7 引き金
文字数 5,292文字
時は月を跨いで10月になった。
…耳障りの悪い脅迫から始まった2人旅。
だが案外そう不自由を感じるようなものでもなかった。
“監視”をされている…と言えばそれまでだが、セバスチャンは僕の行き先や行動に対して特に文句を言ったりしない。
ゆったりと、一定のペースを守って後ろを歩いているだけだ。
僕1人の時間も尊重してくれている。
僕の視線を敏感に感じ取って、食事するテーブルだったり宿泊する部屋だったりを彼はその都度ずらした。
僕はその度に、彼の元から逃げ出すチャンスを与えられていた。
でも、不思議と僕の体は全く動かなかった。
何故かはわからない。
だが僕はそこに運命めいたものを感じて、そして自分の直感を信じて、今はまだこのままにしておくことにした。
心地いいのだろうか?
一緒にいるときは、僕が何も言わずとも勝手にどうでもいい話を1人で喋り倒して、そのせいで変な片頭痛に悩まされるようなことも度々あったというのに。
でもおかげで退屈とも縁遠い。
一先ず、平坦で変化に乏しいヨーロッパの真ん中でホームシックに苦しむことはなさそうだ。
勿論、彼への警戒を緩めたわけでは無い。
彼は警察官。
——GRAの使いで、僕たちの敵だ。
僕たちはボンの街を出て、さらに西、ベルギーとドイツの国境に近いアーヘンへと辿り着いた。
鉄道を使えばフランクフルトから約一時間半でここまで来られたらしい。
まああんなこと があったせいでどのみち電車は動いていなかったから、結局致し方なかったのだけれど。
セバスチャンは、呑気にもボンの街を見て回りたいと言った。
そんな時間は無い。
ピシャリと跳ね除けたが、アーヘンに着いてから彼はまた同じようなことを言い始めた。
ここにやってきたのは、ドイツの国境を超えてベルギーへ向かうためである。
なのに彼は、
「えぇ…せっかく来たのに寄り道もしないなんて、心が狭いぜ兄貴〜」
なんて駄々をこねるものだから、とうとう根負けして、少しだけ歩いてみることにした。
アーヘン。
最も有名な観光地、アーヘン大聖堂では16世紀まで歴代の名だたるローマ皇帝達が戴冠式を行ってきた。
ドイツの前身、神聖ローマ帝国の中心地となった街だ。
あらゆる大工の色んな趣味を全部混ぜ込んだような建築物が多く立ち並び、市内の至る所で温泉が湧き出ている。
他にも灰色の石畳、煉瓦造りのアパート、鳥の囀りを漏らす小綺麗な木々、そして曇った空を突き刺すように天へと伸びるベルクフリート 。
全てがこの眼球を捉えて離さない。
街自体もそれなりに栄えていて、活気がある。
ただ道路網はヒトの毛細血管並みにぐちゃぐちゃだ。
街の大聖堂へいつまでも辿り着けない賢者を笑う諺が生まれるのも、ある意味納得かも。
この地アーヘンは過去幾度もの戦禍に巻き込まれその度に復興を遂げてきた。
古くは9世紀のノルマン人襲撃から、三十年戦争、第二次世界大戦…。
歴史的に重要な地でありながら、その裏には人々の汗と涙の残り香が染み付いている。
そして幸運なことに、第三次世界大戦でアーヘンは被害に遭わなかった。
「なあ、お前も一枚食ってみろって!」
1人考え事をしている僕に、セバスチャンはプリンテンというクッキーを一枚差し出してきた。
左腕に抱えられた袋の中には、香ばしい色のした焼き菓子がいっぱいに詰まっている。
いつの間にそんなもの買ってきたのか…。
要らない、と振り払おうとしたその時だった。
「………?」
——何かがおかしい。
直感的にそう思った。
感じ慣れない不思議な感覚で、何故か酔いそうになる。
うん?と周りの人々も辺りを見回し始めた。
僕だけでは無いようだ。
先にある灯の消えたガス灯から、真っ白な鳥達がバサバサっと飛び去っていく。
僕は自分の目を疑った。
ガス灯が、揺れている。
「お、おい、これ…地震か?」
「…馬鹿な。ドイツで地震なんて聞いたことがない。」
ドイツは地震の少ない国として有名だ。
その人生で一度も地震というものを経験しない国民すらいるほどに。
ただそもそも、僕には違和感があった。
…自然現象にしては、揺れが整い過ぎている。
不吉な予感が鳥肌を誘う。
何故か。
僕は、このような揺れを過去に一度、経験したことがあるからだ。
「テレビ…」
「うん?」
「テレビだ…テレビを探さないと!」
「お、おいちょっと待ってくれって!」
言葉にできないほどおぞましいことが起こっている。
僕にはそんな予感がしてならなかった。
別に杞憂であればそれでいい。
もし仮にこの勘が当たっているなら…何かしらの変化が起こるだろう。
少しして、僕は3ブロック先のカフェでようやくテレビを見つけることができた。
交差点沿いに面した、昔懐かしいコンクリート調のカフェだ。
所々黄ばんだ壁が年季を感じさせる。
風が素敵なパンの香りを運んできていたから、ここにカフェがあるのはすぐにわかった。
僕が店内へ駆け込むと、定員さんは笑顔で僕に声をかけた。
「どうもこんにち…」
「テレビを見せてもらえますか!」
当然、驚いた顔をされた。
「て、テレビですか?え、えぇ…どうぞ。」
そこに映し出されていたのは、普段料理をしない男達が慣れない料理に挑戦するという典型的な料理番組だった。
丸々と太ったガタイのいい男が、平然と鶏肉を洗おうとして周りから集中砲火を浴びている。
…気の毒に。ただ純粋なだけなのに、こうも見せ物にされてしまうなんて。
いやそんなことはどうでもいい。
画面の中でさっきの男が卵を割るのに悪戦苦闘している。
そしてよしリベンジだ、と三つ目の卵に手を伸ばす…。
プツッ、と耳障りなノイズ音がした。
まるで何かの糸を断つような、そんな音だった。
テレビは質素な画面に切り替わる。
透明なデスクと、一人のキャスター。
ウサギでもわかる。
即席のニュース番組だ。
僕は寒気を堪え、画面に映る彼女の言葉を待った。
このパターンは10年前に散々見た。
僕の、いや、この時代を生きる人々のトラウマだ。
…違う。
もうこんなものを見なくていい世界になるはずだったのだ。
店中の視線がテレビへと向くのがわかる。
さっき僕に声をかけた店員さんも、無論その一人だった。
「平和を愛する地球の皆様、こんにちは。私ルーシー・ウィリアムズが、新連邦政府より臨時ニュースをお伝えします。」
僕はふーっと息を吐いた。
人々も固唾をのんでテレビを凝視している。
彼女——ルーシーは表情一つ変えず言葉を続ける。
「昨日フランクフルトにて発生した爆発事件におきまして、現地は甚大な被害、多数の死傷者が発生しました。」
映像が切り替わる。
画面には、木っ端微塵に上層部が吹き飛ぶ駅ビルと、ボロボロに灼け爛れながら歩き回る市民達の姿が映し出されていた。
…喫茶店で見る映像ではないだろう。どこからか、えずくような声が聞こえた。
「当局はこの事件を、ハイデルベルク ・ミラノなどに続く卑劣なテロ行為とし、断固として容認せず、徹底的に、反政府組織を殲滅する所存です。」
「おいオリバー!探したんだぞ!そうかテレビ見つけ…」
「これに際し、連邦政府は反政府組織に対して報復攻撃を行なった旨、ここにお知らせ致します。」
また画面が切り替わった。
美しい緑と川に挟まれた盆地のような場所、その真ん中に、ぽっかりと大きな穴が空いている。
まるでアイスクリームディッシャーで丸ごとえぐりとったみたいに、それは不自然なまでに美しく、"消え"ていた。
「おいこれって…」
セバスチャンが一歩、後ずさりした。植物樹脂の潰れる音が、続いて微かに聞こえた。
店内は重苦しい空気に包まれている。
それでも陽気に流れ続けるジャズの音色。
美しいはずの音楽がこれほど皮肉に聞こえたことは、今まで無かったかもしれない。
——ネメシスが、撃った。
マグワイア以来、二度目の発射。クーデター以降主権がGRAに移ってからは初…ということになる。
ベルギー当局は未だ沈黙を貫いている。
当たり前だ。
宙にいるGRAへは逆らえない。
迎撃不可能な核弾頭が、地球人全てを黙らせている。
これは完全なる支配。独裁だ。
平和なんかじゃない。
多分、御三家の管理下にあった以前なら、こんなことにはならなかったはずだ。
ギブスのいた、あの時なら。
——違う。そういう問題ではない。
とにかく、状況を整理したい。
僕はその一心で、Argosを起動した。
セバスチャンはしばらく口を開いていない。
後ずさりをしたあの時から全く動かず、店員によって消されたテレビを眺め続けている。
…想像通りの反応だった。
ただ一般人として恐怖しているわけでは無い。
それは彼であるが故の怒り、嘆きなのか。
核が落とされたのは、アーヘンより西に約100km離れたベルギーの街、ナミュール。
かつては"ムーズ川の真珠"とも呼ばれたその場所に、何故核攻撃が行われたのか。
詳しいことはArgosでもわからなかった。
…ふぅ。
こういう時は難しいことを考えない方がいい。
あれこれ思えば思うほど、どんどん闇に足を取られてしまうからだ。
戦争を生き抜くにはまず行動あるのみ。
二度と活かしたくないと思っていた教訓が、今再び日の目を見ようとしている。
ただ少なくともルート変更は余儀なくされそうだった。
核が撃たれたベルギーを横断する勇気など僕にはない。
…よし。
とりあえず、必要最低限の情報は得た。
十分アーヘンは歩き回ったし、もう移動してもいいだろう。
僕は荷物をリュックにしまい、店を後にしようとする。
セバスチャンは目で僕を追った。
店から出て行く僕に、無言でついてくる。
そこに陽気な声で無駄話を垂れ流すいつものような元気は一切垣間見えてこない。
結局、僕たちは国境沿いを南下しベルギーの隣国であるルクセンブルクの国境を超えた。
お陰様で電車は全くだ。
僕はタクシーを捕まえ、200km近く延々と移動した。
セバスチャンが、道中徐に口を開く。
「…お前の言う通りかもしれない。」
「…?」
「お父さん、無事だといいな。」
一瞬何のことだかわからなかった。
だが反政府組織への核攻撃であったことを思い出して、その真意を察した。
「…テロリストの無事を祈るなんて、警察官が言っちゃいけないことなんじゃないのか。」
いいや、と彼は首を振った。
「誰かが死ぬのを喜ぶ人間なんていないさ。」
しばらくして、僕らは首都ルクセンブルクへと辿り着いた。
鬱屈とした車内から出るや否や、外の心地良い風が全身を撫でおろす。
——ルクセンブルク。
隣国に核が落ちたとあって、街の人々はどこか忙しない。
でもそんなことより僕はとにかくお腹が空いていた。
アーヘンでも食事をする暇がなかったし、ずっと考え、動き続けていたのだ。何かお腹に入れたい。
するとタクシーを降りた場所のすぐ側に、大きなショッピングセンターがあった。
ちょうどいい。フードコートでもあればそこで簡単に済ませてしまおう。
中へ入る前に、鼻頭と顎へ米粒サイズの反射板を貼り付けた。
一々監視カメラをハッキングするより、ずっと楽な防衛策だ。
近づいてみると、思っていたよりも立派な建物だった。
大体5階建くらいだろうか、上を見上げると吹き抜けになっていて、ガラス張りの天井が太陽の光でキラキラと輝いている。
曲線美を意識した、清潔感のある場所だ。
しかし人が多い。
夕方なのに…いや今日は休日か?
曜日感覚がないとこういう時に支障が出る。
わかっていればこんなところには来なかったのに。
まあそんなことはいいか。
しばらく施設内を迷っていると、どこからともなく漂うかぐわしい香りが僕の意識を捉えた。
…食べ物だ。食べ物がそこにある!
核が落ちてからというもの疲弊しきっていた心身が本能のまま涎を垂らしている。
僕は一心不乱に鼻をひくつかせその出処を探った。
他人に警官 と言う資格なんてなかったな。
匂いを追って歩いていると、腰程度の高さの柵の向こうに、秩序立って並べられた真っ白いテーブルの数々を見つけた。
ここだ。ここに違いない。
さて何を食べようか。
せっかくだし体に悪そうなものをお腹いっぱい食べるのも良い。
揚げたてホクホクのフライドポテト、タルタルソースのたっぷりかかった三段重ねのハンバーガー…
核が落ちたことなんて一回後だ。
至福の瞬間がすぐそこに…
パン!という乾いた音が突如として僕の耳をつんざく。
もちろん、肉を挟み込む食べ物のことではない。
僕の妄想タイムは、急な水差しによって終わりを告げた。
その音が銃声であると認識するまで若干の時間を必要としたのは、きっとそれほど僕のお腹が減っていたということだろう。
ふと視線を逸らすと、僕の頭から70cmくらいの所の壁に穴が空いていた。
「伏せろ!」
突如として聞こえた男の声と共に、僕は背中から地面に押し倒される。
よく見ると、セバスチャンだ。
僕は思わず、
「お、元気が戻ったんだ。」
「冗談言ってる場合か!お前が狙われたんだぞ!」
耳元で彼に叫ばれて、ようやく頭が追いついてきた。
人で溢れるショッピングセンター、至近距離からの銃撃。
映画の世界ならば大興奮待った無しのシチュエーションだが、残念ながらこれは映画ではない。
ちょっと神様が微笑んでくれた程度では、生き延びて脱出するのは難しいだろう。
…耳障りの悪い脅迫から始まった2人旅。
だが案外そう不自由を感じるようなものでもなかった。
“監視”をされている…と言えばそれまでだが、セバスチャンは僕の行き先や行動に対して特に文句を言ったりしない。
ゆったりと、一定のペースを守って後ろを歩いているだけだ。
僕1人の時間も尊重してくれている。
僕の視線を敏感に感じ取って、食事するテーブルだったり宿泊する部屋だったりを彼はその都度ずらした。
僕はその度に、彼の元から逃げ出すチャンスを与えられていた。
でも、不思議と僕の体は全く動かなかった。
何故かはわからない。
だが僕はそこに運命めいたものを感じて、そして自分の直感を信じて、今はまだこのままにしておくことにした。
心地いいのだろうか?
一緒にいるときは、僕が何も言わずとも勝手にどうでもいい話を1人で喋り倒して、そのせいで変な片頭痛に悩まされるようなことも度々あったというのに。
でもおかげで退屈とも縁遠い。
一先ず、平坦で変化に乏しいヨーロッパの真ん中でホームシックに苦しむことはなさそうだ。
勿論、彼への警戒を緩めたわけでは無い。
彼は警察官。
——GRAの使いで、僕たちの敵だ。
僕たちはボンの街を出て、さらに西、ベルギーとドイツの国境に近いアーヘンへと辿り着いた。
鉄道を使えばフランクフルトから約一時間半でここまで来られたらしい。
まあ
セバスチャンは、呑気にもボンの街を見て回りたいと言った。
そんな時間は無い。
ピシャリと跳ね除けたが、アーヘンに着いてから彼はまた同じようなことを言い始めた。
ここにやってきたのは、ドイツの国境を超えてベルギーへ向かうためである。
なのに彼は、
「えぇ…せっかく来たのに寄り道もしないなんて、心が狭いぜ兄貴〜」
なんて駄々をこねるものだから、とうとう根負けして、少しだけ歩いてみることにした。
アーヘン。
最も有名な観光地、アーヘン大聖堂では16世紀まで歴代の名だたるローマ皇帝達が戴冠式を行ってきた。
ドイツの前身、神聖ローマ帝国の中心地となった街だ。
あらゆる大工の色んな趣味を全部混ぜ込んだような建築物が多く立ち並び、市内の至る所で温泉が湧き出ている。
他にも灰色の石畳、煉瓦造りのアパート、鳥の囀りを漏らす小綺麗な木々、そして曇った空を突き刺すように天へと伸びる
全てがこの眼球を捉えて離さない。
街自体もそれなりに栄えていて、活気がある。
ただ道路網はヒトの毛細血管並みにぐちゃぐちゃだ。
街の大聖堂へいつまでも辿り着けない賢者を笑う諺が生まれるのも、ある意味納得かも。
この地アーヘンは過去幾度もの戦禍に巻き込まれその度に復興を遂げてきた。
古くは9世紀のノルマン人襲撃から、三十年戦争、第二次世界大戦…。
歴史的に重要な地でありながら、その裏には人々の汗と涙の残り香が染み付いている。
そして幸運なことに、第三次世界大戦でアーヘンは被害に遭わなかった。
「なあ、お前も一枚食ってみろって!」
1人考え事をしている僕に、セバスチャンはプリンテンというクッキーを一枚差し出してきた。
左腕に抱えられた袋の中には、香ばしい色のした焼き菓子がいっぱいに詰まっている。
いつの間にそんなもの買ってきたのか…。
要らない、と振り払おうとしたその時だった。
「………?」
——何かがおかしい。
直感的にそう思った。
感じ慣れない不思議な感覚で、何故か酔いそうになる。
うん?と周りの人々も辺りを見回し始めた。
僕だけでは無いようだ。
先にある灯の消えたガス灯から、真っ白な鳥達がバサバサっと飛び去っていく。
僕は自分の目を疑った。
ガス灯が、揺れている。
「お、おい、これ…地震か?」
「…馬鹿な。ドイツで地震なんて聞いたことがない。」
ドイツは地震の少ない国として有名だ。
その人生で一度も地震というものを経験しない国民すらいるほどに。
ただそもそも、僕には違和感があった。
…自然現象にしては、揺れが整い過ぎている。
不吉な予感が鳥肌を誘う。
何故か。
僕は、このような揺れを過去に一度、経験したことがあるからだ。
「テレビ…」
「うん?」
「テレビだ…テレビを探さないと!」
「お、おいちょっと待ってくれって!」
言葉にできないほどおぞましいことが起こっている。
僕にはそんな予感がしてならなかった。
別に杞憂であればそれでいい。
もし仮にこの勘が当たっているなら…何かしらの変化が起こるだろう。
少しして、僕は3ブロック先のカフェでようやくテレビを見つけることができた。
交差点沿いに面した、昔懐かしいコンクリート調のカフェだ。
所々黄ばんだ壁が年季を感じさせる。
風が素敵なパンの香りを運んできていたから、ここにカフェがあるのはすぐにわかった。
僕が店内へ駆け込むと、定員さんは笑顔で僕に声をかけた。
「どうもこんにち…」
「テレビを見せてもらえますか!」
当然、驚いた顔をされた。
「て、テレビですか?え、えぇ…どうぞ。」
そこに映し出されていたのは、普段料理をしない男達が慣れない料理に挑戦するという典型的な料理番組だった。
丸々と太ったガタイのいい男が、平然と鶏肉を洗おうとして周りから集中砲火を浴びている。
…気の毒に。ただ純粋なだけなのに、こうも見せ物にされてしまうなんて。
いやそんなことはどうでもいい。
画面の中でさっきの男が卵を割るのに悪戦苦闘している。
そしてよしリベンジだ、と三つ目の卵に手を伸ばす…。
プツッ、と耳障りなノイズ音がした。
まるで何かの糸を断つような、そんな音だった。
テレビは質素な画面に切り替わる。
透明なデスクと、一人のキャスター。
ウサギでもわかる。
即席のニュース番組だ。
僕は寒気を堪え、画面に映る彼女の言葉を待った。
このパターンは10年前に散々見た。
僕の、いや、この時代を生きる人々のトラウマだ。
…違う。
もうこんなものを見なくていい世界になるはずだったのだ。
店中の視線がテレビへと向くのがわかる。
さっき僕に声をかけた店員さんも、無論その一人だった。
「平和を愛する地球の皆様、こんにちは。私ルーシー・ウィリアムズが、新連邦政府より臨時ニュースをお伝えします。」
僕はふーっと息を吐いた。
人々も固唾をのんでテレビを凝視している。
彼女——ルーシーは表情一つ変えず言葉を続ける。
「昨日フランクフルトにて発生した爆発事件におきまして、現地は甚大な被害、多数の死傷者が発生しました。」
映像が切り替わる。
画面には、木っ端微塵に上層部が吹き飛ぶ駅ビルと、ボロボロに灼け爛れながら歩き回る市民達の姿が映し出されていた。
…喫茶店で見る映像ではないだろう。どこからか、えずくような声が聞こえた。
「当局はこの事件を、ハイデルベルク ・ミラノなどに続く卑劣なテロ行為とし、断固として容認せず、徹底的に、反政府組織を殲滅する所存です。」
「おいオリバー!探したんだぞ!そうかテレビ見つけ…」
「これに際し、連邦政府は反政府組織に対して報復攻撃を行なった旨、ここにお知らせ致します。」
また画面が切り替わった。
美しい緑と川に挟まれた盆地のような場所、その真ん中に、ぽっかりと大きな穴が空いている。
まるでアイスクリームディッシャーで丸ごとえぐりとったみたいに、それは不自然なまでに美しく、"消え"ていた。
「おいこれって…」
セバスチャンが一歩、後ずさりした。植物樹脂の潰れる音が、続いて微かに聞こえた。
店内は重苦しい空気に包まれている。
それでも陽気に流れ続けるジャズの音色。
美しいはずの音楽がこれほど皮肉に聞こえたことは、今まで無かったかもしれない。
——ネメシスが、撃った。
マグワイア以来、二度目の発射。クーデター以降主権がGRAに移ってからは初…ということになる。
ベルギー当局は未だ沈黙を貫いている。
当たり前だ。
宙にいるGRAへは逆らえない。
迎撃不可能な核弾頭が、地球人全てを黙らせている。
これは完全なる支配。独裁だ。
平和なんかじゃない。
多分、御三家の管理下にあった以前なら、こんなことにはならなかったはずだ。
ギブスのいた、あの時なら。
——違う。そういう問題ではない。
とにかく、状況を整理したい。
僕はその一心で、Argosを起動した。
セバスチャンはしばらく口を開いていない。
後ずさりをしたあの時から全く動かず、店員によって消されたテレビを眺め続けている。
…想像通りの反応だった。
ただ一般人として恐怖しているわけでは無い。
それは彼であるが故の怒り、嘆きなのか。
核が落とされたのは、アーヘンより西に約100km離れたベルギーの街、ナミュール。
かつては"ムーズ川の真珠"とも呼ばれたその場所に、何故核攻撃が行われたのか。
詳しいことはArgosでもわからなかった。
…ふぅ。
こういう時は難しいことを考えない方がいい。
あれこれ思えば思うほど、どんどん闇に足を取られてしまうからだ。
戦争を生き抜くにはまず行動あるのみ。
二度と活かしたくないと思っていた教訓が、今再び日の目を見ようとしている。
ただ少なくともルート変更は余儀なくされそうだった。
核が撃たれたベルギーを横断する勇気など僕にはない。
…よし。
とりあえず、必要最低限の情報は得た。
十分アーヘンは歩き回ったし、もう移動してもいいだろう。
僕は荷物をリュックにしまい、店を後にしようとする。
セバスチャンは目で僕を追った。
店から出て行く僕に、無言でついてくる。
そこに陽気な声で無駄話を垂れ流すいつものような元気は一切垣間見えてこない。
結局、僕たちは国境沿いを南下しベルギーの隣国であるルクセンブルクの国境を超えた。
お陰様で電車は全くだ。
僕はタクシーを捕まえ、200km近く延々と移動した。
セバスチャンが、道中徐に口を開く。
「…お前の言う通りかもしれない。」
「…?」
「お父さん、無事だといいな。」
一瞬何のことだかわからなかった。
だが反政府組織への核攻撃であったことを思い出して、その真意を察した。
「…テロリストの無事を祈るなんて、警察官が言っちゃいけないことなんじゃないのか。」
いいや、と彼は首を振った。
「誰かが死ぬのを喜ぶ人間なんていないさ。」
しばらくして、僕らは首都ルクセンブルクへと辿り着いた。
鬱屈とした車内から出るや否や、外の心地良い風が全身を撫でおろす。
——ルクセンブルク。
隣国に核が落ちたとあって、街の人々はどこか忙しない。
でもそんなことより僕はとにかくお腹が空いていた。
アーヘンでも食事をする暇がなかったし、ずっと考え、動き続けていたのだ。何かお腹に入れたい。
するとタクシーを降りた場所のすぐ側に、大きなショッピングセンターがあった。
ちょうどいい。フードコートでもあればそこで簡単に済ませてしまおう。
中へ入る前に、鼻頭と顎へ米粒サイズの反射板を貼り付けた。
一々監視カメラをハッキングするより、ずっと楽な防衛策だ。
近づいてみると、思っていたよりも立派な建物だった。
大体5階建くらいだろうか、上を見上げると吹き抜けになっていて、ガラス張りの天井が太陽の光でキラキラと輝いている。
曲線美を意識した、清潔感のある場所だ。
しかし人が多い。
夕方なのに…いや今日は休日か?
曜日感覚がないとこういう時に支障が出る。
わかっていればこんなところには来なかったのに。
まあそんなことはいいか。
しばらく施設内を迷っていると、どこからともなく漂うかぐわしい香りが僕の意識を捉えた。
…食べ物だ。食べ物がそこにある!
核が落ちてからというもの疲弊しきっていた心身が本能のまま涎を垂らしている。
僕は一心不乱に鼻をひくつかせその出処を探った。
他人に
匂いを追って歩いていると、腰程度の高さの柵の向こうに、秩序立って並べられた真っ白いテーブルの数々を見つけた。
ここだ。ここに違いない。
さて何を食べようか。
せっかくだし体に悪そうなものをお腹いっぱい食べるのも良い。
揚げたてホクホクのフライドポテト、タルタルソースのたっぷりかかった三段重ねのハンバーガー…
核が落ちたことなんて一回後だ。
至福の瞬間がすぐそこに…
パン!という乾いた音が突如として僕の耳をつんざく。
もちろん、肉を挟み込む食べ物のことではない。
僕の妄想タイムは、急な水差しによって終わりを告げた。
その音が銃声であると認識するまで若干の時間を必要としたのは、きっとそれほど僕のお腹が減っていたということだろう。
ふと視線を逸らすと、僕の頭から70cmくらいの所の壁に穴が空いていた。
「伏せろ!」
突如として聞こえた男の声と共に、僕は背中から地面に押し倒される。
よく見ると、セバスチャンだ。
僕は思わず、
「お、元気が戻ったんだ。」
「冗談言ってる場合か!お前が狙われたんだぞ!」
耳元で彼に叫ばれて、ようやく頭が追いついてきた。
人で溢れるショッピングセンター、至近距離からの銃撃。
映画の世界ならば大興奮待った無しのシチュエーションだが、残念ながらこれは映画ではない。
ちょっと神様が微笑んでくれた程度では、生き延びて脱出するのは難しいだろう。