1 運命の導き

文字数 5,289文字

未来と過去が同居する街、フランクフルト。
そこは7世紀も前から形を残す大聖堂から、天高くそびえ立つ宇宙エレベーターまで、年中多くの人々が訪れるヨーロッパでも指折りの観光地である。
「こんにちは。フランクフルト国立図書館への行き方を伺ってもよろしいでしょうか?」
「国立図書館ですね、今地図をお出しします。」
フランクフルト・マイン空港案内所のお姉さんは、カウンターへしわしわになった地図を出した。
こういう客のために散々使い倒してきたのだろう。所々不可解なヒビが入っている。きっと裏側からテープで補強しているのだ。
「今いらっしゃる空港がここになります。それで、フランクフルト国立図書館がここ。とりあえず、ドイツ鉄道Sバーンに乗ってフランクフルト中央駅まで向かって下さい。そしたら…」

ふと目を逸らすと、ニュースだろう、

『同時多発テロ再び。反政府組織との関連については調査中』

という見出しが目に入った。
プラハ、ストックホルム、ミラノ…あちこちで国の主要施設が爆破されたらしい。
空港内そこかしこのモニターで、渡航先の安全確認を呼びかけている。

それにしても——、ここは人が多い。

宇宙エレベーターはクーデターの一件以来稼働を停止しているはずだというのに。
…第二次世界大戦ではボロボロになったこの街だが、第三次世界大戦では比較的小さな被害で済んだ。
だから戦後も未だにこの街へ繋がるインフラは強固で、こんな考え事をしている今この瞬間でさえ僕の後ろには相談事を抱えた悩める子羊たちが順番を待って並び始めている。
「…その後ドイツ国立図書館駅を下車頂ければ、国立図書館は目の前です!」
「なるほど。ありがとうございました。」
「良い旅を!」
僕はまっすぐタクシー乗り場へと向かった。

想像に反して、タクシー乗り場は比較的空いていた。
回転率が良いからだろうか。ツイている。
僕はAIの名を冠した無人タクシーをかわしつつ、ボロそうな車体を探す。
…や、やめろ! ぅ ぉれに、構うなあ
不意に視線の片隅から、かすれたような男性の呻き声が聞こえた。
ろれつが回っていないあたり、酔っ払いだろう。
変に絡まれても面倒臭い。僕は何も考えないことにした。
するとちょうど目の前に有人タクシーが滑り込んでくる。
僕は足早に助手席のセンサーへ手をかけようと…。

ぉ、お前…!イギリス人だろぉぉぉ!

さっきの男の声か。
ただ一つ気になるのは、少しずつその声が大きくなってきているという事。
気づけば…顔を真っ赤に染め上げた知らない男が乗らんとするタクシーの窓ガラスへでかでかと映り込んでいる。
男は、何かを指差していた。
指差しているのは…僕。

えぇっ、僕!?

まずい。
これでは僕がタクシーへ辿り着くより先に、男に追いつかれてしまう!
慌てて僕はガラスの反射から男との距離を逆算する。

来るっ!

瞬時に上半身を傾け、男の伸ばす右手をすんででかわす。
そのまま慣性で持っていかれそうな体を男は右足で踏ん張った。
ぎょろりと左目が再び僕を捉える。
咄嗟に僕は右足を振り上げ男の頭を狙うも、男も左腕でそれを受け止めた。
くっ…。
相手はそれなりにやる男だ。
素早く今度は右手を打ち込む。
次は左手だ。
だが立て続けにこれらの攻撃は再び防がれてしまう。
僕はならばと一歩踏み出し右手を男の腹部めがけて構えた。
それを見て男も両腕の高さを落とす。

今だっ!

腕はその高さを落とせば落とすほど力が入りにくくなる。
僕は力一杯に足で蹴り上げ、男の両腕を吹き飛ばした。

「っ!?」

そして僕は再度右手拳を叩き込む。
残念ながら今回はこれを防ぐ両腕がない。
そのまま、僕の右手は男の左頬へと吸い込まれていった。

「うぐっ…!」

衝撃で地面へと倒れ込む男。

僕は大慌てでタクシーに乗り込みドアを閉めた。
「こんにちは。行き先…」
「とりあえず出して!」
「はい?」
「早く!!」
僕の剣幕に運転手も状況を察したのか、ウィンカーを鳴らす間も無くハンドルを切る。
後ろからクラクションの派手な音がグワンと鼓膜を揺らすと、直後急発進したタクシーのGで背中がぐっと引っ張られた。
痛いっ!
狼狽えながら、どうにか後部座席の窓を覗き込んでみる。
…どうやら男も僕を深追いする気は無いようだ。
歩道ギリギリのところで呆然と立ち尽くしながら走り去るタクシーを見つめている。
ふう、と大きなため息が流れ出る。
男の姿が少しずつ小さくなっていくのと同時に自分の心拍数も落ち着いてきた。
ただ、何かを忘れているような…?

「お客さん。それで、どちらへ向かえば?」


久々に都会に出てきたと思ったらとんだ歓迎を受けてしまった。
流石に田舎で平和ボケしすぎちゃったな。
気を引き締め直さなければならない。
ここはフランクフルト国立図書館。ドイツ国内に三ヶ所ある国立図書館の一つだ。
空港が側にあるということもあって余所者が顔を出しやすい。まさにうってつけ。
図書館に入ると左奥にコインロッカーがあった。
ここではまずそこに自分の荷物を置いてから中に入らなければいけない決まりになっている。
が、生憎僕は手ぶらだ。
だからロッカーを素通りし、僕は入場手続きをした。
仮会員証発行のため、網膜を端末のスキャナーにかざす。
すると画面に僕の顔写真と、『名前』が現れた。
…皮肉な名前だ。

見渡す限り、未だにこの図書館は完全自動化とまでいっていないらしい。
確かに、扱っている本がそこら辺の図書館と訳が違うし、本の授受だけは人間が立ち会わないとだめだという理論は筋が通っている。
そもそも、21世紀後半以降自律型AIへの風当たりは一層強くなった。
先進国家の首脳陣によって行われた南京・ニューデリー宣言は、「人間の動作補助」のみをAIの行える範疇とし、それ以外の運用は国際法上認めないと表明した。
残念ながら戦争によってまたしても人は自ら引いたこの科学的な一線を超えてしまったわけだが、そんな反省もあって戦後はなおのこと人力化が進んでいる。
僕は入館すぐのロビーにあるコンピューターを使って本を予約し、受け取りカウンターへ足を急ぐ。
一昔前は予約した後1日待たないといけなかったらしい。
紙媒体を殺したのがテクノロジーなら、それを救ったのもテクノロジーだったというわけだ。
「こんにちは。1115番の者です。」
「こんにちは。1115番ですね、確認致します。」
手際よく端末を操作する職員さん。
——そうだ、ここで彼は表情を曇らせる。
「えっと…お客様、」
「何です?」
「恐縮なのですが、お客様の予約された 『旧 国土地表図解大全』なのですが、非常にサイズの大きい書物になっておりまして、少々お渡しまでにお時間頂戴することになってしまうのですがよろしいでしょうか…?」
「ええ、勿論。」
すると彼はパッと顔色を明るくして、
「では、お持ち致します!」
とカウンターから去っていった。

正直どれくらいぼーっとしていたのか、よくわからない。

10分ほど待っただろうか。
ガラガラと台車の音を立てながらこちらへゆっくり職員さんが近づいてきた。
「お待ち致しました。こちらになります。」
彼が差し出したのは、縦横90cm四方くらいあるだろうか、分厚くて大きな書物…?まるでコンクリートの塊だ。
これだけ立派ではベルトコンベアに載らないだろう。
それにして10分とはかなり急いで貰ってしまったようだ。僕は満面の笑みで返した。
「感謝します。あの、閲覧用の個室ってありますか?」
「個室でしたら3階エレベーター出て左手にございます。」
「あぁ、どうも。」
そう言って立ち去ろうとすると

「あちょっと待って下さい!」

「…?」

「あの、台車は、閲覧エリアで動かすと大きな音が出てしまうので、お手数なのですが…」

「…え?」


全く、冗談だろ。
こんな重たい本僕の力だけで運べるわけが無い!
国立図書館ともあろうところが、運搬機の一つもないなんて…。
下品にも悪態をつかずにはいられなかった。
あぁ「テクノロジーで人類が失ったもの」にもう一つ追加しておかなければならないな。
…"筋力"を。
そして息も絶え絶え、ゼエゼエ言いながら、時々エレベーターの手すりや廊下のソファで休憩しつつもどうにか僕は閲覧室へと辿り着いた。
だが両腕で本を抱え部屋の目の前まで来た時気がつく。

…これじゃあ扉を開けられない!

手前のソファに一度本を下ろし、扉だけ開けに戻った。
そうしてまた本を運び直し、ドッと机の上に叩き置く。
僕は個室の扉を閉め、鍵をかけた。
そして額の汗をぬぐいながらため息をつき、一先ず椅子に腰掛ける。

さて、ここからが本番だ。

取り敢えず1枚をめくってみた。
『旧 国土地表図解大全』
ドイツ国内の地形を精細な図にした書籍で、ページ全体に一区域の図が描かれている。
紙質も厚紙の様に厚く、それはそれは堅牢になるというものだ。
さらにめくってみると、等高線のようなものが網目模様を成して広がった奇妙な世界が現れた。
見る人が見ればわかるのだろうが、素人目ではなかなか意味がわからない。
残念ながらこんなものを見る為に汗をかいたわけではないのだ。
…僕は一気に本の半分くらいの所に指を突っ込み、グッと力を入れてめくりあげる。
静寂の室内にバタン!と大きな音が響いた。
これだけ大きな音では隣の部屋にも聞こえただろう。
なんだ、どうせ大きな音が出るならいっそ台車で運んでくればよかったじゃないか。

でももうそんなことはどうでもいい。

僕の目の前には、図体のでかい書物…そしてそれは綺麗に真ん中を長方形にくり抜かれている。
中には、黒いアタッシュケースが入っていた。
——本当に…あった。

何年も、ずっとこの本の中に秘匿されてきたのだ。

僕は思わず目を細める。

——もしかしたら何もかも嘘かもしれない。
どこかでそんな風にまだ思っていた。
でも違った。
全て、流れ星で耳にしたままの光景だった。

…だめだ。

今あれこれ考え事をするのはやめておこう。
一呼吸置いてから、僕は中身を確認した。
コンピューター型の電子端末、工具セット、ユーロ貨幣、筆記用具、臙脂色の野球帽、そして…手袋。
刹那、胸が痛む。
他にも一通りちゃんと揃っているようだ。
僕はその全てをアタッシュケースの中にしまい、部屋を出た。
あんな本あそこに置いておけば気づいた職員が片付けるだろう。

帰り道、どこか僕の足どりはそそっかしい。
だって入った時手ぶらだった人間が、出てきた時怪しげなケースを持っていたらどう思われるだろう?
どうやら僕にスパイごっこは不向きらしい。
案の定、アタッシュケースを持って出口のゲートを出ようとした時、警備員に呼び止められた。
「ちょっとすいません、その中身見せてもらっても?」
「え? あぁはい。どうぞ。」
自然と息が上がる。
冷や汗が噴き出した。
「うーん…」
恐る恐る見上げると、彼は想像通り怪訝な表情を浮かべている。
ただ少しするとケースをパタンと閉じて、
「図書館に何かを持ち込む時は、入口のビニール袋に入れなさい。それが決まりですよ。」
と道を通してくれた。
僕は引きつった笑顔で
「今度から気をつけます。」
と愛想良さげに返した。

あー危なかった!

図書館を後にした僕は、隣接して走る地下鉄に乗ってフランクフルト中央駅へと移動した。
…今思い返せばそんな名前を案内所のお姉さんは言っていた気がする。
兎角今は、これからの算段を立てなくてはならない。
残念ながら僕は天涯孤独だ。危ない橋など渡れない。
できるだけ情報量の多いターミナルに向かう必要があった。
フランクフルト中央駅は、これまた人が多い場所だ。
おまけに所々でアタッシュケースへ視線を感じて気分が悪い。
まあ確かにこんなものを持って街中を歩く人間なんてmi6のエージェントくらいだから、目が行ってしまっても仕方がないだろう。
すると奥のベンチに座っていた男が、黒のリュックを置いて売店の方へ向かっていくのが見えた。

どんな教育を受けてきたのだろう。無用心じゃないか。

そこで僕は有難くリュックを頂戴することにした。
こういうことは特に躊躇いなくできる性分なのだ。
そうだ。僕はそういう人間なのだ。
一体僕はどんな教育を受けてきたのだろう?
…なんてね。
スッと近づいて持ってみた感じ買ったばかりの物らしい。
潔癖症なので汗臭いのは嫌だったが、悪くない。
物盗りはこれが初めてだが、こういう時は周りを気にすることなく堂々と振る舞うのがコツだ。
なんて事はない。
あたかも自分のものであるかのように左手で掴み腕にかける。
ただまっすぐ前を見て、エスカレーターを上がりホームを抜け、まだまっすぐだ。
まっすぐ前を見るんだ。
少し力みがちな足取りでひたすら前に…

ドッ と鈍い音がした。

横から来た何かにぶつかったのだ。
まあこれだけ人の多い駅だ。人とぶつかってもおかしくない。
ただ顔を見られたら… いやでも見ないのも不自然かな。だったら自然に…
「どうも、すいませんでした。」

その時僕は自分の目を疑った。

「あぁいやぁ…俺の方こそ、悪いね。」
と僕を見つめる真っ青に頬を晴らした男は紛れもなく、

ぉ、お前…! イギリス人だろぉぉぉ!

と空港で走り迫ってきたあの赤面男に他ならなかったのだ。
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