしてここに神子の間があり、神剣があった」
そこでふたりはぴた、と立ち止まった。クリスティが前 の 名 前 の頃に、両親と共に暮らしていた場所。クリスティはやはり何も言わなかったが、その表情を横目で確かめると、瞳は潤んでいるように見えた。
カインは黙ったまま、クリスティの頭を触れるくらいに、不器用に撫でた。何年経ってもこういった事が上手くできない。彼らなら──ディルやユジェならば、もっと愛情をもって接してやれるのだろうに。
神剣『アルマス』前で、常にその剣に縛られて生きることを強いられたユジェ。その身と魂を捧げていても、家族や街の人々に囲まれて幸せそうに笑っていた。彼女は昔から何があっても弱みを見せず、気丈で魅力的な女性だった。
親友であるディルと彼女が結ばれた際にも、純粋に喜ばしく思った。ユジェの為を思えば支えたいと感じたし、それがアルマスを守護する騎士としての誇りにもなった。
クリスティは、ユジェによく似ている。子供のころ共に過ごした生意気な顔を、もう一度見ている気がする程だ。ただ、今のこの子は余り似ていない。涙で目を赤くして、どうにもならない事実をただ見つめている、悲しい眼。
どうして愛する者たちが滅びなければならなかったのか、そのような凶行を起こした者は誰なのか。何が起きたのか、その真実を知りたい。三年間にわたる逃避行の中で、カインとクリスティが目的として定めた事だった。
神剣は〝雨〟では溶かされない。クリスティが、『アルマス』の欠片を所持しているから追われているように、神剣の価値は計り知れないもので、その実、奪い合いだ。アルマスが滅びてから何者かが持ち去ったと考えられ、その人物がこの地で起きた真実を知っている可能性は高い。ふたりは危険と知りながら大陸をまたにかけ、神剣『アルマス』の行方を追っている。
「……クリスティ。喉はどうだ? 声は……出ないか」
聞いた最中にすでにクリスティは、哀し気に首を横に振っていた。この地に来る事は、彼女の失われた声を取り戻すきっかけとしても期待をしていたが、それは叶いそうに無かった。
宿場で部屋を取ってから、ふたりは情報収集を兼ねて夕食を取ることにする。たいていの宿場は二階部分が宿泊、一階部分が食堂となっているが、ここも同様のようだ。
クリスティが久しぶりの馳走を満足そうに平らげている。カインは自身はすでに食べきった後だが、彼女が食事する様子を時折見つめたりして待ち続ける。和やかに食事をする風を装い、この食堂で人々が会話している内容を盗み聞きしているのだ。常に周りに気を配っておかなければクリスティの身が危ない。カインの癖のようなものだった。
「……の前財布をすられちまってさあ! 最近本当……」
「……息子なら家に置いてきたのよ。普段畑も耕さないで……」
「……〝
喧噪のなか耳に入った情報の中のひとつに、彼の意識が留まる。
「北部のトリアって国だろ、神子様が襲われたって。そしたら危ないからってんで自領の傘下に入らないか誘ったとか。さすが法王様だよな! ……」
カインは心の内で、トリアか、と言つ。自分たちがいま滞在している南部とは丸きり逆だが、欲しい情報がひとつ手に入った。用事が済めば北へ向かう選択肢もありそうだ。
その時、自身のすぐ近くに誰かが近づいた気配を感じ、意識を戻す。ふたりの食卓に椅子を持ちながら、見覚えのある女性が混ざろうとしていた。
「ねえ、ちょっとここ混ざってもいいかな?」
赤毛で身なりの良い女だった。
「……マキナ。何のつもりだ。まだ出発していなかったのか」
やや呆れ気味にカインが言えば、ここまでの道程で同行した旅商団の主、マキナは無邪気な笑顔を覗かせる。
「お誘いしなきゃと思って」
こちらは許可を出していないが、彼女は勝手に椅子を差し込んで、食卓に割り込んだ。
「言った筈だ。これ以降の同行はできん」
「君たちに得な話が多いんだよ。とりあえず話を聞いてみない?」
食い下がるマキナに、カインは小さく舌打ちをした。
「俺たちは誰とも連れ合わん。時間の無駄だからさっさと帝国へ向かえ。ではな」
そう言って、カインは椅子から立ち上がる。クリスティはカインに目線で合図され、従うようにして食卓から立ち去って行った。
「う~ん。なかなか手強いねえ」
取り残されたマキナは、食卓に頬杖をつきながら、嬉しそうに笑った。
思わぬ引き止めに遭いつつ、ハラ・ダヌで一晩の休息を経たふたりは、陽が昇らぬうちに宿を発つ。早々に次の目的地に向かった。ふたりだけの移動。街の外の移動は危険なため、食うにも困る盗賊か巡礼者以外は行わない。神子で、欠片を持つクリスティが居るからこそ、出来ることだ。
彼らの目的地はハラ・ダヌからは遠くないが、それでも日数を要する。隣町への移動だけでも数日、それ以上であれば十日程度はかかる。ふたりはこれまでの旅と同じように、夜ごと野宿をして、陽が昇れば歩き、と繰り返して少しずつ南部を移動していった。幸運にも〝雨〟と賊に遭う事はないまま、目的地に到着した。正確には到着したかどうかも、おおよそにしか分からないのだが。
「……ただ、いま」
クリスティは何も無い、乾いた黄土が広がる景色に向かいそう言った。
三年前のあの日、隣町のコラーダに居たふたり以外の全てが、アルマスから消え去った。
その瞬間に、コラーダは味方では無くなった。彼らは欠片と神子を我がものとする為、カイン達を襲ったのだ。追われる身となり、故郷の惨状を見ることもなく、身を隠さざるを得なかった。三年ぶりに見た故郷は予想通り、人が住んでいたとは到底考えられないような空っぽの土地と化していた。
「……何となく分かるな。ここから東に海があって、南にあの山脈が見える景色だったよな」
カイン達は連れ立って歩きつつ話しかける。クリスティはこくり、と頷く。ふたりは何もない土地の上をゆっくり進んで、記憶を辿っていた。外壁からはじまり、畑や田園、貧民街、住宅、商店街、要塞。まるで観光をするようにひとつずつ確かめながら歩く。
「そしてここに神子の間があり、神剣があった」
そこでふたりはぴた、と立ち止まった。クリスティが
カインは黙ったまま、クリスティの頭を触れるくらいに、不器用に撫でた。何年経ってもこういった事が上手くできない。彼らなら──ディルやユジェならば、もっと愛情をもって接してやれるのだろうに。
神剣『アルマス』前で、常にその剣に縛られて生きることを強いられたユジェ。その身と魂を捧げていても、家族や街の人々に囲まれて幸せそうに笑っていた。彼女は昔から何があっても弱みを見せず、気丈で魅力的な女性だった。
親友であるディルと彼女が結ばれた際にも、純粋に喜ばしく思った。ユジェの為を思えば支えたいと感じたし、それがアルマスを守護する騎士としての誇りにもなった。
クリスティは、ユジェによく似ている。子供のころ共に過ごした生意気な顔を、もう一度見ている気がする程だ。ただ、今のこの子は余り似ていない。涙で目を赤くして、どうにもならない事実をただ見つめている、悲しい眼。
どうして愛する者たちが滅びなければならなかったのか、そのような凶行を起こした者は誰なのか。何が起きたのか、その真実を知りたい。三年間にわたる逃避行の中で、カインとクリスティが目的として定めた事だった。
神剣は〝雨〟では溶かされない。クリスティが、『アルマス』の欠片を所持しているから追われているように、神剣の価値は計り知れないもので、その実、奪い合いだ。アルマスが滅びてから何者かが持ち去ったと考えられ、その人物がこの地で起きた真実を知っている可能性は高い。ふたりは危険と知りながら大陸をまたにかけ、神剣『アルマス』の行方を追っている。
「……クリスティ。喉はどうだ? 声は……出ないか」
聞いた最中にすでにクリスティは、哀し気に首を横に振っていた。この地に来る事は、彼女の失われた声を取り戻すきっかけとしても期待をしていたが、それは叶いそうに無かった。