第10話 神と人、絶望的な力の差
文字数 5,453文字
灯りの消えた真っ暗な部屋が、夜の深さを教えてくれる。
ペルイたちはクロノスの王城ではなく、街の宿に泊まっていた。
クローネスが手配してくれたおかげか、上等な部屋だ。シアとシャルルも、別の部屋で休んでいる。
ペルイは窓を開け、不自然な風の正体を見極めようとしていた。
航海神の聖寵は〝波風の声〟を聴く、いわゆる潮読みの力。
その為、地上においては大した意味を成さず、騒がしいなど、漠然としたことしかわからなかった。
それでも、接近してくる羽音を感じ取れたのだから、捨てたものではない。
フクロウの先導に続いて、背中に主――クローネスを乗せた巨大な猛禽がやってきた。
「――乗って」
説明はない。ペルイは面倒くさそうに武器を背負い、窓枠に足をかけた。寝る時に着替える習慣を持たない、海の民ならではの身軽さだ。
「おー、さみぃな」
温暖な島出身のペルイには、この高さの風は身に染みた。
「――
波風を軽減する、航海神の聖別。
本来は〝船〟に対してのみ行われるものだったのだが、ペルイは〝人〟にも発展させていた。
船に乗った経験がなかった(船酔いが激しかった)シアとクローネスの為に――
「せっかく、気持ちのいい風だったのに……」
けれど、ここは鳥の上。残念そうにクローネスが愚痴り、猛禽が責めるよういなないた。
「わ、悪い……」
振り落とされては堪らないと、ペルイは素直に謝罪する。
しばらく、無言のまま空中遊泳を楽しむ。眼下に広がる真黒な樹海に相対するように、空には星々が流れている。
ここが船上だったら最高なのにな、とペルイはひっそり故郷を偲ぶ。
「で、いったい何用だ?」
森の中でも抜きんでた大木の根元に着陸すると、ペルイは切り出した。
「つーか、不用心じゃねぇか?」
梢が邪魔して、月明かりさえ射し込まない深淵。平然と猛禽から飛び降りたクローネスの姿さえ、はっきりと窺えない。
「大丈夫よ。それにここなら、安全だから」
証明するように、獣の気配が膨れあがった。ペルイは見当違いな忠告だったと、頭をかきながら大地に足を着く。
「ペルイたちは、これからどうする気なの?」
漠然とした問いかけだが、核心を衝いた質問。
「四カ月もの間、あなたたちは一つの場所にはいられなかったのでしょう?」
「あぁ、そうだな。無理だった」
シャルルの親は執拗だった。他にも、創造神に豊穣神の成聖者、英雄を狙っている気配は常にあった。
「わかっているでしょう? もう、限界がきているの。誰も、名も無き英雄ではいられなくなってきている」
黙っていても、勝手に祀り上げられる時は遠くないだろう。
それどころか、僭称する者も現れてくるかもしれない。
そして、その流れが行きつく先は争いだけだ。
たとえ善行であろうとも、下手に英雄の名声にあやかれば、無視できない軋轢が生じてしまう。
「んなこたぁわかってる。だがな、破壊神が姿を見せたら全てが終りなんだ」
成果が偽りだと発覚すれば、熾烈な政争に身を置いているクローネスとリルトリアはただでは済まないだろう。
「でも、シャルルに破壊神は殺せない」
シャルルは、破壊神の成聖者に同情してしまった。
自分と似た境遇――生まれながらの神。それも崇められていた
「あぁ、そうだな。あいつには殺せないし、殺させもしねぇ」
「それなのに、追っているの? 説得でもするつもり?」
「さぁな。そこまでは知らねぇ。けど、あいつの好きにさせるつもりだ。今まで、我慢してきたんだ。その程度の我侭くらい、叶えてやりたい」
「――甘いわ、ペルイ」
冷たい、言葉だった。
「最悪、自分が手にかけるつもりでいるんでしょうけど、甘すぎる」
最初から、言葉で説得できるとは思っていなかったのだろう。ペルイが口を開く間もなく――
「反応、できなかったでしょう?」
風が吹いたと思ったら、後ろの大木が激震していた。
「それ以前に、視えてもいないんじゃない?」
クローネスは淡々と言ってのける。今も、〝矢〟を番えた〝弓〟を構えていると。
「弓に……矢、だと?」
「えぇ、私の聖奠は不可視の投擲なんかじゃない。視えないのは、単に次元が違うからよ」
「……まさか、破壊神も?」
「えぇ、人神では創世神の聖奠を視ることはかなわない。エディンもそうだった。死神の振るう〝鎌〟に気付かなかった」
創造神と豊穣神の聖奠が目に見えたから、仲間たちは勘違いしていた。
けど、それだって正解ではないとクローネスは忠告する。
「私たちの聖奠は、神から授かったシンボル――神器の使用なのよ。
かつて、仲間たちが見たシアとシャルルの聖奠は神器が起こした結果だ。創造と豊穣の神だからこそ、それが目に見える形で現れた。
対して、狩猟は生み出す行為ではない。
それは奪い、獲得するという観点からして破壊や死に近いモノ。
狙った獲物を動けなくさえすれば認められる。それ以外に、人の目に映る結果は必要ない。
「神々の武器を振るう
圧倒的な力の差――いや、次元の違いを突きつけられ、ペルイは言葉を失う。
無力なのは、先の戦いでわかっていた。
しかし、これほどまでとは……。
クローネスから、ここまで言われるほどとは思ってもいなかった。
きっと、クローネスだって言いたくなかったはず。
それがわかっているからこそ、ペルイは黙って彼女の言葉に耳を傾けていた。
「私の〝弓〟は、狙いさえ定めれば何処にだって届く。それこそ、月すら射抜いてみせる」
事実なら、誇張抜きに大国を相手取っても一方的に蹂躙できる。
「別に、狩猟神だけが特別なわけじゃない。他の創世神も似たようなものよ。だからこそ、破壊神の成聖者だけは逃してはならなかった。姿を見せている内に、殺しておかなければならなかった」
暗躍されたら、どうしようもない。
破壊神の聖別は、人間を含めた動植物の魔物化――時間を与えてしまえば、たった一人で戦を仕掛けられる。
「でも、仕方ないよね。シャルルは子供だったんだから」
前言を撤回するような……明るい声。
「何も知らない子供なんだから……」
それを裏切る……悲しい旋律。
もしかすると、それは子供だったクローネスが言って貰いたかった言葉なのかもしれない。
「だからね、ペルイ――」
けど、その言葉はクローネスには許されなかった。
仕方ない。
王族に生まれた彼女にとっては、逆の意味にしかなり得なかった。
「この大陸から逃げて。シャルルとシアを連れて、一刻も早く」
「……」
「海に出れば、誰もあなたを追うことはできない」
「そりゃそうだが、破壊神はどうするんだ?」
「あなたたちは気にしなくていいわ」
「いいわけあるかっ! そんなんで、シャルルたちが納得すると思ってんのか?」
「じゃぁ、私がなんとかする」
子供じみた反論に、ペルイは頭を振る。
「無茶だ」
破壊神を相手取れるのは創造神だけだ。
狩猟神単体で勝てる道理はない。
「無茶ではないわ。だって、死神は倒せたもの」
「あれは例外だろ?」
死神の成聖者はエディンの弟だった。
その弱み――人間の情に付け込んだから、豊穣神がいなくとも倒せただけであって、正攻法では勝ち目はなかったはず。
「それでも、あなたたちを護るよりは簡単なのよ」
悲しそうに、辛そうにクローネスは絞り出した。
「いずれ、〝森の民〟も動き出す。悪いけど、王女としては彼等と揉めるわけにはいかないの」
人の世から離れた〝森の民〟は、狩猟神の力を使わないクローネスを訝っている。
彼等は、政治的事情など理解しない。
下手をすれば、人の世の理すら通用しないのだから――もし、勝手に動かれてしまえば必ず揉め事になる。
そうなれば、ファルスウッドの代表を名乗っている以上、クロノスは責を負わざるを得ない。
「私は、王女としては未熟なの。まだ、一人では何もできやしない。けど、成聖者としては違う。あなたたちの誰よりも、上だという自負すらある」
今のまま放浪を続ければ、クローネスは王女としての力で、ペルイたちを護らなければならない。
そんな自信はないと、彼女は吐露している。
それなら、一人で格上の破壊神に挑むと。狩猟神の成聖者として、ペルイたちを護ると言ってくれている。
――自分たちのことは、自分たちでなんとかする。
身勝手な台詞など、言えるはずがなかった。
きっと、これまでに何度も助けられている。気づかない内に、
でなければ、ここまで順調に旅が続けられたはずがない。
知っている人間はいるのだ。ペルイもシアもシャルルの顔も、知っている人間は確かにいるのだ。
あの頃は、堂々と旅をしていたのだから――
「この大陸を離れれば……〝森の民〟はシアを諦めるのか?」
「さすがに、海を渡る意気込みはないと思うから」
「言われてみりゃ、そうだな」
初めて海を見たシアは赤子のように怯えていた。船に乗った時なんて、死ぬ死ぬと連呼しながら、船酔いに苦しんでいたくらいだ。
「そうか……。俺たちにやってやれることは、他にねぇんだな」
「えぇ、気持ちだけで充分よ」
穏やかに鳴らせるものだから、ペルイは無性にやるせなくなった。
――どうして、クローネスだけがこんなに頑張らないといけないのだ?
答えは、知っている。王女だからだ。
そして、約束があるからこの場所で待ち続けている。
レイドが迎えに来るのを信じて、頑張っている。
でも、それだけだ。
それだけの理由で、クローネスは王女であることに拘っている。
一人きりで、頑張ろうとしている。
レイドが一声かけてやれば――そう思うと、あのバカを殴りたくなった。
ついでに、この世界を創った神々も。
「……ありがとう、ペルイ」
その礼は見当違いだと、骨が軋むほど拳を握りしめる。自分は何も言わなかったのではなく、何も言えなかっただけなのだから。
暗闇に救われているのは、果たしてどちらなのだろう。
互いに表情を忍ばせたま、二人は必要な会話を続ける。
「それで、シャルルたちは破壊神の所在について何か言っていた?」
「そのことに関しちゃ、あいつらは俺に内緒にしているからな……」
それでも気付いたことはあったので、ただ……、とペルイは言葉を繋ぐ。
「見当もついていないようだ。ねだられて色々な場所に連れていってやったが、いざ到着して時間が経つと、肩を落としてやがる」
あれでバレていないと思っているのだから、二人とも子供としか言いようがない。
「手掛かり一つ、掴めなかったの?」
「あぁ、なんにもだ。おおかた、周囲の大地や植物を壊してんだろう」
「……そう」
「つーか、前から訊きたかったんだが、
人神の聖寵は〝聴く〟だけで、〝訊く〟ことはできない。
戦神は危険を、航海神は波風を、鍛冶神は鉄の状態を、慈愛神は神様の愛を、正義神は神託を一方的に告げられる。
「基本的には
「てーことは、聖別と併用してんのか?」
「えぇ、そうよ。それでどこまで聴けるのかって質問だけど、あまり複雑なのは無理ね」
ペルイの見解通り、所詮は植物――知能で言えば人以下だ。そもそも、見えているものや聞こえているものが違うので、祖語が生じるのは至極当然。
「例えば動物を斥候に出したとして、得られる情報は敵が沢山いるかいないか、武器を持っているかいないか程度かしら」
森の哨戒を除いて、動物だけで偵察や諜報に動く機会はないらしい。あくまで、伝書鳩のように扱われるとのこと。
「植物や大地の場合は?」
「さぁ?」
私に訊かれても困る、とクローネスは子供みたいに零した。
「……でも、成聖者なら近くにいればわかるってシャルルは言っていたわ」
憂いを帯びた音色にペルイは察するも、
「そうか……」
つい先ほど殴ってやりたいと思っていた所為か、どう返していいかわからなかった。
――近くにいるのなら、何故会いに行ってやらない。クローネスがどんな気持ちでいるか!
無意識に、背中に担いだ銛に手が伸びる。
――いったい、何をしてやがるんだ、レイド!