第2話 皮肉な再会
文字数 4,555文字
ファルスウッドとミセク帝国の両国は、早くも新たな火種を抱えていた。
森と共に興った前者と、戦乱と略奪の中で発展していった後者。相容れないのは、当然なのかもしれない。
これまでも、両国の間では幾度となく戦が繰り広げられてきた。
戦況も結果も変わらない。
ミセク帝国が攻め、ファルスウッドは篭城に徹する。
それが、今回に限っては珍しく違った。
いつもは一方的に攻めかける帝国側が、話し合いを求めてきたのだ。
それにファルスウッドの王女は応じた。
戦神の
話し合いの場はファルスウッドの王都クロノスに設けられた。それは歓迎を意味してではなく、帝国領から一番近かったからに過ぎない。
防衛に絶対の自信を持っているクロノスは、国防の最前線に王城を構えていた。
リルトリアがここを訪れるのは、初めてではない。
およそ半年前、世界が一つになろうとしていた時、仲間と共に歓迎を受けた。
高原に君臨する、最古の城。
果てのない緑に浮かぶ、人間の偉業。
幾星霜を経た城壁は自然と同化しており、遠目からでは森に浸食されているように映る。
――高く、高く。
周囲の木々よりも高くと造られた鉄の門扉が開かれ、リルトリアたちはクロノスの使者に従って行く。
リルトリアは戦神の成聖者に相応しい出で立ちで、謁見の間へと足を進めていた。
全身を覆うプレートアーマー。足から頭まで、余すところなく飾られている。兜と具足は独立しているようだが、見るからに重そうだ。
その上、腰に両手半剣、右腕には半身を覆う盾も身に付けている。煌びやかな装備の中で、盾だけが無骨な鉄色で目立っていた。
十六歳と未熟な体でありながら、リルトリアは難なく行進していく。優雅に、まるで武具の重さなど感じていないかのような足並み。
対して、先導する者たちは歩く度に金属音を奏でていた。
しばらくすると音色が止み、重厚な扉が開かれる。
赤い絨毯が続く先には、玉座が待っている。
病に伏した前王に代わり、その座を預かっているのは――
まだ、幼さを残した少女であるはずだった。
共にここを訪れた際は、自分が王女であることも知らなかった。森の中でひっそりと暮らしていた、自然を愛する心優しい少女。
どうやら認識を改めなければならないようだと、リルトリアは時の流れを噛みしめる。
「ようこそ、おいで下さりました」
洗練された動作で彼女は立ち上がり、長い髪が流れる。
王女でありながらも、身に纏っているドレスは機動性に優れていた。光沢はあるもののボリュームは少なく、帯状の長い布を肩に羽織っている。
まるで、ここで戦いとなっても構わないといった装い。
リルトリアは知っていた。長い布が投石に扱われることを。
いつ獣が襲って来てもいいようにと、この地に住む者は皆、似たような布を身に着けている。
「この謁見をお許しいただき、
皇子たち――兄二人が膝をつくのを待ってから、リルトリアも頭を垂れた。兜も取り、顔を晒す。
幼さが充分に残った顔立ち。飾られた宝飾品に負けない輝きを放つ金髪と碧眼は、兄二人にはなく、彼だけが有していた。
「どうか、顔をお上げになって下さい」
王女の許しを得て、頭をあげる。
遮るものがなくなった視界には、息を呑むような女性が微笑んでいた。
魅力的な膨らみをなぞる栗色の髪、理知的な柳眉、尖いながらも優しさの感じられる双眸。
かつての面影はあまりに少なかった。
「お久しぶりです、リルト」
それなのに王女――クローネスは愛称で呼んできた。懐かしい、はにかんだ笑顔を携えて。
「えぇ……お久しぶりです、ロネ」
おかげで、リルトリアは罪の意識に苛まれる。
訪問の目的――こちらの言い分を、彼女が受け入れるはずがないとわかっているから。
そう、わかっていながらも彼は止められなかった。
リルトリアの帝位継承権は低い。
それはひとえに、彼が
母親は側室どころか、侵略した土地の奴隷であった。金髪と碧眼を気に入った王が、欲望のまま孕ませたのだ。
その為、彼の王城での立場はよくなかった。
先の戦いに赴いたのも皇帝――父親から、死んでも構わないと判断されたからだ。
けど、今となっては違う。
旅の中で、リルトリアは戦神に選ばれた。
父の期待を裏切り、世界を救った英雄として帰ってきた。
皮肉にも、彼の生還を素直に喜んでくれる身内はいなかったが……。
母はリルトリアが産まれた直後に
そして、父は英雄の名声にばかり目を向けていた。
都合よく、英雄として名乗りをあげたのが二人しかいなかったからだ。
残りの仲間たちは、英雄として生きることを望まなかった。
また、英雄であることが赦されない者もいた。
全てを語りはしなかったものの、リルトリアは父に進言していた。
――この先も、他の仲間たちが英雄として名乗りを上げることはないだろうと。
その結果が、この事態を招いてしまった。
「――申し訳ございませんが、お引き取り下さいませ」
案の定、クローネスは謝絶した。話し合いの余地もない。柳眉を逆立て、冷たい眼差しで訪問者たちを見下ろしている。
彼女の相貌に気圧されながらも、長兄が口を開く。
「それは、かの森が魔物の温床となっていることを理解していながらの、発言でありますか?」
ミセク帝国側の要求は『鎮守の森』の伐採である。
――
この国は、とても豊かで広大な森を有していた。
なんせ、果てが見えない。
かつて、豊穣神が産み落としたとされる樹海は、千年以上の歴史を持つクロノスでさえ、未だ全貌を掴めていなかった。
それゆえに、この世界が原初神から切り離された『箱庭』だと主張する学者もいるほどだ。
事実、森には数多の遺物や未知の生物が確認されており、あり得ない様相と生態系を育んでいる。
――そう、あり得ない。
いくらこの森が起伏に富んでおり、山や川、湖を持っていようとも通常では考えられない『モノ』がここには存在する。
そういった『自然』の恩恵にあやかって、ファルスウッドは発展を遂げてきた。
「魔物の被害など、貴女方が与えてきたものに比べれば、微々たるものではありませんか」
顔色一つ変えず、クローネスは言い放った。
「先の戦いにおいて、私は様々な国を旅して来ました。もちろん、貴女方帝国が治める領土にも――」
最後まで語られなかった言葉が、暗に彼等の政策を責めていた。
魔物の騒動に乗じて、自国の村や街を襲い弄ぶ。
その行為に皇族が関与していたことを、クローネスもリルトリアもよく知っていた。
息を詰まらせたところから、二人の皇子の耳にも入っていたのだろう。
「そもそも、貴女方には関係のないことでしょう。この森で生まれた魔物が、貴女方の国まで進軍する可能性など、皆無に等しいのですから」
魔物は何もない空間から沸いて出るモノではない。
その正体は邪神――破壊神、死神、悪神――の聖別を受けた動植物である。
当然ながら、数多の生命を育んでいる森はそれに至る種が多い。
とはいえ、人間がベースとなった人魔や邪神の成聖者がいない限り、統率されることもなければ、好んで人里に姿を現すこともなかった。
魔物は元の種よりも凶暴で強力ではあるものの、人の手に負えない脅威にはなり得ない。
つまり、ファルスウッドにとっては森の生態系を脅かす外来種程度の認識でしかないのだ。
「私たちファルスウッドの民は、誰もが自然に殺される覚悟を持っています」
それが、自然と共に生きていくということ。
他人の土地を奪い、自然を壊し、人を殺してきたミセク帝国には、到底理解できないであろう。
「……王女は、魔物の存在をお認めになさるということですか?」
ミセク帝国側の思惑に気付いたのか、クローネスは王女らしからぬ溜息を吐いた。
――戦いを起こす大義名分。
英雄の名声を利用したくば、身勝手な略奪戦争は起こせない。
自業自得だが、ミセク帝国の評判は自国でさえ良くはなかった。
リルトリアのおかげで幾分かの権威と信頼を取り戻してはいるようだが、まだまだ敵も不満分子も多い。
「好きに取って貰って構いません。私たちは、森に害するモノを排除するまでです」
クローネスの発言を聞き届けると、二人の皇子は慇懃に頭を下げて去っていった。
「……顔を上げてください、リルト」
いつまでも膝を付いているリルトリアに、クローネスは投げかける。
「あなたが、悪いわけじゃないでしょう?」
視線だけで、クローネスは人払いをさせた。
謁見の間にいるのは英雄二人と、壮年の男――クロノス現王の弟でもあるネリオカネルだけであった。
仲間だったとはいえ、王女と敵国の皇子を二人きりにするわけにはいかないのだろう。
クローネスは子供っぽく頬を膨らませるも、ネリオカネルは微動だにしなかった。
「ですが……弱い! わたくしが強ければ……防げたはずです!」
悔しげに、リルトリアは吐露する。十六歳という年齢に見合った弱さを、彼は心の内に飼っていた。
一年もの旅で世界を渡るまで、彼は帝国の中しか知らなかった。貴族の生き方しか、知らなかった。
――父親に認められることしか、頭になかった。
自分以外の貴族が何をやっているのかも、部下である騎士たちが働いていた狼藉も、何も知らないまま――
ただ、ただ……父親の教えを守り通して生きてきた。
父の生き様とは裏腹に、その教えは正しくて真っ直ぐであった。皇帝がしてきたこととは、微塵も一致しないような教育だった。
だからこそ、リルトリアは父を断罪できないでいる。帝国の裏側を垣間見た今でも、迷いを断ち切れないでいた。
「お互い……大変ですね」
クローネスの呟きに、リルトリアはネリオカネルに目をやる。
忠臣の如く控えているものの、彼はかつて王女の暗殺を企てた首謀者。
クローネスを、森へと追いやった張本人である。
幼少期を合わせても、彼女が王城で過ごした時間は一年にも満たなかった。
それでも、王の直系として玉座を預かっている。
そこに至った理由は、血の繋がり以外見つからないと、別れる前に彼女は言っていた。
本当なら、今すぐにでも城を飛び出して会いたい人がいるはずなのに――