22 再会

文字数 5,013文字

——フランス、サンテティエンヌ。

真新しい大聖堂の展望室から、僕は穏やかな時間流れる眼下夕方の街を眺める。
…ただじっと。
あたかも時間が止まってしまったかのように。

するとどれだけ経った頃か。

視界の隅に、すらりと背の高い3人組の男たちが現れた。

彼らはまるで何かに取り憑かれたかの如く、広い街の中のある一点を目指してゆっくり進んでいく。

…それは広場に止められた一台のタクシー。

40m,30m,20m…と、徐々にその距離を詰めていった。
彼らは皆自らの腰へ手を回している。
何かあればいつでも戦えるようにする、まさに戦士の構えだ。
そのまま穏やかに時は経ち、彼らはタクシーの目の前へと辿り着く。
先頭の男が拳銃を引き抜いた。
左手を後部座席の扉にかけ、そして思いっきり開いて見せる。

きっと彼らの目には、こんなものが映っているだろう。

——座席の上でたった一つ、小さく振動する携帯電話。

かけているのは他でもない、この僕だ。
1人の男がそれを手に取り、耳元の端末を外す。

「…遠路遥々ご苦労様。そこまでして会いたかったのは、僕で合ってるかな。」

「…。」

「キョロキョロ見回しても無駄ですよ。あなたから見て3時の方向。」

1人の男が視線を移す。

「その外灯のカメラから見ています。お互いに無駄な消耗は避けましょう。」
これは嘘だ。
「…そうだな。」

「フランクフルトではあなた方のせいで面倒に巻き込まれました。仕事が雑なんですね。」

受話器越しに鼻で笑う声が聞こえる。

「あんたの目に留まるような動きをしろと指示を受けているのでね。この様子だと、効果的面だったようだ。」

「大統領専用回線の傍受もそいつの指示だったと?」

「俺には何のことだかさっぱりだな。」

癖のあるトルコ訛りで男はとぼけて見せる。

「…何が目的だ!」

「おいおいそうカッカしなさんな。俺たちはあんたに何の感情も抱いちゃいない。喧嘩はクライアントと直接…やってくれ。」

「悪いけど、二度とあんたと顔を合わせるつもりはない。だがそうだとしても、僕には聞く権利がある。」

「…。」

「あんたたち、一体何者だ。」

「おう坊や安心しろ。…すぐにわかる。」

男はそう言い切って電話を切った。
ブツリという耳障りな音で我に返る。
僕と駆け引きをするつもりはないということか。

嫌な予感がした。

「Merci, monsieur.」

受付の女性に受話器を返し、早足で展望室を後にする。
色のついた美しいガラス達が彩色を透かす中、僕は人目も気にせず階段を駆け降り出口へと急いだ。
…一度状況を整理しよう。

さっきのやり取りで分かったことがいくつかある。

まず奴らは僕たちしか知らないはずの大統領専用回線の存在を知り、かつ傍受できる人間だ。
…半信半疑で仕掛けた僕の罠。
ギブスとの会話に使用した受話器を、無人のタクシーに運ばせたのだ。
もし追跡されていれば、追っ手は必ず現れる。
全ては想像通りだった。
普通に考えれば相当な一大事だが、推測するに彼らはいわゆる暫定政府の関係者ではないだろう。
ここまで僕を追ってきた彼らは、嘘をついていない限りフランクフルトで僕を襲った連中と同一犯だ。
流石に暫定政府とはいえ、あそこまで雑な襲撃はしないはず。
思うに彼らの組織は高度な組織化が行われていない。
“傭兵”という概念が、一番しっくりくる感覚だ。
だがただの傭兵に大統領専用回線は傍受できない。
そうなってくると真っ先に浮かんでくるのは…ギブス。
彼が、地上で僕たちを始末しようとしているのか。
でももしそうだとしたら、さっきの男の発言が引っかかる。

『あんたの目に留まるような動きをしろと指示を受けているのでね。』

殺しが目的なら、そんな遠回りなことをする必要はない。
何故目的達成が遠ざかるような手段を取ったのか。
それは合理的なギブスらしくもない。

じゃあ一体誰が?

裏の車椅子用出入口から大聖堂を後にし、僕はPaul Bertと名のついた通りを北へ進む。
彼らが監視カメラの受信経路を追っている隙にこの街を脱出するのだ。
…まだこの辺りは人の目が多い。
少し先に静かな公園がある。
空の暗くなった頃そこへ無人タクシーを呼び込み、乱暴だが前と同じ手を打とう。
…しかし本当にこの辺りは道が狭いな。
車が1台分の車道と小さな駐車スペース、ちょっとした歩道があるだけだ。
そしてそんな灰色の道を挟み込むように背丈の高い真っ白な建物が遥か先まで林立している。
それはまるで一ミリでも建物の間に隙間があってはいけないかのように、びっちりと商店や住居が密集していた。
だから道の広さの割に人が多い。
またこの密集から退避できる場所も特に無いように見えた。
時々通りと通りが交わる場所はあれど、一つ入ってしまえばしばらくの一本道だ。

…うん?

2回ほど交差点を跨いだ頃だろうか。
僕はようやく背後の異変に気がついた。

一定の距離感で、僕の後をつけている2人組がいるのだ。
恐らく気のせいでは無い。
狭い歩道で人々をかき分けるように進むその姿には、もはや焦りすら感じる。
だがその光景を微笑ましいと馬鹿にする余裕は流石になかった。
…次の交差点はしばらく先だ。

前から挟まれたら終わってしまう!

気づいていないフリをする価値はもはや無い。
僕は勢いよく走り出す。

…何故ここにいることがバレた?

悶々と考えたいところだったが、さらに追い打ちがかかる。
一台のセダンが前からこちらの通りへと曲がってきたのだ。
生憎僕は作られているだけあって視力がかなり良い。
運転席に座る男の顔を見て僕は確信した。

…広場で僕と電話した男だ!

まずい。挟まれた!
どうする?
僕は後ろを振り返る。
相変わらずジリジリと距離を詰めて来る2人組の姿が目に入った。

もしかしたら後ろは気のせいかも?

甘い声が心を急かす。
…いやそんなはずはない。
直感で追われていると感じたのだから、気のせいだなんて可能性に賭けるのはだめだ。
挟まれていること前提で脳のリソースを使おう。
いっそ戦うか?
でも明らかに人数不利だ。
それにこの狭い場所で車に突っ込まれたらもう為す術が無い。

いや待て。

…そうだ。
ここにいるのは僕だけじゃない。
そしてむしろ狭い空間だからこそ、この絶望的な不利をひっくり返すことができるはずだ。
僕は左右を見回し、人で賑わう飲食店へ狙いを定めた。
躊躇っている猶予はない。
腰へ手を回し、列をかき分け店内へと押し入る。

いざ…となった刹那、ふと僕は苦笑した。
残念なことに、人を脅す時の便利フレーズは誰からも教わったことがない。
あぁこうなる前にかつての先生へ質問しておくんだったな。
——こんな風に誰かに向かって叫びたい時、フランス語でなんて言ったらいいですか?

「全員死にたくなかったら今すぐ出ていけ!動かないと殺すぞ!さあ行け!行けっ!」

天井に向けて、一発発砲した。
それを見て絶叫する女性の声が、ひび割れた秩序を粉砕する。

「殺すぞ!失せろっ!死にたいのか!」

もはや英語のゴリ押しだが、「思いは言語の壁を越える」というじゃないか。

狭い通りに銃声と恐怖は一瞬で反響していく。
3件目を襲っている頃には、僕を中心に放射状の人流が形成され始めていた。
もはや車道も歩道も関係ない。
逃げ惑う人々が北へ南へ、隠れる場所もない一本道を蠢いている。
後ろにいた2人組などもう視認すらできない。
だが問題は前だ。
迫り来る群衆の波と対峙し、あのセダンは急ブレーキをかけた。
…もう少しだ。
僕はその方向へ走り始める。

「うああああああああっ!」

大声で叫びながら2発、今度は空へ放った。
逃げる人々の足が加速する。
あっという間にセダンはその波の中へと飲み込まれた。

…今だ!

僕は銃をしまい全速力で走る。
それは僕から逃げ惑う人々すら追い越してしまうほど。

そして足にグッと力を込め…僕は宙を翔けた。

ふわふわと両足両足をバタつかせ、時の流れが緩やかになる。
でもすぐに続いたドゥン!という鈍く大きな音で、再び僕は元の時間軸へと引き戻された。
ボンネットへ飛び乗った僕の姿を見て、中の男たちは驚きからか目を見開いている。
そんな彼らへ僕は不敵な笑みを浮かべながら腰に手を回し…そして銃口を、

…刹那身構える彼ら。

でもすぐに向き先を変えられた僕の銃を見て、彼らはなぞるかの如くそれを目で追った。
僕が狙うのは、ルーフパネルへ取り付けられた小さい三角形の突起物。
…受信機だ。

一発、二発とそれへ撃ち込む。

「くそっ!」

足元でハンドルか何かを叩きつけるような音が聞こえた。

これで彼らは自動運転が使えない。
…手動で運転できるかな?

僕は傷の入ったルーフパネルを飛び越え、セダンが人の波から解放される前にその波の中へと飛び込む。
これだけの騒ぎを起こしたのだ。
だらだらやっているわけにはいかない。
僕はモーセの如く人の海を切り裂いて走り、分岐となる交差点へ出る。
…犯罪者ってこんな気持ちなんだな。
まさに騒ぎと人目を避けるかのように、僕は一番細くて小さな歩道へと滑り込んでいく。

走っている最中、頭でずっと考えていた。

何故彼らは監視カメラがハッタリだと気づいたのだろう?
僕という人間をある程度認知して追ってきているのであれば、少なくとも信憑性は高いと考えるはずだ。

もしや…彼らは今Argosが機能していないことを知っている?

そうだとしたらかなり面倒だ。
…やはりギブスなのか?
彼だとしたらもう僕に勝ち目はない。
この地球上にいる限り、彼から逃れることなど不可能なのだ。
通りを左に曲がり、老朽化の激しい団地で囲まれた裏路地を進む。
そしてすぐの交差点を今度は右だ。
すると公衆電話が視界に入った。
その先はすぐに公園だ。

…いけるか?

後ろを振り返り、騒ぎがここまで及んでいないかを確かめる。
夢中で走ってきていたから、ちゃんと周りまで意識を向けられていなかった。
まだどうにか大丈夫そうだ。

僕はカバンのポケットから小さなパネルを取り出し、予め電子通貨用にパッケージングされたコードを走らせる。
そのパネルを機械へかざし…認証成功だ。
手早く番号を打ち込み、電話は公共タクシーの予約センターへと繋がる。
言っても相手をするのは所詮電子音声だ。
特段警戒する必要もなく、なんならこの期で僕に打てる手など他にはなく、僕は淡々と例の公園へ迎えに来るよう要請した。
受話器を戻し、再び左右を確認する。
空はもう暗くなっていく一方だ。
季節から考えて、もう数分でこの辺りは真っ暗になるだろう。
…急いだ方がいい。
僕は不自然な早足で、人気(ひとけ)のない静かな公園へと足を踏み入れていく。

中は思っていた通り誰もいなかった。
歩けど歩けど、そこにあるのは先の深い薄闇だけ。
コンクリートで丁寧に舗装された歩道を、木々や遊具などが挟んでいる。
芝生の生い茂る空間もあるようだ。
…本当にさっきまでと同じ世界か?
広くて静かで、そして暗い。
数の少なく小さな外灯が、完全にキャパオーバーなスペースをやんわり月のように照らしているだけだ。
きっとまだ頭が興奮しているのだろう。
はやる気持ちと相対して、この場所が虚無に思えた。

…!

僅かな砂利音に僕は飛び上がって振り返る。
木々に透けているあれは…ヘッドライトか。
どうやらもう到着したようだ。
こんなところには長居したくない。
早く南へ…

…うん?

違う。
さっきよりも砂利音が近くなった。
しかも一点じゃない。
もし…これらが無秩序な刻み方をしていれば、通りすがりの近隣住民かもしれないと思えただろう。
だが明らかに等間隔で、均整を図っている。
自然な音の刻み方ではない。
アーヘンで感じた、あの人工的な感覚と同じだ。

…囲まれている!

僕は腰のホルスターへ手を回す。
愚かにも罠にかかってしまったらしい。
辺りを見回し、退路を計算した。
だめだ。
この眼を以てしても、暗すぎて先まではよく見えない。
それに僕はこの場所の出入り口を全て把握してはいないのだ。
だから仮にどちらかの方向へ走ったとして、もはやその果てに出口があるとは限らない。
撃ち合うには開けすぎている。
…万事休すだ。

僕は息を吸い、そして吐く。

多分、戦うことになるだろう。
…死ぬことも。

でもまずは相手を見定める。
こんなところで終わる訳にはいかないんだ。

「…そんな怖い表情お前らしくないぞ。」

前から声がした。
砂利音が近づく。
そして暗闇から、少しずつ輪郭が露わになる。
“それ”は柔らかな光に照らされ…僕は目を見開いた。

「久しぶりだな、エレン。」

そこへ現れたのは、かつて宙で友だった者。

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