15-5 だましうち

文字数 2,770文字

何もかも、彼女だった。
様々な人種の集う真新しい世界の中で、僕を支えてくれたのも。
技術面で難しい局面に立たされた時、黙って助けてくれたのも。
神経質な過去を忘れ、”今”を生きられるようにしてくれたのも。
頭から焼きついて離れない。
それは彼女の笑顔と…死に様。
1発目を受けた時、クリスにはまだ呼吸があった。
でもギブスはそれを許さなかった。
床へ横たわる彼女めがけ、もう2発…撃ち込んだ。
その瞬間の血飛沫は、まるで真っ赤な椿が花開いたかのように華やかだった。
…そして彼女は、動かなくなった。

残虐としか言いようがない。

彼女は大勢の前で突然殺された。

何が起きたのか明らかにされる前に、彼女は殺された。

意味がわからなかった。
論理的整合性を全く見つけられなかった。
憎悪が沸き立った。
そして後悔でズタズタになる。
絶望に襲われた。
虚無だ。
あの時と同じ。
結局世界は、何も変わっていなかった。
僕を戦争から立ち上がらせてくれたのが彼女なら、もう僕に今を生きる理由なんてない。
強く噛み締めた唇は、血塗れになった。
痛みも忘れて噛み続けていた。
涙は…出てこない。
もうどうでもよかった。
ギブスも、クリスも失った。
僕はもう、この世界で1人だけだ。

どろどろとした粘り気のある時が、耳障りな残響を纏ってただひたすらに流れていく。

しばらく、床に座り尽くしていた。
クリスの遺体はメイテックが手際良く片付け、野次馬の群衆も散り散りにどこかへ去っていく。
僕だけだ。
僕だけ、時が進まない。
このまま床に穴がぽっかり空いて、何もかも宙へ飲み込まれてしまえばいいのに。

途端に全てがどうでもよくなった。

B28に戻ろう。
自ら作り上げたハルと共に…死のう。
こんな荒んだ世界で、僕はもう生きられない。
理想と信じたこの場所すら、父と慕った男すら、僕を裏切った。
歴史に残るような愚行を、その罪だけを僕へ残して。
全てを孤独に背負って生きられるほど、僕は強くない。

どれだけの時間が経っただろう。
遠回りをしたのか、最短距離で向かったのか、それすら覚えていない。
靄のかかった世界を歩き続け、気づけばそこはB28だった。
ふわふわ浮いている気分だ。
足に力がうまく入らない。
なのに体は不思議と前へ進む。
あぁ。
絶対そんな生き方はごめんだ。
一思いにやってしまおう。
だがその時、ガレージの扉が開いた。
…僕の邪魔をするな。
「今取り込み中なので出てってもらえますか。」
振り返らず叫ぶ。
「エレン様。」
「…出てってください。」
「エレン様、」
「出てけよ!」
振り返って叫んだ。
だがその姿を見て、とっさに我に返る。
「…ピアース?」
「エレン様、大変ご無沙汰しております。」
シークレットサービスのウィリアム・ピアース。

——シークレットサービス?

咄嗟に感情が爆発した。
僕はピアースに飛びかかる。
首には届かない。それでもスーツの下襟を強く掴んで引っ張った。
何故クリスを殺したっ!!!
張り裂けるほどの絶叫に、ピアースの後ろから別のシークレットサービス達が様子を見にやってくる。
「大丈夫だ、下がっていろ。」
すぐさま僕にM9を構えようとした彼らへ、ピアースは告げた。
彼はなされるがまま、僕の腕を掴もうとすらしない。
鎮まっていたはずの炎が再び燃え上がる。
「何故クリスが殺されるのを黙って見てたっ!」
ピアースは僕の目をじっと見つめながら低い声で言う。
「大統領はいつだって、世界のために行動されるお方です。」
「ふざけるな!!」
「あなたも、それはよくご存じのはずでしょう。」
「…!」
一瞬手の力が緩む。
…そうだ。
僕だってまだ、信じられない。
ギブスが彼女を殺すなんて絶対…何かの間違いだ。
でも目の前で見た。
世界は歪んでいる。
これまで知り得た論理は、もう全て灰と化した。
僕の中の"常識"にもはや価値などない。
「だったらなんで…なんでなんだよ…。」
床へ崩れ落ちる僕の肩をピアースはそっと支える。
「本日はエレン様へ、お渡しするものがあって参りました。」
そう言うと彼は背後から、小さな段ボール箱を差し出す。
僕は悪態をついた。
「確かに…プレゼントを渡すには最高のタイミングですよね。」
「…エレン様。」
「もう1人にしてください。…少しでも僕のことを思うなら。」
掠れた声で懇願した。
…もう限界だ。
ピアースは何か言いたげだった。
でも少し口を開いてから、グッと噤んだ。
「それではこれで失礼致します。幸運を。」

ピアースは僕の肩へそっと手を置いてから、踵を返し立ち去っていった。

B28には僕とハルと、そして小さな段ボールだけが残される。
再び僕らは静かになった。

———。

…開けてみよう。
こんな状況になっても、まだ好奇心は健在なようだ。
我慢できない。
別に死ぬのは中身を見た後でもいいじゃないか。
…情けないな。本当に。

僕は恐る恐る半開きになった箱へ手を伸ばした。
段ボールが床を擦り、耳障りな音がする。
息を吸い込んだ。
そして一気に吐く。
何かを予感して心臓が高鳴った。
でもどうせすぐに自ら止めてしまうのだ。
気にするな。
自分に言い聞かせる。
僕は床へ座り込み、ゆっくりと蓋を開けた。

「………!」

真っ先に目に飛び込んできたのは、一枚の写真だった。
息ができなかった。
胸の中で押し殺していたものが、濁流となって一気に押し寄せた。
今僕の指先で、彼女は笑っている。
眩しかった。
そしてその輝きがあまりにも辛かった。
絶対的な絶望は、明るかった過去を通して相対的な絶望となった。
すぐそこにあったはずのものだ。
途方もないやりきれなさに飲み込まれ、窒息してしまいそうだった。

「…なんだそれ。」

「フィクサー…?」

気がつけば、目の前に彼が立っていた。
視線はその一つを捉えたまま、決して微動だにしない。

「…なんでそんなもの持ってるんだよ。」

「…。」

なんでかって聞いてるんだ!!
彼は僕の手を掴んで無理やり引っ張った。
まぶたが震えた。

彼もきっと、僕と同じだ。
虚しくてたまらなくなった。
自分を客観視することで、僕はますます惨めになった。

「なあ嘘なんだろ?あいつらが言ってることは、全部嘘なんだろ?そうだよな?なんだ、お前が今してるのも、ああきっと何かの偶然だ、そうだよな?」
「………。」
「ふん、あいつら俺たちをまだ犯人だと疑ってるから、嘘ついてるんだ。笑えるぜ、そういうことだろ?」
「………。」
「なんか言えっ!」

クリスは死んだんだよ!

B28に、僕の叫び声だけがこだました。
初めて口にするその言葉。

クリスは、死んだ。

僕の友達だったクリスは、死んだんだ。

悲しい。

寂しい。

そんなあまりに愚直な感情が、突然友を前にして溢れ出した。

堪えきれなかった。

身を委ねるしかなかった。

喚き叫んだ。

床を叩きつけた。

そうして力尽き果てるまで、僕たちは泣いた。

そこは暗く静かな宇宙の隅。
ただ虚しい号哭だけが、いつまでも響き続けていた。
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