4 戦場

文字数 5,071文字

和やかな風が僕のこめかみを抜けていく。
僕は白い(?)暗がりの下で目を覚ました。

…目を覚ました。

僕は眠っていたのか?
なんだか時々身を焦がすような輝きが網膜にちらつく。
それでもぼやけた視界の焦点が、少しずつ合っていくのがわかった。
…徐々に頭も回ってくる。聴覚などの五感も遅れて付いてきた。
よく聞くとここはかなり騒がしい。
白く見えたのはテントの天井のようだ。
僕は迅速かつ正確に、自分の身に起きたことを推測しようとした。
ゴツゴツと固い物の上で僕は横になっている。
眼球を動かしてみると、他にも横たわっている人が見えた。
包帯のようなものを頭部に巻きつけた人、血が滲んでいる人もいる。
そしてその周りを、白い足や布(スカートか?)が行ったり来たりしている。
そうして僕はようやく、床で寝かされていたことに気付いた。
床…正確にいえば、これは担架だろう。

「31番!カテゴリー1です!」

引き締まった女性の声が聞こえる。
相当まずいことが起きたのだろう。
そして僕はその何かに巻き込まれ、こうやってご就寝だった訳だ。
少なくとも、自分は誰かわかるし、五感も無事そうだ。
手足はちゃんとあるか?僕は起き上がってみた。
どこかで左腕を打ったらしい。
起き上がろうと掌を地面についた時、打撲のような痛みが走った。
ただそれ以外はなんともない。右手両足ちゃんと付いている。
僕は心からホッとした。

「あっ、大丈夫ですか!お目覚めになられたんですね!」

看護師の1人が僕に気付いて駆け寄ってきた。
綺麗な人だった。
「少しお体確認しますね。どこか痛いところはないですか?」
「え、えぇはい。腕を、少し打っちゃったみたいで。」
「他には平気ですか?」
「大丈夫です。」
「じゃあ、ちょっと目を見せて下さい!」
彼女は手際良く僕の容態を確認すると、ポケットから細長いライトを取り出し僕の眼球に当てた。
僕はその眩しさから本能的に目を瞑ってしまう。
何故だろう、怖い。
「大丈夫ですよ、一瞬だけですから。えっと…お名前は?」
「…オリバー。」
「オリバーさん、大丈夫です。ほら、私の目をじっと見てて下さい。すぐ終わりますから。」
言われた通り僕は彼女の目をじっと見つめた。
ブルーの、透き通った、美しい瞳だった。
それは人の心を見透かして覗いてくるようなものではない。
むしろ水晶のようにすべての光を受け止める強さのあるものだった。
思わず、僕は見入ってしまう。
「オリバーさん? オリバーさん!」
「あ、はい。すいません。」
「特に問題ないみたいなので、腕の手当てをしましょう。」
またまた彼女は手際良く僕のジャケットを脱がせると、腕の痣に湿った布を貼った。
僕の左手を覆う手袋はもうボロボロだ。所々鉄骨が透けて見えている。
それでも彼女は驚かなかった。
一度目をやったきり、そのままだ。
僕が少し驚いた。
…だめだ。こんな呑気に振舞っている場合ではない。僕は彼女に話しかけた。

「あの、何も覚えていなくて…何があったんですか?」

すると彼女は少し表情を曇らせてから言った。
「…テロよ。フランクフルト中央駅改札の目の前で爆発があったの。オリバーさん、丁度改札にいたのよね。その傷だけで済んだのは正直奇跡で…あなたの近くにいた人の多くが亡くなったり、深刻な怪我をしたわ。」
言い終えると、彼女は少し慌てて
「あっ、馴れ馴れしくなっちゃって、ごめんなさい。ただ、本当に、酷くて。」
口調を詫びた。
やはり…爆破テロ。
それはクーデター以降、治安の悪化や極左による運動によって世界中で頻繁に発生するようになった。
…そう。
こうしている間にも人は死んでいくのだ。目の前にいる彼女だって、いつ危険に晒されるかわからない。

「あの、本当に、ありがとうございます。」

僕はお礼を言った。
「いいえ、私は何も。私なんかより、オリバーさんを爆発の衝撃から守った方に感謝された方がいいと思います。」
「…え?」
「おそらく腕の傷は、彼に押し倒された時にできたものなんじゃないかと。」
彼?僕は頭がこんがらがった。
ただ確かによく考えると、僕は爆発らしき光を見ているのだから、何もなしにこの怪我で済んだとは到底思い難い。
だとしても誰が?

「男性があなたを汗だくになりながら背負って来たんですよ」

男性…?ん…まさか!
「あの、その男の人って、身長6フィートくらいの、髭の生えた中年の…」
「そうですそうです。英国紳士風の方でした。」
はぁ、あの男が?英国紳士??
だが、やはりあの男らしい。セバスチャンといったか。
「彼は今ここに?」
「いえ、20分前くらいに出て行きました。多分…」

彼女がその先を言いかけようとした時だった。

左耳のずっと先で、ゴォォと底まで響くような轟音が唸った。
その数秒後、テントの中がカタカタと音を立てて揺れる。

——2度目の爆発だ。

ほんの少しの間、空間に静寂が訪れた。
幾重もの息遣いが小さくこだまする。
ビンのようなものが割れる音がした。
そして、どこからか悲鳴が聞こえ、再びこの空間を喧騒で引き裂く。

…死ぬかもしれない。

やり場のない恐怖心に、空気は一瞬呑まれかけた。
すると奥から声がした。

「クロエ!19番の対応!お願い!!」

彼女がそれに答える。
「すぐ行きます!」
彼女…恐らくクロエはまっすぐ僕の目に向き直って言った。

「ここはとても危険。だからすぐに安全な場所へ避難して。必ず、生きてね。」

彼女は僕の右腕をポンと叩く。
そうしてクロエは雑多な荒波の先へと消えていった。

——ふぅ。

一呼吸する。
僕は横に置かれていた自分の荷物(まあ、正確には盗んだリュック)を持って立ち上がった。
一瞬、立ちくらみでバランスを失うも、すぐもちなおす。
取り敢えず、今の爆発元を調べに行こう。
そう遠い場所ではないはずだ。
僕は真っ白な救護テントを出る。
外は心地よい風が吹いていた。
天気も良く、皮肉なほど美しい青空だ。
何故後ろ髪を引かれるような気持ちになっているのだろう。
答えを出す前に、僕はその場を後にした。


——二度目の爆発。
僕は轟音のした方向へと走っていた。
この惨劇が、僕の訪れと関係しているのか確認する必要があるからだ。
やはり爆発はテントから5分ほどの場所で起きていた。
人が流れてくる少し向こうで、中ぐらいの背丈をしたビルが燃えている。
駅直結型の商業施設だ。
20メートルくらいあるだろうか。その真ん中から上にかけて炎が吹き出していた。
壁も少し焼け焦げている。
すると幾人か、二階の連絡口から走り出てきた。
顔や腕は火傷で赤く腫れ、服もところどころ焼け落ちている。
どう見ても楽しいお買い物の帰りではない。
だが大した怪我ではないだろう。致命傷ではなさそうだ。
隣接した連絡通路を進んでいると、若い男女の話し声が聞こえた。

「さっき入っていった人…大丈夫かな…。」
「あれ、イギリス人だったか?全くなあ…。」

イギリス人…?
まさか彼が中に?
なるほど、生存者が自力で脱出してくるのはそのせいか。

——さっきの借りを返す機会かもしれない。

僕は駅ビルが視野に入る道路の隅に移動して、リュックサックからコンピューター型の電子端末を取り出した。
端末が僕の網膜を認識すると、画面には「Argos」の文字。
手際よく僕はキーボードを鳴らした。

"Argos"
米軍が第三次世界大戦の渦中に生み出した当時最新鋭の情報端末だ。
世界中のあらゆる情報ネットワークにアクセスし、その詳細を確認することができる。
時は22世紀中期、軍事力・経済力においては「負け犬」とまで呼ばれたアメリカだったが、情報収集力に関して右に出る国は無かった。
それは何故か。
まず、主要な情報管理システムの構築を担ってきた世界有数の企業達…例えば「HUAWEI」や「電報堂」が、戦略的観点から次々と国営化したのだ。
22世紀初頭から始まったこの流れは、まさに第三次大戦を予期していたかのように世界中へ広まっていくこととなる。
国に買収された企業達は、国から命じられた業務を軸に動いていくこととなり、それまで対応していた民間への業務の殆どがおざなりになった。
企業独自の「システム開発」は、「国を防衛するための技術」として扱われ、民間で使われるシステムには従来以上に「汎用性」が求められた。

これを見越した米国は、自国の企業を一切買収しなかったのだ。

当時からIT業界は「Google」社の一強時代。
唯一民間企業として生き残った有力企業として、世界中からGoogleにシステム構築の依頼が寄せられるようになる。
一世紀以上前は、検索エンジンとしてその名を知られたこの会社も、こうした他分野の受注を繰り返していくことで、IT分野において死角のない企業へと急成長していった。
簡単な勤怠管理システムから、個人の資産管理や生活管理、ついには公的機関の飛行計画システムまで、その高い技術力は買収されたあらゆる国家組織を差し置いて世界中で(もはや一部の公的ネットワークですら)採用されるに至った。
そんなGoogle社のシステムによって動かされている全ての情報を覗き見しようというものこそが、このArgosである。
世界の民間団体の殆どがGoogleに依存せざるを得なくなった時代背景だからこそ実現した代物であるが、終戦のタイミングをもって安全保障の観点から使用は停止された。

「Argosの信号は即ち大統領命令である。」

どうやらその影響力は今も健在のようだ。
僕のArgosは今、セバスチャンの保安官バッジが出す信号を見つけ、それと位置情報の共通する通信端末を捜索している。
やはりあのビルの中にいるようだ。
…見つけた。 流石手際がいい。
早速電話をかけてみた。
彼はきっと出る。こういう時、プロは1%でも生存可能性を残しておくものだ。
そうしてしばらくの沈黙の後、その時はやってきた。

「あ?なんだ?保険の営業か?だったらやめといた方がいい、大損するぜ!」
「…相変わらず騒がしいな。」
「その声… まさかお前…!」

威勢のいい声が電話先から聞こえてきた。
間違いない、彼だ。
どうやら無事らしい。
しかし確かにマイクはしっかり彼の声を拾っているが、それでも背景では何かが激しく燃え盛る音がした。
「さっきはお節介どうも。そっちの状況を教えて欲しい。」
「ふん、言いたいことは山ほどあるが生憎それどころじゃない、いいか!自力で出られそうな奴は全員助け出した!今は4階で生存者を探してるところだ、これより上はもう期待できそうにない!!」
火災の煙は上へ上へと上がっていく。
4階というと、まさに出火元辺りだろうから、死とギリギリのラインで彼は今動いているのだろう。
「4階は紳士服売り場で燃焼物が多い。空気もそうだが、退路を失う可能性もある。もって後1分半だ。」
「ほう〜!耳寄りな情報、ありがとな!」
随分と気楽な返事だ。
すると突然甲高い声がした。

生きてる!おい!しっかりしろ!!

電話の向こうから、小さく女性のうめき声のようなものが聞こえる。
「…状態は? 脱出できるのか?」
「いやだめだ、足を怪我してる! 俺がおぶって下まで走る。」
「…冗談はよしてくれ。その状況で運動量を増やせば先にあんたが倒れるだろ。」
「大丈夫だ、訓練は受けてる!」
…。
建物の見取り図に目を通す。
Argosは僕に1つの道筋を示した。

「いいか、よく聞いてくれ。上りエスカレーターの降り口から見て8時の方向に、従業員用の通用口がある。その先の非常シューターから脱出するんだ。社員証は必要ない、そのまま入れ。」

彼は叫んだ。

「ふん! そいつはどうも!」

カタカタと小刻みに何かが動く音がする。
走っているのだろう。誰かを背負って。
すると、ダン!という大きな音が鼓膜を叩いた。
それに続くように、聴き慣れないような鈍い音が耳の底へ響く。
何が起きてるんだ。
「おい、出られそうか?大丈夫か!」

僕がそう叫んだ時だった。
Argosが示していた彼の位置情報が消えた。

「…? おい。どうした! おい! 返事をしてくれ!」

その瞬間だ。

僕の頭上10数メートル上、壁に描かれていたステンドグラスが丸ごと吹き飛んだ。
生々しく開いた裂け目から勢い良く火柱が上がる。
僕は突然の出来事に何が起きたのかわからなくなった。
——まさか。

「セバスチャン?大丈夫か!セバスチャン!」

答えは無かった。
…そんなはずない。
全てのアプローチは完璧だったはずだ。
僕は言葉を失った。
ジリジリと何か焼けるような痛みが、肝をなぞる。

違う、僕じゃない。

『他でもないお前の偽善が、彼女を殺したんだ。』

忌まわしき呪いの声に、僕は我を忘れて膝から崩れ落ちた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み