第60回 偽の王

文字数 2,617文字

 先日の軍議以来、北東前線基地内は緊張に包まれていた。帝国皇子であるクレフェルドの指示とはいえ、皇帝が別人に成り代わられていると簡単に受け入れられるとは思えなかったが、兵士達には案外すんなりと浸透していった。それだけ、〝劫火〟となった皇帝の振る舞いは、彼らにとっても受け入れがたいものだった。

 南部の国々は、突如侵攻を始めた帝国軍と、皇帝直属軍によって壊滅的な被害を受けている。国を奪われ、住人たちを受け入れてもらうために前線で働く〈剣の神子〉もいる程だ。今やこの大陸では、二大国家に従う事以外で生き延びる道はない。慕っていた皇帝の変貌ぶりは、兵士達の不信を募らせるには充分だった。

 予想より早く、その時は訪れた。

「クレフェルドを呼べ!」
 基地に入るなり、皇帝は声高にそう言った。ハイデンベルグ帝は、事前通達なしに数百の私兵軍を連れて立ち入り、尊大に振舞った。兵士達は俄かにざわついたが、悟られぬようにそれぞれが動き始める。

 司令部へ報告に走った兵士に、クレフェルドはゆっくりと頷いてから「すぐに行く」と返した。
「ステラ殿。貴方はこの後の任務もある。あまり前に出過ぎないように頼む」
「えっ⁉ あっ、いえ! 承知しました!」
 ステラは一瞬素のまま残念そうに反応したが、気を取り直して返答する。噂に聞く通り、トリアの〈剣の神子〉は、前に出たがりで血気盛んな戦士であるらしい。クレフェルドは苦笑いしたが、すぐに立ち上がり、槍を手にして天幕を出て行った。

「お待たせしました、父上」
 クレフェルドは、小走りで皇帝のもとへ駆け寄る。手に槍を持ったままの息子を見て、ハイデンベルグ帝が怪訝そうにした。何のつもりだ、と言いたげに、クレフェルドを睨みつける。当のクレフェルドの方は、皇帝が連れた私兵軍を見やって、神妙な表情をみせた。
「……南部の遠征はいかがですか? 接収した兵達はどこへ……」
「なんだ、我に苦言でも申すと言うのか?」
 クレフェルドの言葉を鼻で笑ったハイリンベルグ帝は、吐き捨てるようにそう言った。何か勘付いたのか、基地内の様子をきょろきょろと見まわしている。

「随分と兵たちが殺気立っているではないか。これから出撃か? それにしては、のんびりとしたものだが……」
「父上」
 クレフェルドは、父の言葉を完全に遮った。もちろん、ハイリンベルグ帝は腹立たしげな態度を隠さなかったが、クレフェルドは譲る気のない顔を見せ、続けた。

「覚えていらっしゃいますか。私が幼い頃。民達を護れなければ、皇族には存在する価値などないと、厳しく仰っていた時のことを。貴方の行いは、我が帝国の民を護る事に繋がっておられるのですか? 私にはそう見えない。前線を保持できる程の戦力がありながら、すでに従属を表明している国々の領地を侵し、苦しめ……」
 表立って感情の起伏を見せないまま言葉を紡ぐクレフェルドを、皇帝は見下ろしていた。その瞬間クレフェルドの瞳に、怒りの火が灯った。

「父上を返せ。この、盗人め」

 それを聞いた瞬間、皇帝の顔が下品に、醜く歪んだ。

 ハイデンベルグは号令をかけ、応じて私兵軍が基地内の人々へ襲い掛かる。兵士達が応戦し、正面からぶつかり合った。同時に大型の砲丸が飛び、基地の施設を破壊した。
 ハイデンベルグの私兵達は憮然とした表情のままで、しかし迅速な動きを取り、不気味だった。帝国兵達も多少は戸惑いを見せたが、予め操られていると聞いていた為か、冷静な対応を取っている。

 クレフェルドは、槍を操ってハイデンベルグと交戦していた。皇帝の身体を奪った〝劫火〟は、とても人の動きとは思えぬ程の速さで避け、クレフェルドの槍撃を容易く捌いた。
「あはは! さあ、父を殺してみせなよ!」
 威厳ある父がとても言わないであろう言葉遣いをされ虫唾が走る。怒りを込めて振るった槍はそれでも、虚を掠めた。舌打ちをしてから、槍をくるくると回して構えなおし、乗っ取られた皇帝に向かっていく。


 クリスティは、前線基地に詰めていた給仕や文官たちを避難させていた。前線基地で戦闘が起こる前に、傭人達は南方のリットゥへ逃がしていたのだが、流石に誰も居なければ怪しまれてしまうので、というクレフェルドの方針で、半数程度が残っていたのだ。
 クリスティの本当の使命はこの戦いが終わった後だ。後方で彼らを誘導し、襲撃があれば護る、というのが今の役割だった。基地からはゴゥン、という重い破裂音が聞こえてくる。

「クリスティ、大丈夫?」
 背後からひょっこりと姿を現したのは、ベニーだった。
「基地の方は、見たことのない兵器を持ち込まれてたけど……。心配だね」
「まあね。でも多分、ステラ達が居るから。すぐにやられたりしないと思う」
 クリスティが確信をもって返した。ベニーは意図が読み取れず、驚いて目を見開いたので、クリスティは付け加えた。
「トリアって、法王領の傍で、北部の水源近くにあるのに、ずっと独立を保ってたの。それだけ、国軍が強いってことだよ」




「うおお!」
 ステラは、戦斧を背負い投げるように振り下ろし、敵を葬った。その表情は普段とは違い、壮烈で勇猛なものだ。〈剣の神子〉らしからぬ苛烈さに、見かねた同郷トリアの兵士が声をかけてくる。

「おい、ステラ! お前! 前に出過ぎるなって言われただろ!」
「ええ? まあ、基地には自分以外にも〈剣の神子〉が居るからいいでしょ! それより勝つ方が大事!」
 ステラは忠言を意に介さず、辺りを見回して敵兵を探している。トリアの神剣『トリアイナ』は、ステラの腰に提げられている。とはいえ、これだけ身体を張って戦う〈剣の神子〉は、彼女をおいて他に居ないだろう。声をかけた兵士は、その様子に諦め気味にため息をつく。

 トリア兵の背後に、敵対しているハイデンベルグ帝の私兵が近付いていた。ステラは、その気配に気づくやいなや、戦斧を放り投げる。斧はトリア兵の脇を掠め、敵兵に見事命中した。敵兵はまともに斧を受けて、後ろに倒れて息絶えた。

「やべえ。すまん助かった! ……ここで全力出し過ぎるなよ!」
 トリア兵にそう言われ、ステラは手を振る。敵兵から斧を抜き取ると、再び周辺を見回す。

 目に飛び込んできたのは、クレフェルド皇子とハイデンベルグが戦っている、まさに最中だった。戦闘が開始してから既に数刻過ぎているが、未だその決着は付いていないようだった。ステラは急いで皇子の元へ向かう。
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登場人物紹介

カイン

三年前に滅んだアルマスの生き残り、元騎士。

褐色肌で、金髪金眼の見た目から“金狼”と呼ばれている、腕利きの剣士。

親友ディルとの約束に従って、彼の娘であるクリスティを護り続けている。

冷静で静かな気質の人物だが、戦いを好む一面があり……?

クリスティ

三年前に滅んだアルマスの、生き残りの少女。カインの親友だった、ユジェとディルの娘。

神子の証である白い肌と、母譲りの桃色の髪を持つ。

神剣『アルマス』の欠片を持ち歩いているため、欠片を奪おうとする勢力と《首喰い》に命を狙われている。

過去の出来事が原因で、声が出なくなっている。

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