8 襲撃

文字数 5,964文字

人混みの中で突如として銃声が鳴ったら、一体その次はどんなことが起きるだろう。
答えは簡単だ。
まず第一の叫び声が聞こえる。
そしてその声に呼応するように、無数の人々が叫び出す。
群衆は右往左往し逃げ惑い、狭い進路へと大勢が一気に押し寄せる。
結局皆まともに身動きが取れなくなって、一網打尽か将棋倒しが関の山…
しかもなんなら今は核攻撃を受けた直後だ。
想像力豊かな人であれば尚更パニックになるだろう。
だから、こういう時身の安全を守りたければ、一般人が「危険」だと感じる選択をした方がかえって安全だったりする。
——つまり、出口と反対側に走るのだ。
こうすれば、少なくとも生存可能性は運ではなく自らの技量次第になる。
ただ今回に関しては、僕一人の力じゃどうにもならなさそうだった。
何故なら僕も、情けない事にどちらかと言えば「一般人」サイドだからである。
轟音に耳が痺れるその刹那、穏やかに空間は崩れ始めた。
緊張を装っていた人々の目が見開いていく。
「いいか!三つ数えたら俺が前に出るから、お前はすぐ後ろに続け!腰を低くしろ、柵に隠れるんだ!」
「待ってよ、まず今がどういう状況なのか…」
「3、2、1!」
僕の言葉には一切耳を貸さず、数え終わると彼は思いっきり前へ飛び出した。
そしていつの間に手にしていた銃口を天井へ向け、二発小刻みに発砲する。
再び空気を鋭い音が劈いた。
…もうビビってはいられない。
その隙に僕もセバスチャンの後に続く。
一瞬、柵の向こうのフードコートに目線を送ってみる。
すると黒のロングコートを羽織った長身の人間が、黒い何かを右手に収めたまま白いテーブルの下で身をかがめているのが見えた。

——全身真っ黒。

変装のつもりなのだろうが、庶民的な施設ではむしろ悪目立ちしている。
しかも僕とは10mも離れていない。こんなに近くからだったとは…。
きっと僕を襲おうとした人間は手持ちの少ない小銭をケチったのだろう。
こんなにも、腕の悪い”スナイパー”を雇う羽目になったのだから。
…なんて想像をしていたら思いの外早くその黒男(?)がぬっと立ち上がった。
まずい。セバスチャンは7.8m先にいる!僕を庇うことはできない。
待ってくれ、、、こんな情けない死に方があるか???

ぎゃああああああああ

突然僕の目の前に逃げ惑った女性が奇声をあげながら突っ込んできた。
刹那、女性と僕への射線が被る。
張り裂けるような声で我に返った僕は、すかさず再び姿勢を低くしてセバスチャンの元へ走った。

銃声は…聞こえない。

どうやら襲撃者も、関係のない民間人を巻き込むつもりはないようだ。

「こっちだ!」

セバスチャンの後に続いて一気にフードコートの脇を走り抜ける。
この時も、人々は散り散りになりながらエスカレーターや階段を求め駆けずり回っていた。
ごった返す人の波をかき分けるように、僕らは流れと反対側に向かって走る。
少し先に、スーパーだろうか、オレンジや葡萄などの果物が山積みになったワゴンが見えてきた。
なんだか流れる時間がやけに長く感じる。
…こんな僕だって、今や人並みには命が惜しい。
ましてや今は、僕だけの命ですら無いのだ。
大した運動量でなくとも、自然に息が上がってしまう。
それでも、今はただ走る。
生きるためにはそれしかできない。
——エリア的には大分階の端の方まで来たようだ。
ここはエントランスの反対側。
もう流石にかき分ける人波はない。
後ろを振り返ると、まだ追っ手は来ていないようだ。
だが直線の通路故に発砲されたらそれまでだろう。

「…先に行け!」

彼は僕に、先にスーパーの中へ逃げ込むよう促した。
反論しても仕方ない。僕は躊躇わずに走り抜ける。
彼は果物のワゴンを動かしてバリケードを作るつもりのようだ。
ゴロゴロとキャスターの動く重たい音がする。

スーパーの中はやけに奇妙な状態だった。
人っ子一人いない静寂の店内に、薄く伸ばしたような安っぽい音楽がチャラチャラと流れている。
奥には魚売り場だろうか。大きなカジキマグロの模型が天井から宙づりになっていた。
とりあえず隠れる場所を探したい。
ドン!と直後重い音が遠くから響いた。
それに呼応するようにそれより少し軽い音が二回続けて鳴る。
…見つかったらしい。撃ち合いだ。
僕は棚の密集する店の奥へと移動した。
何か使えそうなものは周りにないか?
…だめだ。こういう時ドラマだと、これとこれを混ぜれば簡単な爆薬になるから…とか言って粉とか粘土をこねこねしたりするものだが、あいにく僕は科学がからっきしだ。
何故2150年にもなって人間がモル計算などと意味不明なことをやらなきゃいけないのか。
ぶつくさ文句を言っていたら結局何も身に付かなかった。

「おうオリバー何かいいものは見つかったか?俺は見つけたぜ!」

突然聞こえた声に驚き体が跳ね飛ぶ。
いやセバスチャンだ。
彼は肩で息をしながら何かを持って走り寄ってきた。
あれは、、、酒瓶?
…能天気な男だ。
酒を呷って現実逃避。
こういうことをしていいのは、創作の世界の中だけだろう。
セバスチャンは一気にそれを飲み干すと、グハァと汚い息を吐き出した後こう言った。
「2人だ、拳銃と散弾銃。じきに店の中へ入ってくるぞ。」
「弾丸で貫かれるよりも先にあんたの口臭(breath)で死んじまいそうだよ。」

冗談抜きで本当に臭い。

「じゃあそうならないように、神様へお祈り(bless)しないとな。」
…。
彼は1人で"HAHAHA"と盛り上がっている。
「今何してるんだ?」
僕はArgosを起動して、このセンターの区画情報を探そうとしていた。
短時間で難しいハッキングは流石にできないが、ある程度であれば『大統領権限』で覗き見れるだろう。
すると微かに、カツカツと幾つかの足音がこちらへ迫ってくるのが聞こえた。
「…少し時間を稼いで欲しい。」
僕が言うと、ふんと鼻を鳴らして彼は答えた。
「別に、最初からお前に戦ってもらおうだなんて期待はしてないさ。」
去り際彼は、"これ、お前にやるよ"と僕に空の酒瓶を渡して来た。
「これはこれは、立派な武器をどーも。」
「ま、皮肉を言えるだけ立派だな。」
「…セバスチャン。」
「ん?」
「いや…なんでもない。」

彼は棚の奥を一瞥する。

「…時間だ。よおしオリバー、もうお祈りは済んだか?」
「神様になんて、もうとっくに見放されてる。」
「そうか?もう後で後悔しても知らないからな!…いくぜ!
セバスチャンは腰を低くして隣の棚の隅へと素早く移動した。
そして間髪入れずえいっと通路に飛び出して、一発どこかに撃ち込んだ。
いたぞ!という男の声が聞こえる。誘いには乗ってくれたらしい。

本格的に始まった。

一歩間違えれば…死ぬ。

セバスチャンが死んでも、ゲームオーバーだ。

無駄なく、迅速に行動しなければならない。

…Argosは?
代わり映えのしないモニターに目をやる。

代わり映えのしない!?

そうだ。さっきからこいつには一切の変化が見られない。

こんな状況なのに、いったい何をやっているんだ?

くるくると、ローディングの線が円を作って終わらない。
まるで150年前のブラウザを開いているような気分だ。

なんなんだ???アーヘンで動かした時は普通に稼働していたはず。

この短時間の間に一体何が?

そうこうしている間にも、棚の向こうでは生々しく火花を散らす炸裂音が耳鳴りのように聞こえてくる。
僕は段々頭が混乱してきた。
まずい。
これで何の情報も得られなかったのでは、ただただ彼と別行動になっただけだ。
それでもArgosが動く気配は微塵もない。
全身の血液が煮えたぎり、もはや体の静止を許さない。
すごくソワソワして、もういてもたってもいられなくなった。

…ダメだ。

ここで長く時間を使うのはまず間違いなく悪手だろう。
"今すぐここから逃げ出したい"という本心が、屁理屈に背中を押されてどんどん衝動へと変わっていく。
焦りからか汗が滝のように頬を滴る。
もう僕の両手はぐしょぐしょだ。
頭では落ち着くべきだと分かっていても、そう現実は単純ではない。

ふぅ。

——諦めろ。

これ以上は、時間の無駄だ。
生き残る術はただ一つ。

見つからないように隠れながら、この建物から脱出するのだ。

でも彼はどうする?
ほったらかしか?

流石に良心が痛むが、あいつは武器を持っている。
どうにかうまく切り抜けるだろう。
僕はまだこんなところで死ぬわけにいかない。
恨まれようが、構うものか。

静かにArgosをリュックにしまい、辺りを見回す。

——人影はない。

さっきまでバンバン撃ち合う音が聞こえていたが、今はすっかり静かになった。
僕は腰を低くしながら、出来るだけ商品の密集した棚と棚の間を進む。
レトルトなどの簡易食品が置かれているスペースから、調味料の棚を抜け、小麦粉が陳列された棚のその先へ…僕は焦ってうっかり通路を行きすぎた。

しまった…!と思った時にはもう遅い。

2つ先の通路から、ちょうど同じタイミングで黒服の男が出てきたのだ。
しかもぴったり…目が合った!
よく見るとコートの丈が足りておらず、半袖みたいになっている。
だ、ださい…。

そんなことを言っている場合では無い!

僕は踵を返して一目散に駆け出した。
銃声が一発!二発!三発!どんどんこちらへ撃ち込んでくる。
棚越しに撃ってきているのか、僕の頭上は真っ白な粉で大変なことになっていた。
でもそんなことどうでもいい。
僕は情けない声をあげながら両腕で頭を抱えとにかく走った。
長い一本道を無我夢中で駆け抜ける。
黄色い棚の間を抜けると今度はたくさんのガラス管、そして色とりどりの小瓶が並ぶ場所に出た。
パラサイト(寄生虫)を取り扱う売り場だ。
どうやら健康を気にするマダムたちの間でここ数年流行っているらしい。
僕は培養液で満たされたガラス管の並ぶ通路をまた走った。
視界の隅で、橙、赤、黄緑色…と鮮やかな縦線が次々横切っていく。
ふと走りながら、だんだん頭の中に不安がたちこめた。

——こっちに逃げて正しいのか?
——追っ手との距離をむしろ詰めてしまっているのではないか?

僕は既に男たちを見失っている。
この時の僕は盲目同然だった。
でもとにかく何も考えず走った。

セバスチャンの言った通りだ。

あの時少しは神に祈っておくべきだったかもしれない。

突然、ぬっと銃身の長い武器を持った男が僕の目の前の通路から現れた。
(丈は間に合っている。さっきの男ではない。)
…何の前触もなく、でも僕は即座に状況を悟った。
万事休す。完全に出会い頭だった。
男の銃口が僕の脳天を捉える。

——だめだ。
——もう、僕の運はここで尽きた。
——これが、僕への裁きなのかもしれない。

重たく、鋭い光が鼓膜を貫いた。
一瞬、僕の中の時が止まる。
生きているのか、死んでいるのか、わからなくなった。
目の前が白みがかって、ぼんやり霞んで見える。
音も、何も聞こえない。

——死んだのか?

いや違う。
僕はまるで思い出したかのように、お腹が鳴った。
ギュルルゥと腹の虫がその存在感をアピールする。

——全く能天気な。

でもその声に導かれるように、僕の視界は少しずつ鮮明になってきた。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
ふと我に帰ると、目の前で男が大声をあげながらのたうち回っている。
視線を上げると、大きな穴が空いて砕け散ったガラス管から黄色い培養液が流れ出していた。
どうやらそれをまともに浴びたらしい。
床に広がった黄色い水たまりの上では、なんだか白くて小さい何かがピチピチ跳ねている。

僕は…無事だ。

でも、それがわかっても、何故か足の震えが止まらない。
だめだ、こんなことしてる場合じゃない。
僕はさっき通った入り口とは、反対側にある出口を目指してゆっくり歩きだした。
時間差で、少しずつ頭が回ってきた。
じわじわと脳裏に、自分の見てきたスーパーの構造が浮かび上がってくる。
周りの気配に用心しながら、バラバラに裂けた容器の散乱する通路をおぼつかない足取りで進む。
走るとぴちゃぴちゃ音を立ててしまう。
きっと撃ち合いがあったのだろう。
無数の樹脂が無残な姿で横たわっている。

再びの静寂。

力の抜けるような音楽だけがただ聞こえてくる。
このまま進んで、奥にある魚売り場を通り抜ければ恐らく出口だ。
ただその空間にあるのは丈の低い冷蔵庫だけで、言うなれば広場のようになっている。
射線を遮る棚などはない。
屈んで歩けば安全かもしれないが、背後から回られた場合を考えると結局一気に通り抜けるのが吉だろう。
あとは僕の足がしっかり動いてくれるのかどうか。
問題はそこだった。
そして、ついに僕は棚の端に辿りつく。

左を見た。

——誰もいない。

そして出口のある右。

僕は目を疑った。
魚売り場のど真ん中に、拳銃を構えた丈の短い黒男がいる。
男は誰かに狙いを定めていた。
そう…セバスチャンだ!
彼は通路側を見ていて狙われていることに気づいていない!

どうする???

僕はわからなくなって、咄嗟に持っていた空き瓶を男めがけて投げつけた!
頭にでも当たって気絶してくれないかという、超希望的観測だ。
しかし残念ながら僕の肩はそこまで強くない。
おまけに恐怖心でまともに腕に力が入らなかった。
僕の願いも虚しく、結局半分も届かない場所に瓶は落っこちた。

——だめだ、これじゃあ意味がない…!

ゲームセットを覚悟したその時、男は予想外の反応を見せた。
真後ろで突如鳴った瓶の炸裂音に驚いて、銃をセバスチャンへ向けたままこっちを振り返ったのだ。
さらに男だけではない。セバスチャンも、当然その音に気がついて、こっちを向いた。
男が僕の存在に気づき、銃をこちらに向けようと構え直す。
しかしもうその時には遅かった。
セバスチャンの手元から稲光が走る。
よく見ると、上を狙っていた。

上…?

金具の擦れる耳障りな音で鳥肌が立つ。
その瞬間、男の頭上から立派なカジキマグロが降ってきた!
視線が、一瞬天井の変化を捉える。
そして迫りくる青い巨体から逃げようと即座に四肢を動かした。
でも一歩遅かったようだ。
マグロの腹部が頭を直撃する。
なんだかとても鈍くて痛そうな重低音へ続くように、男はどすりと床へ倒れこんだ。

セバスチャンがすかさず駆け寄ってくる。

「おい、怪我はないか?大丈夫か?」

状況をまだ飲み込めていない僕は、うまく彼の言葉に答えられない。
「とりあえずこれでここに入ってきた二人は処理できたはずだ。さっさとここから逃げよう。」

僕はセバスチャンに無理やり引っ張られながら、雑多な物で散乱したスーパーを後にした。
…胸の拍動が強いまま収まらない。
まるで僕の頭の中はぐちゃぐちゃで、この先のことを考えようにも全く要領を得なかった。
ただ、それでも一つだけ確かなことがあった。

——僕はまだ、生きている。

今はただ漠然と浮かび上がる安堵と不安に、このちっぽけな体を竦みあがらせることしかできそうも無い。
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