第4話 英雄たちのその後
文字数 5,085文字
医神の成聖者であるエディンは贖罪。
彼女は弟が犯した罪――生者だけでなく、死者をも傷つけた――を償おうとしていた。
彼女にとって、先の戦いは身内の犯罪の後始末に過ぎない。
だからこそ、自分が英雄である自覚もなければ、その資格もないと思っている。
そんな彼女は今、新大陸を探している海の民たちと行動を共にしていた。
新しい土地が見つかれば、人間同士の争いもなくなるだろうと淡い夢を抱いて――
彼女は、一生を医術に捧げるつもりでいた。
航海神の成聖者ペルイは、そもそも英雄の柄ではなかった。
彼は〝海の民〟と呼ばれている、ミセク帝国やファルスウッドとは別大陸の住民である。
元は遥か北、大海原を渡った先で漁師をやっていた身分。それが海賊に襲われ漂流し、豊穣神の成聖者であるシアに助けられた。
そこからは、なし崩しである。
彼は女、子供が命を張って戦っているのを、黙って見ていられるような人間ではなかった。
そんなシアが英雄と名乗らない理由は至極単純、ペルイが名乗らないからである。
シアは、少しばかり頭が残念だった。
三十歳になるペルイを捕まえて王子様と称するような残念さ。精神年齢もかなり低く、二十二になっても夢見がちで
だが、それは彼女自身の
シアは捨てられた――彼女の村の言い分では精霊に返された――子供である。
ファルスウッドの先住民であり、クロノスの始祖とされている〝森の民〟。
彼等は自然を緊要とするあまり、常に人口過多に悩まされていた。集落を広げようにも、森林の伐採や開拓を許容できなかったのだ。
となれば、人を間引くしか方法がないのは明白である。
そこで選ばれるのが、穀潰しの
ただ、彼等はそれを正当化するだけでは飽き足らず、神聖なモノにしてしまった。
結果、親は容易く子供を捨てるようになり、気付けば、人口調整でなく個人的な理由で放棄される子供のほうが多くなっていた。
シアもその一人だ。
彼女は六歳の時に、精霊へ返すという名目で森の奥深くに取り残された。
本来なら、そこで死ぬ運命だった。大人ならまだしも、子供が一人で生きていけるほど、森は優しくない。
始終、獣の気配に注意していなければ、あっけなく殺されてしまう。豊富な実りがあるものの、有毒性の見極めができなければ、たちまち中毒死に至る。
しかし幸か不幸か、彼女には〝植物の声〟が聴けた。それも、一方的でない意思疎通。危険も安全も、全て植物たちが教えてくれる。
そうして、彼女は生き延びた――思考能力を犠牲にして。
なんでもかんでも植物が教えてしまうので、自分一人で深く考えることを学ばなかったのだ。
おかげで、彼女が豊穣神の成聖者だと気づくには、多大な時間を浪費してしまった。
――わたし、お花さんとお話ができるの~。
こんな風に、のほほんと言い放つものだから、信じなかった者たちを責めるわけにもいかない。
いくら植物の声を完璧に聴けたとしても、彼女の会話能力が欠陥だらけでは証明のしようがないという……。
そして、創造神の成聖者シャルルは親から逃げだした家出少女であった。
御年、十一歳。
シャルルは産まれた時から、永貞童女として崇められていた。
娯楽も何も知らない、全てを親に支配された毎日。
親の目的は金儲けで、シャルルは神に選ばれる前から成聖者として祀られていた。
皮肉にも、偽物が本物になったのだ。
本人は望んでいない、恨んでしかいない神からのギフト。
シャルルは子供ながらに、それを対価だと思っていた。これまで、苦労した分の報酬。それを受け取る権利があるのは、自分だけだと。
少女の決定を仲間たちは尊重したが、問題が一つ。
どう見ても、シャルルは年端もいかない子供だった。一人で旅をしていれば、目立って仕方がない。
かといって、レイドやエディンに同行するのは過酷で教育上もよろしくなかった。
すると、シアが同行を申し出て、
――じゃぁ、わたしが一緒にいるね。
悲しくも、仲間たちの不安はより一層加速された。
見た目はともかくとして、実情は世間知らずな子供が二人。
しかも共に女で、戦闘能力の全てを〝神の力〟に依存している。
安全面からしても、絶対に保護者が必要だと――
傍から見れば、仲睦まじい親子連れ。
戦士のような屈強な肉体に、逞しさを増強させる褐色の肌。天然の白髪を逆立たせ、肌を存分に晒した軽装の父親。
無数の草花を飾った長い栗色の髪。毛先に至るまで緩いウェーブを描いており、全体的に柔らかな印象を与える。
表情もにこにこと、長いスカートの裾を揺らしながら軽快な足取りの母親。
そして、元気爛漫な娘。
乱雑に切られているのか、肩に触れている毛先はギザギザ。服装も太ももを隠せない丈のズボンに、装飾のない上衣。
首からロザリオをぶら下げているも、鉄色といい大きさといい、女の子らしさはないに等しい。
それでいて、将来が楽しみなほど顔立ちが整っているものだから、通り過ぎた人々は驚嘆した様子で振り返っている。
そういった微笑ましい後ろ姿とは裏腹に、男の顔はげんなりとしていた。
「あー! ペルイさん、あれ可愛い~」
女性が男の腕を掴むと、
「ペルイ! あれ、おいしそう!」
少女も対抗してか、反対側の手を引っ張る。
瞬間、男の体がズレる。それを阻止しようとしてか、女性が男性の腕にしがみつく――人の行き交う往来で。
消去法だけで保護者に選ばれたペルイは、うんざりしていた。
右を向けば、真剣な面持ちのシア。恥じらいがないのか自覚がないのか、両腕でペルイの右腕を抱き寄せている。
左……下に目線を落とすと、悪戯っぽく歯を見せて笑っているシャルル。
こちらは自覚があるぶん、シアよりはマシかもしれない。
「あっれー? なんか急に重くなった。なんでだろう? 何か重たいモノでもくっついてるのかなぁ~?」
――いや、少しは自嘲しろ……。
ペルイの気持ちなど露知らず、シャルルは挑発する。
「おもっ!? おもっ……! うっ、そんな重くないもん!」
本気で傷ついた音色で、シアは叫ぶ。
子供の冗談にいちいち反応するなと思いながらも、ペルイの口は重く閉ざされている。
とにかく、周囲の目線が辛かった。最初の内は温かい眼差しを向けられていたのに、今では謝りたくなるほどに冷たい。
「あ! そっか~。テティと違って、ないもんね」
「そっ! そんなことないもん! 少しはあるもんっ!」
「え~、だったらもう少し嬉しそうな顔するんじゃない?」
――黙ってりゃぁ、これだ。
二人して、ペルイに意見を求める。シャルルはにやにやと、シアは縋るように……これは、どう答えるのが正解なんだ?
無意識に周囲を見渡すも……いない。
馬鹿なノリで場をかっさらってくれるジェイルも、大人な意見で窘めてくれるエディンも、一緒に困惑してくれるレイドも、自分以上に弄りがいのあるリルトリアも、的外れな見解を述べるクローネスも、火に油を注ぐテスティアも……誰もいない。
寂しさが胸を衝くも、ペルイは押し留める。保護者である自分が、後悔を見せるわけにはいかなかった。
特に、シャルルとシアは先の戦いで負い目を感じている。
――二人だけが、神託通りに動けなかったのだ。
シアは死神の成聖者と相対せず、感情のままシャルルの元に駆けつけた。
そうして、創世神が二柱も揃っていたにもかかわらず、破壊神の成聖者を取り逃がしてしまった。
だから、今も放浪している。色々な理由を付けているも、二人の目的は破壊神の成聖者――先の戦いの後始末だ。
「おまえら。少しは恥じらいとか、品性ってやつを身につけたらどうだ?」
ペルイは自分なりに答えを出すも、
「自分でもよくわかってないもんを求めんなよ!」
「つまり、わたしには恥じらいも品性もないということですかぁ?」
どうやら逆効果だったようだ。
二人はいっそう騒ぎ出し、
「だーっ! いちいち、やかましいっ」
ついには、ペルイまでもが大声を上げ始める。
「いいか! おまえらの礼儀がなってなくて怒られるのは、俺なんだぞ?」
「えー、ロネはそんなことで怒んないってば」
「そうですよぉ、ロネは凄く優しいです」
「おまえらに対してはな」
二人の言う通り、クローネスは優しい。が、その生き方からして、尋常ではない厳しさも併せ持っている。
動物たちにとって狩猟神は〈親〉に等しい存在であり、成聖者のクローネスは彼等の言葉が聴けた。
それでも、代理人のクローネスは人間でしかない。それも王族ともなれば、動物を殺さずして、生きていくことはできなかった。
民を生かす為には、どうしたって数多の動物〈子〉たちに、犠牲を強いらなければならない。
その板挟みは、想像するだけで嫌になる。
とてもじゃないが、自分には耐えられないとペルイは思う。
意思疎通ができなくとも、動物の断末魔や悲痛な鳴き声は堪えるのだ。
それを、クローネスは立派に割り切っている。
曰く、動物をいたぶるのだけは許さないらしいが、そこは同意なので綺麗事だとも思わない。
だからこそ、レイドと惹かれあったのだろう。動物と人間を同列に扱うのは乱暴かもしれないが、共に殺すことは否定していなかった。
――ただ、いたぶるのだけは許さない。
理想だけが先行していた、ジェイルやリルトリアとはよく揉めていたものだと、ペルイは思い出し笑いをする。
その流れでふと過り、
「なぁ。もし、ジェイルが生きていたら、どうしたと思う?」
そのまま口にした。
「そりゃ、空気も読まずに止めたんじゃない? あの正義バカならさ」
――争いは何も生まない! 仲間同士、話し合えばわかる! と、シャルルが口真似する。
「だねぇ。ジェイルがいれば、リルトもこんなバカな真似はしなくて済んだのに」
「やっぱ……そうか」
「なんだよ、その言い方は?」
歯切れの悪い物言いに、シャルルが文句をつけてきた。
「いや、なんつーか……あれだ。やっぱジェイルの野郎は、そういう風に見られてたんだなって不憫に思っただけだ」
――正義バカ。
シャルルたちに揶揄した気持ちは一切ないだろう。
ジェイルの第一印象は間違いなく、ソレに近いものになる。彼は正義心が強いとかいう問題ではなかった。
けど、それは持たざるを得なかったものだと、ペルイは今更ながらに思う。もしかすると、クローネス以上に
証するように彼はここにおらず、人々は彼の死に疑問を抱いている。
たとえそうだったとしても、ペルイにはその推測を口にする気にはなれなかった。
――もう、過ぎてしまったことだ。
ジェイルは死んだ。気づくのが、遅すぎたのだ。
もう、英雄として弔ってやる以外……彼にしてやれることはない。
わざわざ人々の疑問を晴らしてやる義理というものは、ペルイは持っていなかった。
「ん? どういう意味だよ?」
「シャルル~。たぶんだけどぉ、正義バカって褒めてないよね?」
今の自分は、シャルルとシアの保護者なのだ。仲間の為なら、真実なんてどうだっていい。
二人が破壊神の聖成者を逃がした経緯など、知ったことじゃない。誰も知らなくていいし、誰にも責めさせるつもりもない。
それでも、ペルイ自身は恨んでいた。
世界の平和などという大それたことを、女子供に押し付けた神々を――