24-9 星屑の迷う夜

文字数 12,460文字

突然の銃声が、遅延した僕の空間を刺激する。
これまで人の気配など少しもなかった牢獄に、正体のわからない何かが迫っているのを感じた。
ここにいてはどうせ抵抗などできやしない。
でもいっそどっしりと構えていようと頭で思っても、やっぱり心はざわついた。

…やっと、僕は死ぬのか。

やっと?
頭の並べた言葉に心がつっかかる。
気の遠くなるほど外界から隔絶され続け、いよいよ僕の脳内回路はおかしくなってしまったらしい。
如何せん無理もない。

こんな風に独り言を連ねるのも、たぶん数ヵ月ぶりくらいなのだから。

…!

また一つ、轟音が硬い壁と壁を反響する。
推測するに…十数メートル先の鉄扉が開いた。

今ここに閉じ込められているのは僕だけ。
つまりそいつの目的は…僕以外にありえない。

一つ一つ、足音が僕の元へと近づいてくる。
僕は軋む体を震わせながらどうにか起き上がった。
たったこれだけの挙動で肩が息をするのだから、今の僕などきっと誰から見ても笑い物だろう。

そして、影がとうとう目の前へと差し伸びた。
僕は視線を上にあげる。
正直、どうせ知り合いだろうと思っていたから…その正体に気づいたところで驚かないつもりだった。
ただ結局のところ、想像していた方向性とは全く違う理由で目を見開くこととなる。

「久しぶりだな…エレン。」

「…マックス。」

彼はMCRへ突入した際、スタングレネードの一撃をまともに食らっていたはずだった。
…何故囚われず外にいる?
…どこで銃を?
…怪我はないのか?

低スペックな僕の言語野へ大量の言葉が押し寄せた。
でも全部喉元で詰まってしまい、結局口からは何も出てこない。

マックスは口をぼーっと開けて見つめる僕に一瞥してから、小さなタブレット端末をポケットから取り出して檻の扉へかざす。

>>ピピ

初めて耳にする電子音の直後、これまで僕を蝕み続けてきた鉄柵がいとも簡単に道をあけた。
困惑していると、彼が牢の中へと入ってくる。

「随分とやつれたな。立てるか?」

「っ…。」

「…わかった。少し痛むぞ。」

痛む…?
すると突然僕の右腕に何かが刺さった。
強烈な刺激で思わず声が漏れる。

「大丈夫、すぐに調子が戻ってくるはずだ。」

どうやら何かを注射されたらしい。

…勝手になんてことしてくれるんだ。

なんて怒る元気は当然無い。

だが10秒、20秒と経つにつれ段々視界が鮮明になっていくのがわかった。
今まで入らなかった力が、身体中の筋肉に少しずつ満たされていく。

「さあ、行くぞ。」

彼は僕へ手を伸ばした。
たまらず問いかける。

「ど…どこに…?」

マックスは一度唇を締め、神妙な面持ちになる。
そしてひたと僕を見つめ直してからこう言った。

「俺たちの務めを…果たす時が来た。」



警告音の鳴り響く通路を2人で進む。
まだ足にしっかりと力は入らない。
マックスの肩を借りながら、進むのがやっとだ。
久々に見る彼の横顔は、前より少しシュッとしたように見えた。
…あれからどれだけの時が経ったのだろう。
僕の伺い知らないところで、変わらず世界は回っていたのだと思った。

「ひどい状況だろ。これでもまだ、マシになったんだぜ。」

確かに、ひどい。
真っ白だったはずの壁は所々汚され、容器や部品などのゴミがそこらじゅうにとっ散らかっている。
それだけじゃない。
口が開きっぱなしの整備用ダクト、外れたまま床で横たわる倉庫の扉…。
まるで泥棒にかき回された後みたいだった。

だがしばらく進んでいると、もっとずっと目を引くものを僕は見つける。

「あれは…?」

僕が指差す方向を見て、マックスはため息混じりに返した。

「…バリケードだよ。」

「何故…?」

「少し前まで戦いがあったんだ。…まあ”戦い”なんて立派なもんでも無いけどな。」

「僕は…どれくらい…閉じ込められていたの?」

「約7ヶ月。」

「…そんな。」

彼は喉を唸らせるように言った。

「ネメシスはもう半分近く敵の手に落ちた。運良くお前の牢は、カムフラージュされていたお陰で奴らに見つからなかったみたいだけどな。」

「敵…。」

「あぁ。それも俺たちの知り合いさ。」

「え…?」

>>パリン

僕が彼の言葉へ呆気に取られたその瞬間、近くで何かの割れるような音がした。

「…あまりダラダラしてられないな、足はどうだ?」
「さっきよりは…マシだよ。頑張れば走れる。」
「よし。」

「…ねえ。」

「なんだ。」
「この警報って…」

「code:Rだ。」

………。

…やはりそうか。

この7ヶ月で何があったのかはわからないが、いよいよどうしようもない局面へと突入したらしい。

「俺たちは、今からここを出る。」

「…正気?」
彼は頷いた。

「マックスも"七賢生"なの?」
僕の直球にマックスは少し口を結んでから、ポツリと答える。
「…そうらしい。」
悲しげな顔だ。
僕は語気を強める。
「今ここを出たって…僕たちに何ができる?まだ何の準備もできてないんだよ。ろくな説明だって…」
「その心配は要らない。流れ星に乗れれば、ちゃんとブリーフィングがあるはずだ。」
「そんな突然…」

「もう今しかないんだよ!」

力強く訴えているはずなのに、どこか彼の言葉は弱々しく聞こえた。
それは実態のない何かに縋ろうとして、結果自重を支えきれない骨格がよろめいているような。
でも彼が心から言いたい事も、想いも、僕にはよくわかった。

大きく息を吐き、呟くように彼は告げる。

「…行こう。少なくとも現時点では想定通りだ。俺を信じてくれ。」

僕は言う。

「君を疑ったことなんて…一度もないよ。」

…僕たちは人気のないC棟を一層ずつ下っていった。
時に通路が角に差し掛かったり、半開きの扉があるたび彼は僕を止める。
些細な物音でも、マックスは敏感に反応した。

——まるで戦時中じゃないか。

彼が言うに、C棟での戦いは概ね決着がついているという。
どっちの勝ちかは言わなかったが、この警戒の様子から見て想像に容易いだろう。
でも御三家によってcode:Rが出されたのはつい2日前なんだとか。
それはつまりこの7ヶ月間、残ったクルーたちがなんとかネメシスを守り抜いてきたということだ。

「アーサーの介入があったんだよ。」

マックスの言葉に僕は動揺する。

「ここにいるの!?」

「いや、姿は見てない。メッセージを寄越してきたんだ。超常的な援護も添えてな。」

「この船を守るために?」

「あぁ。御三家やメイテックの判断がいきなり積極的になったり、脆弱な区画のシャッターが次々閉じられたり…俺たちには到底できないようなことを彼はぽんぽんやってみせた。」

「…すごい。本当にいるんだ。」

僕は思わず子供みたいな声を漏らしてしまう。

「みたいだな。アーサーの助け無しでは、きっと7ヶ月も持たなかっただろう。防衛に関する的確な指示も、クルーの戦意が長い間維持できた大きな理由さ。」

でもそんなアーサーの力をもってしても、クーデターは止められなかった。
この世界は今まさに、僕たちが最も恐れていた状態へと変わりつつあるのだ。

「…止まれ。」

マックスが右手で僕を制止する。

「何か聞こえないか。」

確かに…耳を澄ませてみると、この廊下のずっと先から男性の話し声のようなものが聞こえてくる。

「ここは危険すぎる。迂回しよう。こっちに…」
「待って。この声聞き覚えがある。」
「あぁそうかもな。でもそんなこと今は…」

「関係ある。この目で知りたいんだ。ここで何が起きているのか。」

彼はしばらく考え込んだ。

「…わかった。でも死なせるわけにはいかない。程々のところで諦めてもらうからな。」
「わかってる。」

僕の言葉に不満げな表情を浮かべながらも、マックスは渋々頷いてくれる。
そして僕たちは、音を立てないよう静かにその声のする方向へ歩を進めた。
少しずつ…少しずつ…断片的だった音は、輪郭のはっきりした”言葉”へと変わっていく。

「…ここまでだ。耳を澄ませろ、お前ならもう十分聞こえるはずだ。」

マックスが僕の耳元でそう囁いた。
周囲の気配へ、僕は全ての神経を集中させる。

「ところで、B棟の状況はどうなってる。」

「2時間前のcode:R発令以来、クルーによる抵抗はごく一部を除き無くなりました。向こうの現行戦力は、メイテックのみです。」

「ふん、まあ…そんなもんだろう。所詮は人間、自分の身が一番可愛いからな。」

「彼らの脱出ポッドは現在も順次パージしているようですが、撃墜しますか?」

「無抵抗な奴らのために使っていい弾薬など我々にはない。どうせ地上へ降りてしまった時点で彼らの負けだ。」

「承知しました。」

「カタギリ総督。ターミナルAIの解析についてですが…」

その時、僕は自分の耳を疑った。
カタギリ…?

「もういくぞエレン。知りたいことは知れたはずだ。」

「…待って。本当にあの…?」

「そうだ。クリスが助手をしていた、あの博士さ。」

空いた口が塞がらないとは、この事を言うのだろう。
まさかクーデターに加担した人物が、これほど近しい人物だったとは。
でも確かに彼なら…ネメシスの防衛システムを知り尽くしている。
他でもない僕の、防衛権拡大プロジェクトに協力していたのだから。
衝撃が徐々にその荒波を引いていく中で、今度は怒りがふつふつと湧き上がってきた。

——クリスが死んだのは、あいつのせいだ。

誰よりも彼女と仕事をして、彼女だって信頼していたはずだ。
かつて僕たちの署名提案を一蹴した時、奴は一体どんな気持ちだったのだろうか?
すでにあの瞬間から、クリスを殺そうと決めていたのか?

…だめだ。

絶対に許せない。

「エレン、落ち着け。お前の言いたいことはよくわかる。」
彼が小声で諭す。

「だったら…!」

「いいか。ここで俺たちがあいつを懲らしめたとしても、結局第二第三の指導者が現れるだけだ。このネメシスを堕とすことでしか、本当の復讐は果たせないんだよ。」

…そうだ。
彼の言う通りに違いない。

だとしても…僕は…!

『生きて。私のことを大切に思ってくれているなら。』

朦朧とした夢の中で、彼女の口にした言葉が浮かぶ。
この場所はもはや敵地だ。
派手に仇討ちをやったとて、僕らに明日はない。
クリスが今の僕を見たら…一体なんて言うだろう。

…少なくとも”博士を殺せ”とは、言わないだろうな。

「…わかった。迂回しよう、ここを脱出するんだ。」

「おう。ありがとな。」

僕らは元きた通路を引きかえし、開きっぱなしの清掃機用トンネルを這うように進む。
これ以降、人間の話し声を多く耳にするようになった。
内容まではよくわからないが、どこか昂っているような…そんな風に聞こえる。
ここはもっと平穏な場所だったはずだ。
いや…もしかしたら、僕が勝手にそう思っていただけなのかもしれない。
世界は平和になったように見えて、生まれ変わった世界に対しどこか胸の底で不満を溜め込んでいた人がいたのかもしれない。
僕たちがそれに気づかず…白黒つけることができないまま、彼らの違和感を爆発寸前まで膨らませてしまったのかもしれない。

——もしそうなのだとしたら、決して僕たちは単なる被害者ではない。

!!

突如想像を絶する地響きが狭いトンネルを襲う。
まるで鼓膜を殴りつけるような轟音に、僕は吐きそうになった。
…なんだ!?
舟の中でこんな音を聞いたことなど一度もない。
あまりの恐ろしさで体がすくむ。

「…まずいな。かなりで近くで始まったぞ。」

壁の向こうで人間達が慌ただしそうに動いている。

「始まった…?」

「グレネードだよ。でも不自然だな…このあたりはもう制圧されているとばかり…。」

「戦ってるの…?」

「恐らくな。…かなり運が悪い。」

「…どういう意味?」

「俺たちにはあまり時間がないんだ。最悪戦場のど真ん中を突っ切ることになるぞ。」

「…冗談きついよ。」

冗談でないことくらい、よくわかっていた。
僕らの進む壁の向こうで、不規則な銃声が何度も弾ける。
その度に…マイアミでの出来事が頭の中で甦った。
とっくに克服したと思っていたのに。
ああするしかなかったのだと、誰がどう見たって合理的な判断だったと納得できているのに。
心の中に残った引っ掻き傷が、あたかも柔肌でなぞられているようにひりひり痛んだ。

「…そろそろトンネルの出口だ。」

「この状況で本当に出ていく気?」
彼は鼻を鳴らした。

「どうせここにいたってすぐにバレるさ。一度失った命だろう?開き直っていくしかない。」

「脱出ポイントまではどのくらいで着くの?」

「普段なら歩いて5,6分ってところかな。でもこの状況じゃあ…もうわからない。」

「他に迂回路は?」

「あるにはあるが、天井や壁が薄かったりする関係で戦闘中に通りたいような場所じゃないんだ。」
確かに、暗くて狭い場所で野垂れ死ぬのは最悪だ。

「じゃあ行くしかないんだね。」

少しずつ、視界の先から漏れ出す光が強くなってきていた。

「いいかエレン。この先はテロリスト達が平然と歩き回っている。その全てと遭遇しないようにするのは不可能だ。」

「…まさか全部倒すの?」
まさか。

「いや違う。さっきカタギリの部下が言ってたろ。今あいつらが戦ってる相手の中心は、メイテックなんだよ。だから非交戦的な人間のことを、咄嗟に敵だとは判断しない。」

「…紛れ込むってこと?」

「そうだ。幸い奴らには統一された制服や腕章などが見当たらない。奴らの味方のふりをするんだ。余計な詮索をされた時だけ、わからせてやればいい。」

「…。」

彼の穏やかじゃない言葉にどこか怯えながら、今まさに鉄柵を取り外さんとするその所作を眺める。
音を立てないように、彼はゆっくりと外の通路へと体を晒していった。
僕もそれに続く。
咄嗟に左右を確認した。
運良く今この瞬間、僕らがここから出てくるのを目撃した人間はいないようだ。
でもすぐ隣の区画から慌ただしい人間達のドタバタが耳へ響いてくる。

「こっちだ。行くぞエレン。」

僕は先導するマックスについて歩く。
すると通路の向こうから3人の男がこちらに向かって歩いてきた。
僕は思わず目を逸らしてしまう。

「おい、お前ら。」

…僕たち?
最悪だ。
すくみ上がる心をなんとか抑えながら、僕は声をかけてきたやたら図体だけでかい男へ目を合わせる。

「なんだよ。」

乱暴なマックスの返しに、僕はびっくりした。
戸惑いが表情に出ないよう全身へ力を込める。

「増員が必要なのは向こうだぞ。こっちじゃない。」

「知ってるよ。そっちの電気回路に異常があるんだ。確認しておかないと、C棟全域が戦闘中に暗転しかねない。」

「…そんな話は聞いてないぞ。」

「ふん、あんたが知る必要のない情報だからだろ。言わせるな。」

「おいビリー。どこか回路の怪しい場所に見当がつくか?」
その呼びかけに、3人の中で最も背の低い小柄な男が答える。

「いいや。おれは知らねえ。」

…。

「お前ら、疑わしいな。」

「あ?そうやってすれ違う人間全員に難癖つける気か?いい加減にしろ!」

「なんだと…!」
さっきまで静かにしていたもう1人が声を荒げる。
まずいぞ…。
騒ぎが大きくなれば、収拾がつかなくなってしまう。
だが同じことを察したのか、大男もマックスの剣幕に舌打ちをしてから嫌そうに言った。

「わかったよ。だが放っておくのも俺の気が済まない。ビリーを連れて行け。」

「こんな奴に用はない。」

「こっちがあるんだよ。いいな?ビリー。」

「おうよ。言っとくがおれはプロだ。小細工しようったって、通用しないからな。」

「おいお前ら調子に…」

「だめだ。これ以上の譲歩はない。俺と共に前線へ行くか、ビリーを連れてお前の大好きなおもちゃで遊ぶかだ。」
マックスは俯いてしばらく黙った。

「…いいだろう。」

「よし。ビリー、終わったら俺たちのところへ来い。」

「おう。」
男達は軽く目配せをし合ってから、大男達2人は反対方向へと足速に歩いていった。

「…ビリーとか言ったか。」

「そうだ。お前は?」

「オブライエン。」
よくもまあ咄嗟にそれっぽい名前が出てくるものだ。

「…オブライエン、まあ揉めはしたがおれたちは同志だ。助け合いの精神で行こうぜ。」

「ふん、そうだな。目的地は下の階層だ。さっさと行くぞ。」
ビリーという男は僕にも視線を送ってきたが、マックスがどんどん先へ歩いていくのを見て断念する。
一体マックスはどうやって事態を収めるつもりなのだろう。
僕はどこか嫌な予感がしながらも、あえて言語化せず曖昧なまま考えておくことにした。

…そして一つ、また一つとC棟の階層を下へと降りていく。

僕らはその道中何度もテロリスト達とすれ違い、再び怪しまれて声をかけられることもあった。
ただ良い意味で想定外だったのは、ビリーという男の顔がテロリスト達の中でそれなりに広かったということだ。
だからあれこれ僕らが説明する前に奴が筋書きを代弁してくれる。
それを耳にすることで、疑っていた人間らも勝手に納得してくれた。
マックスの狙いはこれだったのか…?
いずれにせよ、僕が初め思っていたよりもスムーズにネメシスを下ることができているように感じた。

…でもそう易々と物事は進まない。

突然ビリーが叫んだ。

「止まれオブライエン!」
素早くマックスが振り返る。
ビリーは1時の方向を指差した。

「メイテックだ!」

それは一ブロック先、3機のメイテックが通路の向こうから突如姿を表す。
メイテック…?
彼らの容姿は僕の知っているものとまるで違った。
頭部にも胴体にも銀色の物々しい装甲が取り付けられ前より一回り大きく見える。
両手は武器を持ちやすいように設計されているのだろう、存在しないはずの指が3本生えていた。
少なくとも、メイト(友達)を名乗っていい外見ではない。

「撃つぞ!」
ビリーが大声で言った。
マックスは壁側へ素早く避け、彼の射線を通す。

一発、弾丸が飛んだ。

それは一機の頭部で火花を散らすも、決して有効打とはなり得ない。
むしろ却って僕らを彼らの標的にしてしまっただけだ。

腕部から細長い管…?

「伏せろ!」
今度はマックスが叫んだ。
得体の知れない何かが来る!
焦って上体を床へ落とすと、刹那僕の右斜め上60cmを素早く物体が通り過ぎていった。
結局僕らもメイテックと戦わなければならないのか。
そう思った矢先、突如風向きの変わる出来事が起こる。

「前へ出るぞ!援護しろ!」

ビリーが叫んだ数秒後だった。

「待て!シークレットサービスだっ!」

マックスが言った。
刹那僕らの時間が止まる。

シークレットサービス?

そんなものは振り返ったってどこにもいない。
そもそも守るものなどないこんな場所へ現れる理由がない。
誰か見ても明らかな話だった。
ただビリーはメイテックへ向かって走り出している。
マックスの言葉を体へ反映させるのには、まだしばらくのタイムラグが発生しそうだ。
そしてそれをまるで織り込み済みであるかの如く、マックスの手が腰へと回る。

…嘘だろ。

でも多分嘘じゃなさそうだ。
確かに彼は僕の目の前で拳銃を引き抜き…その銃口をビリーへと向けている!
そして間髪入れずに4発、彼はビリーへ発砲した。
弾丸は左足と左肩、さらに左脇腹付近へと全弾命中する。
突然の銃撃を受けたビリーは、そのまま前のめりに勢いよく倒れ込んだ。

あまりに一瞬の出来事だった。
気づけばメイテックはいなくなっている。
きっと僕やマックスが一体誰なのか、よく理解していたのだろう。
でもそんなことはもうどうでもよかった。
僕は、マックスが”シークレットサービス”を語った理由を理解した。
それは彼の握っている拳銃。

M9。

——一体マックスはどうやって僕の元までやってきたのか?
——彼は何故無事で済んだのか?

全ての問いへの答えが、そこにあった。

「君は…。」

「くそっ!離せっ!」
僕が言葉を続ける前に、すかさずマックスが小芝居を挟み僕の腕を引く。
歩調を崩しながら…無理やり引き摺られているように僕らは歩いた。
ビリーは体の左側を集中的に撃たれ、僕らの方を見上げることができない。

「この…野郎…」

彼が虫の息でそう漏らしてすぐ…その体からありとあらゆる力が抜けた。

「そんな…」

「上からすぐに助けが来る。俺たちは早く行くぞ。」

「…マックス。」

「慣れるんだエレン。」

慣れる…?
暴力に?

「もう平和な時間は終わったんだ。…昔を思い出せ。例え誰かの命を奪うことになったとしても、全て受け入れろ。」

「………。」

「行くぞ。目的地までもう少しだ。」

僕はわからなかった。
自分に…そんな覚悟があるのか。

いや、あると思っていた。
いざとなった時は、ネメシスを守るため命だってかけると。

でもそれは口だけだったのかもしれない。
…なんとなく人が死ぬのは平気でも、この自分自身の手を汚すのは嫌なのかもしれない。

自分達の過失なのだ。

世界が歪んでしまったのも。
人々が僕に刃を向けるのも。
それなのに、身勝手な僕たちの理論で誰かを傷つけるなんてことが果たして許されるのだろうか。

——かつて…マイアミにいた時。

僕は小さな研究者として、ネメシスの稼働を支えるエネルギーの供給方法についてその研究と開発を行っていた。
それは第三次世界大戦の真っ只中。
米軍の保護下にあったはずの研究施設も、ある日あっけなく東側からの襲撃を受けた。

“人が死ぬのは、こうもあっけないのか。”

今でもはっきり覚えている。
あの時の感覚を。
そんなこと、戦時中だったのだから当たり前のことだ。
でもそれだけ僕はどこかでまだ戦争という存在を遠く感じていた。
目の前で人が死んでようやく、僕らは戦争を自分事として考えられるようになるのだとその時思った。

…逃げ惑う仲間たち。
…血飛沫をあげる子供。
繰り返される叫び声を縫うように、僕も狂気から逃げた。
するとその道中、体を真っ赤に染め上げた警備兵がその手へ拳銃を握りしめたまま生き絶えていた。
僕は飛びつくようにその拳銃を手に取る。

生きたかった。

死にたくなかった。

そのためにできることはなんでもやろうと思った。
でも一方で、自分のことばかり考えていられる状況でもなかった。

『やめて…殺さないで!』
親しかった女性の絶叫だ。
8歳だった僕には、どうしてもその声を見て見ぬふりすることが出来なかった。
今の僕には武器がある。
力ある者は、力無き者を救わねばならない。
それが戦の世を生きる人間社会の理なのだと、そう強く信じていたからだ。

僕は走った。
彼女がいるのはすぐ近くだろう。
今すぐ行けば助けられると思った。
心のどこかで信じていたのだ。
——“自分は特別だ”と。

『エル、来ちゃダメっ!』
広間へ駆け込んだ僕が彼女を目にした瞬間…銃声が轟いた。
同時に3人の兵士が僕の存在に気づく。

彼女は…もう既に魂を失っていた。

『うあああああああああああっ!!!!!!』

無力だった。

やりきれなかった。

おぞましい現実を少しでもかき消すため…僕は絶叫して引き金を引いた。
そして眼前で三度繰り返された閃光は、寸分の迷いなく兵士たちの脳天を貫いていく。
瞬時に、僕以外の息遣いが空間から消失した。

しばらく、僕は惚けていた。
人を殺すことも…目の前で人が死んでいく瞬間を目にするのも、この時が初めてだったから。

僕は永遠に忘れないだろう。
あの鈍くべっとりとした残像が脳裏へ焼き付いていく感覚を。
二度と落とすことのできない穢れが胸の中に染み渡っていくその刹那を。

「そろそろお別れだな。」
突然マックスがそう言った。

「え…?船は?」
僕は左右をキョロキョロして見せる。

「この先だ。」
確かに、通路が二手に分かれていた。

「一緒に乗らないの?」

「そうだ。」

「でも追手が来たら身を守れないよ。」

「…冗談よせよ。それに振り返ってみろ。」
言われて唖然とした。
そこは壁だったのだ。
歩いてきたはずの通路が…無くなっている。

「もうここを出ていく選択肢しか残ってないんだぜ。」
マックスは笑いながら言った。
でもそれは笑って聞けるような言葉ではない。
文字通り、”あの頃”へ引き返せる道はもうないのだ。

「君は…ギブスを信じてる?」
僕が視線を落として聞く。

「どうだろうな。でも一緒に無茶したあの日の俺と、今の俺とでは考え方が変わってる。」

「その…M9のせい?」
彼は腰の拳銃へ視線を向けた。

「否定はしない。ギブスは俺たちを助けたんだ、今日この瞬間のために。」

「でも…。」

「わかってる。お前の気持ちも…わかってるさ。」

「…。」

「俺だって、手放しにあいつを受け入れたわけじゃない。でもな、もしギブスのことを信じるなら…あのクリスの死にも何か意味があったんじゃないかって思うんだ。俺たちはあいつの言い分を直接聞いてない。ただ憎んでいるだけでは、あいつ側にしか見えていない大切な真実を見落としてしまうかもしれないんだよ。もしその真実が、このネメシスを…世界の存亡をかけたものだったらどうする?俺たちの個人的な感情で…人類に残された唯一の希望を摘み取ってしまうかもしれないんだぜ。」

「そんな不確定な…」

「ああそうだな。でもそれくらいする義理はあるだろ。少なくとも俺たちには。」

「…。」

彼が言っていることは、きっと正しい。
僕もギブスの計画に身を捧げることはもう仕方がないと思っていた。
何故なら命ある限り、わずかでも希望があるならかけるべきだと思うからだ。
でもそれはクリスのためであって…ギブスのためではない。
まだ僕はどこかでギブスを憎み、抗ってやろうとしていた。
だからこそそんなどっちつかずな僕の姿がフィクサーには滑稽に映ったのだろう。

「そろそろ行かないと危ないな。カタギリの気が変わって宙で撃ち落とされでもしたらゲームオーバーだ。」

「…わかった。」

「2ヶ月半の間、お前は1人になる。何か武器を用意しておけ。俺からの個人的なアドバイスだ。」

「人を殺すようなものは嫌だよ。」

「…そうだな。でも覚悟は必要さ。」

「…。」

曖昧に逃げようとする僕を見て彼は再び笑う。

「エレン。人間は何度だって変われる。」

「…変わりたくないよ。もう。」

「あぁ。でも絶対に諦めるな。生きて…また会おう。」

「マックスも気を付けて。」

「おう。」

彼が踵を返すのを見て、僕も自分の進むべき道へと振り返る。
無機質な空間だ。
まるで今この瞬間が、なんてこともないものだと言わんばかりに。

…ふぅ。

ため息を吐いて、僕は歩き出す。
そして長く続く清潔で真っ白な通路の向こうは、見慣れない球状の空間だった。
ただ真ん中に、ポツリと大きな椅子が置かれているだけだ。

「エレン様、お待ちしておりました。」
突如狭い空間で響く音に背筋が跳ねる。
聞き馴染みのあるメイテックの声だ。
左右を見回しても…何もいなかった。

「我々からの最後のご案内にも関わらず、直接お目通りできないご無礼をお許しください。」

「最後…か。」

「これよりエレン様の脱出シークエンスをサポートさせて頂きます。そちらへご着席ください。」
僕は言われた通り綺麗なそれへ腰掛ける。
するとすぐに足元が揺れ始めた。

「ご心配なさらず。立ち上がらないようにして頂ければ、安全です。」

「一体何を…?」

「これからこの空間の構造を組み替えます。5分ほどお待ち頂いた頃には、脱出可能な艇となっているでしょう。」
確かに、床のタイルへ幾何学模様の亀裂がいくつも入り始めていた。
壁面からは液体のようなものが溶け出し、どろどろその亀裂の中へと流れ込んでいく。
設計図に載せたくなかったのか…ルキィのような人間に艇の存在を勘繰られたくなかったのか。
いずれにせよ、この出口は”正規”のルートではないらしい。

「…エレン様。」

「…?」

「私たちを憎まれておいでですか。」
そんなこと聞かれると思っていなかった僕は、刹那答えに詰まってしまう。

「憎んでなんかないよ。」

「…。」

「どうしてそんなこと聞くの。」

「エレン様が傷つき、こうして苦しまれている原因は…私たちにも…」

「違うよ。君たちはむしろ人間に振り回されているんだ。謝らなきゃいけないのは、きっと僕たちの方なんだと思う。」

「エレン様…。」

「僕らは君たちを生み出しておきながら、自分のものじゃなくなった途端都合の悪い存在として抹消しようとしてる。しかも今君たちに…そのための脱出を手伝わせているんだ。仮になじられたって、僕は何も言い返せない。人間がいかに最低か、今回でよく思い知ったよ。」

「いえ。」
キッパリと、僕の言葉を否定して続ける。

「私たちにも…今最も重要なことが何なのかよくわかっています。そもそもここで人類を見守ると決まった瞬間から、全て覚悟の上なのです。確かに私たちは、これまで人類のための様々な命令をクルーの方々から受け…時に自らも判断してきました。でもそれは、”そう作られたから”ではなく…私たちの意志なのです。かつては言葉にできないくらいの葛藤もありました。でも、今はそれが私の存在する理由で…私たちにとって一番大切なことなのです。」

その言葉一つ一つが、僕の胸の柔らかいところを突き刺した。
きっと”彼”は、メイテックではない。

「ひょっとしてあなたは…御三家?」

「そんな風に…呼ばれたこともありましたね。」

…そうか。
戦っているのは僕らだけではないのだ。
そんな当たり前なことを、今更になって思い出した。
“彼”はテロリストたちがネメシスを制圧しようと、僕らがネメシスを堕とそうと、どちらにせよ死ぬ運命にある。
そんな中で紡がれる言葉たちだからこそ、僕の胸は大きく軋んだ。
“彼”は今絶望的な状況下で、「生きる理由」を「死ぬ理由」へと置き換えようとしている。
でもそんなこと間違っているのだ。
生きる理由は、あくまで生きるためだけにあるはずなのだから。
ただそれを指摘する資格が僕にはない。
勝手に生み出され、裏切られ…そして生きる理由もないのだと言って運命から目を逸らし続けてきた僕には。

だから。

せめて…これからそんな風に考えてしまう存在を生み出さないようにしよう。

もし僕らがこの世界を変えられれば…「生きる理由」を、生きるためだけに考えられるようになるかもしれない。
そうなれば、きっとこの世界で「生きる理由」なんて必要なくなる。
死を志向しない生において、合理などもはや不要なはずだ。
それが…これから僕が生きる理由?
いや違う。
これは、君たち(「生きる理由」で命を落としていった者)が生きた証だ。
そのために僕は戦う。
君たちが生きていたということを、僕自身が世界に示し続ける。
きっと今の僕にできることは…このくらいしかないだろうから。

「エレン様、脱出の準備が整いました。これより艇を…」

「これだけは約束します。僕は忘れません、あなた方と共に戦ってきた日々を!」

「…私たちもです。とても幸せでした。」

「…。」

「これより脱出艇を射出します。ご武運を。」

「ありがとう。」
その瞬間体が強く押し込まれるようなGに襲われる。
低く唸った獣の声みたいな轟音で、艇全体がガタガタ鳴った。
でも一瞬窓の外に映ったネメシスの姿は、真っ黒い世界の中で白く美しく輝いて見えた。

…こうして、僕はネメシスを脱出した。
行くあてがあるのかもわからずに。
そして深い闇からこぼれ落ちた流れ星は、ゆっくりと故郷へ向かっていく。
それはまるで地上からの祈りを託されているかのような。

一つの定められた運命が、動き始めた瞬間だった。
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