5-2 黄昏時の宙(前)

文字数 6,000文字

ふと目を覚ますと…そこは28番ガレージ。
見慣れた光景だ。
地上から上がってきたばかりの頃といえば、眩い朝日と鳥のさえずりで目覚める毎日をしょっちゅう恋しがっていたものだけど、それはもうずっと昔のこと。
せっせせっせと1日1日を過ごしているうちに、そんな初々しい感情は何処かへ行ってしまった。
——代わり映えのしない毎日。
それはすなわち、”平和”な証拠だった。

でもそんな日々は突然終わりを告げる。

西暦2166年10月。
ネメシス内の御三家が、突如としてけたたましいサイレンを鳴らした。
code:Y。
ネメシスが奪取、または破壊されるリスクを示す警告である。

「おい!エレン!!」

28番ガレージにいた僕に声をかけたのはフィクサーだった。
彼の後ろにはカタギリ博士とその助手クリスもいる。
「…皆さんお揃いで。」
僕の言葉にフィクサーは声を荒げた。
「コードイエローだぞ!パープルじゃない、イエローだ!空襲警報みたいなもんだぞ!」
ものすごい剣幕で身を乗り出して来る彼に、僕は一歩後退りした。
彼に当たってどうする、と博士がフィクサーを制止する。
「しかし大ごとなのは事実だ。エレン、カタパルトの強化配備は君のおかげで順調に進んでいるが、今回とやらは少し慌てなければならないかもしれない。今日はそれを伝えに来たんだ。」
「…博士。」
「うん?」
「何故、このタイミングなんでしょうか。」
「…どういうことかな?」
「ご存知の通り私たちは丁度3日前、新たな迎撃用レールユニットをここに持ってきたばかりなんです。それも御三家の提案で。彼らのシミュレーターの試算では、瞬間防衛圏が以前より2倍近く広がったという結果も出ている。なのに"もっと警戒しろ"って、筋が通ってないと思いませんか。」

瞬間防衛圏とは、未確認機の迎撃指示を出されてから30秒以内に自軍が展開できる宙域のことで、簡単に言えば”敵に絶対に近付かれてはいけない距離”を示す。
打ち上げ直後のネメシスと言ったら、弱点を世界中に曝け出した急所の塊みたいな物だった。
なんなら核兵器の抑止力だけが頼りで、捨身なんてされよう物なら一瞬で制圧されていただろう。
あれは大戦が8年目を迎え、世界中が疲弊していたあのタイミングだったからこそできた所業だったのだ。
今…それから約4年の歳月が経ち、ここの防衛線は一転強固なものになった。
宇宙戦闘用の兵器開発が世界的に飛躍的な進歩を遂げたというのもあるが、迅速な場面展開を促すカタパルトの配備がそれを確実な物にしたと言って遜色ないだろう。
今なら、敵でもなんでもかかってこいと胸を張って言える。
では何故?
僕たちも見落とすような、致命的な欠陥がまだ隠れているのか。
「なあクリス、どうにかして御三家さんの頭ん中覗いたりできないのか?」
「フィクサー、さっき何度も言ったでしょ。御三家のプログラムとコード発令のプログラムは全く別なの。もし仮に御三家に介入があった時、構成するプログラムが同じだと適切な警告が我々になされなくなってしまう。だからコード発令は御三家に組み込まれた情報を使いながらも、その管轄権限が御三家には与えられていないのよ。だから万が一奇跡が起きて御三家の中身を覗くことができたとしても何故コードが出たのかまで知るのは無理。しかもコード発令のプログラムは自ら再構成を繰り返すようにできてるから、あのアーサーですら解読不可能なのよ。」
アーサーとは、御三家のプログラムをたった1人で組み上げた天才だ。
ネメシスの核を構成するプログラムに介入できるのは、この世界でアーサーとギブスだけだと言われている。
と言っても、いったいアーサーとは誰なのか、そもそも人間なのか、実在しているのかすら、定かではない。
「なあ、俺たちコンピューターはからっきしなんだぜ…?」
「ちょっと、僕まで含めないでよ。」
 彼は僕の声を無視して続ける。
「俺たちの希望はクリスだけなんだよ…!」
フィクサーはクリスにかなりダルい絡み方をする。
こんな光景は日常茶飯事だ。
その度に彼女は彼をはいはいと二つ返事であしらう。
なんだかんだこの場で一番余裕があるのはフィクサーなのかもしれない。
そんな事を考えていたら、皆はもう居なくなっていた。
今28番ガレージは、僕とハルしかいない。
閉じた扉の向こうからは、慌しい喧騒が漏れ聞こえてくる。

何故だろう。

胸騒ぎがする。
そしてこういう時の予感は、大抵当たる物だ。

この日を境に、ネメシスの空気はとても悪くなった。
何から大事に発展するかわからない。
クルー達は廊下を歩く僕にも、疑いの視線を常に送ってきた。
人間はこうも簡単に変わってしまうのか…。
僕は少し怖くなった。
確かに、まだ爆発は起こっていない。
ただもくもくと、目に見えないガスがネメシスに充満していっているのを感じた。
少しでも火花が散ろうものなら…。

「…エレン?大丈夫?」

見上げると、そこにはクリスがいた。
相変わらずクルーの制服は着ていない。
『“宇宙でスカート”なんて、趣味じゃない』のだそうだ。

「…テリヤキ?」
「そう。テリヤキ。」

その時僕たちはB棟の食堂にいた。
彼女が、トレーを置いて僕の前に座る。
クリスは鶏の照り焼きが大好きで、食堂に訪れてはしょっちゅうそれを口にしていた。
しかし今日のトレーにはもう一つ、見慣れないものが置いてある。
「ビール?クリス、お酒飲むんだね。」
「あら。こう見えても私、21なのよ?」
彼女はそう言って、僕にしたり顔をして見せる。
その表情に、僕は思わず笑ってしまった。
「エレン、ずーっと右手でスプーン持ったまま下向いてたんだよ。」
「…え?」
「だから寝てるのかなって思って近づいてみたら、眼が開いてて私びっくりしちゃった。」
「…考え事してたんだ。ごめん。ちょっと、疲れてて。」
ふーん、と鶏肉をもぐもぐしながら彼女は返す。
そんな彼女へ、僕は無意識に本音を漏らしていた。

「正直、皆が怖い。黄色信号(Code:Y)が出てから、ここの人達は変わった。」

「…私も?」

ごにょごにょ口を動かしながら尋ねてくる彼女に、少し僕は困った。
それでも、ちゃんと否定するべきことは否定しておかなければならない。
「…クリスは、友達だから。」
「…エレン。」
彼女は一回口の中のものを飲み込んでから、また続ける。

「こんな状況で、責任の重い仕事を着実にこなしていくのはそう簡単なことじゃない。あなたはよく頑張ってくれてるってカタギリ博士も仰ってた。」

「…。」

「私たち人間はね、AIとは違うの。それぞれ一人一人に、”正しい”と思うことがある。”正しい”と感じる己の規範に応じて、人は行動する。でも、その結果が未来でどうなるかは誰にもわからない。大切なのは、それが誰のための”正しさ”なのかということ。」

「エレン。あなたの”正しさ”は、決して独りよがりなものではない。自分ではない他の人たちのために、あなたは自分の時間を使うことができる。私もフィクサーも、それをよく知っているわ。」

「だからもしあなたが誰かに後ろ指をさされたり、冷たい視線を送られるようなことがあったとしても、怯まず堂々とするの。自信をなくしたり、周りまで見失ってしまう必要はない。」

"わかった?"
そう言って彼女は僕に微笑んだ。
「…ありがとう。」
「うん。じゃあエレンの唐揚げ一つ貰うね。」
「え」
そう言って彼女は僕のトレーから揚げ物を一つ掠め取った。
ちょっと待って——そう僕が言おうとした頃には、それはもう彼女の口の中だった。

何でもない、それは他愛のない時間。
こんな時でも、友達は変わりなく僕と接してくれる。
彼女たちとはきっとこれからも、ずっとこの宙で共に頑張っていくのだろう。
この時僕はそう思った。


11日後、僕は違和感の中28番ガレージで目を覚ました。
いつも以上に外が騒がしい。
なんだ…?と独り言を呟きながら寝惚け眼を擦っていると、突然ガレージの扉が開いた。
そこには血相を変えて走るフィクサーと、彼に左腕を引かれるクリスの姿。
どうしたの?
まだ霞んだ声で尋ねようとしたら、彼に先を越された。
「どこか隠れられるところは!」
いきなり切迫した声で叫ばれて、僕は焦る。
「…え?どうしたの?」
「隠れ場所を探してるんだ!」
「いや隠れるって…」
「エレン!!」
こんなフィクサーは初めて見た。
僕はちょっとおどおどしながら彼らを4機目のカタパルトの裏へ案内する。
「いきなり押しかけてきて何も言わないなんて…」
その瞬間、ガレージの扉が再び開いた。

僕は直後、度肝を抜かれることになる。

濁流のように20人以上のクルー達が大群をなして押し寄せてきたからだ。
28番ガレージはハルを含めた4機のカタパルトが設置されたスペースで、1機1機が大きいためあまり大人数が入り込める広さはない。
なんなら僕のパーソナルスペースみたいなものだから、あまりに想定外の展開にひょっとしてまだ夢を見ているのではと刹那自らを疑った。
頬をつねる。

…痛い。

「ちょちょ…ちょっと待ってください、これは一体なんなんですか!」
冷や汗をかきながら先頭の男に向けて僕は叫んだ。
「ここにお前くらいの年の男女が入ってきただろう、どこに行った。」
荒々しい声で男は言う。
もはや外観は暴徒だ。
どうやらかなり大変な事態に彼らは巻き込まれてしまったらしい。
怖い!!!と叫ぶ心を押し殺して、僕は返す。
「ちょっと何を仰っているのか私にはわかりかねます。」
「おい。」
男はグッと顔面を僕へ近づけた。
ちょっと臭いぞ。
流石に言う度胸はなかった。
「あまり俺たちを舐めない方がいいぞ?」
…うっ。
僕は体の震えを殺して胸元に下げたカードを見えるように掲げた。
「僕は合衆国大統領から…直々に上級職員としての権限を与えられています。その意味がわかりますか?」
「生意気なこと言ってんじゃねえぞこのクソガキ!」
やばい…!
心が叫ぶ。
でも掴みかかろうと迫る男に僕は怯んで動けない。
「おいちょっと待てって!」
顔を真っ赤にした男の肩へ手が伸びる。
もう1人、後ろから男が出てきた。
「邪魔すんな!」
「いや落ち着け!あれに手を出すのはやばい。」
「なんでこんなガキが権限持ってんだよ!」
「俺に聞かれてもわかるわけないだろ!だがあれは紛れもなく本物だ。下手したら俺たちが血祭りなんだぞ!」
男たちが僕を見つめた。
僕も負けじと見つめ返す。
今度はガレージを見回した。
そうして…一瞬目を伏せる。
「…仕方ねぇ。引き上げるぞ!」
どうやら…僕の勝ちだ。

「もう終わったよ。」
僕は一言呟く。
「あぁ、助かった。」
ガレージの隅から背中を丸めた2人が現れる。
「一体何があったのか説明してよ。」
「いやここから出るのが先だ。」
「フィクサー、エレンには…」
「わかってる、でも今は時間がない。」
言葉を交わすクリスとフィクサーを見て、僕は突っかかる。
「ここから出るったって、当分は無理だよ。絶対外で待ってるもん。あの人たち2人がここにいるって確信持ってたし。」
「ああそうだなエレン。」
「…?」
「裏口の場所を教えてくれ。」
「えぇっ?」
僕は思わず目が泳いだ。
「…なんのことかなあ。」
「お前は真面目に見えてずる賢い。仕事やってる風に見せて、ちょこちょこ部屋から抜け出してたこと誰にもバレてないと思ってたのか?」
げぇっ…
「エレン。」
彼は僕の目を見て続ける。
「俺は別にお前を脅してるわけじゃない。このことは誰にも言ってないし、これからも言う気はない。ただ助けて欲しいんだ。裏口を使わせて欲しい。どうにかカタギリ博士の研究室まで逃げ込めれば、事態が収まるまで隠れ切れるかもしれないんだ。」
いつ裏口の存在に気がついたのか。
あれこれ問い詰めたかったけれど、そんな余裕はなさそうだ。
「…わかった。行こう、こっちだよ。」
僕は足元の大きなタイルを一枚持ち上げる。
下へと伸びる梯子を降りていくと、その先は作業用ドックだ。
「ここにくるのは久方ぶりだな。次は本当に飛ばす時だと思ってた。」
フィクサーが懐かしげに呟く。
「そうだね。正直この梯子を誰かと降りる日が来るとは思ってなかったよ。」
「ん?前来ただろ、テスト機を試験飛行させる時に。」
「…下を見てごらん。」
頭上で息を呑む声がした。
彼がびっくりして手を離しでもしたら下にいる僕も巻き添えだ。
「フィクサーたちが前使ったのはハルの整備用ドックだよ。こっちじゃない。この梯子はドックよりも下を通る非常用トンネルに繋がってるんだ。だから少し深い。」
「…なるほどな。」
「高いのは苦手?」
「…少し。」
「もう終わるよ。」
僕は梯子を降りきると、屈んで左を指差した。
「向こうが研究室の方向。3番目の梯子を上がれば100m朱雀側の通路へ出るよ。」
「お前も来てくれないのか?」
僕は口を尖らせた。
「僕まであの部屋からいなくなったら、もしまた奴らが来た時に不自然でしょ。」
クリスも同意した。
「そうね。私たちだけで行きましょう。エレン、巻き込んでごめんね。」
「大丈夫。気をつけてね。」
鉄の上を歩く二つの冷たい音が鼓膜に響く。
ただでさえ暗いトンネルの中だ。
あっという間に彼らは見えなくなった。
…B28に戻ろう。
しかし彼らの身に一体何があったのだろうか。
結局何もわからないまま送り出してしまった。
本当にこれで良かったのだろうか?
しばらくもじもじしているうちに、段々いてもたってもいられなくなってきた。
…彼らを追おう。
好奇心なのか、友達を心配しているのか、それはよくわからない。
でもふと気づいた時には、梯子を上り切り通路への蓋を持ち上げていた。

「…ざけるな!たかが写真一枚で決めつけんじゃねえ!」

え?

「私はただ、何故コードイエローが出たのか知りたかっただけなんです!私は…」
戸惑うクリスと、荒ぶるフィクサーの声に僕は焦った。

「もしよろしければ、任意でご同行願いたいのですが、如何でしょう。」

この音は、メイテックの声だ。
メイテックとはネメシスを管理するセキュリティロボットである。
そのジョイントの動く音がそばで聞こえ僕は慌てて蓋で身を隠した。
何が起こってるんだ。
だめだだめだ、隠れている場合ではない。
もう一度、そっと蓋を持ち上げる。
「おいちょっと待てよ、いきなり取り調べなんて…」
「フィクサー黙って。」
ピシャリとクリスが遮る。
沈黙が続いた。
「まさか行く気じゃないよな?」

「…大丈夫。」

そのあとは、小さなモーター音と、フィクサーの息遣い、そしてそれに1人ついて歩く足音がただ遠ざかっていくだけだった。
何が起きているのか、わからなかった。
そして最後まで彼らと共に動こうとしなかったことを、僕は酷く悔やみ…自分の情けなさを呪った。

——今思えば、あの時既に僕たちの裏で計画は動き始めていたのかもしれない。
ネメシスを喰らう最初で最後のクーデター。
後に「黒猫の寝返り」と呼ばれるそれは、ここから298日後の出来事であった…。

(後)に続く
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