第12話 医神の贖罪
文字数 4,895文字
直進して、船でおよそ十日間。
侵略するには充分な距離であれば、略奪で国を興してきた帝国が放っておくはずがない。
ところが、両者を隔てるスィール海は激しく、帝国の航海技術では到底超えられそうになかった。
一方、航海神の加護を受けている海の民は、易々とスィール海を渡って来られた。
――が、戦神の加護を受けた重装兵を、一向に攻略できずにいた。
やがて、帝国は捕虜にした海の民を使い、とうとう航海に乗り出す。
同じように、海の民も帝国の鎧を貫く武器を手に入れていた。
果たして、これで雌雄は決す――と、思われたが結果は変わらず。どう足掻いても海上においては海の民が強く、陸では帝国兵が強かった。
結局のところ資源の問題で、帝国は船と操縦士を、海の民は武器と兵士を量産することができなかったのだ。
それに気づいた両者は略奪を諦め、素直に交易で手を打つことにした。
決して少なくない血が流れていたものの、互いに他の外敵を抱えていたこともあり、あっさりと同盟は結ばれる次第となった。
こうして、長きに渡った海の民と帝国の不毛な争いは幕を閉じた。
そのはずだったのに――
「海賊だぁぁぁぁ!」
野太い男の叫声に、エディンは顔をしかめて立ち上がろうとするも上手くいかなかった。
揺れる船内が激しさを増し、バランスが取れないのだ。
それでも足に力を込め、意地で抗おうとすると一際大きな衝撃に襲われ、たたらを踏む。
「はぁ……」
盛大な吐息を挟み、エディンはふと、ペルイのことを思い出す。
彼の操る船は、穏やかで心地よかったと。
成聖者と比べるのは可哀想だが、この船にいる航海神の民はあまり愛されていないようだ。
とりあえず、エディンは聖別しておいた薬を飲み干す。
先ほどの衝撃を最後に、揺れが収まりつつあるところからして、船の動きは止められたのだろう。
となれば、敵が乗り移ってくるのは時間の問題。
裏付けるように、怒声と悲鳴が響いてくる。
基本的に海賊の目的は略奪なので、すぐさま沈む事態に陥ることはないと、エディンは酔い止めの効果を待つ。
遠くから、息の揃った叫び声があげられた。
どうやら矢戦が終わり、敵が白兵戦へと乗り出したらしい。
「――よしっ」
〝身体の声〟を聴き、大丈夫と判断してからエディンは船室を出た。
瞬間、激しい金属音が耳をつんざく。
早くも、客室まで攻め込まれている。
エディンが金属の悲鳴を辿ると、
「おんなぁぁぁっ!」
海賊が不愉快な奇声を上げ、醜悪な顔でねめつけてきた。
「逃げてください!」
応戦している船員が切迫した様子で叫ぶも、エディンは聞かず、黙ってポケットに手を突っ込む。
貴族が好むような長い上衣は彼女の手作りで、表と裏に沢山の収納場所が確保されていた。
そこから一つの瓶――液体をエディンは海賊に投げつけた。
ガラスの小瓶は男の顔面にぶつかり、透明な液体を浴びせる。
「がっ! はっ……」
すると、男は顔面を押さえ蹲りだした。その隙を船員は逃さず、一刀で切り捨てる。
「助かりました」
安堵の滲んだ顔で船員はお礼を述べるなり、外へと向かって駆けだした。
「仕方ない」
彼のあとを追い、エディンも走る。長い黒髪がなびき、白い衣服と相まって見る者の目を奪う。
客室のほうは片付いているようで、斬りかかってくる輩はいなかった。
乗客の中にも、戦える者がいたのだろう。
大きな争いがあったものだから、男の多くは武器を扱い慣れていた。
船員の先導に続いてエディンが外に出ると、眩いばかりの陽ざしが待ち構えており、ふと、こんないい天気に血なまぐさい戦場にいる自分が馬鹿らしくなってくる。
だが、そんな気持ちは一瞬で手放す羽目となった。
乱戦を繰り広げている船上で、劣勢に追い込まれていたのは船員たちだったからだ。
それもそのはず、海賊の何人かは全身を甲冑で固めていた。それでいて、一切の重さを感じさせない軽快な動きを見せている。
――帝国兵?
過った存在をエディンは振り払う。戦神の聖別が扱えるなら、海賊になる必要性などないはず。
それほど、帝国では優遇されているのだ。
――では、何者?
疑問が浮かぶも、今はそれどころではない。手早くポケットから無数の小瓶を取り出し、放り投げる。
光に照らされてか、液体は黄金色に煌めいていた。
エディンは自分の鼻に薬草を押し当てながら、走り、繰り返す。次々と小瓶を投げつけ、割り、液体を散布していく。
そうして、男たちの絶叫が轟いた。
偉丈夫でさえ鼻と口を押え、膝を落としている。中には海へ嘔吐したり、飛びこんだりする者すらいた。
通気性の悪い甲冑ではなおのこと。全員が兜を脱ぎ捨て、とても海賊とは思えない顔が並ぶ。
髪も髭も綺麗に整えられ、日にも焼けていない。
「この……!」
内の一人が、逼迫した表情でエディンを射抜く。左手で鼻を押さえ、右手に剣を握って向かってくる。
その様子を冷静に眺めながら、エディンは更なる小瓶を取り出し、放り投げる。
男は払おうと剣を振るうも、液体は顔ではなく鎧を狙ったものだったので空を切る。
気付けば、エディンも刃を握っていた。
鍔も装飾もない鉄色の短剣。滑るような前傾姿勢で踏み出し、空ぶって隙だらけの男の胴を切りつける。
「がっ……馬鹿なっ!」
甲冑に絶対の自信を持っている、帝国兵らしい反応であった。
信じられないものを見るかのように、自身の血と鎧と敵の剣に視線を走らせるも、エディンは容赦なく、男の顔面に更なる液体を浴びせた。
断末魔にも似た悲鳴が船上を網羅し、敵の士気を打ち砕いていく。
激しい敵意を尻目に、エディンは船の縁まで辿り着いた。
「えーと……これか」
ポケットから取り出した小瓶を海賊船に放り投げ、駄目押しの一声――
「剣を引きなさい! じゃないと、貴方たちの船を燃やすわよ?」
得体の知れない液体を持ち歩いている女性の脅しに、海賊たちは一斉に従った。通常の戦いでは味わうことのない苦しみに、抗う気力すら挫かれていた様子。
船員たちも同じなのか、瞳には感謝以外の感情が宿っている。
しかしエディンは気にせず、彼等に薬草を差し出すと後始末へと急がせた。
そうして、エディンは医者としての職務を全うする。
怪我の多くは矢と剣によるもので、基本的に聖別済みのアルコールで消毒。怪我人の叫び声にも躊躇せず、包帯を巻いて、次。
それで塞ぎきれないものは、止血点を布で締め上げ、鎮静作用の強い薬草を噛ませておく。
――
どんな傷にも目を背けず、エディンは治療に没頭する。
献身的な姿に胸を打たれてか、手助けを申しでる者が続々と現れた。
エディンは歓迎し、軽傷者の手当てを任せると、自身は動かすこともできない重傷者の処置へと動き出した。
「おいっ! お医者様が来てくれたぞ!」
神が降臨したかのような歓迎からして、彼等は諦めていたに違いない。助けることも、助かることも。
見守っている者たちは皆、看取るつもりでいたのだ。
だから、治療に割り込むことも列に並ぶこともしなかった。そうやって、確実に繋がる命を優先してくれた。
「お願いしますっ!」
船員たちが頭を下げ、懇願する。
エディンは頷き、惨状に目を向ける。
誰もが諦めていただけあって、怪我の度合いは酷かった。臓物が覗かれるほど深く裂かれていたり、四肢の一部が欠損していたり。
怪我人の中には、少年と呼べるほど年若い者もいた。瞳には涙が浮かんでおり、死にたくないと訴えている。
エディンは語らず、耳を澄ます。
そっと彼等に触れ、〝身体の声〟を聴いていく。
そうやって順番を見極めると、唇に医神の調べを乗せた。
「聖なる、聖なる、聖なる主よ
み手につくられしものはみな
三つにいましてひとりなる
神の栄えをほめうたう――」
ここで人々は、一つの奇跡を目の当たりにする。
「――
エディンの手の平から光が生じ、少年を包み込んだ。
それはまるで深々と降り積もった雪のように脆く、汚れやすいかのような輝き。そんな胸が痛むほどの白光が止むと、少年の傷が塞がっていた。
一呼吸おいて、人々から感嘆の吐息が漏れる。
続いて、喜びと期待の歓声が広がるも、奇跡の担い手が著しく消耗しているのに気付くと、反転。
嘘のように、重たい空気が場を支配していった。
――聖奠は、人の身には過ぎた奇蹟である。
成聖者とて、使用を許されているだけで際限なく扱えるものではない。信仰地域から離れているとなれば尚更だ。
神からのギフトは、その土地に生きるモノの祈りの力。
それは人に限らず――ゆえに、創世神は土地に縛られることはない。
けれど、人神は違う。
崇める者は人間しかいないどころか、場所によっては祈る者さえいなくなる。
そのような場所で聖奠を行使すれば、成聖者にかかる負担は並々ならぬものであった。
一人、また一人と治していく度に緊張感が増していく。
――これで、限界ではないだろうか?
そう、思わずにはいられないほどエディンの疲労は目に見えていた。
「次……は……」
立ち上がり、二歩も進めずにエディンは倒れかける。
「だいじょうぶですか!?」
両側から支えられて、どうにか立っていられる状態にもかかわらず、
「……ごめん。悪いけど、私を患者の元まで運んでくれる?」
彼女は続ける意思を示す。
周囲の人間が少し休んで下さいと声をかけても、治療を受ける側がもう充分ですと頼んでも止まらない。
肩で息をするようになっても、視界が霞んできても意地で踏み止まって、意識を手放しかけながらもなお、医神に乞い続ける。
弟が殺した数以上を救う――それが、彼女の贖罪であるから。
エディンの弟は、先の戦いで十万を超える死体の総軍を従えていた。
もっとも、彼が直接その数を殺したわけではないし、中には人外の影も多数あった。
それでも十万は救わねばならないと、エディンは自身に課していた。
事実、弟はそれ以上の人を傷つけたに違いない。
あのコは、大陸中の墓を暴いた。
しかも、時には死体を生きた人間のように操り、残された者の罪悪感を煽っては復讐や自死へと駆り立てていた。
まさしく、死の神の所業。
決して、赦されることのない大罪。
死してなお、彼を責める声は大きい。
善人を姦邪に陥れた悪神よりも、生きた人間を魔物に変えた破壊神よりも、死神は生き残った人々に恨まれている。
だけど、エディンにとっては弟だった。
理屈ではない家族の情愛。それに最初の殺人は、エディンの為に行われたものであった。
――だから、彼女だけは赦す。
弟の命を自身の手で奪った時に、エディンは全ての罪を引き受けた。
弟を赦してあげた。
彼女が姉としてやってあげられることは、それしかなかったから。
弟の行為を庇うことも、彼の不幸を訴えることも、誰かに申し開きをすることも許されるわけがないとわかっていた。
無論、英雄であることも――