3-1 春風の暖かさに

文字数 3,497文字

"えぇ!?"
ハルの驚きに満ちた声を僕は確かに聞いた。
「まさか今になって射出用のロケットブースターを切らすなんてねえ…」
後ろから聞き慣れた男の声がする。
「フィクサー…勝手に入ってこないでよ。」
「おいおい釣れないこと言うなって。これから俺たち一緒に頑張っていかなきゃいけないんだからさ?なあエレン。」

2162年11月20日。
核搭載型衛星兵器ネメシスが本格的に運用されてから早2週間。
ここ最近はWPAの自衛軍がネメシス周辺をパトロールする為頻繁に出撃を繰り返していた。
無重力下において発進時の充分な推進力を生み出すには、急遽宇宙用にチューンナップした現機体のエンジンだけではまだ足りない。だから使い捨てのロケットブースターを毎度機体に取り付けどうにか誤魔化してきた。
が、そのロケットブースターが底を尽きたらしい。
そんな状況で白羽の矢が立ったのがこのカタパルト——第三次世界大戦で戦いの核になった電磁誘導型機体射出機。
元々これはまだネメシスへ配備される予定がなかったもので、僕が直接「御三家」と呼ばれるAI達に提案した結果置かれたものだ。
見切り発車的に打ち上げられたこのネメシスには、正直まだまだ弱点が多すぎる。
そしてその一つが、さっそく露呈してしまったというわけだ。
次のカタパルトが設置されるまで、しばらくは(ハル)に頑張ってもらわなければならない。
とはいえそれがいつになるのやら…。
本国の技師は大戦で大勢死んだ。
あまり期待するべきではないだろう。
「で、何の用でここに来たの。ハル?」
フィクサーは鼻を鳴らした。
「なぁ、まじで物に名前をつけるのやめろって…。こんな鉄の塊を、"ハル"なんて呼んでるやつこの宇宙探してもお前か、チャンドラ博士くらいだぞ?」
チャンドラ博士とは、『2001年宇宙の旅』に登場する技術者だ。
「彼は僕の子供同然なんだ。整備士には分からないさ。」
「ならほんと、俺は整備士で良かったと思ってるよ。」
「で、要件は?わざわざ来なくてもHANDYに送ってくれればよかったのに。」
HANDYとは僕たちが身につけている高機能義手のことだ。
工具を装着したり、機械演算を任せたり…時に連絡手段となったり。
ただ何かと見た目が物々しいので、普段はカバーをつけて隠している。
「あぁいやそうそう、偉大な大統領先生がこっちに来てるんだと。それで、迎えに俺たちが出なきゃいけないから今すぐ支度しろってカタギリ博士がな。」
「…ギブスが?」
ここの開発指揮をとっていたのは他でもないあの大統領。
であるならば、足を運びにここへ訪れるというのも自然な流れだろう。

——時は遡って2081年。
GDPの覇権をとうとう中国へ明け渡してから、『超大国』アメリカの威厳はことごとく失墜することとなった。
経済においては、特に製造業での遅れが致命傷だったと言えるだろう。
中東地域の地価が原油資源の枯渇によって暴落した影響で、多くの民間企業が土地を求めて流れ出た。
それだけじゃない。
そんな中東の再建を買って出たのは中国やインドを含む東アジア・南アジアの国々だった。
これが欧米諸国に与えた影響は甚大だ。
技術や資本、その多くが中東地域、そして主に東側諸国へと動いてしまったのだから。
経済力は、そのまま軍事力と比例する。
危機感を覚えたEUは衰退していくアメリカへ例外的に加盟を促したが、"偉大な"アメリカ像から離れられかった当時のエリクソン大統領はそれを拒否。
それだけではない。米国は2090年にWTO を脱退。ロシアや中南米とのFTAも、立て続けにその全てを破棄した。
結果としてこれが2103年のプエルトリコ侵攻、2116年の米露アラスカ戦争へ間接的に導いたのだと、教科書では伝えられている。
度重なる外交的失態。
大国としての権威を完全に失った、そんなアメリカを救った男こそ、まさにギブスだったのだ。
「おいおいB28から第4格納庫までってこんなに遠かったのかよ…!」
徐々に早足になっていくフィクサーが愚痴る。
「…格納庫?演説でもするの?」
「あぁそうだ、まずいなこのペースじゃ着いた頃には始まってるぞ。」
「…出迎えなんじゃなかったのか?」
「やめてくれ、どうせこの後こってり絞られるんだ…。」

ギブス・ステイン大統領。
その頭脳と権力で、第三次世界大戦を終わらせた男。
"ダミー空母の展開"や"自国無人基地への自傷核"などを代表とする彼の奇想天外な戦略は、多くの倫理的批判を孕みつつも連合国を終戦へと導いた。
今考えれば、それらはネメシスを有効化するまでの時間稼ぎだったのかもしれない。
少なくとも彼が居なければこの星は全面核戦争で廃墟と化していた。
被害がこの程度で済んだのは、この男のおかげであることに疑いの余地はない。
そんな彼は、今や衛星兵器ネメシスの責任者として、地球全体の平和維持を担うリーダーとして…ここにやってきている。
この星のリーダー…。
確かにそうだ。でも、僕にとって彼は、不思議とそんな存在には感じなかった。
何を言っているんだと思われるかもしれない。
でも僕には「先生」というか、「父親」というか、そんな風に思えてならなかった。
そう、僕は物心つく前からギブスと面識があった。
いつも紺色のジャケットを身に纏い、東海岸の陽で焼けた浅黒い肌、スラリと高い鼻が印象的な人だった。
僕はいつから彼を知っているのか…詳しくはよく覚えていない。
ただギブスは生まれつき左手のない僕に義手を与え、機械いじりの楽しさを学ばせてくれた。
ハルと出会わせてくれたのも、僕の居場所を作ってくれたのも、全てギブスなのだ。
でも勿論、もう彼は今大統領で、僕はただの技術者。
直接言葉を交わせるような間柄ではない。
でも、彼に会えるということが、ただそれだけのことが、強く僕の胸を高鳴らせている。
そしてふと気がついた時には、もう第4格納庫でシークレットサービスのチェックを終えていた。
張りのある、力強い声が、外にまで漏れ聞こえている。
僕らは上がった息を抑えながら、裏口の、重たい鉄扉を開いた。
——簡易的なステージの真ん中、大統領首席補佐官ピープルズの隣に立っている男。
ギブスだ。
僕の前に、ギブスがいる。
目が眩むほど眩しい照明に照らされ、僕にはその輪郭しか捉えられなかった。

「…大いなる平和維持のために、その身と、命を預けてくれた諸君に、ここではっきり伝えたい。」

「私たち人類は、"世界大戦"という決して犯してはならない過ちを犯した。その罪は、私たちの歴史の中で、永遠に汚点として語り継がれるだろう。」

「しかし同時にこのネメシスは、人類が戦いによって滅んでしまうよりも早くあの大戦を終結へと導いた。この事実もまた、これまでの人類史において決して類を見ないものだ。」

「では果たしてこれは功績だろうか。ネメシスを作り上げた私たちは世界を平和に導いた英雄だろうか。」

「…答えは否だ。」

「ここはあくまで分岐点に過ぎない。『平和』という永遠に答えの出ない結果を求めて、我々はただ命枯れるまで未来へと歩き続ける。」

「ここに宣言しよう。私はWPAにおいて、争いの火種となり得るあらゆる人種・民族による差別を認めない。ネメシスによる攻撃を防ぐための手段も、一切厭わない。我々の星と人々の命、そして権利を守るために、この身を捧げよう。」

「…君たちは、永遠に英雄となることはない。誰にも知られることなく、その任を終えることとなる。」

「しかし私は、他でもない君たちに協力を求めたい。」

「人類の平和と、未来を、汚さないために。」

「私たち人類の未来は、このネメシスから再出発する。」

「私たち人類の未来は、私たちが命をかけて守り抜く。」

「私たち人類の未来は、過去に刻まれた愚を一切として認めない。」

「我々が、変革し成長すること。」

それこそが、『過ち』の存在しうる理由なのだから。

僕は全部分かっていた。
彼がここにやって来るという事実が持つ政治的意味合いを。
これから僕たちが世界に担うことになる役割を。
そして僕たちの間に固く結ばれた紐帯を。
分かっていたつもりだった。
——でも違った。
あの胸の高鳴りは、ただの興奮ではなかった。
僕の直感が訴えていたのだ。
僕たちの関係性に眠る、漠然とした「危険性(Vulnerability)」。

夢の中で、僕は全てを俯瞰して、虚しくなった。
どれだけここから叫んでも、あの頃の僕は気付かない。気付く訳がない。
何故なら毎日が眩しかったから。
美しい光に目が眩んでいたから。

暗がりに眠る罠など、眼中にはなかった。
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