第8話 英雄の条件

文字数 2,487文字

「ごめんね、待たせて」
 
 返事をするのは巨大な猛禽。背中に人を乗せているとは思えない速度で上昇していく。

「んー、あとでうるさそうだな……」
 
 窓から身を投げ出して激しく手を振っているネリオカネルを見て、溜め息を零す。
 流れで街を見下ろすと、多くの民に注目されていた。

「おまえが目立つからぁ」
 
 ――ごめん、と猛禽が鳴く。
 獰猛な姿に似合わない悲しげな響きに、クローネスはよしよしと頭を撫でる。

「まぁ、いいや。もっと、もっと! 高くっ、飛んで!」
 
 久々の自由を、クローネスは楽しんでいた。少し冷たい風が肌に痛みを与えるも、笑っている。

「ごめん、ちょっと止まって」
 
 なびく髪と身に纏った長布が邪魔だった。
 猛禽が上昇を止めるなり、クローネスは長布を解いて唇に挟む。慣れた仕草で髪を纏め、咥えていた長布を手に取ると、素早く結び上げた。

うん、よしっ。それじゃまたお願い」
 
 体感的に満足すると、クローネスは城壁を指さした。
 兵たちが矢を放っているのが見える。バリスタの動きから、かなりの接近を許しているのがわかる。
 兵たちよりも高い位置に陣取り、クローネスは俯瞰する。
 不安定な鳥の背中で立ち上がり、狙うべき的を見極める。

「十字架の血に 救いあれば
 来たれとの声を われはきけり
 主よ、われは いまぞゆく
 十字架の血にて 清めたまえ――」
 
 クローネスが声を乗せると、追走するように翼を持つものたちが鳴き始めた。呼んでもいないのに、空に鳥たちが集まってくる。
 
 異様な光景でありながらも、リルトリアは気付いていない。
 きっと、彼の耳は〝戦場の声〟に傾けられているのだろう。
 
 けど、これは防げない。
 
 わかっていたから、クローネスはあえて外す。
 原初神と創世神を除いた神々は全て人神――元、人間である。神と同様に語り継がれる存在になろうとも、その事実だけは覆せない。
 そして悲しくも、神と人の力の差は絶望的なほど大きい。

「――十字架の血に(ウェルカム・ヴォイス)
 
 半月をなぞるよう右手を動かし、クローネスは〝弓〟を手に取った。手には何も持っていなくとも、彼女は〝弓〟を構え〝矢〟を放った。
 
 ――刹那、大地が抉れる。
 
 リルトリアたちが向かう道が爆ぜ、戦神一行は隊列を乱した。
 いや、致命的な隙を見せた。
 もし、この瞬間に矢が放たれていたのなら、確実に何人かは命を落としていたに違いない。
 
 そうならなかったのは、クロノスの兵たちも見上げ、呆然としていたからだ。
 空に近い彼等は、クローネスの姿を瞼に焼き付けていた。
 神々しいまでの風景に、心を奪われていた。

『――退きなさい』
 
 クローネスは神のように人を見下ろし、玲瓏(れいろう)たる声を響かせる。
 風に言葉。
 彼女の〝弓〟は、ありとあらゆるモノを〝矢〟として放つ。
 ただし、その〝弓〟は人の目には映らない。
 
 理由は単純明快――次元が違うからだ。
 
 視えないから、人々は狩猟神の聖奠を〝弓矢〟ではなく〝不可視の投擲〟と認識していた。
 
 一度の警告で、戦神一行は撤退を決めた。
 
 その姿は、クローネスから見れば蟻でしかなかった。簡単に踏みつぶせる。遅くて、脆い。何百、何千、何万と群れを成していたとしても……殺せる。
 
 過った考えを振り払うように頭を振って、クローネスは胸元に手を入れた。鎖に繋がれた鉄の指輪を取り出し、心を落ち着かせる。
 
 今の自分には、はめられない指輪。
 
 どうやって調べたのか、左の人差し指にぴったりのサイズ。
 ペンダントとして――それも隠すように付ける――しかできない大切な〝クローネス〟の宝物で、〝王女〟には必要のない玩具。

「……レイド」
 
 狩猟神の〝弓〟は、目標さえ定めれば何処へなりとも届くものの、担い手の視力には限界がある。
 不意に、クローネスは泣きたくなった。
 
 ――なんの為に、王女になったんだろ?
 
 好きな人には会えなくて、大切な仲間とは争わないといけない。
 それなら、ただのクローネスでよかった。
 両親も家族も知らない、哀れな子供のままでよかった。
 下から、自分を呼ぶ声がする。褒め称える響き……歓声だ。私は、これに応えないといけない――王女だから。
 
 苛立ちに任せたまま、クローネスは風を投擲した。
 
 狙いは、遥か彼方。平野に陣を敷いている帝国軍。景色を変えるほどの大軍に向けて、一石を投じる。
 
 やろうと思えば、クローネスは一人で戦えた。
 安全圏から一方的に攻撃できるのだから、負けるはずがない。
 
 けれども、そのような真似をすれば人の世からは追い出されてしまう。
 
 個人の力が国を上回れば、国は機能しなくなる。一人の感情で国が滅ぶ危険性があると知ったら、民はとても平気ではいられない。
 
 ――だから、人々は私たちを英雄と呼ぶ。
 
 そうじゃないと、怖いから。
 この人は正しい、良い人だ、間違ったことなどするはずがない――だって、英雄だから。
 そう思わなければ、とても安心できないのだ。
 
 けど、それは仕方のないこと。
 
 もし、いつ暴走するかわからない英雄がいれば、それは恐怖の対象でしかない。
 殺されたくなくて、滅ぼされたくなくて……国は英雄を褒め称える。
 そして、殺されたくないから……英雄は正しくある。
 レイドたちの名前が、微塵も世に出ないのが良い証拠だ。
 
 ――正しくなかった人間が、英雄であってはならない。
 ――正しくあろうとしない人間も、英雄であってはならない。
 
 不条理にもそれを決めるは神はおらず、全ては移り変わる人の世が裁く。
 証するように、英雄の多くは死後誕生した。逆に、生存した英雄が英雄のまま死んだケースはあまりに少なかった。
 主の哀しみを読み取ってか、鳥たちが騒ぎ出す。
 
 ――豊穣神が帰ってきたと。
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登場人物紹介

戦神の成聖者、リルトリア(16歳)。ミセク帝国の皇子だが、継承権は下位。


聖寵:戦場の声を聴く(身の危険を察する)

聖別:対象は武具。使用者に重さを感じさせなくする

聖奠:王権。兵たちを意識レベルから支配し、操る


創世神の1柱でもある狩猟神の成聖者、クローネス(17歳)。ファルスウッド王国の王女。


聖寵:動物の声を聴く

聖別:対象は動物。文字通り、使役する

聖奠:投擲。あらゆるモノを〝矢〟として放つ狩猟神の〝弓〟を召喚

鍛冶神の成聖者、レイド(26歳)。身分違いの恋から逃げるよう放浪中。


聖寵:鉄の声を聴く(金属強度・疲労を理解)

聖別:対象は鉄。形を自在に変える

聖奠:鍛冶場の形成。金属を切り裂く武器を生み出す

この世界の最高神でもある創造神の成聖者、シャルル(11歳)。仲間たちと破壊神の行方を追っている。


聖寵:大地の声を聴く

聖別:対象は大地。文字通り、自在に操る

聖奠:天地創造。あらゆるモノを凌駕する創造神の゛手〟を召喚

創世神1柱でもある豊穣神の成聖者、シア(22歳)。同じく、破壊神の行方を追っている。


聖寵:植物の声を聴く

聖別:対象は植物。文字通り、使役する

聖奠:水源。水を生み出す、豊穣神の〝甕〟を召喚


航海神の成聖者、ペルイ(30歳)。破壊神の行方を追う、2人の保護者。


聖寵:潮読み。波風の声を聴く

聖別:対象は船。波風を軽減する

聖奠:嵐を呼ぶ(制御はできない)

医神の成聖者、エディン(28歳)。新大陸を目指して、海上を旅している。


聖寵:往診。身体の状態を聴く

聖別:対象は医療器具。消毒、清潔に保つ

聖奠:治癒

慈愛神の成聖者、テスティア(18歳)。その力を失い、現在はただの人として働いている。


聖寵:愛の程度を聴く(他者がどれだけ神に愛されているか――その力の多寡、気配を察する)

聖別:対象は神に愛された人。神の力――聖寵、聖別、聖奠を増幅させる

聖奠:結界。愛情の深さに応じた防御壁の形成

正義神の成聖者、ジェイル(16歳)。先の戦いで謎の死を遂げている


聖寵:神託。神の声を聴く

聖別:対象は人と物。穢れを払い、加護を与える

聖奠:神の裁き。自らの行い、立場が善であればあるほど力を増す

この世界の最高神でもある、破壊神の成聖者。名前も年齢も不明。先の戦いで唯一生き延びた邪神の1柱。


聖寵:壊れる声を聴く

聖別:対象はあらゆるモノ。異形の魔物へと変える。もしくは灰燼と帰す

聖奠:あらゆるモノを打ち砕く破壊神の〝鎚〟を召喚

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