16-6 All or Nothing

文字数 3,266文字

「この写真は…いつ?」
僕は鼻を啜って、少し落ち着いた後答える。
「わからない。僕たちも気づかない間に撮られていたみたいだ。」
この写真——、それは僕とフィクサー…そしてクリスの写った一枚の写真。
なんでもない風景だった。
食堂で、僕たちは言葉を交わしている。
フィクサーは頬を膨れさせ、僕は怪訝な顔。そして彼女は…笑顔だった。

とっくに僕は泣き腫らして真っ赤になっていた。
フィクサーも僕と一緒に泣いた。
たくさん泣いて、それから2人で箱の中身を見ていた。
助手用のノートや、髪留め、メモリーカードなどが入っている。
どれも使い手の彼女の姿が目に浮かぶ。
一つ一つを手に取る、その度また感情に身を任せた。
一方フィクサーは、時間が経つほど冷静になってきている。
僕とは真逆だ。
冷静になんてもうなりたくない。
怒りで身を滅ぼす前に、果てしない涙に暮れたまま死んでしまいたい。
もうそれだけだった。

「この箱は…博士が?」
「…違う。」
「そうか。博士も教え子の形見は…」
彼は一度、こみ上げてくる嗚咽を飲み込み言葉を止める。
「…形見は見たいはずだ。後で持って行こう。」
彼が言いたいことはわかった。
でも嘘はつけない。
それらしいことを考える気力もなく、僕は話してしまう。
「盗んできたわけじゃない。貰ったんだ。」
「…誰から?」
一呼吸おいて、漏らすように言う。
「ピアース。」
「シークレットサービス…?何故!」
「…そんなこと聞かなくてもわかるだろ。」
「何故あいつが来たのかって聞いてんだよ!」
物凄い剣幕で詰め寄ってきた。
一瞬にして首を鷲掴みにされる。
「…多分大統領の命令だ。捜査用に押収したものを、ここに寄越したんだと思う。」
クソがぁぁっ!あの野郎、この手で殺してやる。」
獣の唸るような声だ。
乱暴に掴んでいた首は放り出される。
でも怖がる気力もない。
床で這いつくばって、僕は死んだように諭した。
「もう全て終わったんだ。何も考える必要はない。過去だけを、ただ見ていれば…」

「だめだ、そうはいかない。」

新たな声が力強く言い放つ。
ゆっくりと閉まる扉の前に立つその主は——、マックスだった。

「何故君がここに?」
フィクサーは彼を睨みつけながら問う。
「それよりこれはなんてザマなんだ。…さあ。」
マックスは僕へ手を伸ばした。
僕は彼の力を借りてどうにか立ち上がる。
「お前にそんなこと言われる筋合いはない。…出てけ。」
「そういうお前こそ筋違いなんだよ。」
「なんだと…!」
フィクサーは激昂しマックスへ飛びかかる。
だがさっきの僕のようにはならなかった。
素早く伸びたフィクサーの右手を、マックスは鷲掴みにする。
抗おうとするその手を彼は決して離さない。
そして負けないくらいの目力で、フィクサーを見つめながら言う。
「いいか。この状況で、俺たち同士が争うなんて絶対に間違ってる。こんな時だからこそ、力を合わせなきゃいけない。わかるだろ?」
「綺麗事を抜かすな!」
「ああ綺麗事だ!だが世界に対して”犠牲”ではなく”平和”という綺麗事を宣誓した俺達には、最後の最後まで泥臭くそれを叫び続ける責任がある。どれだけ傷つき、大切なものを失ったとしても!」
「わかったように言うな!」
「あぁ、確かにお前の悲しみはわかりかねる。俺なんかよりもずっと彼女とは親しかったはずだ。だが俺も、俺なりに彼女を失った悲しみを感じてる。打ちひしがれるほど辛い。だからこそ、彼女の死を無駄にしたくないんだ。」
「無駄に…?」
「俺は君らに話があってここに来た。いいかフィクサー、もう手を離す。乱暴な真似はするな。俺だって荒っぽいことはしたくない。」
彼はフィクサーの手を離した。
一部始終を見て、僕は口を開く。
「…マックス。悪いけど、あんまり建設的な話ができる状態じゃないんだ。」
「エレン、すごく大事なことなんだ。」

この状況以上に?

僕の一言にマックスは一瞬口を噤んだ。
だが少し間を置いてから、殺したような声で続ける。
「いいか。大統領が容疑者だったクリスを殺したということは、つまりもう彼には打てる手がないってことを意味してる。早急に動かないと本当に、ネメシスは悪意を持った者の手に渡ってしまうんだ。」
「…そんなこと知ってるよ。」
「だったら!」

「…ごめん。僕たちにはもう…無理なんだ。」

悲しかった。こんなことを言う自分にも、悲しかった。

「——そうか。君たちは強い決断力と意志を兼ね備えている、そう思ってここに来てみたがどうやら俺の勘違いだったらしいな。これで大規模な予算編成の謎も…下手したら迷宮入りだ。」
「…予算?」

彼の思わせぶりな発言に、凪を保っていたはずの心が波たった。
フィクサーも聞かずにはいられなかったようだ。
すると彼はまた声を押し殺して、僕らへ一歩近づき口を開いた。

「ああ。知っての通り俺は情報分析官だ。コードイエローが出て以降、俺はここ数年のネメシスに変わった動きがなかったか調べてきた。…手短に話そう。約3年前だ、合衆国の予算編成に新たな項目が追加された。この追加により予算額全体は30%増大し、それは急遽大量に国債を増刷しなければならなくなるほど深刻な変化だった。」
「…復興予算だろ。2163年度の編成に追加されたのは。」
ぶっきらぼうにフィクサーが答えた。
その通りだ、と彼は続ける。
「だから俺は試しにその金の流れを追ってみたんだ。そもそも予算決議の時点でも、使用用途がおざなりなままだった。莫大な費用を投じる割に、目指すのは漠然とした”復興”の二文字だけ。怪しいと思うだろ?それで調べてみたら…その通りだった。」

僕は彼の言葉に対してずっと口を閉ざしていた。
彼のつまらないゲームに付き合うほど僕は正気じゃない。
引き金を引いたのは僕自身の癖に、完全に冷めてしまっていた。
そもそも今日あったことに比べれば、何もかもどうでもいいことだ。
…そうだろ?

「それで、金はどこへ流れたんだよ。」
国防総省(Pentagon)。」
「…何?」
「ありえるか?国防総省に多額の費用を、しかも名目を偽って…だ。しかも驚くべきことに、2163年度軍事予算を国防総省は余らせて計上していた。国債を割ってまで大金を引っ張ったのに、公的に割り当てた国防費は使い切っていない。民意である穏健的姿勢を保つための隠れ蓑にされたと言う訳でもないなら、何故”復興予算”などと嘘をついたのか。…ここだよ。」
彼は足元を指差した。
「一年ずれて2164年、国も変わってハイデルベルクの小さな国設研究所へ大きな予算補填が行われた。そしてここでの増加分は前年度国防総省へ消えた謎の30%と———ぴったり一致する。」
フィクサーは僕を一瞥し、それから問う。
「その研究施設がなんだって言うんだ。」
「詳細はわからない。しかしWPAの要人9人には、フランクフルト国際空港への渡航歴があった。一度目の来訪は研究室の予算強化が行われた直後の2164年4月。ちなみにこの9人は全員、アメリカ国籍だ。」
「なあマックス、お前何が言いたい?」
「もしこの投資が仮にネメシスの設備強化を目的としたものだったとすれば、合衆国は自身の管轄下でネメシスの武装を調整しているということになる。ポイントになるのは、あくまで合衆国はネメシスを強化しているのであって、最終的な掌握権を御三家に委ねている限りそれ自体の行動に脅威性は認定されないということだ。つまりこの提案に対して御三家は反対するどころかすんなり快諾するだろう。だが実際の目的は周りに気づかれることなくネメシスの武装を意のままに操り襲撃への突破口を作り出す、または逆に占領後に奪還されにくいネメシスを作り出すことだったのかもしれない。
さっき俺は、合衆国大統領がクリスを殺したのはもう彼に打てる手がないからだと言った。言い方を変えよう。ギブスはもう、時間稼ぎに手を打つ必要がない。もし彼がテロの首謀者でここまでの仮説が全て正しかった場合、ネメシスは合衆国によって掌握され…世界は瞬く間に合衆国の独裁支配下へ入るだろう。そして彼女を殺した時点で、もうその準備は全て整った…ということなんだ。」
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