6 過去の残香

文字数 6,120文字

ふと我に返ると、辺りが騒がしくなっていた。
Argosを抱えたまま、しばらく座り尽くしていたらしい。
少し先には規制線が張られ、青いパトランプがキラキラとそこかしこで煌めいている。
僕は一体…。
その時、僕の脳裏にステンドグラスを突き破る真っ赤な火柱が浮かんだ。

——そうか。

僕はまた、やってしまったのか。

ふらふらと立ち上がり、黒焦げになったビルを見上げる。
どうしようもない無力感に襲われた。
手すりに右手をつき、早まる鼓動を抑えようとする。
呼吸の苦しさで無意識に目が泳いだ。
ふーっ、と長い息を吐く。
視線を落とすと、Argosが僕に何か言いたげだ。
僕は燃え盛る炎と戦う彼を誘導している間、同時進行で爆発の原因をArgosに探らせていた。
映像には、4階の売り場にボストンバッグを置く男が映っている。
よく見るとボストンバッグの右端には拳銃の形をした朱色のキーホルダーが付けられていた。
あれは解放戦線の工作員が身につけているものだ。
“解放戦線”とは2ヶ月前のクーデターによってWPAが崩壊した直後ヨーロッパ圏で誕生したテロ組織のこと。
彼らは独裁的な恐怖政治を断行するGRAに向け、その抗議としてありとあらゆる市民への無差別攻撃をこれまで幾度となく行なっていた。
つまり今回の爆発は解放戦線によるものである時点で、GRAへ向けられたものであり僕とは無関係、ということになる。
はぁ、と大きなため息が出る。
僕はいくつ罪を背負えば気が済むのか。
いや違う…。
どうしようもなかったんだ。
僕がどうしようと、あそこに飛び込んで行ったのは彼の意思だ。
だから僕は関係ない。
そもそも無駄に他人と関わったりするからこんな思いをするのだ。
無心になって、自らのやるべき事を…。
そう思い、荷物を整理していた時、遠くから雄叫びのようなものが聞こえた。
でも振り向く気力が僕にはなかった。
僕はリュックを背負い、駅の方へ向き直ろうとする。
ん?
声が少しずつ大きくなっているような気がした。気のせいk…

!?

痛い!
突然何かが僕の体に突っ込んだ。
ドンという物凄い衝撃からつい変な声が漏れ出る。
それでも僕が吹っ飛ばないのは、両脇を固くホールドされているからなのだろう。
…少しずつ焦点があっていく。
なんだ?僕は頭がおかしくなったのか?
目の前では、さっき吹き飛んだはずの男がニヤニヤと笑っている。

「よぉ感動の再会だな!

!」

「は…早くその腕を解かないと、蹴るぞ。」

「なんだよ嬉しいくせに、天邪鬼だなあ。」

彼はゆっくりと僕の体から離れた。
所々ジーンズが焼け焦げているが、それでもピンピンしている。
「…少し無茶が過ぎたんじゃないか。」
「そりゃ、市民を守ることが俺の責務だからな。」
僕は鼻を鳴らした。
「…これだから公務員は嫌いなんだ。」
よく言うぜ、セバスチャンは笑った。
すると思い出したかのように眉をひそめる。
「なあ、あの時どうして俺に連絡が取れた?それにどうして建物の構造を理解してた?そもそもお前は…」
「…あんたが見つけた女性はどうなったんだ。」
僕が遮ると、一瞬の間の後、また彼は笑って言った。
「お前を預けた救護所に置いてきたさ。大丈夫、彼女も無事だ。」
「…そうか。」
僕は思わず安堵を顔に出してしまったらしい。
「なんだ、かわいいところもあるじゃないか。」
「…黙れ。」
「…悪い悪い。」
この男は何かとすぐにニヤつく。

「なあ、色々ゴタゴタした直後でなんなんだが… 」
「…?」

「お前はこれからどうするんだ?」

突然話題を変えた彼の言っている言葉の意味がよく分からなくて、僕は聞き返した。
「…何?」
「いや、元々フランクフルトに来て、その後はどうするつもりだったのかってさ。」
「そんなの、あんたには関係ない。」
つっぱねた僕に対して、彼は大袈裟に天を仰いでみせる。
「おーいそんなつれないこと言うなって、危機を共に乗り越えた俺たちはもう運命共同体だろ?」
「…あんた言動がいちいち気持ち悪いって言われたことないか?」
「おう!ありがとう!」
…。
「で、どうなんだ?」
「知らない人においそれと行き先を教えちゃダメだってお巡りさんから教わってるんだ。」
「俺がその、お巡りさんだぜ。」
彼は僕にウィンクした。
「俺は17歳で成年だ、補導されるような身では」
「ほーう、17にしては言葉遣いがかなり偉そうじゃないか。」
「…。」
「それじゃ、身分証は?」
「そんなもの無くとも…」
「あぁ〜それじゃダメだな。残念だが…」
ああああああああああああああああああああああ
一度咳払いを挟んで心の叫びをそれとなく誤魔化す。
思い切って僕はもうきっぱりと言ってやることにした。
「お言葉ですが、どうしてこんな質問攻めされないといけないんですか?こんなことされる謂れはないですよね?」

「そうか?じゃあ俺の見間違いだったのかな?」

そう言うと、彼はジトっと笑って僕のリュックを指差した。
…おい。
ちょっと…待ってくれまさか。

「…どういう意味です。」
「言わなくてもわかってるだろう?」
「脅しですか?」
「好きなように解釈しておくれよ。」

はあ、と無意識に大きなため息が出た。

「…フランスへ行きます。」
「何故?」
「…こんな街の真ん中で尋問するつもりですか。」
「人聞きが悪いな。」
「答えるつもりはない。」
「おーいちょっと待ってくれって。」
今度はそう言うと歩き出した僕の前に出て進路を塞いだ。
「言ったって俺は命の恩人だろ?」
「ありがとう。」
「ちょちょちょ待ってくれそういうことじゃなく…あーわかった。じゃあちゃんと話してくれたらさっきのことは見逃してやろう。…これでどうだ。」
「…話さないと言ったら?」
「お望みなら、場所を変えてゆっくり話を聞いてもいい。美味しいコーヒーをご馳走しよう。」

彼の命が助かったことに安堵していたさっきまでの自分がまるで嘘のように思える。
もし彼にリュックを盗んだ瞬間を見られていたのだとしたら、これはもう万事休すだ。

…こんなところで躓くなんて、絶対に許されない。

どうにかして自分主導の展開に持ち込まないと。
だが下手な嘘は見破られてしまうだろう。
…どうする。

「もし特別な事情があるのなら、俺が力になるぜ。」

彼は僕の目を見ながらそう呟いた。

…。

「家族が、人質に取られている。」

「…どういうことだ?」
「…連邦政府の治安維持部隊に、フランスで暮らす母さんと姉さんが拘束されているんです。」
彼はまた眉をひそめた。
治安維持部隊(BlackMantis)…。どうしてそんなことに?」
「…父さんが、解放戦線の工作員なんだ。」
「何だと?」
治安維持部隊、通称”黒カマキリ”。
クーデター直後、急激に不安定化した治安を守るために、政府軍直属の部隊によって編成された治安維持組織だ。
彼らと、セバスチャンのような地方警察との決定的な違いは、現場での独断裁量権にある。
つまり、治安維持のため必要だと判断されることは好き勝手にやっていいのだ。
そのため計画性のない突発的な命令や、非人道的な攻撃に出ることも多く、警察官の中には反感を抱く者も多い。
「俺はなんとしてでも家族を助ける。でも警官の力は借りれない。そしてここであんたに捕まるわけにもいかない。」
「そんな一件(file)は知らないが…」
「共食いが生業のカマキリ達が、そう易々と政府の犬(地方警察)に手の内を明かすとは思えない。」
「…あんまりな言い方だな。」
警官(ドッグ)のあんたならよく知ってるはずだ。」
「ハッキングの技術はどこで?」
「姉さんがフランスのITインフラを管理する国営会社に勤めてる。」
「SOSを君に送ったのもお姉さん?」
「そう。」
「…君が解放戦線の人間ではないという根拠は?」
「爆発の瞬間俺がどこで何をしてたかはあんたが一番よく知っているだろう。」
「…さっきの爆発はあいつらの仕業なのか?」
しまった。
長期戦になるとすぐ口を滑らせてしまう。
だが取り乱しても仕方がない。
僕はある程度開き直って、
「…そうらしい。」
「そいつもお得意のハッキングかい?」
「その"得意技"のおかげであの女性は助かったんだぞ。」
「…そうだったな。」
僕は彼の目を見て、訴える。

「だからもう行かせてくれ、頼む。」

そして少し間があいてから、

…彼は頷いた。

「そうか。わかった。」
「ありがとう。それじゃあ…」
「ただし、」
彼は僕の言葉を遮った。
「…?」

「俺も一緒に行こう。」

自分の耳を疑った。

「は…?」
「じゃあ早速空港に行こうか。」
そう言って奴は僕の腕を引っ張ろうとする。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、どういうつもりなんだ?」
おいおい、と彼は笑いながら僕へ振り返った。
「まさかそんな小手先のハッキングだけで軍直属の部隊をやり過ごすつもりなのかい?君だけの力じゃ無理だよ。」
僕が睨みつけても、この男はニヤつきながら僕の肩へ手をかける。
「これでも警察官としてはそれなりに優秀だ。力になれる。」
「解放戦線の家族に協力したとバレたら、あんたは終わりだぞ。」
「それは君が心配することじゃないさ。」
そんなことはどこ吹く風、という顔だ。
「…あんた仕事でここに来てるんだろ。そっちはどうする。」
「おう、それならさっき負傷届を出したから、大丈夫だぜ!」
全く何なんだこの男は…!
これだけのことを話しているのに、引き下がる様子がまるで見えない。
でも補導されたら本末転倒。
…だとしてもこんな奴にストーキングされるなんて絶対に嫌だった。

……………。
もしこの男を隣に置いておけば、面倒な愛国心の強い警官に絡まれることを避けられるかもしれない。

…なんだかどうにかしてこの状況をプラスに捉えられるような考え方をしているようで吐き気がするな。

だがこうなってしまった以上彼の言うとおりにする他どうしようもないのは目に見えていた。
まだ僕の好きにさせてくれているだけマシだと思った方がいい。
何より僕は彼の考えが変わらないうちに、そして、"本物"の警察官から爆発に関する事情聴取を受けないうちに、急いでこの場所を動かなければならない。

「…オリバー。君の邪魔をするつもりはない。こうやって出会ったのもきっと何かの運命だ。俺は純粋に、罪のない君の家族を助けたい。命を救いたい。警察官は、常に正義の味方でなくてはならない。例え世界がどうなろうと、政治がどうあろうと、だ。」

胸の奥底で感じる。
ここでの決定は、自身の運命に大きく影響すると。
僕はふーっと息を吐く。
そして黙って歩き出す。
彼は後ろをついてきた。

…このままでいいのか?

最後にもう一度、僕は自分自身に問いかけた。
わかっている。
情報は情報でしかない。
少しでも危ないと思ったら、その時またどうにかすればいいのだ。

とにかく今は、今を、生きなくてはならない。
僕に許されているのは、ただひたすら前へ進んでいくことだけだ。


陸路でフランスまで辿り着く為には、まずこのドイツから脱出しなければならない。
恐らくベルギーを横断して行くのが最善のルートか…。
思わぬ同伴者を得た僕は、フランクフルトから北西の街ボンを目指してバスに乗った。
「どうして飛行機を使わないんだ?」
「…空港を使うと、生体データを取られてしまう。」
「用心深いな。いいことだ。」
僕はずっと窓際の席に座って、流れ行く外の景色をぼーっと眺めていた。
都市部を抜ければもうそこは自然豊かな片田舎。
まるで今日まで何もなかったみたいに、名も無き緑たちは自分勝手な世界を作り上げている。
…どうしても思ってしまう。
こんなものは本当の世界じゃない。嘘っぱちだと。
それでもこれは、世界の一部分だ。
それが現実だ。
下らない、単なる羨望だ。

わかってる。

それでも、
どうしても、虚しくなってしまう。
赤々と光る地獄と化したマイアミの街を思い出して。
僕の前で血を流し横たわる三人の兵士を思い出して。
…だめだ。良くない。
こういう事を考え始めるとキリがないのだ。


しばらくして僕たちは目的地、ボンに辿り着いた。
お互い疲れていた為か、特に会話をすることもなく自然と見つけた宿へと歩いていた。
「相部屋でも構わないか?」
「…割り勘だ。あんたの分まで出さないからな。」
そう言うと、彼はハハっと笑った。
「子供に奢られるほど俺も堕ちちゃいないさ。」

小さく綺麗に整えられた部屋。
明かりをつけると、セバスチャンは腰くらいの高さの丸テーブルに荷物を置いた。
僕はまっすぐベッドへと飛び込む。

…疲れた。

こんなんでちゃんと続くのだろうか。
もうテロになど遭遇しないよう祈るしかない。
そんな考え事をしていると彼は荷物の整理を始めた。
おもむろにリュックから黒い何かを取り出しカチャカチャと音を立てる。
拳銃だ。
glock19。
ほぼ二世紀前の

だが、携行武器としては今だに優秀な代物だ。
「しかし随分と居心地のいい宿だな。俺たちは運がいい。」
「確かにこれくらい年季のある方が落ち着くな。」
「なんだ、君案外感性は古臭いんだなあ。」
「…ほっといてくれ。」
ふっ、と彼は笑った。
長く息を吐く声が聞こえる。
お互いまだ荷物の整理が終わっていないのだ。
長話をする必要などない。


朝はあまり好きではない。
大抵ロクでもない幻に振り回されて、叫ぶように目を覚ますからだ。
でもその晩は、不思議とぐっすり眠ることができた。
変な夢も見ることなく、だ。
僕は粘り気のあるあくびをし、腕を高く伸ばす。
いい目覚めだ。
奥のソファに目をやる。
彼は端の盛り上がったところに丸まって眠っていた。
そうだ。
このだらしない男と、これから共に行動していくことになる。
…彼は警察官だ。
何故彼がわざわざ僕と行動を共にすると言い始めたのか、まだ確信を得られてはいない。
もしかしたら、彼は全てを知っていて、GRAから…。
いや、もしくは本気で僕の家族を助けるために、仕事を放り投げてきたのかもしれない。
でも結局、何もわからないのだ。
わかっているのは、表面的な情報。
そして、一度僕の命を救っているということ。
それだけだ。
人間には、他者がどんな人間で、どんなことを思っているか正しく感じ取ることができない。
だからこそ僕たちは、それらを知ろうとする時、他者の言葉や行動といった「結果」から全てを推測する。
『きっと誰々はこういう人物だろう』
『彼ならきっとこう思うだろう』
『行動するだろう』
僕らの社会的生活は、こんな不確定要素で溢れているのだ。
推測、…か。
そんなもの、当たった試しなどないというのに。
なのに僕は。

おーい!

僕は…

おーーーーーい!!!!
「…!?

我に返ると、目の前にはセバスチャンの顔があった。
夢と現実の間に流れていた曖昧な暖かさが、少しずつ体からはけていく。

「…大丈夫か?」

そう言うと彼は僕の目のあたりを手のひらで上下させる。
「大丈夫。…近い。それ、やめてくれ。」
僕は右手で彼の手を払った。
「…悪い悪い。てか、なあ!朝飯食いに行こうぜ!俺腹減った。」
また彼はニヤニヤしている。
…ふぅ。
そうだ、きっと考えるだけ無駄なのだろう。

こうして僕たちは「居心地のいい」一室を後にした。
後々振り返ってみると、朝御飯なんて食べたのは地上に来て以来初めてだった。
その時何気なく口にしたヨーグルトの酸っぱい味が、どうも印象的で、しばらく頭から離れなかったのをよく覚えている。
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