第1話 葬列

文字数 3,019文字

 髪の長い女が、葬列の先頭にいる。
 巫女である。
 花かざりのついた、祭事用の巫女衣装であるが、葬儀のさいは白でなく黒で統一する。
 死者の色だ。
 先頭の迎え巫女だけでなく、両脇で花びらを散らす役目の巫女も、魔除けの踊り手も、棺桶を運ぶ僧も、そのまわりを囲む死者の知己たちも、みな黒い服を着ている。
 棺桶の中から、腐臭がする。
 つんと、まち針で鼻の奥をさすような痛みをまとった匂いだ。
 さすがに、僧と巫女は顔色をかえることはないが、参列者のうちには、風向きがかわるたびに鼻をつまんでいるものもいる。
 さて──。
 先頭をゆくのは、まだ若い迎え巫女である。
 背は女にしてはずいぶん高いが、顔立ちと体つきからすると、まだ18にもなってはおるまい。
 黒の花冠をかぶった頭のまわりには、白い光球が4つ、浮いている。

 ふわり、

 と、脇を固める年かさの巫女たちが、花びらをまく。

 しん、

 と、迎え巫女が、片足を大きく前に出し、地面にうちつける。手は、ぶらりと下げたまま。
 鬼歩という作法である。
 その動きにあわせて、手足に飾りをつけた踊り手の巫女たちが、くるりと舞う。
 舞いながら、ゆるやかな節をつけて、送り歌を。

 ──くろいおににはやるまいぞ、
   わがともがらはやるまいぞ。

   くろいところに、
   くらいところに、
   しずかにねむる、ともがらを。 

 運び手の僧と、花を撒く巫女は、ふつうの歩みかたに見えるが、足音はほとんどたてない。
 歌のあいまに、参列者たちのかすかにたてる衣擦れの音や、ため息が大きく響くほどだ。
 本日の参列者は4人だけ。ずいぶん少ない。
 みな、どこか怒りのこもった真剣なおもざしをしている。

 さて、

 大通りを進む葬列のゆく先に、ふたりの男がむかいあって立っている。
 素肌に巻衣を着崩した、ざんばら髪の若い男と、短めのチュニックに薄布の上着をはおり、細紐を額に結んだ年かさの男である。
 二人とも、酒に酔っているようだ。
「どけよ。」と、巻衣の男が言った。だいぶ苛立っている。
「ふざけるな。お前が、わしの財布を盗んだのだろうが」
 年かさの男も、声を荒げている。
「誰が盗むか」
「なんだと。しらばっくれるのか。」
「しらばっくれてなんか、いねえ」
「いい加減にしろ」
 だんだん、声のトーンが高くなっていく。
 まわりに人が集まりはじめた。
「盗人が」
 少し、おさえたような声で、年かさの男がいった。
 腰の剣に手をかける。
「ぬすっと、だと」
 若い男も、おびえた様子はない。こちらも、腰帯に剣をさしている。
「お前が盗っ人じゃねえか、因縁つけやがって。あべこべに俺の財布をとろうってんだろう」
「誰が、そんな……」
 年かさの男の顔が、かあっと赤くなる。
「もう勘弁ならんぞ」
 勢いのままに、剣を抜いた。
 遠目に見てもわかるくらい、震えている。
「おい、」
 若い男が、すこし青ざめて後ずさる。

 びゅっ、

 刃が風を切る音がした。
 血が地面に落ちる。
 若い男の脇腹が、赤く染まった。
「てめえ、」
 さきほどよりもっと青ざめて、若い男も剣に手をかけた。左手で傷をかばいながら、右手ですっと細剣を鞘からぬきはなつ。
 足はおぼつかなかったが、きっさきは震えていなかった。

 迎え歌が遠くから聞こえて来る。

 野次馬たちが、一段と大きくざわめき始めた。
 ひゅっ、と若い男が、直ぐに構えた剣を突き出す。
 年かさの男が、剣の腹ではじいて受けようとする。
 若い男が、ぐっ、と右手に力をこめて、剣をひねる。
 受けようとした剣から、うまく逃げるようにして、きっさきが男の腹に吸い込まれていく。
 ぐ、と獣のようなうめき声。
 灰色のチュニックが、じんわりと赤黒く染まってきた。
 野次馬の女が悲鳴をあげた。

 と、──
 二人をかこんでいた人垣が、大きく割れた。

 ふわり、と黒い花びらが舞う。

 しん、

 と、しずかな強い力をこめて、迎え巫女が地面を踏んだ。

『夢見の巫女』だ、とだれかがつぶやいた。

「お願い申し上げます」
 ろうろうと歌うように、巫女は呼びかけた。
 二人の男の方をまっすぐ向いていたが、目はどこか遠くを見ているようだった。
「葬列です。道をお譲り下さい」

 ひゅぅ、

 きっさきが、巫女の前髪をかすめた。
 細剣についていた血糊が、飛び散って右目に入った。
 巫女は、じっと目を見開いたまま、身じろぎもしない。
「あんた、」
 若い男が、荒い息をおさえながらつぶやいた。
「このようすが見えねえのか」
 剣はゆだんなく構えたまま。
 チュニックの男も、同じく、
「巫女。しばらく待ち給え」
 大剣をもうひとりの男にむけて、
「わけはどうあれ、こうして血を流したからには、やめるわけにはいかん」
 ぽたり、ぽたりと、腹から流れた血が膝から地面に落ちている。
 二人とも、酒はとうに醒めたようであった。
 巫女の眼から、涙にまじった血が、つうと落ちた。
「諸々事情はございましょうが、いずれ生者のあいだのこと」
 頬のあいだをつたって、唇へと入る。
「死者にはかかわりがありませぬ。どうか、道をお開け下さい」
 巫女は身じろぎもしない。
 二人の男が、また、剣を重ねようとした、
 その刹那、

 巫女の額のまわりに浮いていた、白い光球が、ふたつ、ふっと飛んだ。

 ひゅうと、風に乗るように弧をえがいて滑り、男たちのうなじのあたりで消える。
 光がぼんやりと浮かんで、吸い込まれる。二人の胴の傷口に、強い熱が生まれて、きえる。
 男たちは、とつぜん力を失ってくずおれた。
「血は、もう流れておりませぬ」
 淡々と、冷たくすら聞こえる声で、巫女はいった。
「道をお開け下さい。葬列が通ります」
 しばらく間があって、男たちは座りこんだままぼんやりと巫女の顔を見あげた。
 無言のまま、たがいに道の反対側へ、剣を杖のようにして離れてゆく。

 腐臭が、ぷうんとあたりに流れた。

 何事もなかったかのように、迎え巫女はまた足を踏み出した。
 鬼歩のリズムにあわせて、踊り手があわててステップをふむ。
 花びらが舞う。
 送り歌が、またはじまる。

 集まっていた人々が、あわてて道をあけ、葬列に敬意を示す礼をする。
(ああ……あれが『夢見の巫女』か)
 誰ともなく、人々のつぶやく声がきこえる。
(なんだか人間離れしたようで……いっそ恐ろしい)
(まったく……聞いたかね、そういえば、こたびの葬儀は特別だと)
(何が特別なんだね)
(それが……ただの噂だが、)
 人ごみの中。
 年のころは巫女と同じくらい、厚手の服をきて腰に剣をさした銀髪の少年が、足を止めていた。
(なんと……。鬼に喰われたのだとさ)
(鬼に、だと)
(それも……)
 なんとなく、話の内容が気にかかり、少年は聞き耳をたてる。

(夢見の巫女が、屍体を鬼に喰わせたのだと)

 聞いたとたん、ぞわり、といやな感じがした。巫女の顔が脳裏にちらつく。
 そんなことが、あるものだろうか。
 そう、考えながら、通りすぎようとする葬列に目をやった瞬間。

 一瞬だけ、夢見の巫女がふりむき……こちらを、じっと見ていたような気がした。
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