第58話 殺人鬼の魂 ※

文字数 2,664文字

 重暗い闇の中で、錆びた鉄の臭いが鼻を衝く。カインは浅い眠りから覚醒するとともに、生ぬるい息を吐いた。じゃら、と手錠と足枷の音が煩わしく鳴る。鉄格子と鉄の壁に囲まれ、じめじめとした湿度が肌に纏わりつく。カインの身体は壁と緩く繋ぎ留められ、牢屋内の僅かな距離以外はほぼ動けずにいて、繋がれた壁を背にして床に座っている。
 一度は抜け出したあの地下牢獄に戻され、また力ずくで逃げ出さないようにと錠を嵌められ、さらに薬を打たれていた。身体の感覚が常より怠い。ここへ戻された際に、無理やり広げた鉄格子を見てユリアスが嬉しそうに笑っていたのが気がかりだった。ただでさえ、調査がどうと口走っていた事もある。

 陽が昇って少ししてから、複数名の人間が近づいてくる足音が聞こえてきた。がちゃ、と牢の重い扉が押し開けられ、まずユリアスの姿があった。今日は、人前に立っている法王としての、青髪青目の姿だ。続いて牢屋に入ってきたのは、兵士たち。先日の住民たちと同じように操られているのか、どこかぼんやりした表情を浮かべている。

「おはようございます。よく眠れましたか? くくく……っ」
 壁に繋がれたカインに向かって、わざわざ目線が合うように顔を近づけて、嫌味たらしく嗤いかけるユリアス。ここで本性を現してから、まったく取り繕う事が無くなり、常からこのような態度だ。
「先日は驚きましたね。まさか一人であれだけの時間を耐えるとは。あなたは研究のし甲斐がありそうで楽しみです」
「……」
 恐らくはクリスティを逃がした際の事を言っているのだろう。あの後、操られた兵士らに囲まれたカインは、やむなく彼らを斬り伏せていった。だが意志を持たない人形と化した彼らは、何度倒しても起き上がって来た。夜を明けて朝まで戦い通し、注意の綻んだところで、捕まってしまったのだった。

 ユリアスが、連れてきた兵士に何かを指示すると、カインは床に仰向けにされ、両手両足を強く抑えられた。睨み上げて不快さを主張するカイン。ユリアスは鼻で笑う。
「あなたの〈魂〉、私が予想していなかった異常が起きているんです。元々の性質と違う。怪力や剣術はともかく、自らを犠牲に子供を逃がすようになるとはね」
「……何?」
 突拍子もない話が飛び出して、カインが聞き質した。ユリアスはその表情をじっと観察してから、再度説明を始める。

「あなた方の住まうイブ大陸。ここを浄化装置にするとしても、一〇〇〇年にわたり浄化をしていれば、当然ですが〈魂〉の総量は減りますよね。そうなれば、行き着くところはノア世界と同じです。生物が誕生しなくなっていく。文明も発展しなくなり、〝雨〟の浄化が完了する前に滅亡してしまう。それを避けるため、我々はあらかじめリウを用いて、人間の〈魂〉の代わりを用意していた」
 話しながらまるで講義を行うかのように、ゆっくりとカインの横を歩く、ユリアス。手術刀を持ち、手の中でくるくると回して弄んでいる。

「人が造った〈魂〉です。これは〈魂〉を希釈し、近しい要素の物質で補ったもので寿命限界も本来の半分……四十年程度しかありません。作り物なので、意図して性質付けが出来ます。例えば、妻と娘を愛する模範的な人物、生まれを問わず野心家で手段を問わない人間、生涯誰か一人を仰いで付き従う……という様に」
 話に上がった例えごとに見知った顔が思い浮かぶ。それぞれディル、ベネデット、ロウのことだろうか。

「我々はイブに来る前、聖地レ・ユエ・ユアンへ造った〈魂〉を流し込みました。これが人間として生まれると、必ず

になります。それが〝土の民〟。土から生まれた民。これによってレ・ユエ・ユアンの〈魂〉の残量を補って、〝雨〟の浄化を続けてきたのです」
 
 褐色肌。〝土の民〟。世界の人々を二分する片方、多数を占める方の肌色。褐色肌の人々は、ノア側が作った人工の〈魂〉なのだと。ノア人は、人の〈魂〉すら作り出していた。

 しかし、続けてユリアスが口にした内容は、その驚きを上回った。

「あなたの〈魂〉は〝

〟です。文明を発達させるためには、安寧ではいけない、問題が起きる必要がある。その起爆剤になる為の人間です。罪悪感を持たないように、殺した記憶も消えているはず、でしょ? それが、そこまでしたというのに、どうした事か正義の味方になってしまった。あの少女を護って戦うような、そういう役回りの人間ではない筈だったんです」

「な……。……ふふ……ははは……」
 カインの口から乾いた笑いが漏れた。自身を長年悩ませていた謎に、ついに答えが齎された。誰かを斬り棄てても、それを告げられてすら記憶を失う。人を殺して笑う〝殺人鬼〟。その理由が、このユリアスが定めた〈魂〉の性質なるものの仕業だったのだ。

 殺人鬼の方が本質で、そうでない方が異常。
 あまりの馬鹿らしさに、もはや愉快ですらあった。

 ユリアスが手早く何か指示をすると、兵の一人がカインの衣服を外し、左右に除ける。胸から腹に向かっての上半身が空けられた。床の上で拘束されたままのカインの元へユリアスが屈み、持っている手術刀をまっすぐと腹の上に向けた。

「まだ殺しはしません。土の〈魂〉を持っているのに、貴方や、あの皇女は違った。一〇〇〇年の間に、〈魂〉に何らかの異常が生じている可能性があります。今、ちょうど手が空いている時期で良かったです。希少な状態ですので、標本を採って置かなければね」
 ぷつり、という音を立てて、カインの腹に手術刀が刺さる。肉が切られる感覚が走った。カインは痛みに息を漏らした。声を出すまいと、歯を噛みしめて耐える。その様子を楽しそうに見ているユリアスと、対照的に意識のない兵たちがぼうっと見下ろしている。
 腹が切り開かれた後、表皮を端に留められて、臓器の収まっている内部を暴かれた。ユリアス自身が、手術刀と鋏を片手ずつに持って何やら腹の中を観察している。突然、内部に激痛が走りカインは悶絶した。肉を断つ音。刀か鋏のどちらかが、内臓を抉り取ったようだった。
「……ぐっ……あ、あああ‼」
「クリスティさんを逃がした先を教えてくだされば、痛み止めを使って差し上げますよ。それまでは、どうぞ耐えてくださいね。まあ、死にかけてくれるくらいが、〈魂〉には影響出るので、ぜひ」
 思い出したようにユリアスは喋ったが、恐らくカインの耳には聞こえていない。聖人を装っている男の持つ凶器によって身体は切り裂かれ、血が滴る音、手術用具が置かれる無機質な金属音と、苦痛の声が反響していた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

カイン

三年前に滅んだアルマスの生き残り、元騎士。

褐色肌で、金髪金眼の見た目から“金狼”と呼ばれている、腕利きの剣士。

親友ディルとの約束に従って、彼の娘であるクリスティを護り続けている。

冷静で静かな気質の人物だが、戦いを好む一面があり……?

クリスティ

三年前に滅んだアルマスの、生き残りの少女。カインの親友だった、ユジェとディルの娘。

神子の証である白い肌と、母譲りの桃色の髪を持つ。

神剣『アルマス』の欠片を持ち歩いているため、欠片を奪おうとする勢力と《首喰い》に命を狙われている。

過去の出来事が原因で、声が出なくなっている。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み