第7話 狩猟神の采配

文字数 3,802文字

 帝国が攻めてきたことはネリオカネルから聞かされていたものの、具体的なことは何一つ教えて貰えなかった。

「――神の子羊(アニュス・デイ)
  
 だから、クローネスは動物たちから聴くことにした。
 彼女の澄んだ歌声に惹かれるように、鳥たちがやってくる。翼を持つモノたちに、クローネスは無邪気に微笑んでお願いする。
 鳥たちが羽ばたくと同時に、扉が叩かれた。

「――ネリオカネルです」
 
 四十近いくせして早いなぁ、とうんざりした気持ちが口に出ないよう、クローネスは応じる。

「入りなさい」
「失礼致します」
 
 入るなり恭しく一礼すると、ネリオカネルは早足で部屋の中央まで踏み入った。それ以上は距離を詰めず、もの問いたげに口を引き結んでいる。
 
 許しを待っているのだろう。
 
 そんなの待つ必要もないのにと、クローネスは内心で溜め息を吐く。
 立場上はクローネスが王だが、実質的にクロノスの国政を執り仕切っているのは、宰相でもあるネリオカネルだった。

「どうかしましたか?」
「ご自重なさるよう、お願い申したはずですが?」
「なんのことかしら?」
 
 クローネスはとぼける。ただの時間稼ぎ。子供みたいな言い訳が通じるとは、微塵も思ってはいない。

「この件に関しましては、手出し無用とお願い申したはずです」
「まだ、手は出していません」
「戯言を……。通じると思っておいでですか?」
「まさか」
 
 クローネスは、図々しいほどの笑みを浮かべる。見ていると腹が立つのか、ネリオカネルは目線を逸らした。

「……それでは、納得のいく理由をお聞かせ願いますか?」
 
 無礼にも、ネリオカネルは顔も上げずに口にした。

「貴方が、相手を見くびっているからです」
 
 それを咎めるでなく、クローネスは開け放たれた窓へと向かう。相手に背を向けるという、負けない無礼でもって応対する。

「そして、貴方は何があっても私に助けを求めようとはしない。貴方にとって、私は守るべき王であり、英雄などではないから」
「それは……」
「えぇ、貴方は正しい。一人の人間に頼りきっていては、国は破滅へと向います」
 
 それも神の奇跡となれば、その進行は劇的に早くなる。
 国を問わず、英雄と呼ばれた者たちの最期は無残なものだ。

「では、相手を見くびらなければご自重していただけますか?」
 
 挑むようにネリオカネルは投げかけるも、クローネスは嘆息した。

「それは無理です。相手が成聖者である以上、貴方の知識や経験は逆効果になります。貴方の能力は、これでも信頼しているのですよ?」
 
 振り返り、からかうように鳴らすもネリオカネルは仏頂面を崩さなかった。
 
 ――と、鳥たちが帰ってきた。
 状況を把握したクローネスは尋ねる。

「貴方に、リルトの狙いがわかりますか?」
 
 ネリオカネルは答えを詰まらせていた。
 リルトリアの行動は通常の思考では愚かとしか言い様がないが、相手を見くびらないと言った手前、そのような回答はできないのだろう。

「このままだとリルトの進軍は止められません。だからといって、窮地にもなりえません」
 
 敵の進行を許したとしても、侵攻までには至らない。
 弓矢が通じなくとも、手はいくらでもある。重量のある物を投擲したり、迎え撃ったり。
 敵はたったの一八人なのだ。いっそ、放っておいても構わない。

「このままリルトたちが門まで辿り着いたとして、どうすると思いますか?」
 
 からかうような口ぶりは、何も彼女の性格が悪いわけではなく、見極めたいからだ。
 
 彼女はかつて、この叔父に殺されかけた。
 生まれて間もない頃、記憶にもない出来事だが、確かに命を狙われた。
 
 理由は単純にして明快――邪魔だったから。彼が玉座に就くには、王の直系であるクローネスの存在は邪魔でしかない。
 
 にもかかわらず、クローネス自身はそのような気配を一切感じたことがなかった。
 初めて城に戻ってきた時も、王位を継承する段取りになっても、ネリオカネルは忠臣のごとく傍に控えていた。
 
 立場上殺せなくなったと言えばそれまでだが、普通はもっと邪険に思ったりするのではないか?
 そういった考えから、クローネスは叔父に対して些か面倒な性格を見せていた。

「工作……いやしかし……」
 
 ネリオカネルは自分ですぐさま否定するも、
「えぇ、その通りです」
 クローネスは正解を出した。

「バカなっ! どうやって?」
「それはもちろん、武器を手にして」
「なっ、にを……!」
「帝国は確かに戦神を信奉しています。ですが、それだけではありません」
 
 帝国の前身は、戦神と鍛冶神の末裔である。
 それが長い歴史の中で両者の間に軋轢が生じ、鍛冶神の名は表舞台からは消えていった。
 
 されど、その信仰が途絶えることはなかった。
 歴史の裏側に追いやられようとも、偉大なる先人を尊ぶ気持ちは失われなかったのだ。
 
 優れた兵と優れた装備。この二つがあったからこそ帝国は領土を広げ、多くの国や民を取り入れていった。

「あの隊の中に、鍛冶神や慈愛神に愛された者がいれば、門を破壊することは充分に可能です」
 
 慈愛神の聖別対象は愛――聖寵や聖別の効果を増幅する。
 さすれば、鍛冶神の聖別で盾や鎧を一つに纏め上げることなど造作もない。
 攻城兵器のような巨大な斧も、戦神の力があれば容易く振るえるだけでなく、全員の力を完璧に合わせることさえできる。
 あとは鍛冶神の聖寵で〝鉄の声〟――門の脆い場所――を聴けばいい。

「それはあり得ない。帝国は――」
「――あの隊を率いているのはリルトです」
 
 クローネスはねじ込んだ。

「下らない差別など、するはずがありません」
 
 彼なら、身分だけで兵を区別する真似はしない。戦神が、他の人神より上位な存在だとは間違っても思わない。

「ですから、私が出なければならないのです」
 
 クローネスが敵国の裏事情に詳しいのは、かつての旅のおかげである。となれば、リルトリアにも同じことが云える。

「こちらはリルトを殺すどころか、身柄を拘束することもできないのですから」
 
 かの国は様々な価値観を内包すると同時に、不満分子まで内側に飼っている。
 だからこそ、一致団結することなど早々になく――
 
 現に、今回の侵攻は皇帝陛下の勅命でありながらも規模が小さい。
 
 聞くところによると、邪神との争いの爪痕が残っているからと、固辞した派閥が存在しているらしい。
 
 だが、そのような状況もリルトリア次第で覆る。
 
 状況はどうあれ、彼は英雄なのだ。
 更には戦神の聖成者であり、薄倖の皇子――彼の身に何かあれば、多くの人間が怒りを禁じえないだろう。
 それほどまでに、リルトリアは民から人気なのだ。

「私たちは、あまりに外交を疎かにしてきました」
 
 クロノスは他国との関係が極めて希薄であった。交易こそ持っているものの、個人の行商人のみで、国を通しての繋がりはない。
 
 その為、他国の英雄を殺してしまえば最後、徹底的に悪役にされてしまう。
 先の争いで痛い目にあったように、世界に対して申し開きしようにも術がないのだ。

「その責任を、兵に負わせるわけにはいきません」
 
 迎え撃てば、必ず損害が出る。戦に関しては帝国に分がある以上、追い払うにも直接戦うわけにはいかない。
 かといって、投射兵器では微細な手加減ができるはずもなく――リルトリアに致命傷を与えないようにと気遣った結果が現状だ。

「それ以前に、リルト以外に指揮をとらせたら森が傷つきます」
 
 歴史を顧みる限り、帝国は兵の犠牲を厭わなかった。森へと踏み入れ、傷つけ、血で汚す。戦場が森へと移れば、動物たちも巻き込んでしまう。
 双方共に被害を受ける展開を避けられているのは、ひとえにリルトリアのおかげだ。
 
 誰であれ、敬意には応えるべきだとクローネスは思っている。それが仲間となれば、責務とさえ思う。
 
 ――誰も傷つけたくない。
 
 自分から攻めておきながら抜かすなんて、ふざけるなとしか言いようがないが、今回に限っては同意だった。
 
 リルトリアは変わっていない。相変わらず痛みの伴う問題解決よりも、誰も傷つかない現状維持を選ぶ。
 その選択が招く結末が最悪であっても、明確に誰かを傷つけられない。
 
 ――弱いな。
 
 クローネスは思わずにいられない。もし、野生であれば即座に命を落とす弱さ。
 
 ――弱いよ、リルト。
 
 だから、守ってあげないといけない。
 皮肉にも、今それができるのは自分しかいない、とクローネスは屁理屈をこね回した。
 感情的な我侭にならないように、それっぽい理由を見繕ってみせた。

「……承知致しました」
 
 どうやら、その甲斐はあったようだ。
 黙って聞いていたネリオカネルが、表情とは真逆の言葉を口にした。

「兵にはこちらから言っておきます。ですからしばし――!?」
 
 クローネスは聞いちゃいなかった。
 許可を貰うや否や、はしたなく窓枠へと足をかけ――飛んでいった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

戦神の成聖者、リルトリア(16歳)。ミセク帝国の皇子だが、継承権は下位。


聖寵:戦場の声を聴く(身の危険を察する)

聖別:対象は武具。使用者に重さを感じさせなくする

聖奠:王権。兵たちを意識レベルから支配し、操る


創世神の1柱でもある狩猟神の成聖者、クローネス(17歳)。ファルスウッド王国の王女。


聖寵:動物の声を聴く

聖別:対象は動物。文字通り、使役する

聖奠:投擲。あらゆるモノを〝矢〟として放つ狩猟神の〝弓〟を召喚

鍛冶神の成聖者、レイド(26歳)。身分違いの恋から逃げるよう放浪中。


聖寵:鉄の声を聴く(金属強度・疲労を理解)

聖別:対象は鉄。形を自在に変える

聖奠:鍛冶場の形成。金属を切り裂く武器を生み出す

この世界の最高神でもある創造神の成聖者、シャルル(11歳)。仲間たちと破壊神の行方を追っている。


聖寵:大地の声を聴く

聖別:対象は大地。文字通り、自在に操る

聖奠:天地創造。あらゆるモノを凌駕する創造神の゛手〟を召喚

創世神1柱でもある豊穣神の成聖者、シア(22歳)。同じく、破壊神の行方を追っている。


聖寵:植物の声を聴く

聖別:対象は植物。文字通り、使役する

聖奠:水源。水を生み出す、豊穣神の〝甕〟を召喚


航海神の成聖者、ペルイ(30歳)。破壊神の行方を追う、2人の保護者。


聖寵:潮読み。波風の声を聴く

聖別:対象は船。波風を軽減する

聖奠:嵐を呼ぶ(制御はできない)

医神の成聖者、エディン(28歳)。新大陸を目指して、海上を旅している。


聖寵:往診。身体の状態を聴く

聖別:対象は医療器具。消毒、清潔に保つ

聖奠:治癒

慈愛神の成聖者、テスティア(18歳)。その力を失い、現在はただの人として働いている。


聖寵:愛の程度を聴く(他者がどれだけ神に愛されているか――その力の多寡、気配を察する)

聖別:対象は神に愛された人。神の力――聖寵、聖別、聖奠を増幅させる

聖奠:結界。愛情の深さに応じた防御壁の形成

正義神の成聖者、ジェイル(16歳)。先の戦いで謎の死を遂げている


聖寵:神託。神の声を聴く

聖別:対象は人と物。穢れを払い、加護を与える

聖奠:神の裁き。自らの行い、立場が善であればあるほど力を増す

この世界の最高神でもある、破壊神の成聖者。名前も年齢も不明。先の戦いで唯一生き延びた邪神の1柱。


聖寵:壊れる声を聴く

聖別:対象はあらゆるモノ。異形の魔物へと変える。もしくは灰燼と帰す

聖奠:あらゆるモノを打ち砕く破壊神の〝鎚〟を召喚

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み