第6話 戦神の侵攻

文字数 2,981文字

 今までの例に漏れず、帝国の先遣隊は国境に面したエマリモ平野に陣を敷いていた。
 
 ――その数、一万。
 
 だというのに、実働隊は僅か一八名と数えるほどしかいなかった。それだけで、あの城門を破壊しろなど、無謀としか言い様がない。
 それでも決行されるのは、リルトリアが編成し、率いるからに他ならなかった。

「本当に、これだけで行くのですか?」
 
 不安に押し負けたのか、兵の一人がリルトリアに申し立てる。

「えぇ。不用意に数を増やしても、犠牲が増えるだけです」
 
 これが初めての侵略ではない。無駄に数を投資した結果がどうなるかは、歴史が提示していた。
 
 過去は、リルトリアに色々なことを教えてくれた。
 
 それにより、帝国が得意とする密集陣形(ファランクス)や騎兵隊も封印した。
 あの高所から放たれる投擲兵器は避ける以外に防ぐ術がなく、馬は森を恐れているのか、近づくと混乱してしまう。

「不安そうな顔をしなくても、大丈夫です」
 
 弱腰の兵に対して、リルトリアは存外に優しく声をかけた。
 本来なら叱咤すべき場面でそのような言葉が出たのは、負い目があるからであろう。
 
 この隊に編成された兵たちは、実に幅広かった。
 屈強な肉体から、やや頼り無さを覚える者。新米と呼べる若者から、ベテランの域に達した中年。国も人種も関係ない。
 
 判断基準は、どれだけ神に愛されているか――聖別を扱えるかどうかだけであった。
 彼等を、今から無意味な危険に晒すのだ。

「わたくしを信じ、わたくしの言葉に従ってください」
 
 リルトリアは一面の緑を見上げる。
 突如と湧く、自然の枠からはみ出した巨大な建造物を瞳に焼き付ける。
 そこへと至る一本道は、正しく地獄への道行き。
 長きに渡り、数百、数千、数万の帝国兵の血を吸ってきた――

「それでは、そろそろ行きましょうか」
 
 そう言って、少年の体には不釣り合いな重厚な兜を被る。
 誰もが、似た装いだった。全身を分厚い鉄に覆い、武器は持たず、手には半身を隠す盾。
 その重々しさは、とても満足に動けるようには見えない。
 
 ――そう、誰もが思うから帝国は強かった。

「勝利をたたえて、わが舌歌え
 苦難をいとわず 進み行かれた
 とうといわが主の みからだ支え
 救いをもたらす そのうるわしさ
 ――勝利をたたえて(パンジェ・リングァ)
 
 戦神の聖別対象は武具で、使用者にかかる負荷――重さを感じさせなくした。
 軽装歩兵と同等の機動性を持った重装歩兵。それがどれほど恐ろしいかは、説明するまでもないだろう。

「それでは、わたくしに続いてください」
 
 リルトリアは駆け出した。彼の背後に二人、その後ろには三人が続いている。それらから、数歩離れて同じ隊形――二組が並んで追随していた。
 
 まだ門は遠く、こちらからは見えない。
 
 対して、俯瞰しているクロノスは敵影を捉えているはず。
 まもなく、投擲兵器が牙を剥く。

「ほめたたえよ、力強き主を
 わが心よ、今しも目さめて
 たてごと かきならしつつ
 み名をほめまつれ――」
 
 早くも、リルトリアは聖奠(せいてん)を行使した。

「――ほめたたえよ、力強き主を(ローブ・デン・ヘレン)
 
 戦神の聖奠は大きく分けて二つ――命令権(インペリウム)支配権(アウトクラトール)である。
 そして、聖寵は〝戦場の声〟を聴く。

『敵攻撃――怯まず進め!』
 
 それは漠然とした危険を教えてくれるので、リルトリアは攻撃に対してずば抜けた回避力を有していた。
 
 そんな彼の言葉が、兵たちの頭に直接響き渡る。
 
 瞬間、鉄影が左翼を走る兵の頭上を過ぎった。
 正体はバリスタの矢――投擲兵器の中では、群を抜いて命中精度が高い。
 それを見て、リルトリアは自分の身の安全を確信する。

『右翼減速――左翼の後方へ』
 
 後ろからの轟音をかき消すように、リルトリアの命令が兵の頭を埋め尽くす。右翼が命令に従うと、予定進行上に巨大な矢が突き刺さった。

『――隊列に戻れ!』
 
 密集すればするほど的に成り下がるので、すぐさま体勢を整えさせる。
 リルトリアの作戦は単純だった。
 
 ――敵攻撃を避けながら進む。
 
 もう少し近づけば雨のように弓矢が襲ってくるだろうが、そちらは怯まずに押し進む気でいた。
 バリスタ以外はわざわざ避ける必要ない。

「ほめたたえよ、救いのみ神よ
 そのみ手には 常に備えあり
 なやめる われを導く
 恵みかぎりなし――」
 
 死を刻む矢が、幾度となく両翼を襲う。
 リルトリアは命令権(インぺリウム)だけでなく、支配権(アウトクラトール)も行使して兵たちを必死で逃がす。
 
 この少数編成は、リルトリアの力不足が招いたものであった。動かすのは、この規模が限界だったのだ。
 
 詰まるところ、戦神の聖奠は兵を自分の手足のように動かすことである。
 しかし、どれだけ手足が増えようとも頭は一つしかない。
 
 避けながら進むという単純な行動でも、たったの一八名。安全性を無視すればもう少し水増し可能だが、リルトリアは良しとしなかった。
 
 これが世界の命運を決める戦い――民を救う神聖なものならばともかく、こんな下らない争いで兵を死なせるのが許せなかったからだ。
 
 ――そう、下らない。
 
 なのに、リルトリアには止められなかった。
 兵を死なせたくないというのは、彼なりの反抗である。

『――盾を掲げろ! 怯むな! 突き進め!』
 
 太陽を遮るほどの影。これを前にしては無茶な命令――自覚があったリルトリアは、聖奠で強制的に兵の肉体を動かす。
 衝撃が体中を駆け巡るも、立ち止まらない。
 さすがに歩みは鈍くなるも、足は止められない。矢が驟雨(しゅうう)さながら襲いかかる中を、リルトリアは強引に押し歩く。
 
 ――怯むものか!
 
 鉄の雨など、避けるに値しない。そんなものに足を取られていては、鉄の雷鳴に打ち抜かれる。
 
 ――自分は決して狙われはしないのだから!
 
 視界が影に覆われた今、信じるべきは戦場の声――リルトリアは愚直過ぎるほど聖寵に耳を傾け、確実に歩を進めていた。
 クロノスは城壁の高さゆえに、接近すればバリスタを扱えない。城門まで辿り着ければ、とりあえずの難は逃れられる。
 
 とはいえ、それで門を破壊できるわけではない。
 手元に武器はなく、あったとしても鉄の門扉を相手にするには力不足。人の手で振るう武器で壊そうと思ったら、果てしない労力と時間が必要となる。
 
 それぐらい、リルトリアにもわかっている。
 わかっていながら、彼は攻めていた。秘策でもあるのか、足取りに迷いは感じられない。

 付き従う兵たちも同じだ。
 既に聖奠による支配権は解かれていた。身を持って体験したおかげか、もう矢に怖気づく者は見当たらない。
 
 ――果たして、勇敢な行進は唐突に終わった。
 
 容赦なく、呆気なく打ち砕かれた。
 誰もが逃げろという〝声〟を聴いていたのに――リルトリアたちは、不可視の〝投擲〟に吹き飛ばされた。
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登場人物紹介

戦神の成聖者、リルトリア(16歳)。ミセク帝国の皇子だが、継承権は下位。


聖寵:戦場の声を聴く(身の危険を察する)

聖別:対象は武具。使用者に重さを感じさせなくする

聖奠:王権。兵たちを意識レベルから支配し、操る


創世神の1柱でもある狩猟神の成聖者、クローネス(17歳)。ファルスウッド王国の王女。


聖寵:動物の声を聴く

聖別:対象は動物。文字通り、使役する

聖奠:投擲。あらゆるモノを〝矢〟として放つ狩猟神の〝弓〟を召喚

鍛冶神の成聖者、レイド(26歳)。身分違いの恋から逃げるよう放浪中。


聖寵:鉄の声を聴く(金属強度・疲労を理解)

聖別:対象は鉄。形を自在に変える

聖奠:鍛冶場の形成。金属を切り裂く武器を生み出す

この世界の最高神でもある創造神の成聖者、シャルル(11歳)。仲間たちと破壊神の行方を追っている。


聖寵:大地の声を聴く

聖別:対象は大地。文字通り、自在に操る

聖奠:天地創造。あらゆるモノを凌駕する創造神の゛手〟を召喚

創世神1柱でもある豊穣神の成聖者、シア(22歳)。同じく、破壊神の行方を追っている。


聖寵:植物の声を聴く

聖別:対象は植物。文字通り、使役する

聖奠:水源。水を生み出す、豊穣神の〝甕〟を召喚


航海神の成聖者、ペルイ(30歳)。破壊神の行方を追う、2人の保護者。


聖寵:潮読み。波風の声を聴く

聖別:対象は船。波風を軽減する

聖奠:嵐を呼ぶ(制御はできない)

医神の成聖者、エディン(28歳)。新大陸を目指して、海上を旅している。


聖寵:往診。身体の状態を聴く

聖別:対象は医療器具。消毒、清潔に保つ

聖奠:治癒

慈愛神の成聖者、テスティア(18歳)。その力を失い、現在はただの人として働いている。


聖寵:愛の程度を聴く(他者がどれだけ神に愛されているか――その力の多寡、気配を察する)

聖別:対象は神に愛された人。神の力――聖寵、聖別、聖奠を増幅させる

聖奠:結界。愛情の深さに応じた防御壁の形成

正義神の成聖者、ジェイル(16歳)。先の戦いで謎の死を遂げている


聖寵:神託。神の声を聴く

聖別:対象は人と物。穢れを払い、加護を与える

聖奠:神の裁き。自らの行い、立場が善であればあるほど力を増す

この世界の最高神でもある、破壊神の成聖者。名前も年齢も不明。先の戦いで唯一生き延びた邪神の1柱。


聖寵:壊れる声を聴く

聖別:対象はあらゆるモノ。異形の魔物へと変える。もしくは灰燼と帰す

聖奠:あらゆるモノを打ち砕く破壊神の〝鎚〟を召喚

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