第16話 南端海岸の従属国、ニル=ミヨル
文字数 2,953文字
懐かしい。落陽に照らされた砂と土壁が、深い闇を縁取っている。狭い故郷に子供たちの遊ぶ場は多くなく、〝雨〟が降っていないときには街の外壁すれすれまで出ていることもあった。見つかれば当然、怒られるが。
「レオ、やっぱり凄いね! それもお母さんに教わったの?」
幼い声が跳ねるように聞いた。クリスティによく似た少女が、目をきらきらさせて話しかけてくる。少女の背には外壁がつくる影があって、桃の髪だけが際立ち、美しかった。
「私、騎士さまになるんだ! だって、ディルもレオも騎士さまになるなら、お揃いがいいでしょ?」
少女はにっこり笑ってから、意気込みを示すようにぐっと拳を握ってみせる。花や服を愛でていそうな可憐な女の子は、似合いもしない木刀を持って、いつも自分たちの後を追いかけてきた。最初はからかい半分だったはずが、気付けば先を越され、騎士としての凛々しい佇まいを見せていた。だから彼女を見るうち、自分の中でいつしか、形容しがたい感情が渦巻くようになっていった。
──瞼の裏の光景が、天幕の枯草色の天井に胡散する。
カインは、目覚めとともに幼いころの記憶を夢に見たことを理解して、またか、と自分に呆れた。
「おは、よう?」
「おはよう、クリスティ」
ため息を聞いてか、クリスティがひょっこりと顔を見せて呼びかけてくれた。先日のタン・キエムでの一件以来、彼女は少しだけではあるが発声が滑らかになっている。カインは嫌な寝覚めを振り払うように、さっさと起き出して支度を始めた。
旅商団は順調に、帝国のある大陸南端へと向かっていた。騾馬の先頭から後ろを振り向き、マキナに話しかけるロウの姿も、長い旅路のなかで見慣れてきた。
「姐さん、ニル=ミヨルに着いたら、シャーロットに会いに行くンですよね?」
「そうだね、久しぶりに会うよ。楽しみだなぁ」
すっかり元気を取り戻したマキナは、朗らかに笑っている。知人と会うようだが、カインには特段興味は無かったので放っておく。ところが、マキナの方がぐるりとこちらへ振り向いた。
「カイン、悪いけどニル=ミヨルに着いたら付いてきてくれない?」
「……ああ」
護衛として雇われている以上、断る理由もないので了承する。マキナは、この旅商団には彼女の家臣しかいないという話の割に、何かと理由を付けて自分たちを同行させる。それに対して、団員たちも特に不満がったり怪訝にしている様子もない。
「ありがとう、助かるよ」
普段と変わらず、人懐っこい笑みを見せるマキナ。カインはマキナのことを、それほど自由な振る舞いを許されていないのではないかと疑っていた。
ニル=ミヨルに到着すると、数日滞在するとのことで旅商団の面々は自由行動になった。言われた通りカインとクリスティがマキナに同行し、心配でたまらなそうなロウも付いてきた。
「シャーロットはね、〈剣の神子〉なんだよ。この国は比較的、帝国に友好的だから。私も話をする機会があってね、仲良くなったのさ」
ニル=ミヨル中心に立つ王城の中で、マキナは語った。アルマスでは要塞の最奥に『神子の間』という場所があり〈剣の神子〉を守っていたが、この国では王城がその役目を果たしているらしい。案内役の兵士に導かれ、〈剣の神子〉の居る部屋に到着する。
「お邪魔しますよ~」
「マキナ様!」
マキナの気の抜けた挨拶に対して、騎士たちは突然の来訪に驚いたらしく、緊張した面持ちで敬礼を返してきた。違和感のある様子に、カインの中でまたひとつ不信感が積みあがった。それを横で見たロウが、堪える様に口を押えて笑っていた。
「あんた、案外顔に出ますねェ、ぶくく……」
「……お前も俺の事が少しわかってきたな」
ロウと煽り合うようなやり取りを交わしていると、マキナが手招きしてくる。神剣の前に立つ、ひと際美しい女性がこちらを見て待っていた。金髪をきっちりと結い上げており、人形のように整った顔をして、舞踏会に出るのではという程の華美な衣服を身に纏っている。
「彼女がシャーロット。こっちはロウ、カイン、クリスティと言って、私の連れだよ」
マキナはその金髪の女性、シャーロットの真正面に向き合って話しかけた。シャーロットは頷くと、こちらに向き直ってからやや拙い喋りで挨拶をした。
「私は、シャーロットと申します。この度は、ご足労、誠に痛み入ります」
そう言って、片足を後ろに引き、もう片方の足の膝を軽く曲げる社交用の礼をして見せる。形式ばった振る舞いと、身なりがよく金の髪艶もさらさらとしていて、育ちの良い人物であることが伺い知れた。この国の有力者の親類にあたる者かもしれない。
「シャーロット。お土産があるの。これ」
マキナは彼女の肩を数回叩いて呼び、あるものを手渡した。
「これは笛……でしょうか?」
「そう。最近〝黒鬼士〟の話もあるし、物騒でしょう? 身の危険を感じたら、これを吹く。そしたら周りの騎士達もすぐに駆け付けられる」
シャーロットの手の上に、掌に収まるくらいの小ぶりな笛があった。彼女は、笛を持ち上げてぐるりと観察したり、手の内で握ったりしていた。
「とても素敵な笛。ありがとうございます」
シャーロットはマキナに礼を言うが、その笑顔にはやや影があった。不満というわけではなさようだが、心の底で何か引っかかりを持っていそうな表情だ。マキナは気づいていないのか、敢えて見逃しているのか、調子を変えずに会話を続けている。
「今晩の陽が落ちきってから、〝雨〟が来るよ。ここは万全みたいだけど、街の防壁付近ももっと兵を配置しておいてね」
「はい、分かりました」
シャーロットは頷く。マキナはその場を離れて騎士達のもとへ向かい、何か話しかけている。
手持ち無沙汰になったシャーロットはぶらりと視線を彷徨わせて、クリスティでその眼が止まった。シャーロットはクリスティに近付くと、膝を折って話しかけた。
「こんにちは」
「こんに……」
クリスティは貰った挨拶に応じようとしたが、うまく声が出なかったようだ。声が出ない事を身振り手振りで伝えようとして、シャーロットがぽかんと見つめている。カインが助けに入ろうとした所でシャーロットが意図を察したらしく、クリスティににこりと笑いかけた。今度は影のない、素直な笑みだった。
「無理をさせて、ごめんなさい。大丈夫。実は私、音や声が聞こえないのです」
「……!」
クリスティが驚いて目を丸くしている。
「だから、変な言い方ですけれど。仲間かもしれませんね、私たち」
そう言うと、シャーロットはクリスティの手を取り、親愛の情を示すかのように、ぎゅぎゅっと数回握った。クリスティも心なしか嬉しそうな表情を浮かべている。
カインは、マキナが笛を渡していた意味を理解できた。〈剣の神子〉になると心身に異常が生じるのはよくある事だが、音が聞こえないとは。とっさの対応が難しい彼女に、助けとなるよう笛を渡したのだろう。
シャーロットの様子を見ていて、害はないと判断して放っておくことにした。クリスティにとっても、〈剣の神子〉と神子という違いはあれど、境遇が近しい人間と話せる機会は貴重だ。そこに自分のような無頼漢が入っては台無しになる気がした。神子たちは拙いながらも、終始楽しげにやり取りをしていた。
「レオ、やっぱり凄いね! それもお母さんに教わったの?」
幼い声が跳ねるように聞いた。クリスティによく似た少女が、目をきらきらさせて話しかけてくる。少女の背には外壁がつくる影があって、桃の髪だけが際立ち、美しかった。
「私、騎士さまになるんだ! だって、ディルもレオも騎士さまになるなら、お揃いがいいでしょ?」
少女はにっこり笑ってから、意気込みを示すようにぐっと拳を握ってみせる。花や服を愛でていそうな可憐な女の子は、似合いもしない木刀を持って、いつも自分たちの後を追いかけてきた。最初はからかい半分だったはずが、気付けば先を越され、騎士としての凛々しい佇まいを見せていた。だから彼女を見るうち、自分の中でいつしか、形容しがたい感情が渦巻くようになっていった。
──瞼の裏の光景が、天幕の枯草色の天井に胡散する。
カインは、目覚めとともに幼いころの記憶を夢に見たことを理解して、またか、と自分に呆れた。
「おは、よう?」
「おはよう、クリスティ」
ため息を聞いてか、クリスティがひょっこりと顔を見せて呼びかけてくれた。先日のタン・キエムでの一件以来、彼女は少しだけではあるが発声が滑らかになっている。カインは嫌な寝覚めを振り払うように、さっさと起き出して支度を始めた。
旅商団は順調に、帝国のある大陸南端へと向かっていた。騾馬の先頭から後ろを振り向き、マキナに話しかけるロウの姿も、長い旅路のなかで見慣れてきた。
「姐さん、ニル=ミヨルに着いたら、シャーロットに会いに行くンですよね?」
「そうだね、久しぶりに会うよ。楽しみだなぁ」
すっかり元気を取り戻したマキナは、朗らかに笑っている。知人と会うようだが、カインには特段興味は無かったので放っておく。ところが、マキナの方がぐるりとこちらへ振り向いた。
「カイン、悪いけどニル=ミヨルに着いたら付いてきてくれない?」
「……ああ」
護衛として雇われている以上、断る理由もないので了承する。マキナは、この旅商団には彼女の家臣しかいないという話の割に、何かと理由を付けて自分たちを同行させる。それに対して、団員たちも特に不満がったり怪訝にしている様子もない。
「ありがとう、助かるよ」
普段と変わらず、人懐っこい笑みを見せるマキナ。カインはマキナのことを、それほど自由な振る舞いを許されていないのではないかと疑っていた。
ニル=ミヨルに到着すると、数日滞在するとのことで旅商団の面々は自由行動になった。言われた通りカインとクリスティがマキナに同行し、心配でたまらなそうなロウも付いてきた。
「シャーロットはね、〈剣の神子〉なんだよ。この国は比較的、帝国に友好的だから。私も話をする機会があってね、仲良くなったのさ」
ニル=ミヨル中心に立つ王城の中で、マキナは語った。アルマスでは要塞の最奥に『神子の間』という場所があり〈剣の神子〉を守っていたが、この国では王城がその役目を果たしているらしい。案内役の兵士に導かれ、〈剣の神子〉の居る部屋に到着する。
「お邪魔しますよ~」
「マキナ様!」
マキナの気の抜けた挨拶に対して、騎士たちは突然の来訪に驚いたらしく、緊張した面持ちで敬礼を返してきた。違和感のある様子に、カインの中でまたひとつ不信感が積みあがった。それを横で見たロウが、堪える様に口を押えて笑っていた。
「あんた、案外顔に出ますねェ、ぶくく……」
「……お前も俺の事が少しわかってきたな」
ロウと煽り合うようなやり取りを交わしていると、マキナが手招きしてくる。神剣の前に立つ、ひと際美しい女性がこちらを見て待っていた。金髪をきっちりと結い上げており、人形のように整った顔をして、舞踏会に出るのではという程の華美な衣服を身に纏っている。
「彼女がシャーロット。こっちはロウ、カイン、クリスティと言って、私の連れだよ」
マキナはその金髪の女性、シャーロットの真正面に向き合って話しかけた。シャーロットは頷くと、こちらに向き直ってからやや拙い喋りで挨拶をした。
「私は、シャーロットと申します。この度は、ご足労、誠に痛み入ります」
そう言って、片足を後ろに引き、もう片方の足の膝を軽く曲げる社交用の礼をして見せる。形式ばった振る舞いと、身なりがよく金の髪艶もさらさらとしていて、育ちの良い人物であることが伺い知れた。この国の有力者の親類にあたる者かもしれない。
「シャーロット。お土産があるの。これ」
マキナは彼女の肩を数回叩いて呼び、あるものを手渡した。
「これは笛……でしょうか?」
「そう。最近〝黒鬼士〟の話もあるし、物騒でしょう? 身の危険を感じたら、これを吹く。そしたら周りの騎士達もすぐに駆け付けられる」
シャーロットの手の上に、掌に収まるくらいの小ぶりな笛があった。彼女は、笛を持ち上げてぐるりと観察したり、手の内で握ったりしていた。
「とても素敵な笛。ありがとうございます」
シャーロットはマキナに礼を言うが、その笑顔にはやや影があった。不満というわけではなさようだが、心の底で何か引っかかりを持っていそうな表情だ。マキナは気づいていないのか、敢えて見逃しているのか、調子を変えずに会話を続けている。
「今晩の陽が落ちきってから、〝雨〟が来るよ。ここは万全みたいだけど、街の防壁付近ももっと兵を配置しておいてね」
「はい、分かりました」
シャーロットは頷く。マキナはその場を離れて騎士達のもとへ向かい、何か話しかけている。
手持ち無沙汰になったシャーロットはぶらりと視線を彷徨わせて、クリスティでその眼が止まった。シャーロットはクリスティに近付くと、膝を折って話しかけた。
「こんにちは」
「こんに……」
クリスティは貰った挨拶に応じようとしたが、うまく声が出なかったようだ。声が出ない事を身振り手振りで伝えようとして、シャーロットがぽかんと見つめている。カインが助けに入ろうとした所でシャーロットが意図を察したらしく、クリスティににこりと笑いかけた。今度は影のない、素直な笑みだった。
「無理をさせて、ごめんなさい。大丈夫。実は私、音や声が聞こえないのです」
「……!」
クリスティが驚いて目を丸くしている。
「だから、変な言い方ですけれど。仲間かもしれませんね、私たち」
そう言うと、シャーロットはクリスティの手を取り、親愛の情を示すかのように、ぎゅぎゅっと数回握った。クリスティも心なしか嬉しそうな表情を浮かべている。
カインは、マキナが笛を渡していた意味を理解できた。〈剣の神子〉になると心身に異常が生じるのはよくある事だが、音が聞こえないとは。とっさの対応が難しい彼女に、助けとなるよう笛を渡したのだろう。
シャーロットの様子を見ていて、害はないと判断して放っておくことにした。クリスティにとっても、〈剣の神子〉と神子という違いはあれど、境遇が近しい人間と話せる機会は貴重だ。そこに自分のような無頼漢が入っては台無しになる気がした。神子たちは拙いながらも、終始楽しげにやり取りをしていた。