第69話 贖い
文字数 2,110文字
「ユリアス、ユリアスさ ん さん」
クリスティが、呻き苦しむユリアスに向かって話しかけた。
「もう戦いを、止めませんか。今は無くても……いつか、イブとノアを、両方を救う方法も見つかるかもしれない」
クリスティの言葉に、ユリアスは一瞬呆然としたあと、可笑しそうに笑った。何かを喋り始めたため、カインは口の中の拳を少しだけ緩め、喋れるようにしてやった。
「……私は、その研究を遥か昔からしてきました。そして、何も無かった。ノアを救う方法は……他 に な い 」
ユリアスは、自虐するように言った。
「あなた方が何をしても、私は諦められない……苦しいですよ。でも、もう背負いきれない犠牲を払ってしまった。もう私しかいない。だから絶対に私自身は終えられない……」
ロウの身体を借りたユリアスの表情には、深い深い諦め、疲労、悲嘆──そして孤独が滲み出ていた。ノアの仲間はもはや誰も残っていない今、ユリアスだけが全てを背負うしかない。だから止められないのだ、と言った。
思いがけず、同じだった。カインとクリスティも、故郷アルマスの人々や、これまで戦いで奪った命、奪われた命を背負ってきて、死ぬわけにはならなかった。
宮殿内で行われている戦いの音は、止まない。今、この時にユリアスが死なない限り、ユリアスに操られた人々は戦い続ける。分かっていた。戦いを止めなければならない。
カインは、ロウが何故自分に対して終わりを託したのか、このとき悟った。命を奪うことが出来る人間でなければ、終えられないからだ。ロウは自分の殺 人 鬼 で あ る 部 分 を、願ったのだ。
『そんな言い方もするんだね、ちょっと意外』
『カイン! もうアンタが居ない未来を想像できねェよ~!!』『お前……分かったから。もう何度も言ったろ?また会おうって』
砂漠で別れる時のやり取りが脳裏に蘇る。すぐそばにあった筈の、今は届かなくなってしまった過去。
「ロウ……俺は……俺は、お前を殺したくない。……これでいいんだよな? お前の望みは……」
カインは葛藤を滲ませながらもそう言うと、空いている方の手で、腰に提げた『ドゥリンダナ』をゆっくりと抜く。クリスティはカインが何をしようとしているか察して、思わず手を掴んで引き止める。だが、カインはゆっくりと頭を振る。クリスティは目を潤ませながら、手を除けた。
生きる事はどうして、こんなにも苦しいのだろう。
失いたくないものばかり失って、奪い、虐げられるばかりで。
死ぬ物狂いで戦ったとしても、この手に得られるのは、確実なものは何もない。
だけど、死ねない。この命が、奪ったものと、今まで護れずに失ったもの達の上に成り立っている、それを知っているから。
ユジェ、ディル、アルマスの皆。マキナ、アウレリア、ハイデンベルグ陛下、ラフェトゥラで殺した人々。去っていった人たち。そしてロウ。
俺は……
『ドゥリンダナ』の刃は、ロウの身体の上に突き刺さった。
ロウは声にならない呻きを上げて、手足がびん、と持ち上がる程に痛みに喘いだが、やがて、すっと力が抜ける。口に突っ込んでいた拳を引き抜く。
ユリアスかロウか、どちらともつかない柔らかな表情を浮かべた彼は、口だけを『ありがとう』と動かした。
ラ・ネージュ法王領内、北西、北東戦線。イブ全土で行われていた戦いが、この瞬間から徐々に薄れていく。法王領の兵士、神官たちは、長い夢から覚めたかのように立ち止まる。武器を捨てて捕縛される、もしくは大人しく連行をされる姿が、各地で現れていた。
「ステラ様! 無事ですかーっ!」
ベニーが、ようやく収まった戦場の中で叫んでいる。武器と亡骸が転がる中を上手く避けて、ステラの方へと向かう。
「……アウレリア……」
ステラは、返り血で真っ赤に染まった顔を、天に向けて呟いた。〈剣の神子〉を続けていれば、いつかは忘れてしまうのだろうか、この記憶すらも。アウレリアを失った哀しみも。ステラは、祈るように目を閉じた。
同じ頃、ラ・ネージュ法王領の宮殿内でも、兵士たちが喜びに湧く声が聞こえてくる。
ロウに剣を突き立てたままのカイン達の背後に、音もなくクレフェルドがやって来て、見下ろした。カインは、握り続けていた『ドゥリンダナ』から手を離して立ち上がると、クレフェルドに視線を向ける。返り血で赤くなった顔のなかに、涙の筋がくっきりと浮かんでいる。傍らで未だ座り込んでいるクリスティは、こちらを見ないまま、声を殺している様だった。
「……クリフ、彼 を任せていいか。まだ、やる事がある」
カインが小さくそう言うと、クレフェルドは静かに頷いた。この場で起きた事をおおよそ察したのか、クレフェルドは無言のまま、しばらく敬礼をした。敬礼を解いたあとは、応援を呼びに部隊へ戻っていく。クレフェルドの背を見送りながら、カインが呟く。
「レ・ユエ・ユアンに……」
「?」
「レ・ユエ・ユアンに行くぞ。ディルが待ってる」
カインは、顔についた血と涙を手の甲で拭い取ってから、手を差し出す。クリスティはその手を呆然と見つめていた。やがて、はっ、と意識を取り戻したようにして、涙を服の裾でぐいぐいと拭き取り、カインの手を取った。
クリスティが、呻き苦しむユリアスに向かって話しかけた。
「もう戦いを、止めませんか。今は無くても……いつか、イブとノアを、両方を救う方法も見つかるかもしれない」
クリスティの言葉に、ユリアスは一瞬呆然としたあと、可笑しそうに笑った。何かを喋り始めたため、カインは口の中の拳を少しだけ緩め、喋れるようにしてやった。
「……私は、その研究を遥か昔からしてきました。そして、何も無かった。ノアを救う方法は……
ユリアスは、自虐するように言った。
「あなた方が何をしても、私は諦められない……苦しいですよ。でも、もう背負いきれない犠牲を払ってしまった。もう私しかいない。だから絶対に私自身は終えられない……」
ロウの身体を借りたユリアスの表情には、深い深い諦め、疲労、悲嘆──そして孤独が滲み出ていた。ノアの仲間はもはや誰も残っていない今、ユリアスだけが全てを背負うしかない。だから止められないのだ、と言った。
思いがけず、同じだった。カインとクリスティも、故郷アルマスの人々や、これまで戦いで奪った命、奪われた命を背負ってきて、死ぬわけにはならなかった。
宮殿内で行われている戦いの音は、止まない。今、この時にユリアスが死なない限り、ユリアスに操られた人々は戦い続ける。分かっていた。戦いを止めなければならない。
カインは、ロウが何故自分に対して終わりを託したのか、このとき悟った。命を奪うことが出来る人間でなければ、終えられないからだ。ロウは自分の
『そんな言い方もするんだね、ちょっと意外』
『カイン! もうアンタが居ない未来を想像できねェよ~!!』『お前……分かったから。もう何度も言ったろ?また会おうって』
砂漠で別れる時のやり取りが脳裏に蘇る。すぐそばにあった筈の、今は届かなくなってしまった過去。
「ロウ……俺は……俺は、お前を殺したくない。……これでいいんだよな? お前の望みは……」
カインは葛藤を滲ませながらもそう言うと、空いている方の手で、腰に提げた『ドゥリンダナ』をゆっくりと抜く。クリスティはカインが何をしようとしているか察して、思わず手を掴んで引き止める。だが、カインはゆっくりと頭を振る。クリスティは目を潤ませながら、手を除けた。
生きる事はどうして、こんなにも苦しいのだろう。
失いたくないものばかり失って、奪い、虐げられるばかりで。
死ぬ物狂いで戦ったとしても、この手に得られるのは、確実なものは何もない。
だけど、死ねない。この命が、奪ったものと、今まで護れずに失ったもの達の上に成り立っている、それを知っているから。
ユジェ、ディル、アルマスの皆。マキナ、アウレリア、ハイデンベルグ陛下、ラフェトゥラで殺した人々。去っていった人たち。そしてロウ。
俺は……
『ドゥリンダナ』の刃は、ロウの身体の上に突き刺さった。
ロウは声にならない呻きを上げて、手足がびん、と持ち上がる程に痛みに喘いだが、やがて、すっと力が抜ける。口に突っ込んでいた拳を引き抜く。
ユリアスかロウか、どちらともつかない柔らかな表情を浮かべた彼は、口だけを『ありがとう』と動かした。
ラ・ネージュ法王領内、北西、北東戦線。イブ全土で行われていた戦いが、この瞬間から徐々に薄れていく。法王領の兵士、神官たちは、長い夢から覚めたかのように立ち止まる。武器を捨てて捕縛される、もしくは大人しく連行をされる姿が、各地で現れていた。
「ステラ様! 無事ですかーっ!」
ベニーが、ようやく収まった戦場の中で叫んでいる。武器と亡骸が転がる中を上手く避けて、ステラの方へと向かう。
「……アウレリア……」
ステラは、返り血で真っ赤に染まった顔を、天に向けて呟いた。〈剣の神子〉を続けていれば、いつかは忘れてしまうのだろうか、この記憶すらも。アウレリアを失った哀しみも。ステラは、祈るように目を閉じた。
同じ頃、ラ・ネージュ法王領の宮殿内でも、兵士たちが喜びに湧く声が聞こえてくる。
ロウに剣を突き立てたままのカイン達の背後に、音もなくクレフェルドがやって来て、見下ろした。カインは、握り続けていた『ドゥリンダナ』から手を離して立ち上がると、クレフェルドに視線を向ける。返り血で赤くなった顔のなかに、涙の筋がくっきりと浮かんでいる。傍らで未だ座り込んでいるクリスティは、こちらを見ないまま、声を殺している様だった。
「……クリフ、
カインが小さくそう言うと、クレフェルドは静かに頷いた。この場で起きた事をおおよそ察したのか、クレフェルドは無言のまま、しばらく敬礼をした。敬礼を解いたあとは、応援を呼びに部隊へ戻っていく。クレフェルドの背を見送りながら、カインが呟く。
「レ・ユエ・ユアンに……」
「?」
「レ・ユエ・ユアンに行くぞ。ディルが待ってる」
カインは、顔についた血と涙を手の甲で拭い取ってから、手を差し出す。クリスティはその手を呆然と見つめていた。やがて、はっ、と意識を取り戻したようにして、涙を服の裾でぐいぐいと拭き取り、カインの手を取った。