25 さだめ

文字数 9,955文字

「しっかり捕まってろ!少し荒っぽくなるからな!」

加速するセダン。
交差点はぐんぐん迫ってくる。
でも彼にブレーキを踏む気配は…ない。

「どうするつもり!」

「この辺はもうそこら中警官だらけだ!後一つ、残念なお知らせがある!」

その瞬間、交通量の多い交差点へ僕らは飛び出す。

「うっ…!!!」

素早くハンドルを切り、後輪を滑らせる。
体が右側に吹き飛ばされそうになった。
だが大きな減速はなく、そのまま加速する。
どうやらシフトパッドの操作には慣れっこのようだ。
しかしその直後、間髪入れず背後からけたたましいサイレン音が耳を劈いた。

「このセダン、手配車両だったらしい!」
「冗談でしょ?!」
「マジさ!ちなみに、お前が片付けた押し入り連中の愛車なんだぜ!」
「はあ!??」

確かにどこかで見覚えがあるように思ったけど…まさか。
そりゃ目をつけられて当然だ。

「道はわかってるのか?追手を巻く算段はあるのか!?」
「んなもん適当に決まってるだろ!」
その時、またセバスチャンがハンドルを切った。
今度は左へ体を持っていかれる。

…だめだ、このままじゃ埒があかない。

少なくとも、僕にだって最終的な目的地がある。
適当な場所へ避難したところで、またここへ戻ってくる羽目になったら無意味だ。

僕は早る鼓動を押さえながら、無心にリュックからArgosを取り出した。
そして動かなくなったHANDYのカバーを外し、手首からモニターを展開する。
駆動系は完全にやられているようだが…行けるか。

「オリ…じゃあなくてエレン!一応頭を下げておけ!」
「撃ってくるのか?!」
「さっきは威嚇止まりだったが、そろそろ狙ってきそうだろ!」
「いやそれより…これを見てくれ!」

僕は左手のHANDYを右手で掲げ、そして人差し指からフロントガラスの隅へホログラムを照射した。
即席で用意した、簡易的な地図だ。

「赤い点が現在地、青い点が目的地だ…!青い線で描かれたルートを進んで欲しい!」
「もしこの通りに進めなかったらどうなる!」
「その時はこっちで再計算するよ!でも黄色で示しているエリアは、GRA管理の監視設備が置かれているから…」
「通るなってことだな!承知致しましたよお客様!」

さらに彼はハンドルを回す。
その瞬間…何かに乗り上げたような衝撃を感じて、僕は身震いした。

「…ひょっとして対向車線になんて入ってないよな?」
「おう!スリルがあって最高だろ?!」
「あーあもう聞くんじゃなかったよ!!!」

超高速ですれ違っていく車の風切り音が真横を通り過ぎていく。
あまりの恐怖感に、後続のサイレン音は耳に入ってこなくなった。
ロシアンルーレットをやっているような気分だ。
一つまた寒気が横切って行く度、僕は無惨な死を遂げた平行世界の自分を想像した。

「おおっと、とうとう奴らも本気みたいだぞ!」

「これ以上何があるんだよ!」

「いいかそのままちゃんと伏せとくんだぞ!」

「言われなくても…」
その瞬間、車両後部の窓ガラスが轟音と共に爆ぜた。
粉雪のような鋭い破片が、嵐の如く刹那僕の頭上を吹き荒れる。

「おい大丈夫か!!」

「ど、どうにかね!」
撃たれたんだぞ?
大丈夫なわけないだろ!
「ま、どうせこっからはもうお祈りタイムだ!お互い射抜かれたって恨みっこなしだぜ!」

セバスチャンはさらにアクセルを踏み込んだ。
地鳴りのようなエンジン音が推進力と恐怖心を助長する。
1秒1秒が、永遠のように感じた。
僕はまだ生きている…僕はまだ生きている…。
そう自分に何度も言い聞かせ、僕はすくみ上がるような轟音で覆われたその刹那を誤魔化した。

…。

……。

………。

…どれくらい、時が経ったのだろう。

完全に外界からの情報をシャットアウトしていた僕は、突如耳へ飛び込んできた彼の声で我に帰る。

「おい!!降りるぞ、エレン!」

「へ?…え?」
彼はセダンの外を半周して、勢いよく僕の真横の扉を開ける。
「ちゃんとお前に言われた通りのルートで来たんだからな?インセンティブが欲しいくらいだぜ。」

「助…かった?」

「まだそう言うには早い気もするが、とりあえず一旦巻いたってとこだな。」

なるほど、九死に一生を得たというわけだ。

…。

…。

まるで運命が僕を生かしているみたいだった。
得体の知れない追い風が、僕には今吹いている。
「車を変えるぞ。」
「あ…あぁ。」
それは外からよく見ると、まさに"悲惨"の一言だった。
確かにこれだけ派手に壊された容姿ではあまりに目立ち過ぎる。
もし今が昼間なら一発アウトだ。
古めかしいスチールへと獰猛な弾丸がのめり込んだ跡を見つける度、僕は今この瞬間生きているという幸運を噛み締めた。
「どうやらこの辺は去勢された闇ナンバーの巣窟らしい。盗みやすくてありがたいってもんだ。」
"去勢"とは、設置が義務化されている生体登録・追跡用の装置を無理やり取り外し、国の管理から逃れるように法外な改造を施すことを指す。
そういう改造車に取り付けられたナンバープレートは、AIの常設的な監視をうまく誤魔化すために自作された紛い物だ。
「とても警官の台詞とは思えないな。」
おいおい、とその僕の言葉に彼は勇ましく返してみせた。
「警官が良いことばかりすると思ったら大間違いだ。俺たちは目的のために動くんだぜ、そのためには穢れた手段を…」
「出たよ。まさか現実の警官までそんな開き直りをするとは聞いて呆れるね。」
僕が半笑いで鼻を鳴らすと、急に彼は辿々しくなる。
「…ん。やっぱ聞かなかったことにしてくれ。」
わかっている。こんなものただの言葉遊びだ。
いずれにせよ、今はやらねばならない。
「なあ、セバスチャン。」
彼はめんどくさそうに振り向いて言った。
「だから、訂正するって…」
「違う。

助けてくれて…ありがとう。」

「………。」

「…もう、気持ちに整理はついたのか?」
僕は問いかけた。
なあなあにしてはいけない。
きっとここから先へ進んでしまったら、もう後戻りはできないのだ。

「気持ち…か。どうだろうな。」

「…。」

「でもお前俺に言っただろ。エリーなら…なんて言うかって。」

「……。」

「俺と彼女はどんな時だって同じものを見てる。だから今はきっと、俺の心を通して、彼女は俺が見ているものを見ているんだと思う。」

「…。」

「だから、俺はもう後ろを向いたりしない。…わかってたんだよ。贖罪のために生から目を逸らしたとて、彼女は喜ばない。でも俺は自責の念にじわじわと蝕まれるのが嫌で、そして何よりこの世界が嫌で。エリーとレイラに…これ以上こんな穢らわしい世界を見せたくなくて。俺は…死ぬことを望んだ。全てを…終わらせることを望んだ。」

「…。」

「でも違ったんだ。大統領が言ってたろ。俺が死ぬことは、すなわちエリーやレイラを殺すことでもある。そして俺が死んだって、世界は変わらない。何も終わらない。悲劇は…きっとまた繰り返される。誰かが、また俺の役を演じ…誰かが、また犠牲になる。

…なあ、エレン。」

「……?」

「…お前なら、この世界を変えられるかもしれないんだろ?少なくとも…お前は本気なんだよな?」
僕は目を閉じて呟いた。
「…そうだ。」

「………。」

「…。」

「なら俺がお前を…命懸けで守ってやる。あぁ確かに今までは死ぬためにお前を救ってきたな。でもこれからはそうじゃない。俺は…生きる為、生かす為に戦う。何でもかんでもお前任せの怠惰な地球人どもを代表して、お前を助ける。

きっとそれが今俺にできる…家族に恥じない生き方だから。」

「……そうか。」

「…。」

「……。」

「…。」

「…いやそれだけかよ!泣くところだぞ?ここ!」
僕は小さく鼻を鳴らした。
「生憎僕は人造人間なんでね。感情を説かれても困る。」
「ちぇっ、面白くねえの。」
「ひとまず長話は後にしよう。僕たちには今やるべきことがある。」
「ま、それもそうだな。」

涼やかな虫達の鳴き声が、優しい風と共に頬を撫でゆく。
僕はそれらしいことを言って、自ら引っ張り込んできたはずの話題から逃げ出した。
彼の言葉へどう答えたらいいのか…わからなかったから。
でも今は純粋に、喜ぼうと思う。
彼が自分の人生と向き合い、その果てで生きようと心に決めてくれた事実を。
少なくとも、世界はこの瞬間もほんの少しずつ…よくなっている、絶対によくなっていくのだと。


僕らはその後適当な日本車を見つけ、案の定拝借することにした。
走るのは地獄絵図の車中で生成した監視の浅い”最善ルート”。
やはり思っていた通り、この辺りまで来れば追手は愚か対向車や人気すらろくにない。
最近の番犬達(治安組織)は徹底監視を前提に行動がマニュアル化されているせいで、ちょっとでも死角へ逃げ込まれようものなら可愛い子犬同然だ。

「そろそろ目的地か?随分走ってきたような気がするが。」

「そうだね。…あ、あれだよ。あの建物だ。」

僕は1ブロック先に見える寂れた建造物を指差した。
それは生い茂った木々とボロボロの金網に囲まれていて、いまいち実体を掴みきれない。

「なんだ?あれ。」

「…廃校だよ。」

「何?わざわざルクセンブルクから大回りして目指した先が…学校?」

「まあ、中に入ればわかるさ。」

「…入って大丈夫なのか?」

「今の僕らにできない事なんてないだろ。何言ってるんだ。」
彼は大声で笑う。
「確かに、今更だな。」

僕たちは歩道の適当な場所に車を横付けして、その廃校へと歩を進める。
この辺は当局の監視が浅い分、治安も芳しくない。
だからこんな夜中にふらふらとほっつき歩くような場所では絶対にないのだが、不思議と怖さは全く感じなかった。
例え今目の前へ何が現れたとしても、きっとどうにかなる。
そんな確信に近い高揚感が、僕の背中を押していた。

「どこから忍び込むつもりだ?インターホンでも押すのか?」

「…僕もここには初めて来るんだ。どうせ観光ガイドには載ってない。探すしかないな。」

「ふーむ…。あの辺の金網とか適当に破って入れないのか?」
彼は酷く錆びついてボロボロになったそれを指差して言う。
「違う。あれはそう見えているだけなんだ。迂闊に触ると感電する。」

「何?いや廃校…なんだよな?」

「あぁ。でもただの廃校じゃない。うーん…そうするとしらみ潰しに行くしかないか…。」

「なあ、そろそろ詳しいことを俺にも…」
僕は徐に彼の指差した金網へと近づいていく。
「無視かよっ!」
そして地面に落ちている木の枝を拾い上げ、金網に向かってそっと突き出した。
「…。」

「…。」

「…。」

「…何してるんだ?」

「まあ、見てて。」
僕は1m程度の間隔で、何度も金網やら壁やらを突いて回った。
その様子を後ろでセバスチャンは、じっと腕を汲みながら見つめている。
「ひょっとしてここは、ネメシスだかなんかに関する拠点なのか?」

「まあ…そうとも言えるかもね。」

「…破壊するのか?」

「まさか。そんな目立つようなことはしないよ。中に入って、ほんの少し…」
その瞬間、惰性で押し込んでいた右腕が…あるはずのものに妨げられず宙を舞う。

「お、おい!今、消えたぞ!」
そう指を差して叫ぶ。
彼が驚くのも無理はない。
僕の手にしていた枝は、突如赤錆まみれの金網の先へ…消えた。

「どうやら見つかったみたいだ。入口が。」

「まさか、ホロなのか?」
ホログラムは、まるでそこに金網があるかの如く幻を投影する。
実際に触れてみるその瞬間まで、それがホロなのかどうかの区別はつけられない。
「…あぁ。変に厳重すぎても逆に怪しいだろ。入ろうとした地元のワルが泣きべそかくくらいで丁度いいんだよ。どこかにホロがあるって知らなきゃ、普通は電撃の洗礼を一回受けた時点で諦める。」

「ほう。そんなことにわざわざ金をかけなきゃいけないあたり、相当大事な場所なんだなここは。」

「…そうだね。さあ中へ入ろう。」

「おう。」
「あ、気をつけて、ホロになってる箇所はそう広くないから。」
「え」

ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!」


青春の残り香が漂う、校舎と校舎の間を僕たちは進む。
推測するに、ここは高校だったのだろう。
僕が学校に通っていたのは小学校までだ。
だから丈の高い鉄棒やタチが悪い壁の落書きを目にする度、何処となく憧れのような…嫉妬のような感情が僕の心を揺さぶった。

「で、お前が探してるものって何なんだよ?好きな女の子のジャージでも盗みに来たのか?おい、いい加減教えてくれよ。」

「それは中に入ってからのお楽しみさ。ひとまず、今は2号館の地下を目指して歩いてるところだよ。」

「2号館?あれのことか?」
彼が指差す先には、埃と錆に塗れた汚らしい鉄扉があった。
そのすりガラスには、かろうじて読み取れるような濃淡で”2”と記されている。

「そのようだね。あそこから入ってみよう。」
ふん、と彼は不快そうに鼻で笑う。

「それにしても…体調が悪くなるレベルの汚さだな。本当にここが重要施設なのか?」

「まあ、外身は長らくほったらかしだったんじゃないかな。基本は中のAIが内部だけメンテしてるはずで、人間が外から入ってくるようなことはほぼあり得ない。」

「ほう…なら今日は隕石が落ちるかもな。」

「…何?」

「あれを見ろ。」
…うん?
ただのドアノブだ。

いや違う。

「なるほど…ノブにだけ埃がついてない。」
彼は神妙な面持ちで言う。
「どうやら、先客がいるらしいぞ。…それでも入るのか?エレン。」
…。
先客…か。
不穏な響きだ。
それでも、だとしても。
「ああ。今の僕に選択肢はない。…行こう。」

「だよな、そうだと思ったよ。」

グダグダ考えても仕方ない。
僕はゆっくりと、そのノブに手をかける。
ギィと、古びた蝶番のうめき声が狭い廊下に響いた。
恐る恐る…僕は半身で覗き込んでみるが人の気配は無い。
「大丈夫そうだ。行ってみよう。」
僕は懐から拳銃を引き抜き、一歩前へと踏み出す。
そして銃に取り付けられたタクティカルライトを、果てなく続く暗闇へと照らした。
「なあ。」

「…?」

「…くれないか。持ってるんだろ。俺の銃を。」

「…。」

「まだ、信じられないか?俺を。」

「いいや。」
僕は下を向いた。

「でももし敵と対峙したら、あんたはその額めがけて引き金を引けるのか?」

「…。」

「武器だけ持って棒立ちされるくらいなら、初めから丸腰で隠れてもらってたほうがマシだよ。」

「ひどい言い草だな。」

「…キッパリと否定できるのか?」

「……。」

「その自信があるなら渡してもいい。これは命に関わる問題なんだ。」

「…。」

「…。」

「…エレン。」

「……。」

「俺はその覚悟を持ってここに来た。だから…渡してくれ。」

「そうか。わかった。」
僕は銃を持った右手で上着を捲る。

「自分で抜いてくれ。」

「ほう、粋な計らいだな。」
僕は呆れ顔で笑った。
「誰かさんのせいだぞ、左手が使えないのは。」
彼も笑う。
「すまんすまん。」

「ほら、立ち話なんてしてる場合じゃないんだから。さあ行くよ。」

「…ああ。」

僕らは、静まり返った校舎の中を慎重に進む。
中に入って驚かされたのは、想像以上に建物の中が綺麗だったということだ。
どうやらここを管理しているのは綺麗好きのAIらしい。
埃ひとつさえ、床には落ちていなかった。

「地下を目指してるって言ったか?」

「うん。」

「あれ、校内図じゃないか。」
どうやらセバスチャンは自分で持っていた懐中電灯を使っているらしい。
その光が差す向こうには、確かにそれらしい木板が掲げられている。

「少し見に…」
「階段はあっちだね。」
「え?」

「…え?」
セバスチャンが露骨に戸惑う。

「…あれが読めるのか?」

「まあ、人造人間だからね。」

「…。」

「そんな驚かなくても。」

「…いや悪い。きっと見えてる世界も違うんだろうなと思っただけだ。…行こう。」

「待って。」

「…?」

「そうやって特別扱いされるのは嫌なんだ。」
彼は少し黙り込む。
「…そうか。わかった。すまない。」

「……。」

「…エレン?」
「静かに。」

「…。」

「今聞こえたんだ。僕らじゃない何かが。」
きっと彼には聞こえていないのだろう。
「……。」

「階段の方からだ。気をつけて行こう。」

「わかった。」

僕らはすり足で気配を消した。
そして拳銃を前に構え、互いの射線を被せることなく丁寧にクリアリングしていく。
先日のリサイクル店が脳裏に浮かんだ。

『2ヶ月半の間、お前は1人になる。何か武器を用意しておけ。俺からの個人的なアドバイスだ。』

…別れ際に聞いたマックスの助言も、どうやら半分は当たっていたらしい。
そして“生きたい”と思った途端、世界は唐突に難儀なものになるのだから困った話だ。

「なんだっ!?」

突然後ろから息を殺したような叫びを聞いて、僕は振り返る。
セバスチャンが教室の窓越しに何かを見つめていた。
その安全装置は外れ、引き金へまさに指がかかろうとしている。

一瞬の静寂。

だが彼はそれを引かなかった。

「…くそっなんだよ。」

彼はそう呟きながら銃口を下げる。
「どうした?」
僕が近寄ると、セバスチャンはめんどくさそうに指差した。

「…ああ。」

「おうおう学校といえば確かにお決まりだよな。驚かせやがって。」

「実験室のマネキンだね。…まるでお化け屋敷みたいだ。」

「勘弁してくれ。」

「いや実際、彼は生きているかもしれないよ。」

「…何?」

「彼の目は、今確かに僕達を見つめているかもしれない。」

「変なこと言い出さないでくれ。恐怖心からお前のことも撃ちそうだよ。」

「変じゃないよ。ここにはこの場所を管理しているAIがいるはずなんだ。どうせとっくに僕達がこの場所へ侵入していることはバレている。あのマネキンのように、どこかからじっと動かず僕達のことを観察しているんだよ。」

「…じゃあお前がさっき聞いた物音は?」

「あれはあくまで直感だけど、人間のものだね。」

「ったく、いずれにせよ恐ろしい話だな。せめて出る時は出るって言ってから出てきてほしいぜ。」

そして再び光の線が、無抵抗な暗がりを引き裂いていく。
どこかに潜む何者かにも、この輝きは届いているのか…。
集中を切らさず、いつ出てきても良いように。
そしてその相手が誰なのか、しっかり見極められるように。

…もしかしたら、フィクサーかも。

心のどこかで、僕はそんな可能性について考えていた。
七賢生である彼はこの場所を知っている。
そしてもし彼なら、撃ち殺す訳にはいかない。
でも計画を邪魔されるわけにも、絶対にいかない。

例えセバスチャンがいようと…きっと難しい戦いになる。

そんな未来に苦悩しながら、僕は一歩一歩前へ進んだ。

「エレン、見つけたぞ。」

先に階段を見つけたのは、セバスチャンだった。

「あれだ。確かに下へ伸びてる。」

「みたいだね。」

「…いくか?」

「もちろん。」
彼がわざわざ確認してきたのは、階段を下ることの危険性をよく理解しているからだろう。
遮蔽物などなく、僕らは足元を照らさなければ降りられない。
そして構造上僕達が相手を視認するより先に、僕達は相手から視認されてしまう。

一歩間違えれば、一瞬で蜂の巣だ。

「何か策はあるのか?」

「…あの手すりを使おう。」

「滑るのか?」

「…うん。あの太さなら、期待はできる。それに見たところ頑丈そうだ。」

「ほう、まるで学生に戻ったみたいだぜ。」
僕は彼の言葉に一瞬足が止まる。

「そっか。…皆はそういうことをして過ごすんだ。」

「…先生には怒られるけどな。」

「なんか、いいね。」
彼は優しく笑った。

「なんだよ、お前だって今からやれるだろ。」

「…うん。」
そして僕を励ますように、セバスチャンは続けた。

「さ、覚悟はいいか?しくじったら、鉛玉先生のお仕置きだ。サクッと決めるぞ…!」

彼はそう言って一思いに駆け出す。
僕もワンテンポ遅れて、彼を追った。
二つの光線が、それぞれの足元を照らし…やがては斜めに走った稜線を捉える。
先行した彼は右手しか使えない僕に気を遣ってか、左側の手すりへ飛び乗った。
つまり僕は右を使える。

さあ勝負の時…飛び込むっ!

右手一つで体を持ち上げ、僕は自らの腰を分厚い瑪瑙のような長方形へと叩き置く。
これだけ年季のある建物だ。
その衝撃で脱落してしまわないか心配だったけど、それでもどうにか持ち堪えてくれた。
というかやってみると案外難しいな…!
背を壁に擦りすぎるとスピードが出ず、離しすぎるとバランスを崩す。
どっちに転んでも致命的だ。
例えやっていることは同じでも、これは青春を謳歌する学生たちが娯楽を目的にやるそれと事情が違う。
無意識に頬を冷や汗が伝った。
そしてあっという間に半分を過ぎる。
ここより先は下の階からも視認されるだろう。
僕は滑りながら銃のライトで前を照らした。
…万が一目の前に誰かがいた時の目眩しとして。
でもどうやら杞憂だったらしい。
狭く年季の入ったコンクリート製の廊下には、何一つその光を遮るものは存在しなかった。
先に地下へと辿り着いたセバスチャンは、既に物陰で身を隠しながら僕を待っている。
そして僕も続いて地面に足をつき、素早く廊下から身を隠した。

刹那僕達は息を整える。

互いを見つめ…合図を送り…

……!!

僕らは同時に銃を構えその身を廊下へ晒した。

——何もない。

だが気を抜いていいわけではない。

視界の左側は備品室だ。
僕が備品室側を向き、セバスチャンが前を見ながら進む。
ただきっとここには誰もいないだろう。
直感的に、さっきの音はこの辺りではない。
そしてもし階段から降りてくる僕らを狙うのであれば、わざわざこんな狭苦しい場所には入らないはずだ。

十数秒して…そっと目配せする彼に僕は首を振る。

であればこの先?

…もしや何処かですれ違ったのか?

ありえなくもない話だ。
だとしたら最悪のケースまで考えられる。
ここで僕が死ぬのと、ほぼ同等のダメージだ。

そうこうしているうちに、僕達は目的の場所へと辿り着く。
それは学校地下の、”温水プール”。
厳密には、プール”だった”場所だ。

僕らを迎えるのは二つの引き戸。
片方は閉まっていて、もう片方は開いていた。
見たところ…開いているのは女性用の脱衣所だろう。

「おい。」

口の動きだけで、そのまま踏み込もうとする僕をセバスチャンが静止する。
僕はまた首を振った。
あいにく今は、その溢れんばかりの紳士力を発揮するタイミングではない。

やけにだだっ広いその場所は、むしろ隠れる場所がないくらい潔い空間だった。

…。

いや…そこまでクリアしなくてもいいのでは?
と言いたくなるくらい、あちこちをセバスチャンが見て回っている。

……。

いやきっと、彼なりの戦士としての直感がそうさせているのだろう。
そうに違いない。

そうであってくれ。

脱衣所を抜けた先は、幾つもの赤錆がこうべを垂らす所謂シャワー室だ。
後ろでセバスチャンが足を止めた。
言いたいことはわかる。
戦争は、事物の印象を激しく歪めてしまうものだ。
そしてどれだけ年月が経とうと、人間という生き物は変わらない。

…僕らはゆっくりと、まるで噛み締めるかのように進む。
全てを終わらせるための第一歩として、僕はここへ来たのだ。
そしてシャワー室を抜け、ブーンと耳にへばりつくような重低音を脳内へ引き入れる。

——着いた。ここだ。

「なんだ…これ…。」

目の前は、真っ黒な立方体…とでも呼べば良いだろうか。
もはやプールがあったかもわからない。
あまりに巨大な地下空間を、数多の光を吸い込んでしまうような黒が埋めていた。

そんな巨大な建造物へ、僕は一歩ずつ近づいていく。
想像通り、中へ続くたった一つしかないゲートは開いていた。

…相手は、この中にいる。

さっきからまるで僕らを導いているかのようだ。
恐らく1人だろう。
そしてこちらが複数人であることに気づいている。

…。

僕は彼に手で合図をし、背中合わせで離れないよう指示を出す。
彼は頷き、僕の後ろについた。
再度武器を構え、息を呑み…そして中へと入る。

“RIVISE”

ここの基盤に刻まれたその言葉は、僕の左手に彫られている文字と同じだ。
…そこはかつてのMCRを彷彿とさせるサーバールーム。
あそこと違うのは、中にメイテックがいないこと。
今この瞬間は…動いていないこと。
そして何より、あのネメシスを討つために作られたということ。
全ては、この世界を…

…?

はっとした。

後ろに気配がない。
まさか、まだ入って数秒だぞ。

僕は、慌てて振り向こうと…

止まりなさい!

…。

その一言に、僕の体はぴたりと動けなくなった。

それは決して…動くなと言われたからではない。

「大人しく武器を捨てなさい。少しでも怪しい動きをしたら、あなたのお友達は…」

「…クリス?」

「えっ」

声だけでわかる。
息が止まりそうだった。
今度は体が勝手に後ろを向く。
例え銃を向けられていようと。
声の主を、この目で捉えるために。

「そう…エレン…。」

「クリ…ス?」

あぁ。
そこに立っていたのは…まさに僕の目の前で死んだはずの。
今日まで何度だって夢に見た。

あの友の姿に他ならなかったのだ。
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