第32話 奴隷貿易

文字数 1,991文字

 陽が落ち切ったあとの、深い夜。

 褐色肌の少年が寝転がり、その藤色の髪が床に広がっていた。彼が寝ているのは掃除用具置き場で、使用人たちは別室の寝台のうえで眠っており、この場には居なかった。石で出来た床の冷たさが染みて、眠りは浅かった。だから、彼のもとに忍び足で訪れた来訪者に気づいて、身を起こした。

「あなたは……」
「しっ」
 クリスティは、口の前に人差し指を立てて、険しい顔をした。少年の足は鎖で繋がれており、クリスティはそれを外そうと試みる。だが、鉄錠の根本が床に杭で打たれているため、クリスティの力ではなかなか外すことが出来なかった。

「うう……!」
 クリスティは、鎖を引っ張ってみるが、びくともしない。
「お、お客様……おやめください……!」
 少年は、嫌がっているというよりは、クリスティの身の危険を心配している、恐れ多いという態度でそう言った。

 床に座り込む少年とクリスティを覆う様に、大きい影が映った。二人が振り向くと、カインが、剣先を床に向けた格好で立っていた。

「どいていろ」
 カインが小声で言うので、その場からクリスティが離れると、彼は鎖に向かって剣を落とした。するとあっさり鎖は切れ、少年の足が自由になった。少年は驚いた表情ながら、自由になった足を確かめるように数回動かした。

 少年の両肩をクリスティががっしりと掴んで、自身へと向かせた。
「いい? もし自由になる気があれば、逃げて。居場所がなければ、エペト・グラム。もしくは大砂漠のナズ地方に、隠れ里があるわ。それか、私達についてトリアまで行くか」
 クリスティが、ゆっくりだが言い聞かせるように言った。少年は迷いを見せたが、決意したようにクリスティの瞳を見つめ返した。それを受け、クリスティはカインに振り返る。

 カインは思わずため息をつき、額を手で抱えた。クリスティと旅をするだけでも危険なのに、奴隷の子供まで連れて行くとは。だが、クリスティの行いを助けてしまった以上、もう手が退けない事は分かっていた。トリアまで行けば、あの地の〈剣の神子〉は、きっとこの子を受け入れてくれる。

「……付いて来い」
 カインは少年の言い分は聞かず、既に持ってきていた荷物をクリスティに雑に投げた。カインは子供らの前に進み出て、宿の扉を物音を立てず開く。誰も見ていない事を確認してから、子供たちに手招きし、街へ出る。人気が無い道を選んで、足早に夜闇の中を進んでいく。

 その途中、カインが急に立ち止まった。クリスティが勢い余ってカインにぶつかり、いた、という声を上げた。

「……」
 カインは黙って、前方を睨んでいる。何があったのか、と子供達も同じ方向を見つめる。

「あ……ああ……!」
 奴隷の少年が怯えた声をあげた。彼らの前にあったのは、奴隷商人が今まさに、奴隷を売り渡している姿だった。少女が手足を鎖に繋がれて立たされている。歳はクリスティよりも幼く見えた。
 商人らの後ろでは、これから売り払われるであろう奴隷たちが、箱型の檻に入れられて、馬に引かれている。何の変哲もない住人の手から、奴隷商人に金が渡された。これからこの家の奴隷となるであろう少女は、下を見て俯いている。

「カイン……」
「諦めろ。俺達の手には負えない」
 クリスティが言おうとしたが、カインが遮って止めた。奴隷の子供一人でも負担だというのに、これ以上連れて歩く事は出来ない。カインは、クリスティと、連れてきた少年の肩を掴んで、無理やりに歩かせる。

 今まさに行われている売買から目を背けた彼らのもとに、夜の中から見知った顔がぬるりと現れた。

「……見逃しに来ただろ」
「ああ。私には何も出来ない」
 カインの言葉に、クリフはそう応じた。その場に立っていたのは、陽がある時刻に出会った旅人、クリフだった。

「奴隷貿易は、ある。私にはその調査と報告が課せられているだけだ。彼らを救ってしまったら、国家間の問題になってしまう」
 クリフは、被っている帽子のつばを引っ張って顔を隠しながら、後悔するように言った。
「私は、君らの行いを見ていない。……どうか、気を付けて」
 祈るような口調だった。カインは、何も言わずに子供らの背を押して、闇の中へ消えていった。




 カイン達の去っていく姿を見送った後、クリフはひとり残っていた。

「……クレフェルド殿下」
 その背後から、住民らしき男性が現れてそう呼んだ。その立振る舞いは、ただの住民のそれではない。足音を立てず周囲に気付かせず、暗躍する者だ。

「何だ」
 クリフは、打って変わって冷たく言った。
「見逃されるのですか?」
 男は啄むように食い下がる。
「他に出来る事はない。それに……」
 一息おいて、彼は感情を堪える様にしながら呟く。

「あの子は、マキナの後継者だ。私の役割も……もう直ぐ訪れるだろう」
 クリフは、すでに姿の見えない彼らの影を射止めるように、きつく目を細めた。
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登場人物紹介

カイン

三年前に滅んだアルマスの生き残り、元騎士。

褐色肌で、金髪金眼の見た目から“金狼”と呼ばれている、腕利きの剣士。

親友ディルとの約束に従って、彼の娘であるクリスティを護り続けている。

冷静で静かな気質の人物だが、戦いを好む一面があり……?

クリスティ

三年前に滅んだアルマスの、生き残りの少女。カインの親友だった、ユジェとディルの娘。

神子の証である白い肌と、母譲りの桃色の髪を持つ。

神剣『アルマス』の欠片を持ち歩いているため、欠片を奪おうとする勢力と《首喰い》に命を狙われている。

過去の出来事が原因で、声が出なくなっている。

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