第11話 正義神の天秤

文字数 4,112文字

 言い得ぬ不安に、リルトリアは覚醒した。

「相変わらず、いい勘をしている」
「……レイドさん?」
 
 テントの入口に、鉄色の長い髪をした男が立っていた。
 遠くで、火が爆ぜる音。歩哨兵たちの声は……一向に聞こえてこない。

「兵たちは!」
「敵が絶対に攻めて来ないと思い込んでいるのか、どいつもこいつも緊張感が足りてない」
「兵たちはどうしたんですか!」
「それとも、敵がクロノスだけだと思っているのか。だとすれば、実に滑稽だと思わないか? まるで、自分たちがしてきたことをわかっちゃいない」
 
 噛み合わない会話にリルトリアが剣を手に取ると、

「――殺したに決まっているだろ」
 
 レイドは求めていた答えを提示した。

「オレが、帝国兵に容赦する理由があると思うか?」
 
 皆無に等しい。
 帝国は、彼から全てを奪った。
 まず、両親。次に、彼を連れて逃げた姉、残された彼を保護していた孤児院の関係者。
 そして、彼の師事に最愛だった女性――全て、帝国が殺した。

「安心しろ、リルトリア。おまえだけは絶対に殺さない。……仲間だからな」
 
 レイドの言葉に偽りはないだろうが、彼にとっての仲間はかつての八人だけで、リルトリアの部下たちは含まれない。

「ただし、憶えておけ。もし、クロノスに攻め入る機会に恵まれたとしてもオレが止める。おまえ以外の全てを殺してな」
「できもしないことは、口にしないほうがいいですよ? あなたも、英雄の一人なのですから」
「英雄、か。なぁ、リルトリア。おまえは、ジェイルがどうして死んだか知っているか?」
 
 リルトリアが振り絞った精一杯の敵意を挫くように、レイドは投げかけた。

「ジェイルが死んだ理由? そんなの、悪神にやられたのでは?」
「世界が一丸となった時点で、ジェイルの勝利は決まっていたはずだ。状況は文句なしに整っていたのだから」
 
 牙を剥いた邪神の軍勢、日頃の情勢を無視して手を取り合った国々。その窮地に駆け付けた――様々な人々の助けを受けて、ぎりぎり間に合った正義神(ジェイル)
 
 この状況下であれば、正義神の聖奠は創世神にも引けを取らないはず。
 だとすれば、ジェイルはどうして命を落としたのだろうか?

「テスティアと話していて思ったんだが。もしかすると、あのバカは世界の為に戦わなかったのかもしれない」
「世界の為に戦わなかった? どういう意味ですか?」
 
 言葉としてはわかるが、ジェイルに当てはめるには無理があった。彼はいつだって、平和の為に生きていた。

「さぁ、な。これ以上はオレにもわからない。考えられる限り考えたんがな。たとえば、テスティアの為に戦ったとかな」
 
 世界と最愛の少女。秤にかけた時、どちらに正義神の天秤が傾くかは断言できない。
 
 したがって、それがあり得ないのはリルトリアにもわかる。
 
 もっと明確な理由――天国から地獄へ落ちるような落差がなければ、ジェイルの死に説明はつかない。

「なぁ、リルトリア――」
 
 思案に暮れている頭が現実に呼び戻されるも、
「おまえはなんの為に戦う?」
 答えられなかった。

「オレはクローネスの為に戦う。それが自己満足だとしてもだ」
 
 レイドは見事に楔を打ち込んできた。
 
 ――正義神の天秤がどちらに傾くか。
 
 そんなもの、秤にかけるまでもない。
 リルトリアは、背を向けたレイドに声すらかけられずに見送ってしまう。

「何をしているんだ……わたくしはっ!」
 
 吐き出し、拳を叩きつける。敵を前にしながらも一つも動かなかった両脚は、竦んだように固まっていた。

「わかっていたはずだ! クローネスだけでなく、皆を敵に回すことも!」
 
 それが嫌ならば父と――いや、皇帝の血脈に連なる者たちと争わなければならない。
 道を誤った父から、息子が玉座を奪い取る。それは昔から繰り返されてきた、いかにも民衆が好む展開だが、現実はそう甘くはなかった。
 
 どんな大儀を掲げようとも、仕えるべき主であり、血の繋がった尊属を殺めれば反発は免れないものだ。
 特に、忠義や恩義に厚い騎士や貴族たちは許さないだろう。弑逆(しいぎゃく)や親殺しは、道徳的に反する行為なのだ。
 
 リルトリアは簒奪者(さんだつしゃ)と罵られ、代わりの旗――継承権を持つ者がいる限り、帝位を巡る争いは続く。
 少なくとも、父はそうして皇帝の座に就いた。自分の親と、兄弟と、親族たちを殺しつくした。
 
 ――そんなのは駄目だ! 自分には、絶対真似できやしない。
 
 だって、リルトリアの味方になると断言できるのは民衆しかいないのだ。
 だからこそ、彼は仲間と争う道を選んだ。
 そう、選んだはずなのに――!

「何をしているんだ……!」
 
 リルトリアは天幕から抜け出す。
 やらなければならないことは沢山あった。答えられなかった自分に憤っている暇などない。
 レイドはともかく、殺された兵を放置しておくのは拙い。
 
 もし、鍛冶神の痕跡があれば、兵たちの士気に関わってくる。
 
 ところが、リルトリアの心配は杞憂に終わった。
 レイドの指摘どおり気を抜いていたのか、兵は普通に殺されていた。
 
 喉側から半分ほど裂かれた首――おそらく後ろから一撃――彼が好んで使う大鎌の餌食になったようだ。
 
 他の兵たちも同じ有様で、武具に損傷は見受けられない。誰一人として異変に気付いた様子がないのは、レイドが巧妙なだけでなく、兵たちが未熟だったからだ。
 此度の軍勢は、兄たちの私兵とリルトリアに憧れた志願兵で成り立っていた。
 
 その為、ここにいるのは実戦経験に乏しい者ばかり。
 
 熟練の将兵たちの多くは、先の戦いで責務を全うしていた。
 僅かに残った者たちも、皇帝の勅命で帝都に召集されている次第である。
 だというのに、兄たちが連携をしている素振りは一切見受けられなかった。お世辞にも仲が良いとはいえないので、当然と言えば当然なのだが……。
 
 ――とにかく、早急に死体をどうにかしなければならない。
 
 現状、兄たちにとってリルトリアは共通した敵だった。このまま放置すれば、責任を押し付けられるのは間違いない。真相を話したとしても同じだ。
 心苦しいが、なかったことにするのが誰も傷つかないだろう。
 幸いにも兵や指揮官たちの連携が上手くいってないので、隠し通すのは難しくなかった。
 
 ――だが、どうやって?
 
 一人では、とうてい無理。かといって、リルトリアを清廉潔白だと信じ込んでいる志願兵たちに、このような汚れ仕事を頼む訳にもいかない。

「これでは、兄たちのことを悪く言えないな……」
 
 結局、自分も保身に走っている。
 今の身分を失いたくない。民たちの期待を裏切りたくない。
 父にも認められたい。仲間たちに嫌われたくない。
 
 なんて、欲張りなことだろう。
 傲慢にも、程がある。
 相容れないとわかっていながらも、諦めがつかず、どっちつかず。
 
 クローネスなら割り切る。レイドなら迷わない。
 エディンなら信念を貫く。ペルイなら感情に従う。
 シアならペルイを信じる。シャルルなら自分で決める。
 テスティアなら皆に相談する。ジェイルなら正義を選ぶ。
 
 仲間たちが教示してくれているのに、リルトリアは選べない。色々な言い訳を付けては、逃げてしまう。
 自分で決めなければ。自分一人の力で答えを出さないと意味がないと、年相応の矜持が先延ばしにする。
 
 けど、いつかはその時は来る。
 限界が訪れ、選択を迫られる。

「ほめたたえよ、王なるみ神を
 ゆだねまつる わが身をはげまし
 みつばさ 伸べたもう主の
 みわざたぐいなし――」
 
 リルトリアは兵の肉体だけなく、精神までも完全に支配し、使役することに決めた。最低の行為。人の意思を無視して操るなど、邪神となんら変わりない。

「――ほめたたえよ、力強き主を(ローブデン・ヘレン)
 
 それでも、リルトリアは決断した。





 帝国の精鋭たちが帝都に集結している本当の理由を、リルトリアを含めた皇子たちは知らない。
 幾人かは畏れ多くも、父が何か――例えばリルトリアの反乱――に怯えていると考えているようだが、その見当は的外れとしか言いようがなかった。

 ――皇帝に護る意思など微塵もない。

 帝都も民も自分の身すらも、今の皇帝にはどうでもいいものなのだ。今や、逃れられないほど彼は老いていた。常に、死を思っていた。自分が死んだらどうなるかを考え――許せなくなった。

 どれほどの苦労を経て、自分が皇帝になったと思っているのだ。父を殺して奪った。兄を殺して守った。姉を、弟を、妹を、殺して殺して殺して――ようやく手に入れたのだ。安堵できたのだ。

 それをなんの苦労もなく、誰かが手にする。そんなこと、許せるはずがなかった。息子だからといって、納得がいくはずがない。

 ――したがって、彼は全てを壊すことにした。
 
 帝国は自分のモノだ。自分の手の内にある間に壊してやろうと――リルトリアの母に死なれてから、ずっと考えていた。
 その一方で、僅かに残った良心がリルトリアを真っ直ぐに育て上げたのだが、結局は徒花を咲かしただけだった。
 
 戦神に選ばれ、世界を救い、民の歓迎を受けたくせして――あの息子は何もしなかった。
 敵国の王女と交友を得るという、奇跡を手にしながらも――何もしなかった。
 
 つまりアレは、恵まれただけの暗愚だったという訳だ。

 仲間に助けられ、運よく英雄の枠組みに押し上げられただけでしかない。
 ならば、その鍍金(めっき)が剥げる前に英雄として死なせてやるのが、せめてもの情けであろう。
 そうして皇帝は、今日も兵を呼びつける。
 邪神の眷属と戦ってなお、生き延びた勇猛たる将兵たちに更なる階梯を昇らせる為に。
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登場人物紹介

戦神の成聖者、リルトリア(16歳)。ミセク帝国の皇子だが、継承権は下位。


聖寵:戦場の声を聴く(身の危険を察する)

聖別:対象は武具。使用者に重さを感じさせなくする

聖奠:王権。兵たちを意識レベルから支配し、操る


創世神の1柱でもある狩猟神の成聖者、クローネス(17歳)。ファルスウッド王国の王女。


聖寵:動物の声を聴く

聖別:対象は動物。文字通り、使役する

聖奠:投擲。あらゆるモノを〝矢〟として放つ狩猟神の〝弓〟を召喚

鍛冶神の成聖者、レイド(26歳)。身分違いの恋から逃げるよう放浪中。


聖寵:鉄の声を聴く(金属強度・疲労を理解)

聖別:対象は鉄。形を自在に変える

聖奠:鍛冶場の形成。金属を切り裂く武器を生み出す

この世界の最高神でもある創造神の成聖者、シャルル(11歳)。仲間たちと破壊神の行方を追っている。


聖寵:大地の声を聴く

聖別:対象は大地。文字通り、自在に操る

聖奠:天地創造。あらゆるモノを凌駕する創造神の゛手〟を召喚

創世神1柱でもある豊穣神の成聖者、シア(22歳)。同じく、破壊神の行方を追っている。


聖寵:植物の声を聴く

聖別:対象は植物。文字通り、使役する

聖奠:水源。水を生み出す、豊穣神の〝甕〟を召喚


航海神の成聖者、ペルイ(30歳)。破壊神の行方を追う、2人の保護者。


聖寵:潮読み。波風の声を聴く

聖別:対象は船。波風を軽減する

聖奠:嵐を呼ぶ(制御はできない)

医神の成聖者、エディン(28歳)。新大陸を目指して、海上を旅している。


聖寵:往診。身体の状態を聴く

聖別:対象は医療器具。消毒、清潔に保つ

聖奠:治癒

慈愛神の成聖者、テスティア(18歳)。その力を失い、現在はただの人として働いている。


聖寵:愛の程度を聴く(他者がどれだけ神に愛されているか――その力の多寡、気配を察する)

聖別:対象は神に愛された人。神の力――聖寵、聖別、聖奠を増幅させる

聖奠:結界。愛情の深さに応じた防御壁の形成

正義神の成聖者、ジェイル(16歳)。先の戦いで謎の死を遂げている


聖寵:神託。神の声を聴く

聖別:対象は人と物。穢れを払い、加護を与える

聖奠:神の裁き。自らの行い、立場が善であればあるほど力を増す

この世界の最高神でもある、破壊神の成聖者。名前も年齢も不明。先の戦いで唯一生き延びた邪神の1柱。


聖寵:壊れる声を聴く

聖別:対象はあらゆるモノ。異形の魔物へと変える。もしくは灰燼と帰す

聖奠:あらゆるモノを打ち砕く破壊神の〝鎚〟を召喚

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