第63話 再会
文字数 2,462文字
遠方で轟音が鳴っている。微睡のなかで漂っていると、破壊音が少し近付いた。実距離があるのでなく、自身の意識が虚ろなだけのようだ。久しぶりに陰鬱でじめじめした以外の乾いた空気を吸う。それを切っ掛けに、カインの瞳が開かれた。見慣れて来ていた灰色の壁ではなく、枯草の天幕らしき色が目に入ったために、ぼうっとその色を見つめていた。
すると突如、遮るように何者かが自身に覆いかぶさってきて、身体に重みを感じた。覆いかぶさる人物を片腕で抱えると、存外細身で軽い。纏っている衣服や見慣れた外見の雰囲気から正体を察して、カインは多少まごついた後、こっそり呟いた。
「悪かった」
「バカ!」
言った途端、叱責が飛んできた。カインに抱き着いていたのは、クリスティだった。
「どうして無茶したの。あんな風に助けられても、嬉しくないよ」
クリスティは顔はカインの胸に伏せたままで、涙声だった。
「すまん。返す言葉もない」
カインは背中を撫でてやりながら、謝罪を繰り返す。意識を失う前に、幻とはいえ同じような言葉をかけられていた為、思わず苦笑いしてしまう。クリスティとて、カインが法王領では致し方なくあの判断を取った事は理解しているだろうから、これは憂さ晴らしだ。カインは気を取り直して、今の状況を尋ねる。
「クリスティ、俺は……。助けられたのか。どのくらい寝ていた?」
それを聞いて、がばりと起き上がったクリスティ。瞳はやはり真っ赤になっている。
「七日だよ。助け出した時、本当に死にかけてたんだから。ただ、いちおう縫合自体はされていたから、何とか大丈夫だろうって」
そう言いながら、口は不満そうに『へ』の字を描いている。恐らくずっと傍に付いていてくれたのだろう。
「そうか……心配をかけてすまなかった。ここは、どこなんだ?」
聞くと、なぜかクリスティは居心地が悪そうにして俯いてしまった。
「……ミスティルテの裏くらい。本当は、東のリットゥの方に戻りたかったんだけど、そっちで戦闘が激しくて難航したから、西に抜けたんだ。でも、北西戦線と、東から来た法王領の軍勢に挟まれてて、今かなり危ない状況なの」
クリスティの態度にも納得がいった。つまり自分たちは現在、西と東をそれぞれ軍に睨まれ立ち往生している、という事らしい。怪我人である自分を抱えているせいもあるだろうから、申し訳無く思った。
「なるほどな。……ところで、お前一人で俺を助けに来た訳じゃないよな。誰かが支援してくれたのか?」
「あ、うん。それはね……」
「邪魔するぞ」
二人が会話しているところへ、不躾な口調で男性の声が割り込んできた。男の姿を認めて、クリスティはかなり驚いている顔をしている。
「ああ、そのままでいい。お前も。目が覚めたのだな」
男はすたすたと近付いてきて、身体を起こそうとしたカインとクリスティを制した。肩に付くくらいの長さの赤毛で、眼鏡をかけている。男はそのまま寝台脇に立つと、声高に話し始めた。
「我はフォルクハイムという。お前と共にあの牢獄に捕らわれていた」
「フォルクハイム……」
カインは男が名乗った名に聞き覚えがあり、思考を巡らせて答えに行き着いた。
「フォルクハイム・エルムサリエ……殿下?」
「そうだ。我は北西戦線で油断し、無様にも虜囚となったのだ。あの法王はお前に随分と執心していたな。とにかく、回復して何より」
フォルクハイムは、何の気にも留める様子はなく、すらすらと語った。カインは彼が、自身と同じ空間に居たという事実に驚いた。フォルクハイム・エルムサリエは帝国の第一皇子の名だ。つまりは次期皇帝になる人物である。
「ああ、我は
フォルクハイムは、乗っ取りがないか『確認』された、という言葉通り、身体の至る所に痛々しい傷跡が残っている。先ほどの話を聞いていたのか、カインがクリスティに訊いたその答えについて、代弁してくれた。自分が捕まっている間にクリスティは、何とかステラ達と合流出来たようだ。
天幕に聞こえていた轟音は、軍国アロダイトの近辺にある、北西戦線の戦闘の音だったようだ。この天幕はそれほどに、戦線のすぐ近くで展開しているらしい。ステラとベニー、トリア国軍から数名、それからクリスティで、法王領への潜入は行われた。北東戦線では第二皇子のクレフェルドが指揮を執っている。カインは、フォルクハイムとクリスティから、軍国アロダイトで出会ったクリフの正体についてや、現在の状況について聞き、おおむね把握する事ができた。
北西の戦線は、フォルクハイムが把握している限りでは、ニル=ミヨルの〈剣の神子〉、シャーロットが指揮を執っている筈だという。
「ニル=ミヨルは開戦後、即座に侵攻を受けた。ニル=ミヨルは我と秘密裏に交渉し、表向き統合されたことにして、住民たちを大砂漠へ逃がした。父上の目を欺く為だな。その代わりに、戦線で働くと、シャーロット自身が申し出たのだ。〈剣の神子〉というだけでも有り難いが、彼女はニル=ミヨルの首長の家出身で、軍学にも明るい。なるべくして、という訳だ」
フォルクハイムの説明を聞いて、思わずカインはクリスティと顔を見合わせてしまった。出会った際にはそもそも生きる事を放棄していた彼女が、必死に戦ってくれている。状況に相応しい感情ではないが、誇らしく思えた。
「それでだ。我はカイン、お前に用がある。この二軍に挟まれた状況を打開するために、お前の力が必要だ。出来るだけ早く動きたい」
「打開……ですか?」
「ああ。我は、次期皇帝としてこの場を切り抜け、法王領 を打倒せねばならん。戦闘もそうだが、軍略については任せておけ。必ず勝たせてやる」
フォルクハイムは、父である皇帝ハイデンベルグそっくりの勝気な笑みを、その眼鏡の奥に浮かべた。
すると突如、遮るように何者かが自身に覆いかぶさってきて、身体に重みを感じた。覆いかぶさる人物を片腕で抱えると、存外細身で軽い。纏っている衣服や見慣れた外見の雰囲気から正体を察して、カインは多少まごついた後、こっそり呟いた。
「悪かった」
「バカ!」
言った途端、叱責が飛んできた。カインに抱き着いていたのは、クリスティだった。
「どうして無茶したの。あんな風に助けられても、嬉しくないよ」
クリスティは顔はカインの胸に伏せたままで、涙声だった。
「すまん。返す言葉もない」
カインは背中を撫でてやりながら、謝罪を繰り返す。意識を失う前に、幻とはいえ同じような言葉をかけられていた為、思わず苦笑いしてしまう。クリスティとて、カインが法王領では致し方なくあの判断を取った事は理解しているだろうから、これは憂さ晴らしだ。カインは気を取り直して、今の状況を尋ねる。
「クリスティ、俺は……。助けられたのか。どのくらい寝ていた?」
それを聞いて、がばりと起き上がったクリスティ。瞳はやはり真っ赤になっている。
「七日だよ。助け出した時、本当に死にかけてたんだから。ただ、いちおう縫合自体はされていたから、何とか大丈夫だろうって」
そう言いながら、口は不満そうに『へ』の字を描いている。恐らくずっと傍に付いていてくれたのだろう。
「そうか……心配をかけてすまなかった。ここは、どこなんだ?」
聞くと、なぜかクリスティは居心地が悪そうにして俯いてしまった。
「……ミスティルテの裏くらい。本当は、東のリットゥの方に戻りたかったんだけど、そっちで戦闘が激しくて難航したから、西に抜けたんだ。でも、北西戦線と、東から来た法王領の軍勢に挟まれてて、今かなり危ない状況なの」
クリスティの態度にも納得がいった。つまり自分たちは現在、西と東をそれぞれ軍に睨まれ立ち往生している、という事らしい。怪我人である自分を抱えているせいもあるだろうから、申し訳無く思った。
「なるほどな。……ところで、お前一人で俺を助けに来た訳じゃないよな。誰かが支援してくれたのか?」
「あ、うん。それはね……」
「邪魔するぞ」
二人が会話しているところへ、不躾な口調で男性の声が割り込んできた。男の姿を認めて、クリスティはかなり驚いている顔をしている。
「ああ、そのままでいい。お前も。目が覚めたのだな」
男はすたすたと近付いてきて、身体を起こそうとしたカインとクリスティを制した。肩に付くくらいの長さの赤毛で、眼鏡をかけている。男はそのまま寝台脇に立つと、声高に話し始めた。
「我はフォルクハイムという。お前と共にあの牢獄に捕らわれていた」
「フォルクハイム……」
カインは男が名乗った名に聞き覚えがあり、思考を巡らせて答えに行き着いた。
「フォルクハイム・エルムサリエ……殿下?」
「そうだ。我は北西戦線で油断し、無様にも虜囚となったのだ。あの法王はお前に随分と執心していたな。とにかく、回復して何より」
フォルクハイムは、何の気にも留める様子はなく、すらすらと語った。カインは彼が、自身と同じ空間に居たという事実に驚いた。フォルクハイム・エルムサリエは帝国の第一皇子の名だ。つまりは次期皇帝になる人物である。
「ああ、我は
乗っ取られて
いないぞ。当然だが、父上のように奴らの心臓を喰わされていないか、確認済みだ。それから、我々を助けたのはそこの少女と、トリア国軍を率いたステラという〈剣の神子〉だ。身体が起こせるようになったら、彼女らにも礼を伝えると良い」フォルクハイムは、乗っ取りがないか『確認』された、という言葉通り、身体の至る所に痛々しい傷跡が残っている。先ほどの話を聞いていたのか、カインがクリスティに訊いたその答えについて、代弁してくれた。自分が捕まっている間にクリスティは、何とかステラ達と合流出来たようだ。
天幕に聞こえていた轟音は、軍国アロダイトの近辺にある、北西戦線の戦闘の音だったようだ。この天幕はそれほどに、戦線のすぐ近くで展開しているらしい。ステラとベニー、トリア国軍から数名、それからクリスティで、法王領への潜入は行われた。北東戦線では第二皇子のクレフェルドが指揮を執っている。カインは、フォルクハイムとクリスティから、軍国アロダイトで出会ったクリフの正体についてや、現在の状況について聞き、おおむね把握する事ができた。
北西の戦線は、フォルクハイムが把握している限りでは、ニル=ミヨルの〈剣の神子〉、シャーロットが指揮を執っている筈だという。
「ニル=ミヨルは開戦後、即座に侵攻を受けた。ニル=ミヨルは我と秘密裏に交渉し、表向き統合されたことにして、住民たちを大砂漠へ逃がした。父上の目を欺く為だな。その代わりに、戦線で働くと、シャーロット自身が申し出たのだ。〈剣の神子〉というだけでも有り難いが、彼女はニル=ミヨルの首長の家出身で、軍学にも明るい。なるべくして、という訳だ」
フォルクハイムの説明を聞いて、思わずカインはクリスティと顔を見合わせてしまった。出会った際にはそもそも生きる事を放棄していた彼女が、必死に戦ってくれている。状況に相応しい感情ではないが、誇らしく思えた。
「それでだ。我はカイン、お前に用がある。この二軍に挟まれた状況を打開するために、お前の力が必要だ。出来るだけ早く動きたい」
「打開……ですか?」
「ああ。我は、次期皇帝としてこの場を切り抜け、
フォルクハイムは、父である皇帝ハイデンベルグそっくりの勝気な笑みを、その眼鏡の奥に浮かべた。