11 陽炎

文字数 4,966文字

「お客さん、ここからフランスでっせ。」
タクシーを運転するおじさんが、バックミラー越しに言った。
「…リュジーまではあとどのくらいで着きますか?」
「そうですねぇ…早くて4時間くらいかなあ。」
色々あったルクセンブルクの町を出て少し、僕らはだだっ広いワゴン車の中にいた。
まだ彼は昨晩のやり取りが腑に落ちていないようだ。
無理もない。
…だがお互い様だ。

「一体、君は何者なんだ。」

そう彼が呟いた後、僕らの間をしばらくの沈黙が埋めた。
それでも彼は口を開こうとしない。
僕が自ら話し出すのを、じっと待つつもりなのだろう。
テーブルに置いたメモ用紙をポケットにしまって、ゆっくり彼の目を見る。

「…あんたには、感謝してる。」

「そして、これだけ物騒なことに何度も巻き込まれればそういうことも言いたくなる、気持ちもわかる。」

僕は続けた。

「この世界に、何もない人生を送ってきた人間なんていない。こんな時代だし。戦争に、クーデター。誰だって思い出したくない過去がある、後ろ髪を引く後悔だってある。何気ない日常を謳歌している人の方が、きっと少ないんだ。」

「オリバー…」

「俺もあんたの過去に踏み入るつもりはない。だから、この話はもうやめにしよう。」
僕は言った。
「…こっちの火遊びに付き合いたいなら好きにすればいい。嫌になったら、いなくなってくれてもいい。」

「自分の生き方を決めるのは、自分自身。…そうだろ?」

タクシーはフランスを南下して県道981号線の通る小さな町、リュジーへと向かっていた。
元々の目的地、『ドーバー』からは真逆の方向だ。
…ここまであまり時間を無駄にしてこなかったことが唯一の救いだろう。
というのも、僕は寄り道をしなくてはいけなくなってしまったのだ。
昨日、ベルギーのナミュールに核が落とされた。
やったのはネメシスを占拠したGRAの連中だ。
きっと御三家(AI)はまともに機能していないのだろう。

奴らはもう好きなように核を撃てる。

そしてこういう状況になった時想定されることが、”僕たちを消すために”核を撃つということだ。
Argosのシステムは、御三家と一部がリンクしている。
無論御三家を掌握できたとしても、Argosの情報には何重ものセキュリティレイヤーが敷かれているため、そう易々とアクセスはできない。
しかしもしそのセキュリティを破られようものなら、目の敵である僕らは一瞬にして居場所を明かされ灰となってしまうだろう。
そういった事態を防ぐため、Argosの位置情報が発信されている地点から半径100km圏内でネメシスによる核攻撃があった際、Argosのデータ中継サーバーが自動的にシャットダウンする仕組みになっているのだ。
当時はパニックになっていて気がつかなかったが、ルクセンブルクでArgosが全く機能しなかったのはこのせいだった。
アーヘンで運用できたのは、恐らくシャットダウンまでにタイムラグがあったというだけだろう。
いずれにせよこれにより、宙からArgosを辿って僕らの居場所を見つけることはできなくなった。

ただここで、2つ問題が生じる。

1つは、Argosが全く使えなくなってしまったということ。
もう1つは、グリニッジ天文台旧館B4の閲覧室…。

「しかしお客さん、こんな時にリュジーに何の御用で?」
「…少し立ち寄ってみたいところがあるんです。」
「立ち寄るって、あそこには何もありゃしませんよ。」
「…。」
「もうここら辺じゃあ核が落ちたとか言ってあっちこっちで物騒なことがわんさか起きてるんだ。あまり観光に精をだすタイミングとしてはお勧めできねえなあ。…ねぇ?お父さん。」

「…えっ?」

運転手は僕らを親子だと思っているようだ。
隣でセバスチャンが露骨に狼狽している。
それを察した運転手が、ガハハと盛大に笑った。

「お子さんがいるってのは、大変ですねぇ。」

彼は運転手の言葉に少し目を細めた。
そして窓の外に目をやった後、

「…えぇ、そうですね。」

そっと微笑んだ。

代わり映えのしない茶色の大地を横目に流して5時間半。
あっちこっちで道が詰まっていたり、時には車や建物が燃えていたり、それはそれは飽きのこない旅路だった。
運転手の当初の予定よりもずっと時間がかかってしまったようだ。
時間はもう夕方。
全体的に建物の背丈が低いせいもあって、橙色の空がとても大きく見えた。
ふわぁぁぁ、と隣でセバスチャンが大きなあくびをする。
「随分と、かかったな。…ここ(Luzy)か?お目当ての場所は。」
「いや、 少し歩いたら…またすぐ移動する。」
「おぉぉい勘弁してくれよ…!」
今度は、"んああああああ"と唸りながら背伸びをする。
彼の背骨がポキポキ不健康な音を鳴らした。
…どこかで少し休んだ方が良さそうだ。
この町、リュジーの南部では大小合わせて4本の国道が交差している。
僕らはこじんまりとしたY字路を通り過ぎ、周りを眺めながらゆったり歩いた。
どこかから、小川のせせらぎが聞こえる。
僕らの歩く小さな路地に面した白塗りの木製家屋には、「Rue des Fossés」とだけ書かれた小さな板が無造作に貼られていた。
しかし…この町は建物から少し目を逸らすだけで、視界は一面の大草原だ。
今いる場所とは反対側の中心部ならある程度栄えていそうだったが、タクシーの運転手が言っていたことも満更間違いではないだろう。
「この辺りの人々は…蛇に対して信仰心があるのだろうか…。」
「…?」
「いや、これだよ。さっきからよく見かける。」
セバスチャンは足元の石畳を指差した。
びっしりと白い石が敷き詰められた道の真ん中に、一つだけサイズの違う正方形のタイルがある。
そこにはトロフィーのような形をした大きな杯と、それに蜷局(とぐろ)を巻く一匹の蛇が描かれていた。
確かにこのシンボルは、古めかしい旗になって揺れていたりと町のあちこちで目にするものだ。
「これは…ヒュギエイアの杯。」
「ひゅ、ひゅ……ん?」
遠い昔のケルト神話や北欧神話にも神として登場する蛇だが、ギリシャ神話において蛇は不死の象徴として崇められていた。
このヒュギエイアの杯は主に薬学を司るシンボルとして知られており、ヒュギエイアの父であるアスクレピオスは蛇遣い座の星座として、さらにWHOの紋章にも彼の杖が描かれている。
ただ、そんな説明今の彼には何の興味もないだろう。
なんせずっと上の空だ。
「なあ…飯食えるところ探さないか?あっちに戻ればお店もいくつかありそうだ。」
「…わかった。」
まずは一休み。
それが良さそうだ。

噴水を囲む円形の広場の隣に、レストラン…というよりダイナーに似た様式の飲食店があった。
所々壁が煤けている。
相当昔からここにあるのだろう。
扉を開けると、カランカランとドアベルが鳴った。
店員がやってくる様子はない。
勝手に座れ、ということだ。
僕らは店の隅に備えられたカウンターへ腰掛けることにした。
見知らぬ土地ではこちらからお店の人を呼べた方が、いろいろ都合がいい。

「Salut」

店主のような男が話しかけてきた。
だが彼はすぐにこちらの様子を察したのか、
「こっちの方がいいかな?」
と英語で言い直した。
「語学がお達者なんですね。」
「うちのお得意様は英語じゃないと通じないのさ。ひょっとして君も…?」
「…?」
「いや、いいんだ。…決まったら呼んでくれ。」
店主は立ち去っていった。
僕は特に考えるのが面倒臭かったから、ハンバーグにした。
牛肉をこねて焼いたものに、ケチャップをかけただけの単純なものだ。
でも別に僕はそこまで舌が肥えているわけでもないので、これで十分だった。
…肉にがっついている間、不思議と時間の流れを殆ど感じなかった。
僕自身も、お腹が空いていたのだ。
無心になって、僕は皿の重量を減らしていた。

しばらく、経った後だ。

「しかし、あまりここでは見ない顔だね。」
僕が残った僅かなハンバーグを大事に大事に食べている時、店主がまた話しかけてきた。
今隣にセバスチャンはいない。
他の客とどこかで話をしているようだ。
「観光でフランスのあちこちを巡っているんです。」
僕がそう言うと、店主は眉間にしわを寄せた。
「観光…ね。」
そして言い直す。
「この町は特に何もないが、せっかくだしゆっくりしていくといい。」
「どうも、ごちそうさまでした。」
僕は食べ終わった皿と代金をカウンターに残して店の出口へと向かった。
しかしどうも不気味な店だ。
そこかしこから何故か視線を感じて、凄く気持ち悪い。
そそくさと出て行こうとすると、セバスチャンが戻ってきた。
ふと目を逸らすと彼がいた店の奥から、すらりと足の伸びたショートカットの女性がこちらに笑みを送っている。
「あんた…一体何を…」
「か…勘違いするな!向こうから話しかけてきたんだ!俺は…」
「随分と贅沢な休憩時間でよかったじゃないか。」
「…そうかな?」
「…………」
「おい冗談だって、勘弁してくれよ!」
「余計なこと口にしてないだろうな?」
「…どういう意味だよ。」
「…なんでもない。」
再びドアベルの音が高らかと響き渡る。
ダイナーを出た頃にはだいぶ外が暗くなっていた。
やはり、人目につくような場所にあれはないか…。
あくまでリュジーはフランスを南下する為の中継地点でしかない。
このままこの街を彷徨い続けるのは賢明な選択ではないだろう。
もう少し立派な街まで移動して、そこで一泊するとしよう。

——そう県道へ体の向きを変えたその時だった。

15mくらい先だろうか、うっすら人が倒れたように見えた。
一瞬見間違いかと思ってセバスチャンを見る。
すると彼も全く同じ表情をして僕を見た。

…見間違いではないようだ。

僕らは倒れた影のもとへ走る。
そしてその正体を至近距離で目にし、絶句した。
「なんだよ…これ…。」
それは老婆だった。
だがただの老婆ではない。
肌が、まるで干上がった大地のようにボロボロにひび割れていた。
しわ、というレベルではない。
でもシルエットで老婆だと僕らがわからなかったように、腰が曲がったり、体が痩せ細っている様には見えなかった。

「うっ…うっ…」

言葉にもならない様な呻き声をあげている。
「おい、とりあえず誰か助けを…」
「Mamie!」
突然何処かから叫び声がした。
すると30代前半くらいだろうか、物陰から男が一人こちらに駆け寄ってくる。

「………!……!」

もう早口すぎて何を言っているのかわからない。
おまけに訛っている。

「シィ、マイファミリー、プリーズ、ヘルプ、テイク、マイホーム…」

そう言うと男は老婆を起こし、彼女の右腕を自分の右肩に乗せた。
ここの住民は、フランス語が通じないと自動的に英語へ切り替える癖がついているようだ。
片言の英語だが、言いたいことはなんとなくわかる。
セバスチャンは左肩を彼女に貸した。
倒れていた人間を無理やり立ち上がらせて大丈夫なのか?とも思ったが、意外にもすっと彼女は立ち上がる。
「ディスウェイ、ディスウェイ。」
男の片言の案内を聞きながら、夜のリュジーを10分ほど歩いた。
道中、人は殆どいなかった。
多少車の往来のある県道から離れると途端に静まり返るこの町が、やはり僕には不気味でならない。
そんなことを考えているうちに、
「ディス。ディス。マイホーム。」
どうやら、辿り着いたようだ。
男が家の扉を開ける。
木造の平家だ。
築年数はそれなりに経っているだろう。
一歩進む度に床がミシミシと音を立てる。
老婆を支えた男とセバスチャンが、家の奥へと入っていった。
…ごく一般的な家、と言う感じだ。
男が扉を開けたタイミングで、電気はつけっぱなしだった。
相当慌てて家を飛び出したのだろう。
大きなダイニングテーブルには、椅子が2つだけ置かれている。
あれはレコードだろうか。
実物を目にするのは初めてだ。相当年季が入っている。
壁沿いの小さな棚には何枚か写真が飾られていた。
一つ、額を手に取ってみる。
これは若かりし時のあの老婆だろうか。
どことなく顔つきが似ている。
写真の日付は…2042年。

2042…?

まさか。

あの老婆、ひょっとして…

おいおい人ん家の物勝手に触るなんて、マナーがなってねぇんじゃねえか?

!?
まずい! 
僕の本能が叫んだ。

僕は慌てて振り返る。

その時、僕の視界を突然太くて黄色い何かが横切った。
そしてゴン、という鈍い音が脳内に響くと、僕の視界はジワっと揺らめきに包まれ——消えた。
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