第23話 アメイジング・グレイス

文字数 3,081文字

 膨れ上がった皇子たちの兵数は十万にも及んでいた。
 それが、たった二万の寡兵(かへい)に圧倒される。
 
 本来、師団単位で行う陸地戦において騎兵は役に立たない。馬の脚はそれほど丈夫ではなく、重装備で固めた人間を蹴り倒せば、すぐに折れてしまうからだ。
 奇襲やここぞという時に投入するのならともかく、正面から軍勢に特攻するのは自殺行為としか言いようがない。
 
 なのに、皇帝の騎兵は止まらなかった。
 三百に及ぶ密集隊形さえ食い破り、颯爽と駆け抜ける。
 
 ――こんなのは、決して馬ではない。
 
 勇敢な兵士の槍が、馬の前脚を斬りつける。
 と、乗っていた兵は飛び降り、馬は立ち上がった――二本の後ろ脚で。
 
 ――こんなのが馬のはずがない……! 
 
 そう、叫び出したい兵士の頭を馬の前脚――手が掴み、放り投げる。肥大化した蹄は、さながら四足獣の爪であった。
 
 蹂躙される第三皇子の軍勢を見て、第一、第二皇子に躊躇いの色が浮かぶ。
 
 ――これは包囲してどうにかなるものなのか? そもそも、包囲できるものなのかと。
 
 趨勢(すうせい)が、まったく読めなかった。地鳴りと砂嵐に感覚は抑えこまれ、兵たちの叫喚に神経を掻き立たされる。
 
 このような状況で、冷静になりようがない。
 一旦退くか……見透かしたかのように、上空から無数の影が急襲してきた。

「……これは魔物!?」 
 
 ここで初めて、指揮官は魔物の存在に気付いた。
 鳥にしてはあまりに醜い。狂ったように鳴き、降り注いでくる。嘴が重たいのか、下降というよりも落下しているようにしか見えない。

「くそっ! どういうことだ? リルトリア! リルトリアぁぁぁっ!」
 
 遠くから蝟集(いしゅう)してくる魔物の群れに、軍勢は悲鳴を上げた。

 


 破壊神の存在を認めたリルトリアは、選択を迫られていた。
 彼は知っている。創世神に人神が敵う道理はないと。
 次元の違い、絶望的な力の差を思い知っている。
 
 だからといって、傍観に徹していられるほど、リルトリアは物わかりが良くはなかった。
 
 現状は破壊神というよりも、混乱による被害だ。
 魔物は、確かに強い。
 しかも、人と同じように統率され、武具を手にしている。
 
 だとしても、決して倒せない相手ではない。

「どうか、わたくしに続いてください――」
 
 あえて、聖奠は使わなかった。
 振り返ることなく、リルトリアは駆け走る。
 
 すると、戦神の背中を追う鉄の足踏み。何人かはわからないが、確実にいる。
 それが、リルトリアに勇気をくれた。

「ジェイル、どうか力を貸してください――」
 
 心の内で、正義神の聖奠を口ずさむ。

「――慈悲深き神の恩寵(アメイジング・グレイス)
 
 何かが変わるわけではないが、口に出さずにはいられなかった。
 彼はいつも、こういった状況でこそ力を発揮していたからか、縋りたくなったのかもしれない。

「――来ます」
 
 少数だが、騎兵が向かってくる。人の身で、受け止められるものではない。

「ほめたたえよ、救いのみ神を
 そのみ手には 常に備えあり
 なやめる われを導く
 恵みかぎりなし――」
 
 絶妙のタイミングでかわし、一斉にハルバードを叩きつけるも……硬い!?
 おそらく、こちらと同等の装備。相手の速度を利用したにもかかわらず、鎧に刃が弾かれた。

「くっ……!」
 
 間髪入れず、別の騎兵部隊。
 上空からも、飛空部隊が近づいてくる。
 
 まともに当てたところで、倒せなかったのはマズイ。
 攻撃が効かないとなると、どうしても不安を覚えてしまう。負の感情は伝達が早く、このままでは士気にも影響を及ぼし兼ねない。
 そんなリルトリアの動揺を裏切るように、後方から馬の悲鳴が響いた。
 しかし、振り返る余裕はない。
 正面から騎兵、上空から――
 
 その時、炎が奔った。
 
 魔物の翼を焼き、無数の剣が降り注ぐ。刃は燃えたまま地面に突き刺さり……リルトリアは迷わず手に取った。指示を待たずして、兵たちも続く。
 燃え盛る炎から生まれる武器を見れば、説明など不要であった。

「盾も武器もなく 友もいない
 小さい私をも 守ってください
 ひとつの願いが 胸に燃える
 終わりの時まで 主に従おう」
 
 耳に届く旋律に喜びを感じながら、リルトリアは剣を振るう。

「胸と唇に 炎が燃え
 敵のため祈り、眠りにつく――」
 
 確かな手応え――馬の……魔物の首が地面に転がる。他の者たちも続いたのか、喝采といななきが入り混じる。

「――盾も武器もなく(フルオブパワー・アンド・グレイス)
 
 鍛冶において、鉄と炎は決して切り離すことはできない。
 さすれば、その神とされる聖奠は炎を支配してしかり。
 
 目に映る全てが、彼の鍛冶場となる。
 
 火炉(ほど)に選ばれた空間は灼熱を誇り、金属の(いただき)へと望む武器をこの世に顕現していく。
 その身に宿りし炎が燃え尽きるまで――鍛冶神の刃は、あらゆる金属を切り裂いてみせる。

「レイドさん!」
 
 一人の兵士が兜を脱ぎ捨て、鉄色の長い髪が風になびく。

「話はあとだ。とにかく、混乱を鎮めるぞ」
「はいっ!」
 
 元気よく、リルトリアは返事をした。嬉しくて仕方がないのだ。

「おまえの聖奠で、どうにかできないか?」
 
 魔物を切り払いながら、レイドは提案する。

「この人数をですか?」
「あぁ。ここにいる兵たちは、多くが戦神を奉じているだろ?」
 
 鍛冶神の炎が騎兵の隊列を乱す。戦神の采配で退路を断ち――払う。

「必要なら、オレたちでおまえを守る」
「わかりました、やってみます!」
 
 リルトリアは足を止めた。周囲をレイドと兵士が囲む。

「ほめたたえよ、力強き主を
 わが心よ、今しも目さめて
 たてごと かきならしつつ
 み名をほめまつれ――」
 
 ――命令権(インペリウム)
 まず、自らを守る兵たちに言葉を送る。

「ほめたたえよ、救いのみ神を
 そのみ手には 常に備えあり
 なやめる われを導く
 恵みかぎりなし――」
 
 ――次に支配権(アウトクラトール)
 身体はそのままで、口だけを強制的に動かして歌わせる。

「ほめたたえよ、王なるみ神を
 ゆだねまつる わが身をはげまし
 みつばさ 伸べたもう主の
 みわざたぐいなし――」
 
 ――そして、王権(インペラトル)
 全てを支配して、混乱を掻き消す。

「――ほめたたえよ、力強き主を(ローブ・デン・ヘレン)!」
 
 声が輪唱していく。
 まず、リルトリアの翼下――およそ五千の兵たちの歌声。

 続いて、彼等の声を聞いた周辺の部隊、次々と広がっていく。
 誰もが意識せず、戦神の調べに言葉を乗せていた。
 
 果たして、気付いた時には混乱も恐怖も残っていなかった。
 
 兵士としての本能か――彼等は一斉に(とき)の声を上げ始める。それもまた、繋がっていく。
 まだまだ、兵力は残っていた。
 命令さえあれば、いくらでも戦える。

「――これより、鍛冶神の加護が参る。それまで各自、持ち応えよ!」
 
 その言葉は、何よりも力を与えた。
 英雄がもう一人いる。助けてくれる。
 だったら、頑張るしかない。持ち応えてみせる。
 
 ――彼等は希望を手に入れた。
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登場人物紹介

戦神の成聖者、リルトリア(16歳)。ミセク帝国の皇子だが、継承権は下位。


聖寵:戦場の声を聴く(身の危険を察する)

聖別:対象は武具。使用者に重さを感じさせなくする

聖奠:王権。兵たちを意識レベルから支配し、操る


創世神の1柱でもある狩猟神の成聖者、クローネス(17歳)。ファルスウッド王国の王女。


聖寵:動物の声を聴く

聖別:対象は動物。文字通り、使役する

聖奠:投擲。あらゆるモノを〝矢〟として放つ狩猟神の〝弓〟を召喚

鍛冶神の成聖者、レイド(26歳)。身分違いの恋から逃げるよう放浪中。


聖寵:鉄の声を聴く(金属強度・疲労を理解)

聖別:対象は鉄。形を自在に変える

聖奠:鍛冶場の形成。金属を切り裂く武器を生み出す

この世界の最高神でもある創造神の成聖者、シャルル(11歳)。仲間たちと破壊神の行方を追っている。


聖寵:大地の声を聴く

聖別:対象は大地。文字通り、自在に操る

聖奠:天地創造。あらゆるモノを凌駕する創造神の゛手〟を召喚

創世神1柱でもある豊穣神の成聖者、シア(22歳)。同じく、破壊神の行方を追っている。


聖寵:植物の声を聴く

聖別:対象は植物。文字通り、使役する

聖奠:水源。水を生み出す、豊穣神の〝甕〟を召喚


航海神の成聖者、ペルイ(30歳)。破壊神の行方を追う、2人の保護者。


聖寵:潮読み。波風の声を聴く

聖別:対象は船。波風を軽減する

聖奠:嵐を呼ぶ(制御はできない)

医神の成聖者、エディン(28歳)。新大陸を目指して、海上を旅している。


聖寵:往診。身体の状態を聴く

聖別:対象は医療器具。消毒、清潔に保つ

聖奠:治癒

慈愛神の成聖者、テスティア(18歳)。その力を失い、現在はただの人として働いている。


聖寵:愛の程度を聴く(他者がどれだけ神に愛されているか――その力の多寡、気配を察する)

聖別:対象は神に愛された人。神の力――聖寵、聖別、聖奠を増幅させる

聖奠:結界。愛情の深さに応じた防御壁の形成

正義神の成聖者、ジェイル(16歳)。先の戦いで謎の死を遂げている


聖寵:神託。神の声を聴く

聖別:対象は人と物。穢れを払い、加護を与える

聖奠:神の裁き。自らの行い、立場が善であればあるほど力を増す

この世界の最高神でもある、破壊神の成聖者。名前も年齢も不明。先の戦いで唯一生き延びた邪神の1柱。


聖寵:壊れる声を聴く

聖別:対象はあらゆるモノ。異形の魔物へと変える。もしくは灰燼と帰す

聖奠:あらゆるモノを打ち砕く破壊神の〝鎚〟を召喚

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