20 遺した物、残された者

文字数 12,351文字

鋭い光粒が弾けて広がる。
爆発の衝撃を右手だけで支えるのは初めてだった。
その反動で大きく上に持っていかれながらも、なんとか次の的へ照準を合わせる。
再び、破裂音が耳を貫いた。
セバスチャンを狙った男と、それに気づきフォローに入ろうとした男が死んだ。
視界の左辺から誰かが僕へ近づいてくる。
…撃った。
銃声の方向に気がついて、僕のいる2階のテラス付近へフラッシュライトが集まる。
僕の目は暗闇でも十分見える。
だからライトを合わせられるとむしろ頭が割れてしまう。
光が収束する前に、光源を全部撃ち抜いた。

…僕へ集まる光は、そして一つも無くなった。

刹那、僕は夜の闇に飲まれそうになる。
歯を食いしばった。
きっとこれこそ、あの時彼が言った言葉…。
この歪んだ世界で生き、そして生かすための”覚悟”。

『エレン。人間は何度だって変われる。』

そうだねマックス。
今の僕には、”志”がある。
だから昔の僕とは…もう違うんだ。

拳銃を腰にしまい、1階へ飛び降りる。
左腕が使えない故重心が右に寄ってしまったが、なんとか骨と筋肉がその衝撃を吸収した。
念の為左右を伺いながら、パーテーションで区切られた大部屋へと向かう。

>>バチバチッ

その瞬間、店の電気が復旧した。
鋭い痛みが眼球を抉る前に、右腕で両目を覆う。
そしてそんな僕の姿を見て、まるで化け物でも見たかのように彼は叫んだ。
「オリバー!?どうしてお前がここにいる!まさかお前が…」
「怪我はしてないか。」
「…何?」
「無事かと聞いてるんだ。」
彼は人質を一瞥する。
「あ…あぁ、まだ彼らは何もされてない。多分…」
「違う、あんたのことだよ。」
「お…俺のことは別にいい。それより今電気がついたってことは、まだ奥に押し入りが…」
「車に残っていた奴ならもう死んでる。それにここ一帯のブレーカーは落ちてから7分で自動復旧するシステムだ。あんただってよく知ってるはずだろ。」
「”死んでる”って… お前…。」
光に目がようやく馴染んできた。
僕は途中で拾ったサバイバルナイフを口に咥え、右手を使いながら人質たちを縛る縄を一つずつ解いていく。
セバスチャンは、ただ呆然とその様を眺めているだけだった。

「Puis-je emprunter votre téléphone cellulaire?」

僕はカタコトのフランス語で女性に問いかけた。
彼女は一瞬戸惑いながらも頷いて、店の奥へと駆け出していく。

「さっきの銃声は全部、お前なのか。」

セバスチャンが、押し殺したような声で聞いた。

「だったら何。」
体の震えを冷徹さで誤魔化し、僕は言い放つ。
「”何”?一体何人殺したと思ってるんだ!ガキのくせに、銃なんて…」

「ふん、人間もどき(designer-baby)に説教する気?それに結局無駄な騒ぎを起こしただけのあんたよりかは、僕の方がよっぽどマシだ。」

「なんだと?」

「自分が死にたいからと、彼らの命まで利用して何も感じなかったのか?そんなことで…」

「わかったような口を聞くなっ!!」

僕も言い返そうとして、はっとした。
少女が、じっと僕たちのことを見つめている。
その純朴な視線は、まるで分厚い言語の壁すら容易く見透かしているようだった。

「…場所を変えよう。あんたの思う通り、ここは良い雰囲気じゃない。」

僕は後ろの死体を振り返って言う。
女性が戻ってきた。
僕の元へ、小さなハンディフォンを握って駆け寄る。
何か早口で、彼女は言った。
うまく聞き取れなかったが、

「Merci beaucoup.」

簡単に礼を言って受け取った。

「場所?そんなの…」

「さっきのモーテルだよ。あんたとは…ちゃんと話し合う必要がありそうだから。」

*************************************************

モーテルは、さっきここを通った時以上に深い闇で包まれていた。
無意識に左腕で部屋の照明スイッチを探そうとする。
…そういえばびくともしないんだっけな。
改めて右手で、部屋の電気をつけた。
僕はセバスチャンを助けにいく前、自分の荷物をここに置いてきていた。
でも触られたりはしていないようだ。
ふぅ…と一呼吸を置いて、僕は雑にシワのついたベッドへ腰かける。
そして彼が部屋に入ってくるや否や、持っていた拳銃を彼へと向けた。

「銃を…渡してもらおう。」

セバスチャンは僕の動きを見ても一切驚く気配がなかった。
それどころか、水分の抜けたような声で呟く。

「引き金を引けないことくらい、もう全部お見通しなんだろ。…無駄なことだ。」

「さっきは撃たれたよ。」

「あれは…すまなかった。」

「それに死なれても困る。」

「ほぉ…自殺か。できたらとっくにやってるさ。」

細目で笑う彼の表情を見て、僕は拳銃を腰へ戻した。

「…いつからだ?」

彼のぶっきらぼうな問いかけに、続いて僕も目を細める。

「…なに?」

「どこまで知ってる。」

今更とぼける気にもならなかった。

「あんたのことを…か。」

「…そうだ。」

僕は窓の外へ目をやった。
夜の深さが薄らに僕らを映し出す。
左腕をだらんと垂らし、身だしなみもボロボロになったその様はただただ見苦しい。
僕は逃避するかのように目を閉じ、そしてこれまでのことに頭を巡らせる。

「発端は、燃え盛るビルの中にいたあんたと連絡を取ろうとした時だった。」

「…フランクフルト?」

「そう。僕はあんたの持つMPSバッジの個体識別番号を知るため、その配給元のサーバーへ侵入した。」
セバスチャンは鼻で笑う。
「…お得意のな。」
僕は無視して続ける。
「僕は元々識別番号だけ確認するつもりだった。でもバッジの支給日が番号と同列に記載されていたんだ。驚いたよ…たったの4週間前とは。」
識別番号はバッジ単位で異なる。
そのバッジがつい最近手渡されたものであるとしたら、原因となる選択肢はそう多くない。
「ただ…失くしただけかもしれないだろ。」
「確かに、あんたはフランクフルトで意図的にバッジを捨てたね。あの時は焦ったな。突然更新が途絶えたんだから。」


『セバスチャン?大丈夫か!セバスチャン!』


「でもそれはもうあの時点でバッジを持つ必要が無くなったからだよね。部外者の僕にすら位置が追えるようなものを、あんたが不注意で失くすとはとても思えない。仮に意図的に捨てたのだとして、それなら4週間前に突然再発行する理由がない。」
「…ふん。」
また彼は鼻で笑った。
「いずれにせよ…あんたはごく最近になって警察へ異動してきた可能性が高いということになる。転職先として警察官はメジャーじゃないし、年齢も年齢だ。僕はこの事実を知って、あんたは何かしら特別な事情を抱えているのかもしれないと思った。このご時世で警官に職を変える筆頭は…いわゆる軍人だからね。」
「…軍人だと思っていたなら、何故俺の同行を許した?」
今度は僕が鼻で笑う。
「許した?あんたが無理矢理ついてきたんだろ。よく言うよ。」
「…そうだったかもな。」
「正直、あの時点では憶測の部分が多かったから、何も確信は無かったんだ。ただあんたはあの時ついた僕の嘘を見抜いていたね。その上で、ついてくると言った。」


『家族が、人質に取られている。』


「あれは別にあんたを騙すためについた嘘じゃない。僕の言葉にあんたがどう対応するのか、見たかったんだ。」
「…生意気だな。」
「そうだね。あんたはそんな生意気な青年を補導するという社会的責任を放棄した。テロリストの家族はどうなるのか知ってるよね?処刑だよ。目の前で警官があんなこと言われたら、嘘でももっとすべきことがあるはずだ。…でも、あんたはしなかった。それどころか見逃すわけでもなく、同行を選んだ。あんたの”戦士”としての嗅覚が目覚めたのかもな。僕は直感的に思った。あんたはどこかで”死”を、志向していると。」
「…それだけか?」
「ルクセンブルクで出会ったあんたの友人は、腕章を見る限り士官だったね。そんなエリートと戦友であるあんたが、アーヘンで核の揺れに気づけなかった。つまりあんたは核が落ちない数限られた地域でのみ戦時中作戦を遂行していたということになる。そんなことができるのは…暗殺専門の、隠密部隊だけだ。」
「……。」
「あんたが人を撃てないかもしれないと知った時、初めはそれが戦闘中に起きた何かしらの出来事のせいだと思った。でも話をしていくうちに、あんたにはちゃんと戦う理由があったとわかって…その時僕は、ふとある2ヶ月前の事件のことを思い出した。」
「…もうやめろ。」

彼が静かに、はっきりとそう言った。

…やはりそうだったか。

おぞましい。
この世界は、本当に。

「…少しだけ、僕の話をしてもいいかな。」
「黙れって言っても、どうせ喋るんだろ。」
「まさかそれをあんたに言われるとはね。」
「…ふん。」

僕は黄ばんだ天井を見上げた。
これが”生活感”というものか。
高度に理屈化された世界で長く暮らしてきた僕にとって、こんな感覚を心のどこかで憧れていた。
もっと違った形で…出会えたらよかったのに。

「4ヶ月前まで、僕はずっと宙にいた。」
「…何故。」
「この世界を見守るためだ。…小さな方舟の中から。」
「あそこに、いたのか?」
「リュジーで僕が人造人間だって話はしたね。僕は、ネメシスを建造するために作られたんだ。…合衆国前大統領の手によって。」
「ステイン大統領?」
「うん。でもほんと情けない話だけど、僕はずっとこの事実を知らないまま生きていた。純粋種(human)ではないと知ったのは、ほんのつい最近なんだ。…あの時は世界がひっくり返ったような、そんな気持ちになった。」
「……。」
「僕はずっと、ギブスに愛されていると思って生きていた。本当の親子かなんて別にどうでもいい。ただ愛されてさえいれば、僕は彼の幸せのために何だってやりたいと思った。でも、彼は突然僕を裏切った。真実を隠し、僕の大切な友達を、むごたらしく…殺した。」
「……。」
「あの時、僕は失ったんだ。友達と、家族。そして…生きる理由を。」
「………。」

「今のあんたは、当時の僕によく似ている。」
「……。」

「あんたは多分、僕たちが出会ったあの日の朝既に死んでいる予定だった。…そうだね?」
「何が言いたい。」
「あんたはルクセンブルクのスーパーで銃撃戦になった時、酒を煽っていた。あの時は一時的に気を紛らわそうとしているだけだと勝手に思っていたけど、その後リュジーではグリップを握ることすらない。ライフルで狙われている状況下で、牽制すらしないなんて。…あんたは酒を飲まなきゃ、銃が持てないんだ。裏を返せば銃を持つ時、あんたは酒を飲む。となると、フランクフルト・マイン空港であんたが泥酔していた理由も見えてくる。」
「……。」
「休職中の警官にバッジは必要ないはずだ。銃も、本来であれば置いてくる。そんな物騒なものを持って空港にいたのは…一体何故?」
「……。」

「あの日フランクフルト・マイン空港にはGRAの要人を乗せた輸送機が宙から降りてくる予定だった。でも幸か不幸かその予定はすぐさま変更された。僕らが引き起こした各国施設の同時爆破によって。」
「……。」

「結果あんたは今も生きてる。僕にとって、とても幸運なことだ。」

“復讐”なんて、立派なのは言葉の響きだけだ。
…よくわかっている。
いつかは僕も、その勇猛さに囚われた。
でも違うんだ。
僕たちは忘れてはならない。
“生きる理由”は、「生きる」ためにあるのだと。
誰かを傷つけたり、自分が死ぬためにあるのではないのだと。

「こんなこと…僕がいうのはおかしいけれど、多分”生きる理由”なんて人間には必要ないんだと思う。」
「…。」
「素直に生きて、もし人生の中でそう結論づけることができたら、それ以上に幸せなことはないんじゃないかな。」
「”生きる理由”に、意味はないと?」
「ううん。そうじゃない。でも僕たちは自分たちの気づかぬうちに生きる理由を持ち、気づかぬうちにそれへ心を預けながら生きてきた。”生きる理由”は次第に”生きる目的”となり、その道標なしに生きていくことが出来なくなった。”理由”に依存してしか、自分自身を見いだせなくなった。」

愛する人…そして娘のために生きていくと決めた彼は、突如きまぐれな運命の戯れに巻き込まれた。
僕と同じ、なんてわかったようなことをいうつもりはない。
でももしまた、かつての希望に縋れるなら。
…きっと僕たちは自分の命だって賭ける。

——無謀にもMCRの中へと飛び込んだ、あの時の僕のように。

そして渦中にいる時、僕らはそれが間違っているということに気づけない。
誰かが止めなきゃ…ダメなんだ。

「あんたに気づいて欲しいんだよ。僕たちの生き方は…普通じゃない。どこかで狂ってしまったんだ。」
「あぁそうだ。自分のことしか考えない、無責任な奴のせいでな!」
「だとしても…僕たちは」
「さっきから”僕たち”って、俺をお前と一緒にするな。」
「同じとは言わない。でも」
「じゃあ似てるってか?どこが!お前に俺の思いが少しでもわかるってのか!」

「思い…。」

「妻と娘は…エリーとレイラは、ずっと俺のことを信じて待ってくれていた!なのにっ…俺は、俺のせいで…俺のせいでっ!2人は…殺されたんだっ!」

「……。」

「俺にとって彼女達はこの穢れた世界の唯一の希望だったのに…。俺の正義も、夢も、未来も…全て捧げると誓って生きてきたのに…。」

すすり上げる声が、狭い部屋に響く。

「笑えるよな…。結局俺はその正義とやらで純朴な少年の命を奪い…レジスタンスの反政府感情を逆撫でした。結果報復で2人は殺され、そんな惨劇を暫定政府は弾圧強化の大義名分に利用した…。」

「…ひどい。」

「何もかも、全部俺の偽善だったんだよ。そのせいで、たくさんの人が傷ついて…死んだ。俺が戦場で生き残れたのも、彼女達のために生きるという”偽善”があったからだ。何もかも自分のためだった。でもその”理由”さえ、結局この自らの手で殺めてしまった。そんな俺に、どうやって生きろと?”正しい”とか”間違っている”とか、そんなことどうでもいい。汚く…それでいて絶対的な俺の醜さを映し出す狡猾な世界をこれ以上目に入れたくない。俺はもう疲れたんだよ。」

“偽善”…か。

「愛する人が亡くなったのはあんたのせいだと?」

「俺が、甘かったから。耐えていればいつか…もっと世界がマシになる日が来ると。それまで俺が2人を守り抜くのだと。そんな愚かなことを考えていたせいで…2人は死んだ。」

「違う。本気でそう考えているなら復讐に手を染めようとは思わない。そうやって何もかも自分のせいにして現実に納得したいだけだ。もしかしたら自分の力で世界を”マシ”にできるかもしれないのに、どうせ出来やしないと決めつけて逃げようとしてるだけだ。」

ふん、と彼は嘲笑を浮かべる。

「だったらお前には、何かできるってのか?おもちゃのお手手と十八番のハッキングで、この世界を変えようってか?」

「…そうだよ。」

「バカにするなっ!」

彼は勢いよく立ち上がって僕を睨みつける。

「一体…お前は何者なんだ?いつだってわかったようなことをつらつら言いやがって。さっきの話も嘘なのか本当なのか…リュジーで見たものだって、俺はまだ頭で理解が追いついていない。何を根拠にお前を信じろと?”世界を変える”なんてまやかしを、どうこの現実の中で受け入れろっていうんだよ。」

「…わかった。」

僕はさっき女性から受け取ったばかりのハンディフォンを取り出した。

「どこにかけるつもりだ。」

「…僕の父親さ。」

「…何?」

今の通信機には#や*を押す場所がない。
だから”彼”の元へかけるには、この旧型が必要だった。
まさか、この手を使う日が来ることになろうとは。

右手が小刻みに震えた。

まだ僕は彼を憎んでいる。
もし…仮に僕と彼の間で致命的な誤解があったのだとしても。
僕の心の中へ、深く掘り込まれた溝が埋まることはないだろう。

それでも、今は彼の力が必要だ。

どれだけ憎くとも。

恨めしくとも。

悔しいけどきっと…僕は彼を信頼しているのだ。

「こんにちは。デトロイト市民警察です。」

…電話が繋がり、滑らかな男性の声が向こうから聞こえてくる。

「こんにちは。悪魔祓いをお願いしたくて。」

「…なんとおっしゃいました?」

「悪魔祓いです。」

2秒程度沈黙が続く。

「…そうですか。承知致しました。悪魔祓いですと、ご依頼に先立って前払いが必要となります。」

「ええ。星の金貨は…使えますか?」

「は…はい。お使い頂けます。それでは担当のものをお呼び致しますので、少々お待ち下さい。」

「お願いします。」

プツッと電話の切れる音がする。

10秒…

20秒…

30秒…

僕は目を閉じ、じっと待った。

「——ご無沙汰しております。」

それは耳慣れた響き。

「…ピアース。」

「左様です。エレン様。」

それからしばらく、また沈黙が流れた。

「…エレン様、私は」
「何も言わなくていい。大統領に代わってください。」

「いいえ申し上げさせてください。本当に…申し訳ございませんでした。」

「…僕が謝罪を受けたくて連絡したとでも?」

「承知しております。ですが、これだけはお伝えしたかったのです。身勝手だと呆れられてしまうかもしれませんが、かつてあなたが下さった『家族』という言葉を…私は今でも大切に想っていると。」
「それで大統領の電話にあんたが出たんだね。」

彼のはっと息を呑むような情動を感じて、僕は少し自分の言葉に後悔する。

「…私の無礼をお許し下さい。今、お繋ぎします。」
でも彼らは友人を殺し、僕の人生すら歪めたのだ。
にこやかに会話ができるほど穏やかな仲ではない。
僕はあくまで、彼を利用するのだ。

「…エレン。私だ。」

心臓が膨れ上がった。
言葉が跳ねそうになるのを踏ん張って堪える。

「話して欲しい人がいます。これから代わります。」

「…そうか。わかった。」

驚くこともなく、ただ落ち着き払った言葉。
何故か気を悪くしている自分へ嫌気がさしながら、僕はセバスチャンにハンディフォンを手渡す。

「相手は誰だ。」

「…前大統領。」

「…な、なんだと?」

「今スピーカーにした。僕に聞かれたくない話はしないほうがいい。」

「……。」

セバスチャンはそれを静かに受け取り、顔へゆっくりと近づける。

「…やあ。」

「…こんにちは。そこにいる少年の…お知り合いですか。」

「え、えぇ。まあ…そんなところです。…あなたは。」

「私はギブス・ステイン。合衆国前大統領です。」

「……。」

「あなたを厄介事に巻き込んでしまい、申し訳ありません。そこの彼は、私の指示で動いています。もし彼の行動であなたに危害が及んでしまったのなら、それは…」

「いいえ。…そういうことでは。」

「…そうですか。それはよかった。」

「あの、一つ…お伺いしても?」

「えぇ。構いません。」

「戦時中…あなたはパキスタンのアジトへ視察にいらっしゃいましたね。」

「まさかあなたもあの場に…?」

「左様です。8年前…私は隊列から少し離れた場所で、あなたの言葉を聞いていました。」

「そうでしたか…。」

「あの日演説の中で、あなたが私たちへ最後にかけた言葉を…覚えていらっしゃいますか。」

ギブスは戦禍の中、世界各国の連合軍基地を極秘で訪れていた。
彼の言葉は兵士にとって、きっと泥沼化した戦場の中で力強く輝く業火に見えたかもしれない。
でも僕は。
…今の僕は、もうそんな言葉聞きたくない。
どれだけ美しく雄弁な言葉も、あのワンシーンが全てを上書きする。
“彼は、クリスを殺した。”

何を言ったって、その事実をひっくり返せるだけの力はない。

だからこの後彼が口にした言葉にも、僕は心の中が煮えてしまいそうだった。

「英雄になろうと思うな。人間の本懐は、生きることだ。生きるため、生かす為に…戦え。」

「…本当に、大統領閣下なのですね。」

「閣下…か。今思えばこの身に余る言葉です。」

「大統領のお考えは、今でもお変わりないですか…?」

「…どういう意味でしょう。」

「あの当時以上に、今の世界は荒んでいる。罪のない人たちが死に、国際法も常識も、何もかも葬られた。戦争から変わったことといえば、戦う主体が軍人から市民になったことだけだ。」

「大切な方を…亡くされたのですか?」

「そんな穢れた世界の中でもなお、果てのない絶望を抱えてでも。」

「…。」

「…まだあなたは私に”生きろ”と、仰りますか?」

「……。」

「…。」

「私はもう大統領ではない。従ってあなたの上官でもないのだから、そのように命令することはできません。でももし、私があなたの上官であったら……えぇ、そのように申し上げるでしょう。」

「…何故ですか。何を根拠に、そんなことを仰るんです。」

「それは私たちが、戦っていたからです。」

「戦って…?」

「そうです。我々は戦場で、幾度となく多くの敵兵を殺してきた。命に優劣なんてないのに、同じ人間同士なのに。それがわかっていながら、私たちは武器を手に取った。…一体何故そんなことができたのか。それは…」

「戦う理由が…あったから。」

「えぇ。我々にはそれぞれの、生きなければならない理由、祖国を守らなければならない理由があった。だからこそそれが殺人なのだとわかっていても、私たちは迫り来る敵に向かって銃口を向けた。私たちにとっての”生きる理由”は、同時に人間を”殺す理由”でもある。だからあの戦禍を生き延びた我々は、そう簡単に”生きる理由”から目を背けてはいけないのです。私たちが殺めた命の分だけ、背負って生きなければならないのです。」

「………。」

「私たちの”生きる”ということは、決して私たちだけで完結するものではありません。生きているということを、生きていたということを認めてくれる他者がいて初めて、私たちは人間社会の中で”生きている”こととなるのです。世界に残された我々は、死んでいった者達がかつて生きていたという事実を知る唯一の存在。もし我々が自ら命を落とすようなことがあれば…それは彼らを二度殺すことと同じだ。」

「…。」

「あなたはきっと、今も戦っている。終わりの見えない戦いに、疲れ果てている。だとしても…それでも、諦めないでほしい。あなたの中で生き続ける”誰か”を、これからも生かすために。」

「…彼は。」

「…?」

「彼は…オリバーは、この世界を変えられるとお思いですか?」

そんなこと、聞いてほしくなかった。
彼に…この僕を主語に何かを語られたくない。

だけど、
それでも。

続く彼の言葉に耳を傾けようとする…そんな自分もいる。

「とても情けない話ですが…わかりません。今となって私に出来る事は、限られています。そして彼らは、生きているのです。彼らにも彼らの信条があり、想いがある。だからどんな結果になろうと…私は自らの責任として受け入れるつもりです。ただ、ただ…。」

「…ただ?」

「私は彼を…信じています。」

うっ…。


『私は君たちのことを信じている。』


あの無責任な言葉が脳裏で蘇る。
そんなの後出しジャンケンじゃないか。
前だって、今だって、あなたはそういう大事なことを電波の中でしか言ってこないじゃないか。

僕は…あなたの何を信じればいい?

「…そうですか。わかりました。」

「…。」

「これ以上の長話はオリバーに怒られてしまうので、これで…」

「…最後に、お名前をお伺いしても?」

「え?あ、はい。…セバスチャンと申します。」

「…セバスチャン。ありがとう。あなたとお話出来て良かった。」

「私の方こそ、とても光栄でした大統領。…オリバーへ戻します。」

彼がゆったりとした動きで僕にハンディフォンを手渡す。

僕は黙って受け取った。

「もう用は済んだので。失礼します。」

「…わかった。連絡ありがとう。」

…。
本当なら、もっともっと非難の言葉を浴びせてやりたい。
クリスのことは帳消しか?
“生きる”を語る資格が、あなたにあるのか?
僕らのことなんて、別にどうでもいいと思ってるんだろ?
戦争を止めるための、道具でしかないんじゃないのか?

全て出し尽くして、それに対する彼の言葉を聞けば、多少は今僕の心に広がる闇が透き通ってくれるかもって。

でもだめだ。
そんなことをしたら、セバスチャンへの説明が厄介になる。

彼の”それっぽい言葉”が、今の僕とセバスチャンには必要なのだ。
それに僕が水を刺しては意味がない。

結局僕は、そのまま通信を切った。

「…なんと言ったらいいか。」

セバスチャンが、下を向いたまま呟く。

「これで信じて、貰えた?」

僕の問いへ、彼は唇を噛みながら首を振る。

「わからない。…いや、あぁきっと正しいんだろうな。…お前が言っていること。確かにあれは大統領の声だった。聞き違えるものか。でも頭がまだ追いつかない。何が正しくて、生きることが何なのか…否定も肯定も、判然としないんだ。」

「…わかってる。」

「俺は…」

「僕はもう行くよ。」

すると彼は立ち上がって尋ねた。

「お、おい待てよどこに。」

「僕にはすべきことがある。…あんたの面倒を見るために地上へ降りてきたわけじゃないんだ。」

「そんなことわかってるけど…でも!」

「あんたには、時間がいるだろ。」

「こんな…ど田舎に俺を置いていくつもりか?」

「そうだよ。あんたは僕のそばにいる限り、僕を死ぬための道具にしようとする。これ以上は見過ごせない。」

「そりゃあ、確かに今までのは悪かったって思ってるけど、でも俺は…」

「まだ判然としてないんだろ?」

「…。」

「どうなんだよ?」

「……。」

「あんたのそれは、依存症のようなものだ。今冷静になれたとしても、きっと再び死が近づけば衝動に駆られてしまう。僕はもう、これ以上十字架を背負って生きるのは嫌なんだよ。」

「オリバー…。」

「違う。」

「…何?」

「僕の本当の名は、エレン・トール。この世界を"マシ"にするなんて馬鹿げた夢へ命を捧げ続けてきた情けない男さ。」

「…。」

そして僕は腰から拳銃を抜き、ゆっくり彼の元へと歩み出す。

「…何のつもりだ。」

「どさくさ紛れに尾行されても困る。1人で思い詰めて自殺されるのも…僕はいやだ。」

「…?」

僕は唯一動く右手で銃身を握りしめる。

「…あんたに会えてよかった。」

「抱き締めて欲しいのか?」

「僕から腕を奪ったやつに?冗談じゃない。」

「…俺を殺すのか?」

「本末転倒だ。そんなことするわけないだろ。」

「そうか。…なるほどな、別に手加減してくれなくたっていいんだぜ。」

彼はそう吐き捨てながら、そっと目を閉じた。

「…抵抗しないんだな。」

「ま…俺もちょうど眠りたいと思ってたところだ。”利害の一致”ってやつだな。」

「…。」

「オリ…い、いや。…エレン。最後に何か言っておきたいことは?」

それを言うなら立場が逆だろ、と返してやりたかったが…グッと我慢する。

「…この状況であんたに言葉をかけたいと一番思ってるのは、間違いなく僕じゃない。」

「…何?」

筋の張ったたくましい首を彼は傾げる。

…その輪郭のくっきりした目を細めながら。

力強さの裏にある弱さこそ、僕に心を許させた特異点の正体だ。

人は誰だって弱いのだと。

崩れてしまう時は一瞬なのだと。

彼が目の前でそれを証明するたび、どこかで安堵している自分がいた。

でもそんな自我を呪うのも、今日で最後だ。

…正直言って、不安だよ。

たった1人で生き残れるだろうか。

沸々と湧き上がる猜疑心に、打ち勝てるだろうか。

不安と疑念は絶えず浮かんでくる。

それでも、

だとしても、

今この瞬間選択肢は定まった。

そして振り返るくらいなら僕は…前へ進みたい。

「…セバスチャン。」

「…。」

「もし…エリーとレイラ(family)なら、今のあんたになんて言うだろうな。」

「……!!

僕は勢いよく右腕を振り下ろす。
そしてカーボン製の丈夫な銃床が、彼の首筋を直撃した。

…ふぅ。
ため息をつく。

オリバー(太陽)”なんて、ちょっと荷が重かったな。

結局こんな顛末になってしまうのだ。

でも…仕方がない。

ベッドに横たわる彼の体勢を直し、腰から拳銃を奪う。

荷物はさっき確認した。

僕は足早に部屋を…
とはできなくて…一瞬振り返って、彼を見た。

…生きてほしい。

この世界で生きられていることが、それ自体が奇跡なのだと。

僕や、僕の友たちが命懸けで守ろうとしているこの世界を、どうか信じて欲しい。

…なんて、ね。


僕は部屋の扉を閉め、足早にモーテルを出た。


…月明かりだけが夜道を照らす、暗い道路沿いを進む。
その先に待つ、ただ一つの光。
セバスチャンとモーテルへ戻る時、借りたハンディフォンで呼び出したものだ。

僕は後部座席の扉をノックする。

「お待ちしておりました。本日はご利用頂きありがとうございます。」

その汚れ一つない真っ白な扉がゆったりと開いていく。

「座席のモニターから、目的地を入力してください。」

運転席に乗るAIが、そうにこやかに僕を案内した。
こんな僕にだって、人の心はある。
機械にだって、機械なりの命を持っていると思っている。

だから免罪符として呟いた。
どちらにせよ僕がすることは、もう変わらないのだから。

「…ごめん。」

僕は素早く拳銃をダッシュボードへ向ける。
これだけ近距離なら…外さない。
狭い室内で閃光が輝いた。

「……。」

AIが武器を感知すれば、即座に本部へ警報を発令し扉をロックする。
だから悪いことをしたければその前にメモリを破壊せねばならない。

どうやら第一目標は達成したみたいだ。
跳弾に少し肝を冷やしていたが、どうにかなった。

だがこれでは終わらない。
20秒で予備メモリに処理が置き換わる。
リブートまでの猶予を含めれば、その時間は30秒だけだ。

僕は光を失った”運転手”の首筋へ腕を伸ばした。
そして手にしたヒートカッターを指先で動かしながら、ジリジリとカバーの線を焼き切っていく。
時間はどのくらい経った?
…概ね10秒くらいか。
ギリギリの戦いになりそうだ。

慌てずにそっと、カバーを外し…座席に置く。

僕はリュックからArgosを取り出した。
そして一本のケーブルをArgosと、カバーが取れ剥き出しになった彼の端子に繋ぐ。
通信が使い物にならなくなっても、ハッキングの方はまだ現役だ。
緊張で指を震わせながら、片手でどうにか鍵を流し続ける。
こんな時のために、何もかもちゃんと準備してきたつもりだった。
それでもなお本番に弱い己の心が後悔を口遊む。
まだそんなことを言い出すには早いんだ。
僕は…やれる!

>>>Activated.

その瞬間、僕は思いっきり実行キーを叩き込んだ。

もしこの時押すキーを間違えてでもいたら、後世に語り継がれるとんだ笑い物となってしまっただろう。
でも僕の人差し指は予定通りの位置で収まってくれていた。

5秒…10秒と時が過ぎ…AIは何も語らない。
動く素振りすら見せない。

——僕の勝ちだ。

そしてここから、孤独な戦いが始まる。
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