第17話 豊穣神の怒り

文字数 3,836文字

 かれこれ、二十日に及ぶだろうか。
 中空に立ち昇るクローネスの姿を眺めながら、ペルイは呑気なことを考えていた。
 平穏な雰囲気の所為か、仲間たちが争っているというのに、焦燥感はまったくいっていいほど生まれてこない。
 
 二人の少女も例に漏れず、無邪気に観光を楽しんでいる。
 
 クロノスの城下街は、防衛戦の最中とは思えないほど活気に満ちており、誰もが日常の生活を営んでいた。
 シアは店先に飾ってある寄木細工に夢中になり、シャルルは食い気優先なのか様々な果実に噛り付く。
 
 ――これで何件目だ?
 
 二人して遠慮の欠片もない。クローネスが付けた条件の誇大解釈によって、ペルイは支払いの全てを受け持つ羽目になっていた。

「おーい、そろそろ行くぞ」
 
 ペルイは声をかけ、一人で歩き出す。二人は文句を口にしながらも、小走りでいつものように両脇に並んだ。

「つーか、リルトリアの奴は何を狙っていやがるんだ?」
「さぁ? あいつもけっこう馬鹿だから、実は何も考えてないんじゃない?」
 
 シャルルが身もふたもないことを言う。

「それか、本気でなんとかなると思ってるとか?」
「……さすがに、そこまで馬鹿じゃねぇだろ」
 
 ジェイルじゃあるまいし、とペルイは内心で付け加える。
 正義神の聖奠は、大義名分があればあるほど力を与える。その性質を根拠に、ジェイルはよく単騎で敵地に突っ込んでいた。
 
 曰く、不利な状況のほうが正義の味方っぽいと。
 傍から見れば、無謀や馬鹿としか形容できない行動が多かった。

「えー、だったらさっさと大軍で攻めるべきじゃん。リルトの奴、たっくさん仲間がいるみたいだし」
 
 〝大地の声〟を聴いてか、シャルルが遠くを見やる。

「それに、まだ沢山……こっちに向かって来ている」
「おぃ、クローネスとの約束憶えてんだろうな?」
 
 彼女が課した条件の一つは、聖別の使用を禁ずるであった。シャルルに関しては破壊神の行方を探られないように、シアについては〝森の民〟に悟られないようにと。

「使ってないってば。勝手に聴こえてきた聖寵だって」
「ならいいが……」
 
 なんだかんだ言って、クローネスはシャルルたちに甘い。なので、もし破ったとしても怒られるのはペルイだけなのだ。

「けど……なんだろ。今までとなんか違う気がする……」
 
 いつになく真剣な表情にペルイは嫌な予感を覚え、口を挟む。

「あー、それとだな。いくら大勢で攻めたって、落とせねぇと思うぞ。クローネスの聖奠があるからな」
 
 あの〝投擲〟の前では数も鎧も関係ない。

「ペルイ、それはないよ」
「あん?」
「ロネは絶対に、そんな真似はしない」
 
 らしくない音色に顔を向けると、シャルルは見たこともない表情を浮かべていた。

「そんなことをしたらどうなるか、ロネならわかるはずだもん……」
 
 今にも泣きそうだと感じられるのに、目尻も口元も笑っている。

「……悪い」
 
 何故だか謝らなければならないと思い、ペルイは素直に詫びた。

「こっちこそごめん……なんか、昔のこと思い出しちゃってさ」 
 
 明るい声を出しているものの、無理しているのがわかる。
 
 ――シャルルは長い間、神として祀られていた。
 
 その生活がどういったものだったのか、ペルイには想像も付かない。それこそ、彼女はなんの力も持たない時から崇められていたのだ。
 
 それが力を得て――本当の神となった。
 
 シャルルが最初、村の人たちにどんな力を見せたのかは知らない。
 どんな気持ちだったのかも、定かではない。
 
 ただ、神となった少女は孤独に苛まれていた。
 
 誰からも名前を呼ばれず、誰からも愛されず。大人は貢物を持ってきては汚い欲望を突きつけ、親はその欲望に値段を付けては娘に叶えさせた。
 無理な願いについては自分たちや、金で雇った人間の手で成し遂げ――それがどんな汚い事柄であっても、シャルルの行いにした。
 
 ――神が奪うというのなら、それは罪ではなく受難である。
 ――神が壊したとなれば、それは罪ではなく試練である。
 ――神が殺したというのなら、それは罪ではなく天罰である。
 
 あの村の有り様は、思い出しただけでも吐き気がしてくる。全てをシャルル〈神〉に押し付けといて、自分たちは聖人の気分でいやがった。
 
 今に至るまで、ペルイが我を忘れるくらい怒り狂ったのはその時だけだ。
 
 なんせ、止めに入ったジェイルやリルトリアと本気でやり合った。あんな奴らを庇う二人が許せなくて、レイドと組んで死闘を繰り広げた。
 
 その間に、クローネス〈神〉が全てを片付けたものだから、男四人で肩身の狭い思いをしたのも憶えている。
 
 エディンに説教をされ、テスティアに呆れられ――そこでやっとシャルルは笑ったのだ。
 シアに支えられたまま、子供のように泣いて泣いて……笑顔を見せてくれた。

「そいや、シアはどうした?」
 
 先ほどから一言も発していないと思ったら、隣にいなかった。振り返ってみると、棒立ちしている。
 こちらに背を向け――ペルイと並んだ位置からほとんど動いていない。

「シア?」
 
 シャルルが駆け寄り、ゆっくりとペルイも続く。

「何か、あったのか?」
 
 後ろから声をかけるも、反応がない。
 ペルイは回り込み、絶句する。先んじたシャルルが、口を噤んでいた理由を痛いほど思い知る。
 
 ――シアは……おそらく怒っていた。
 
 いつもの緩み切った頬は強張り、愛嬌のある涙袋が萎むほど双眸を引き絞り、遥か彼方を射抜いている。

「おぃ、シア……クローネスとの、約束……」
 
 ペルイは普段との落差に対応しきれず、しどろもどろと窺いをたてるような口調になってしまう。

「落ち着け! とにかく、深呼吸しようか? すーすーはーはー……」
「いや、おまえが落ち着けよ」
 
 シャルルのツッコミも、切れ味が感じられない。

 ――シアを怒らせてはいけない。
 
 それが、クローネスの付けたもう一つの条件だ。
 なんでも、シアは聖別対象との同調性が高いので、彼女の感情は植物に多大な影響を及ぼすらしい。
 そうならないように、ペルイは奢ったりしてご機嫌を取っていたのだが――

「ペルイさん、わたし……ちょっと行ってくるね」
「……行くって、何処へ?」
 
 ペルイは完全に気圧されていた。

「何処って? ははっ、そんなの――リルトのとこに決まってるじゃないですか」
 
 言葉の端々から、押し殺した怒りがひしひしと伝わってくる。

「ちょっと行って、リルトの奴をぶん殴ってきます」
 
 宣言して、シアは地面を踏み鳴らしながら森へと向かった。

「……もしかしてシアの奴、リルトの狙いがわかったんじゃない?」
「……だとしたら、なんだ? シアをあそこまで怒らせるなんてよっぽどだぞ?」
 
 近づきがたい背中を追いかけながら、二人は相談する。

「リルトリア側の問題は、クローネスの聖奠をどうするかだよな」
「ぶっちゃけ、無理だけど。創世神の聖奠を防ごうなんて」
「なら、クローネス自身をどうにかするか。たとえば、レイドを人質に……」
「無理無理。ただでさえレイドのが強い上に、戦神は鍛冶神と相性最悪じゃん」
 
 そもそも、レイドを拘束する術がない。鎖も縄も、鍛冶神の聖奠のまえでは簡単に断ち切られてしまう。

「だよなぁ。じゃぁ……」
 
 肝はシアの逆鱗に触れること。

「まさかっ! リルトリアの奴……!」
 
 一つだけ心当たりがあった。聖奠に限らず、聖別すら無効化する存在――

「あいつ、妊婦を連れてくるつもりなんじゃねぇか?」
 
 神が与えるギフトは、生まれ落ちた全ての生命に与えられる。裏を返せば、まだ生まれていない生命には与えられない。
 
 ――胎児は可能性を秘めているのだ。
 
 どの神の庇護下に入るか。それこそ、人神や創世神のみならず、原初神の祝福を授かる見込みさえあり得る。
 だからだろうか、妊婦――胎内に別の命を宿している存在は、外部からのあらゆる神の奇蹟を拒絶した。

「ペルイ、妊婦は戦神の聖奠すら拒絶するぞ?」
 
 呆れたようにシャルルが指摘する。聖別した武具を扱うことはできても、妊婦本人を聖奠で操ることはできない。

「そうか……いや、待てよ。確か、聖寵はいけたよな?」
 
 限らず、本人が使う分にはなんの問題もなかった。

「いけたとしてなんだよ? まさかおまえ、妊婦があの矢の雨を自力で踏破できると思ってんの?」
 
 危険を報せる戦神――それも成聖者の聖寵なくして、鉄の嵐をやり過ごせはしない。

「それに無効化できんのは聖奠のみで、余波までは無理だぜ?」
 
 ペルイはぐうの音すら出せず論破される。

「じゃぁ、いったいなんだってんだ?」
「っていうか、シアがわかったのにペルイが気付けないってどうなの?」
 
 にやにやと、シャルルは意地悪な笑みを浮かべる。

「ペルイって普段、シアのこと馬鹿にしてるみたいだけどさぁ~」
「そ、それはだな……」
 
 返す言葉もなかった。
 ペルイは必死になって腹案を練るも、芳しい効果はあげられそうになかった。
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登場人物紹介

戦神の成聖者、リルトリア(16歳)。ミセク帝国の皇子だが、継承権は下位。


聖寵:戦場の声を聴く(身の危険を察する)

聖別:対象は武具。使用者に重さを感じさせなくする

聖奠:王権。兵たちを意識レベルから支配し、操る


創世神の1柱でもある狩猟神の成聖者、クローネス(17歳)。ファルスウッド王国の王女。


聖寵:動物の声を聴く

聖別:対象は動物。文字通り、使役する

聖奠:投擲。あらゆるモノを〝矢〟として放つ狩猟神の〝弓〟を召喚

鍛冶神の成聖者、レイド(26歳)。身分違いの恋から逃げるよう放浪中。


聖寵:鉄の声を聴く(金属強度・疲労を理解)

聖別:対象は鉄。形を自在に変える

聖奠:鍛冶場の形成。金属を切り裂く武器を生み出す

この世界の最高神でもある創造神の成聖者、シャルル(11歳)。仲間たちと破壊神の行方を追っている。


聖寵:大地の声を聴く

聖別:対象は大地。文字通り、自在に操る

聖奠:天地創造。あらゆるモノを凌駕する創造神の゛手〟を召喚

創世神1柱でもある豊穣神の成聖者、シア(22歳)。同じく、破壊神の行方を追っている。


聖寵:植物の声を聴く

聖別:対象は植物。文字通り、使役する

聖奠:水源。水を生み出す、豊穣神の〝甕〟を召喚


航海神の成聖者、ペルイ(30歳)。破壊神の行方を追う、2人の保護者。


聖寵:潮読み。波風の声を聴く

聖別:対象は船。波風を軽減する

聖奠:嵐を呼ぶ(制御はできない)

医神の成聖者、エディン(28歳)。新大陸を目指して、海上を旅している。


聖寵:往診。身体の状態を聴く

聖別:対象は医療器具。消毒、清潔に保つ

聖奠:治癒

慈愛神の成聖者、テスティア(18歳)。その力を失い、現在はただの人として働いている。


聖寵:愛の程度を聴く(他者がどれだけ神に愛されているか――その力の多寡、気配を察する)

聖別:対象は神に愛された人。神の力――聖寵、聖別、聖奠を増幅させる

聖奠:結界。愛情の深さに応じた防御壁の形成

正義神の成聖者、ジェイル(16歳)。先の戦いで謎の死を遂げている


聖寵:神託。神の声を聴く

聖別:対象は人と物。穢れを払い、加護を与える

聖奠:神の裁き。自らの行い、立場が善であればあるほど力を増す

この世界の最高神でもある、破壊神の成聖者。名前も年齢も不明。先の戦いで唯一生き延びた邪神の1柱。


聖寵:壊れる声を聴く

聖別:対象はあらゆるモノ。異形の魔物へと変える。もしくは灰燼と帰す

聖奠:あらゆるモノを打ち砕く破壊神の〝鎚〟を召喚

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