第33話 金髪金眼の殺人鬼
文字数 2,054文字
カイン達は、軍国アロダイトを夜の内に発った。北部を旅する間、褐色肌に関しては、どこへ行ってもじろじろと見られる。ただ、神子であるクリスティを見るなり、丁重な扱いを受けることが多かった。北部では神子自体がそれほど珍しくないため、外見を隠す必要はない。
奴隷の少年はベニーと名乗った。たいへん物静かな性格で、声が出ない時のクリスティを見ているようだ。北部の砂地を旅する間、クリスティはベニーを細かく気遣った。火の後始末の仕方、駱駝の乗り方、体力を消耗しない歩き方、就寝時も警戒して短剣を手放さないこと、そう言った心得を教えてやる。カインの指示にも素直に従った。
アロダイトから数月ほど旅をして、ベニーもある程度この環境に慣れてきたように見えた。
陽が落ち、天幕の下で三人がそれぞれ横になって就寝していた。その中で、不意にベニーが起き上がる。護身用にと貸してもらった短剣を、音を抑えてゆっくりと抜く。ベニーが向かったのは、カインの元だった。カインは身体を覆うように布をかけ、仰向けに寝ている。愛用の剣は右手側の傍に置いてあった。
ベニーの表情は、憎しみや怒りといったものもなく、欠落していた。短剣を持ち、カインの首元で腰を落としたまま、じいっと見ている。短剣をこの心臓の上に突き刺せば終わる。だがその心中は、葛藤であった。
「殺さないのか?」
ベニーはふと声を掛けられて、肩をびくりと震わせた。声の主は、目の前で寝ているはずの男だった。寝ている格好はそのまま、瞼を開いてベニーを見ている。怒りも哀しみもない、心が凍り付いてしまったような表情だった。
「……起きて、いたんですね」
「ああ」
ゆっくりと身体を起こしたカインは、そう返した以外は喋らなかった。ベニーが話し出すことを待つように、口を閉ざしている。
「……すみません。こんな事をして許されるとは、思っていません」
ベニーは絞り出すように言ってから、うつむいた。対してカインは、尚も黙って、次に言わんとする言葉を促していた。事実、ベニーはぼそぼそと話し出した。
「……僕の母は、大戦後に置き去りになったラフェトゥラ人です。母は北部へと逃れた後で、北部出身のイブ人の男性と結ばれて、僕が生まれました。見た目は父のものが強いので、ラフェトゥラ二世とはあまり知られませんでした。父は熱心なユリアス教信者でしたので、家族で巡礼に出たのですが、途中盗賊に襲われて、ばらばらになりました。僕はその時にアロダイトの奴隷商人に捕まって、以降は奴隷として生きてきました」
ベニーは話すうちに、知らず知らず短剣を握っていた腕の力を失い、ぺたりと地に付けていた。藤色の髪が、萎びたように垂れ下がっている。
「〝金髪金眼の殺人鬼〟の話は、母からよく聞いていました。恐ろしい程の
そこで一度、話が途切れる。惑う視線が、地面に伏せる短剣に行き着いた。
「命を助けられたし、親切にしてくれた。僕は、どうすべきなのか分からなくて……」
言い終える時、声は震えていた。カインはしばらく一点を見つめたまま考えこんでいたが、呑み込むように、ゆっくりと頷いた。ベニーは見た目こそ普通だが、ラフェトゥラ人の血を引く子。カインはラフェトゥラと大戦以来の遺恨がある。だから命を狙われていたのだ。
カインは迷いを見せながらも、片腕を伸ばして、ベニーの肩に手を置いた。伝えるべきことを選び取ると、口を開く。
「お前が俺を殺したいと思うのは、間違ってはいない。俺はラフェトゥラの人々を多く手に掛けた。許されない事だ。……だが俺も、どうしても死ねない理由がある。ひとまず今は、見逃してくれないか。お前自身の事を考えても、トリアに着いてからの方が、都合が良いはずだ。その後はいくらでも……殺そうとしてくれていい」
ベニーは不安そうに瞬きを繰り返したが、やがてこくりと頷いた。
「……有難う」
カインは物憂げな顔で、ぽつりと呟く。
〝金髪金眼の殺人鬼〟の件は、大戦以降とにかく何度も言われてきた。しかし、カインの中では不可解でもあった。
大戦時にはたしかに相手を殺める事もあったが、斬り刻んだ、という程ではなかった。誰かにそういった指摘を受けた記憶すら全 く 無 い 。
人殺しであることに偽りは無いので、周囲からはそう見えたのだろうと自身に言い聞かせてきたが、それでもこれ程に恨みを買うものだろうか。行き場のない感情をため息にしてしまいそうになって、引き止めて、無理やり呑み込んだ。
「……寝ろ。まだ早い」
カインが素っ気なく言うと、ベニーは素直に寝床に戻っていく。彼がふたたび、身体に布を被せるところまで見張ってから、自身も横になって眼を閉じる。どうせ寝れはしない。三年前から、まともに寝たことなどないのだから。
奴隷の少年はベニーと名乗った。たいへん物静かな性格で、声が出ない時のクリスティを見ているようだ。北部の砂地を旅する間、クリスティはベニーを細かく気遣った。火の後始末の仕方、駱駝の乗り方、体力を消耗しない歩き方、就寝時も警戒して短剣を手放さないこと、そう言った心得を教えてやる。カインの指示にも素直に従った。
アロダイトから数月ほど旅をして、ベニーもある程度この環境に慣れてきたように見えた。
陽が落ち、天幕の下で三人がそれぞれ横になって就寝していた。その中で、不意にベニーが起き上がる。護身用にと貸してもらった短剣を、音を抑えてゆっくりと抜く。ベニーが向かったのは、カインの元だった。カインは身体を覆うように布をかけ、仰向けに寝ている。愛用の剣は右手側の傍に置いてあった。
ベニーの表情は、憎しみや怒りといったものもなく、欠落していた。短剣を持ち、カインの首元で腰を落としたまま、じいっと見ている。短剣をこの心臓の上に突き刺せば終わる。だがその心中は、葛藤であった。
「殺さないのか?」
ベニーはふと声を掛けられて、肩をびくりと震わせた。声の主は、目の前で寝ているはずの男だった。寝ている格好はそのまま、瞼を開いてベニーを見ている。怒りも哀しみもない、心が凍り付いてしまったような表情だった。
「……起きて、いたんですね」
「ああ」
ゆっくりと身体を起こしたカインは、そう返した以外は喋らなかった。ベニーが話し出すことを待つように、口を閉ざしている。
「……すみません。こんな事をして許されるとは、思っていません」
ベニーは絞り出すように言ってから、うつむいた。対してカインは、尚も黙って、次に言わんとする言葉を促していた。事実、ベニーはぼそぼそと話し出した。
「……僕の母は、大戦後に置き去りになったラフェトゥラ人です。母は北部へと逃れた後で、北部出身のイブ人の男性と結ばれて、僕が生まれました。見た目は父のものが強いので、ラフェトゥラ二世とはあまり知られませんでした。父は熱心なユリアス教信者でしたので、家族で巡礼に出たのですが、途中盗賊に襲われて、ばらばらになりました。僕はその時にアロダイトの奴隷商人に捕まって、以降は奴隷として生きてきました」
ベニーは話すうちに、知らず知らず短剣を握っていた腕の力を失い、ぺたりと地に付けていた。藤色の髪が、萎びたように垂れ下がっている。
「〝金髪金眼の殺人鬼〟の話は、母からよく聞いていました。恐ろしい程の
怪力
があって、同胞を多く手に掛け、楽しむように斬り刻んだと。あの戦いで母は故郷に戻る事が出来なくなった。故郷も占領されてしまった。だから、いつか殺さなければ、と。……アロダイトで鉄鎖
を斬られた時、まさかと思いました。だけど……」そこで一度、話が途切れる。惑う視線が、地面に伏せる短剣に行き着いた。
「命を助けられたし、親切にしてくれた。僕は、どうすべきなのか分からなくて……」
言い終える時、声は震えていた。カインはしばらく一点を見つめたまま考えこんでいたが、呑み込むように、ゆっくりと頷いた。ベニーは見た目こそ普通だが、ラフェトゥラ人の血を引く子。カインはラフェトゥラと大戦以来の遺恨がある。だから命を狙われていたのだ。
カインは迷いを見せながらも、片腕を伸ばして、ベニーの肩に手を置いた。伝えるべきことを選び取ると、口を開く。
「お前が俺を殺したいと思うのは、間違ってはいない。俺はラフェトゥラの人々を多く手に掛けた。許されない事だ。……だが俺も、どうしても死ねない理由がある。ひとまず今は、見逃してくれないか。お前自身の事を考えても、トリアに着いてからの方が、都合が良いはずだ。その後はいくらでも……殺そうとしてくれていい」
ベニーは不安そうに瞬きを繰り返したが、やがてこくりと頷いた。
「……有難う」
カインは物憂げな顔で、ぽつりと呟く。
〝金髪金眼の殺人鬼〟の件は、大戦以降とにかく何度も言われてきた。しかし、カインの中では不可解でもあった。
大戦時にはたしかに相手を殺める事もあったが、斬り刻んだ、という程ではなかった。誰かにそういった指摘を受けた記憶すら
人殺しであることに偽りは無いので、周囲からはそう見えたのだろうと自身に言い聞かせてきたが、それでもこれ程に恨みを買うものだろうか。行き場のない感情をため息にしてしまいそうになって、引き止めて、無理やり呑み込んだ。
「……寝ろ。まだ早い」
カインが素っ気なく言うと、ベニーは素直に寝床に戻っていく。彼がふたたび、身体に布を被せるところまで見張ってから、自身も横になって眼を閉じる。どうせ寝れはしない。三年前から、まともに寝たことなどないのだから。