第61話 〝劫火〟

文字数 3,108文字

 クレフェルドは、肩を上下させて荒く息を乱していた。〝劫火(ごうか)〟はにんまりと嘲笑って見下ろしている。クレフェルドはエルムサリエの皇族として、武術については人並み以上の修練を積んできた。だが目の前の相手には全く通らない。当たりもしない。
 単純な腕の差だけでなく、まるで野生の獣を相手にしているかのような。今この戦いを、人ならざる者との対峙に感じていた。

「あれえ? 当たらないなあ。皇族の誇りはどうしちゃったのかな?」
 〝劫火〟は、先程から小馬鹿にするような台詞を吐き続けている。クレフェルドに当人はまともに相手にしていないが、飽きずに言い続けていた。
「まあそろそろいい頃合いだから、終わりにしようか。まったく、兄貴の方も捕まえて安心してたら、これだもんなあ。アタシの兵もかなりやられちゃったし……まあ、愛する息子の命と引き換えで、許してあげるとするかあ」
 〝劫火〟はいよいよ、決着を付けようとして、槍を持ち出した。ハイデンベルグ皇帝愛用のものだ。クレフェルドには、今までの戦いの間で、この相手に一度でも傷をつける事が出来ていない。敵の言葉を受け入れる訳にはならないが、死を覚悟せずにはいられなかった。

 〝劫火〟が槍を振るおうとした時、クレフェルドの脇を突如、黒い影が通り過ぎた。影は、〝劫火〟に襲い掛かった。がきん、という鈍い音を立て、両者の武器が組み合う。
 
 そこに立っていたのは、黒鎧で角の生えた兜の、騎士だった。

「黒鬼士!」
 クレフェルドは思わず声を上げる。《神子殺し》ではないとはいえ、自らを敵だと言い切った男が、何故この場に現れたのか。
「あいつ、ディル!」
 クレフェルドの元へ急ぐステラもまた、それを目撃した。

「はあ? お前、何故ここにいる? あれだけコルヴァにご執心だったアンタがよぉ!」
「お前に答えるつもりはない。死ね、滅びた世界の亡霊ども」
 〝劫火〟の問いに対して、ディルは吐き捨てるように言った。怒り狂った〝劫火〟は、無茶苦茶に槍を振り回した。それでも視覚に姿を捕らえられない程、速い。先ほどまでクレフェルドを苦しめていた力だ。ところが、黒鬼士はそれと変わらぬ速さで動き、〝劫火〟に付いて行く。瞬間的に移動しながら、その先で大剣と槍がぶつかり合っている。

「なッ……お前! どうして〝リウ〟を扱える!?」
「さあな」
 驚き、動揺する劫火に対し、ディルは至極冷徹だった。何回か刃を交えた後、ディルは大剣を大きく振りかざし、〝劫火〟の持っていた槍を吹き飛ばした。操られているとはいえ、その肉体は〝血の皇帝〟だ。皇帝の手から武器を吹き飛ばすという芸当は、常人にはとても不可能だろう。
 そして、黒鬼士ディルは振り切った大剣を戻す勢いを利用し、〝劫火〟に向けて投げた。劫火は避けようとしたが叶わず、左肩を大剣に貫かれた。ディルはそのまま、腰に提げていたもう一本の剣を抜く。錆びて所々が欠けた、朽ちた剣を片手で持つと、振り上げるように身体を横へ両断した。〝劫火〟はぎゃあ、という声を上げ、背から地面に倒れた。

「父上!」
 行方を見守っていたクレフェルドは、思わずそう呼んで皇帝のもとに近寄った。〝劫火〟に乗っ取られたハイデンベルグ帝は、手足を時々びくりと震えさせながら、死への恐怖の表情に染まっている。〝劫火〟を斬り伏せたディルは、もはや動くことの叶わないその身体へ、朽ちた剣を突き立てた。再び〝劫火〟は痛みに呻き、悲鳴を上げた。

「おい、ディル! もう充分だろう!」
 そこへ、ステラが駆け込んでディルの手を掴んだ。だが、ステラが懸命に引きはがそうとしても、ディルの手はびくともしない。黒鬼士の角兜の中から、赤い瞳がじっと見つめている。
「ステラか。手を離せ。こいつらは、これでしか死なん」
「え?」
 ステラはディルにそう言われて慌てて手を離したが、あることに気付いた。
「これ、神剣……!」
「ああ。『アルマス』だ」
 ディルが突き刺したのは、神剣だった。持ち歩いていた『アルマス』の刃が、皇帝の心臓を貫いている。それでもなお〝劫火〟は怒りの表情を浮かべて、呻いた。
「馬鹿……が……。もはや、この世界も……手遅れ……というのに……」
「……」
 絞り出されたその言葉に、クレフェルドは『父はもうここに居ない』という事を悟ってしまった。もはや見るに忍びない状態の皇帝に、行き場のない悲しみを覚え、苦し気に呑み込むのが精一杯であった。〝劫火〟は、その恨み言以降は声を発する事もできず、しばらく苦しんだ後、息絶えてしまった。

「……神剣に神子が触れている間、その〈魂〉は浄化を優先する。こいつらの乗っ取りは〝リウ〟を介して行われるが、それを封じられる。分かったか?」
 ディルは亡骸となった〝劫火〟に神剣を刺したまま、すらすらと語った。ディルがゆっくりと視線を向けた方向には、後方で支援を行っていた筈の、クリスティとベニーが立っていた。ステラが、どうして此処に、と聞きたそうにしていたが、クリスティは敢えてそれを無視して、黒鬼士の前に近付く。
「……分かったよ、父さん」
「……」
 クリスティの返事を聞いた黒鬼士は黙ったままだ。〝劫火〟の亡骸に刺さった剣を抜き、鞘に納めると、くるりと背を向けてどこかへ去ろうとする。
「待って!」
 駆け寄り、クリスティは父の手を掴んで、引き止めた。黒鬼士ディルはぴたり、と立ち止まる。

「……」
「……」
 親子はそのまま、しばし無言になった。口元で何かもごもごした後に、クリスティは口を開いた。
「……助けに来てくれたんでしょ? 今度は、どこへ行くの?」
「今、コルヴァをテミス達が食い止めているが、もう限界の筈だ。俺が行かなければ

がやって来て、こちら側(イブ)の勝ち目が無くなってしまう。だから、俺が……」
「……どうして、一緒に来てくれないの? 今、カインも大変なんだよ。私だって、ずっと父さんに、会いたいって……」
 クリスティは、そこまで言うと息を詰まらせ、喋れなくなってしまう。

 ディルは何も言わずにいたが、ようやくクリスティの方へ振り返った。角兜を外してから、屈んで彼女と視線を合わせる。
「メアリ……俺は、お前を愛している。もちろん、母さんも。だから、行かなければいけない。許してくれなくていい。だけど、生き延びてくれ」
 ディルの溶けていない半分の顔だけが、泣き笑いのような表情を作っていた。クリスティにも、ディルが押し隠している感情、その一遍を感じさせた。
「……そんなの、私もだよ」
 クリスティがそう返すと、ディルは立ち上がって彼女の頭を撫でた。

 ディルは兜を被り直すと、傍らに立って行方を見守っていたステラに話しかける。
「ここへ来るまでに、トリア近海に配備されていた兵器は破壊してきた。出来るだけ早いうちに、発ったほうがいい」
「あ? ええ? ……ああ、分かったよ。本当にキミは、ろくでもないヤツだね」
 呆れ顔で吐き捨てたステラに対し、兜の中から苦笑するような吐息が聞こえた。それだけ言ってディルは、ステラの脇を通り過ぎ、立ち去った。もうこちらを振り向く事はなかった。
「……」
 残されたクリスティが、去り行く後ろ姿をじっと見つめている。ステラは顔を歪めて、かけるべき言葉を探したが取り止めて、後ろから抱きしめる。クリスティはその腕を引き寄せるようにして、声も無く涙を流した。

 ハイデンベルグが連れていた私兵たちは、〝劫火〟が死んだ瞬間、何が起こっているのか分からない、という様子で立ち止まった。まるで、ずっと奪われていた意識をようやく取り戻したように。狼狽えていた彼らを帝国側の兵士が捕縛し、基地での戦闘は終結を見ていた。
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登場人物紹介

カイン

三年前に滅んだアルマスの生き残り、元騎士。

褐色肌で、金髪金眼の見た目から“金狼”と呼ばれている、腕利きの剣士。

親友ディルとの約束に従って、彼の娘であるクリスティを護り続けている。

冷静で静かな気質の人物だが、戦いを好む一面があり……?

クリスティ

三年前に滅んだアルマスの、生き残りの少女。カインの親友だった、ユジェとディルの娘。

神子の証である白い肌と、母譲りの桃色の髪を持つ。

神剣『アルマス』の欠片を持ち歩いているため、欠片を奪おうとする勢力と《首喰い》に命を狙われている。

過去の出来事が原因で、声が出なくなっている。

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