第30話 代償

文字数 3,176文字

 これ以上用事が無いと判断したカインが、踵を返して戻ろうとする。
 だが、今度は違う人物が目の前に立ち塞がった。濃い褐色肌の女性が、剣を持って荒く息を吐いている。カインをぎょろりと睨むと言った。

「金の……金の瞳と髪! 貴様、我らの土地を汚した剣士だな……! 殺人鬼め‼」

 女性の言葉に、カインは驚愕した。それはかつて、カイン自身が八年前の大戦の時に云われた痛罵(つうば)のひとつだった。

「ラフェトゥラ人……か?」
 カインが問うても、女性は答えない。黒い髪と黒い瞳を持つ、カインとは対照的な見目の女性。大戦の時に、彼が多く命を奪った民族の特徴だった。

「私の夫は……身体を切り刻まれた。金眼の鬼に! お前の事はよく覚えている。お前が我らを滅びに追いやって、我らは故郷へ還る方法を失って彷徨(さまよ)っている。今でも、奴隷に貶められて苦しんでいる! 貴様のせいで‼」
 女性は泣き叫びながら、カインに剣を振り上げて襲い掛かった。カインはそれを受け止めようとしたが、切り結ぶ前に女性は止まった。
 
 先ほど、雑嚢を返してきた瘦身の男が、女性に対して「やめよ!」ときつく叫んだからだ。彼の一声で、住民たちが女性を取り押さえて剣も取り上げた。カインは、構えていた剣を降ろした。カインにとっては、過去の古傷を抉られた心地がして、冷ややかな息を吐いた。

「……客人よ。ここは、イブ大陸に居場所が無い者や、奴隷として苦しめられ、逃亡してきた者の、隠れ里なのだ。彼女もまた、大戦以降に故郷に置き去りにされた身分だ。この砂漠は、かの法王に見捨てられた土地。身を隠すには好都合だった」
 痩身の男が淡々と説明した。奴隷、という身分が実在する事自体、カインには初耳だった。南部では見たことが無い。話通りならば、ここは大陸で彷徨う者たちの、最後の受け皿となる場所のようだ。
「其方は、ラフェトゥラの地に曰くがあるようだが、この地では血を流す事は禁じている。早々に立ち去られるが良い」
 痩身の男は、続けざまに言った。

「……戻る前に、一つ聞いていいか。お前たちは、神剣は持っているのか?」

 カインは男に問う。当初は尋ねるつもりは無かったが、隠れ里というならば、探し求めている神剣『アルマス』を持って逃げてきた者が居る可能性があるからだ。

 瘦身の男は、逡巡したのちに静かに口を開いた。

「……神剣『ナズ』がある。四年前、奴に……《神子殺し》に襲われた時、ある方が助けに入って下さったのだ。神剣を持って逃げよ、と。数少ない生き残りを連れて、この隠れ里に逃げ込んだ。その時に、神剣も運んで来る事が出来た」

「助けに入って? そいつは誰なんだ」
「名は知らぬ。黒い鎧の騎士だった。〈剣の神子〉と神子を殺して回っていた白い男から、我々を護り、逃がしてくださった」
 男の話に、カインとクリスティは息を吞んだ。先日、ニル=ミヨルで目撃した二人の特徴そのままだったからだ。

〈剣の神子〉を殺す白い男と、彼らを助けた黒い鎧の騎士──おそらくは〝黒鬼士〟──『〈剣の神子〉殺しとは〝黒鬼士〟である、と睨んでいたが、実のところは『コルヴァ』という者も居たのだろう? ならば、真に神子殺しを行っているのは『コルヴァ』なのではないか?』
 皇帝ハイデンベルグの言葉が甦る。まさに彼の読み通りで、ナズでの〝黒鬼士〟は、神子殺しでなく、むしろ人々を助けていた。《神子殺し》をしているのは、白い男の方だ。

「……分かった。感謝する。行こう、クリスティ」
 カインは男に礼を言うと、クリスティに声をかけてこの場を去ろうとする。先ほどのラフェトゥラ人の女性が、住民たちに腕を背中側で引かれ、抑えつけられたままで叫ぶ。

「絶対に許さん……お前の大事な者も、その子を、私が殺してやる! 家族を失う悲しみを味あわせてやる!」
 それを聞いた瞬間、カインの気配が一変する。振り返って、早足で一気に歩み寄ると、女性の顔を手で鷲掴みにした。女性はくぐもった声をあげ、周囲の人々もひっ、と悲鳴をあげた。

「この子を殺す? じゃあ、お前を殺すしかない」
 冷徹だった。住民たちが殺すな、だめだ、と口々に止めたが、「血を流さなければいいんだろう?」と取り合わない。

「カイン! やめて!」
 クリスティが悲しく叫び、女性の顔を掴んだままのカインの腕を、抱きしめるようにして自らのもとに引き寄せる。途端、ぴたりと静止した。少しして、ゆっくりと手を離していく。カインの表情は泣きそうにも、耐えているようにも見えたが、瞼を閉じて細く息を吐くと、いつも通りの

のような感情のない顔に戻った。

「……戻ろう」
 カインは絞り出すように言うと、立ち上がって足早に階段を上っていく。クリスティは一度、ラフェトゥラ人の女性を振り向いたが、すぐにカインに続いた。ラフェトゥラ人の女性は、先ほどの怒りは消え、無力感からかぐったりと項垂れていた。

 隠れ里を抜けて砂漠に出ると、もう直ぐ陽が昇るのだろう、辺りは薄闇に包まれていた。旅商団の元に戻るまでの間、ふたりは無言だったが、しばらくするとクリスティが口火を切った。

「神剣のこと、マキナに言う?」
「いや。……帝国に知られれば、彼らはまた居場所を失うからな」
 クリスティは安心したようにほっと息を吐いた。ちら、と視線を向けたカインは、何かを呑みこむように数秒だけ瞼を閉じた。





 翌の陽昇り刻から、旅商団は越えてきた道を引き返した。半分ほどの道程を戻ったところで、カイン達は東へ向かうため、団を離れる。これまでリットゥから始まり、奇妙な同行ではあったものの、半年近くの期間を共にした仲だ。互いに言い知れない寂しさを感じているのは事実だった。

「クリスティ、これあげるよ」
 別れの時、マキナが、おもむろにクリスティを呼んだ。クリスティが両手を広げると、落とすようにして何かが渡された。

「これ、首飾り? どうして?」
「親愛の情の印だよ」
 マキナは、何でもない事の様に言った。マキナの髪色を示すように鮮やかな、深い紅色だった。クリスティは首飾りを陽の光に透かして、何度か色を確かめてから、首を通す。嬉しそうに「有難う」と笑う。すると、マキナも合わせる様にしてからりと笑った。

 そこへカインが、別れを惜しんで号泣するロウに抱き着かれ、ずるずると引き摺ってきた。離して貰えなかったのか、疲れたように無言でマキナを見た。

「あらら。ロウさんロウさん、クリスティともお別れしないと」
 マキナが苦笑しながら言うと、目を赤くしたままのロウがあっけなく離れて、クリスティの元へ走る。そしてまた、彼女をひっしと抱きしめているので、旅商団の団員にも笑われていた。

「マキナ、ここまで同行させて貰えて助かった。有難う」
 文字通り、肩の荷が下りたカインが、マキナに向かって言った。彼女は、少しだけ意外そうにした。
「そんな言い方もするんだね、ちょっと意外。でも、こちらこそ本当に助かった。ここまでの助力、大感謝! だよ」
 マキナは片手を差し出し、カインもそれに応じる。アルマス跡で出会った時とは違い、じっくりと握手を交わしたせいか、彼女の手は思いのほか冷たく感じた。

「……これからもよろしくね」

 マキナが、ぼそりと呟いた言葉は、なぜか感情のない乾いた響きを持っていた。ああ、と短く答えはしたが、カインの胸中には少しだけ違和感が残った。そこへ再び、ロウが飛び込んできてカインに抱きついたので、団員たちから哄笑(こうしょう)が起きた。

「カイン! もうアンタが居ない未来を想像できねェよ~‼」
「お前……分かったから。もう何度も言ったろ? また会おうって。離してくれ……」
 カインは流石に迷惑そうな顔を隠さなかった。今しがた知った事だが、ロウは泣きだすと止まらないらしい。

 カイン達は旅路をともにした旅商団の面々と惜しみつつも、別れた。
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登場人物紹介

カイン

三年前に滅んだアルマスの生き残り、元騎士。

褐色肌で、金髪金眼の見た目から“金狼”と呼ばれている、腕利きの剣士。

親友ディルとの約束に従って、彼の娘であるクリスティを護り続けている。

冷静で静かな気質の人物だが、戦いを好む一面があり……?

クリスティ

三年前に滅んだアルマスの、生き残りの少女。カインの親友だった、ユジェとディルの娘。

神子の証である白い肌と、母譲りの桃色の髪を持つ。

神剣『アルマス』の欠片を持ち歩いているため、欠片を奪おうとする勢力と《首喰い》に命を狙われている。

過去の出来事が原因で、声が出なくなっている。

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