序 始まりを告げる光

文字数 3,477文字

『黒猫の寝返り』から、63日後…。

「一体自分は何のために生まれてきたのだろう。」
心がなまじ成長して、そしてちょっとした困難と出会ってしまった時、きっと誰もが考えることなのだと思う。
もしそうやって、じっくり悩んで考えて、結果自らの生きる理由を見つけられたのだとしたら、それはとても幸せなことだ。
中にはどれだけ頭を痛めたところで、建設的な言葉が全く浮かんでこない人も沢山いるはずだから。
でも僕は思う。
本当に大切なのは、自分自身の存在意義について時間をかけて「考えること」それ自体なのではないかと。
その瞬間答えに出会えるかどうかは問題ではない。
何故なら今ではなくともいつか岐路において人生の選択を迫られた時、「考え続けた経験」そのものが必ず生きる理由になってくれるからだ。
生きる理由は、自分で見つけるもの。作りだすもの。
だからって絶対に見つけなければならないものではないし、人から与えられるものでもない。

ましてや…死ぬためにあるものでは絶対にないのだ。

…笑ってしまうな。
ややここに長く居過ぎたのかもしれない。
エセ哲学者みたいになってしまった自分へ、やや吐き気がした。

ドイツ南西部に位置する川沿いの街、ハイデルベルク。
度重なる戦争からその被害を免れてきたこの地には、永らく人々に愛されてきた美しい景観が今もなお広がっている。
時は9月の終わり、木々も少しずつ色付いてきた。
山地に挟まれた場所に位置するため、気候も常に穏やかだ。
だから少しでも時間ができると、こうしてこの公園で一人風を感じるのが最近の日課なのだ。
「あ、オリバーさん!」
白衣を着た人が息を切らせながらこっちに向かって走ってくる。
徐々に風が強くなってきた。休憩時間も、これでお開きらしい。
「ちょっと…! オリバーさん! オリバーさん!…はぁやっぱりここにいらしたんですね。」
「そんなに慌てて、どうかしたんですか。」
「あの、搬送用レールパーツの最終確認を、お願いしたくて。」
「…(そら)に上げるんですか。」
「そういうことです。」

人類にとって、戦いとは本能だ。
人間と戦争を切り離して考えることはできない。
だからこそ長きに渡って人類は、その本能を「理性」の力で封じ込めようとしてきた。
しかし、第一次世界大戦後に出来た「国際連盟」も、第二次世界大戦後に生まれた「国際連合」も、結局第三次世界大戦を止めることは出来なかった。
いわゆる"フランス政府が中国人を非人道的化学研究の実験台にした"という疑惑を発端とし、地球の半分を焼け野原にした愚かな「三の舞」は、僕たちの理性が持つ限界を言い逃れできない形で人類に押し付けたのだ。
そんな中世界の風向きが変わったのは、開戦から8年後の西暦2162年11月。
突如として誕生した米国主導の平和維持組織「世界平和共同体(WPA)」が、全国家に対して戦争行為の停止及び地球圏での軍事力保持を禁止する声明を発表した。
そしてその声明とタイミング同じくして、同組織による「衛星兵器」の配備を世界中に宣言したのである。
それは地球上のあらゆる地点を射程に捉えた、まさに死刑”執行人(Nemesis)”…。
人類が、平和維持における新たな段階へ移行した瞬間だった。

「チューンも異常なし、必要なものも全部揃っています。特に問題ないですね。」
「さすがです。オリバーさんは手際がいいですね。」
「あ、そうだ。俺の義手、そろそろガタが来ててどうにかしたいんだけど、電磁炉棟って今晩空いてます?」
「あぁ、先日仰っていたやつですね。博士に伺っておきます。」
「…助かります。」

WPAは世界の各国から資金と人員を募り組織されたその名の通り平和共同体だ。世界から戦争をなくすため、理想論ではなくロジックに則った考え方で平和を作り上げていくことをモットーとしている。
彼らの強い意志は、すぐさま中南米の一国、マグワイアを滅ぼした。
何故ならマグワイアは「これは不当な独裁だ」として、武装解除しなければアメリカ本土へ核攻撃を行うと喧嘩を売ったのだ。

…今思えばあれは見せしめだったのかもしれない。

彼らのシナリオ通り、その後世界中の軍事基地や兵器の全ては宙、すなわち宇宙へと「全て」上げられた。
核兵器の一切は衛星兵器へと集約され、それは人類を6度も滅ぼすことができる最恐の兵器となった。
そして宇宙開発に手をつけてこなかった途上国の数々は軍事放棄を余儀無くされ、何事も無かったかのようにWPAの保護下へと吸収されていく。
それっきり約4年、地球上で戦争という戦争は起こっていない。
この星はWPAの保有する衛星兵器の実質的な抑止力で、豊かなその姿を取り戻しつつあったのだ。
"人間"の立ち位置も変わった。
衛星兵器において核攻撃の是非を決めるのは、「御三家」と呼ばれる3頭のAI。
WPAの理事会において7割の票を持つ首脳陣に拒否権は与えられておらず、残り3割の票を持つAIとの多数決によって決議が取られた。
そんな新たな「統治」の下で、僕たちは久々の平和を謳歌できる。

はずだった。

アメリカ主導の"完璧な"計画。
よもやこれがたった5年ももたずに崩れ去るなどとは、まさに5年前の当時誰も思わなかったのだ。

「電磁炉棟、今晩大丈夫みたいです。鍵、ここに置いておきますね。」
「あぁはい、ありがとうございます。」
「…それ、今何してらっしゃるんですか?」
「え?いや、ラジコン、作ってるんですよ。ちょっと、気分転換に。」
「…オリバーさん、ひょっとしてメカ好きなんですか!?いや僕もなんですよ!え、どんなタイプの…」
「ちょっとこれから忙しくなるので部屋から出てもらってもいいですか?ごめんなさいねはいはい」
「え!ちょっと待ってくださいよお話しましょうよオリバーさ…」
バタン!とドアのいい音がした。
口数の多い人間は正直苦手だ。
でもそういう人のあしらい方にはもう慣れた。
にわかに湧き出る罪悪感の処理の仕方も——。
まあそんな日々も、今日で終わる。

ハイデルベルクの夜景は、何度見ても目を奪われるほどの力がある。
なにも灯りは人を照らすためにあるのではない。
穏やかなネッカー川にかかるカーキ色の石橋、大きな岩を緻密に積み上げて作られたたくましい城壁、そしてどこまでも続く繊細な石畳…。
そのどれもが、この宵の主人公だ。
ただネッカー川に寄り添うように建てられたこの電磁炉棟だけは、物々しい空気をたたえていた。
壁一面へ乱雑に貼られた「危険」の張り紙は、まるで研究室の冷蔵庫を連想させる。
使いもしない水道屋のステッカー、たくさん貼ってあったっけ。

言うまでもなくここは、本研究所の要でありそして、第三次世界大戦「負の遺産」でもある。
核弾頭をレールシステムで打ち込む技術は、全てここから出発した。
その後ここは連合軍の軍事特区となり、結果戦禍を免れたのだ。
WPA発足後ここは解体されるはずだった。
いや、解体された…ということにしておこう。
僕はいつも自分の義手を調整するためにこの棟を使っていた。
義手の中にも、小型の電磁炉が備え付けられているからである。
さて、では建物の中心へ向かうとしよう。
言わずもがな、それは電磁炉のある場所だ。

—————。

一通りの準備を終え、僕は棟の制御室へと向かった。
制御室は炉にとても近い。
キーンと耳障りなノイズが走る。
…電磁炉は近寄りすぎると

なことがない。
少ない電気で大きな電力を生み出す電磁炉は、あの熱力学第一法則を打ち破った22世紀の人類史的発明と言える。
ただここのものは30年以上前の炉だ。
そのため出力のリミッターがAIによる制御を受けていない。
もし悪意のある人間がコントローラーを触りでもしたら…。
僕は電磁出力を引き上げた。
少しずつ、カタカタと建物が小刻みに揺れる。
電磁炉内に溜まったエネルギーが確実に膨張を始めているのだ。
…あぁ。
いつかこんな日が来るかもしれないと、ずっと覚悟はしていたつもりだった。
だがいざその瞬間が迫ってくると、手に汗が滲む。
この感覚は、まるで宙を飛び出し地球へと逃げ出したあの日と同じだ。
果たして彼らはこの事件に気付くだろうか。
わからない。でも、気づいてくれることを祈るばかりだ。

さあ、そろそろだろう。
部屋の揺れも大きくなってきた。
すでに機器のメーターは振り切れている。
と言ってももう棟の様子はよくわからない。
きっと電磁炉の影響なのだろう。

その一瞬、ネッカー川に真っ赤な閃光が映った。
轟音と共に水面を揺らしたその衝撃は、ハイデルベルクの自然にとって数世紀ぶりの爆発だったのかもしれない。
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