第26話 決着
文字数 2,363文字
目も耳も、ふさいでいる間はなかった。
上下左右の感覚を失ったなかで、ルナは背中ににぶい衝撃を感じた。
吐きそうになる。
ようやく感覚をとりもどしたとき、ルナのからだの上には、エルがうつぶせになって倒れていた。
「エル──」
つぶやきながら、這いだす。
エルの口元から、血が漏れていた。
とっさに、ルナをかばって、とかげ鳥に踏まれたのだ。
ルナは唇をかんだ。
同時に、助かった、とも思った。
ともかくも、エルは生きている。自分もだ。
保護の魔法をかけていなければ、もっとひどい怪我をしていただろうが──
ルナは、海のほうを見た。
海面に、たくさんの羽根や、突き出した嘴が見えている。
頭だけを苦しげに水面からだして、もがいているものもいる。
魔獣の群れは、二人のいた場所を通り抜け、海へと突っ込んでいった。
水に足をとられ、おそらくほとんどのとかげ鳥は、転倒しただろう。
転ばなかったものも、まわりの仲間にぶつかって、あともどりはできなかったはずだ。
とかげ鳥は泳げない。目も耳もきかないとなれば、なおのことだ。
ここらの海は深いとはきいていたが、確かめたわけではない。いちかばちかの賭けだった。
……ぞわりと、悪寒がした。
一頭のとかげ鳥が、海から這いだしてきていた。
群れの末尾にいた個体らしい。ゆっくりと、砂を踏み固めるようにして、こちらに進んでくる。
(何匹……!)
そう考え、すぐに意味がないと悟る。
何匹生き残っていようと関係ない。自分たちが死ぬには、一匹で十分だ。
ルナは歯噛みした。エルは動けない。いや、動かすことさえ危険だ。
先ほどエルがみせた覚悟を、今度は自分が背負う番だった。
短剣を、腰からぬきはなつ。
銘を心にきざむ。
かまえる。
生き物を斬ったことはない。けれども、とまどいはなかった。
たとえ、斬る前に、命がなくなるのだとしても──
間近で見ると、とかげ鳥は思ったよりずっと大きかった。
荒い吐息が、獣臭とともに顔にかかる──
鉤爪が、頭上にみえた。
背後には、エルが倒れている。といって、受け止められるはずもない。
ただ、短剣をかざして、睨みつけることしかできなかった。
死が、振り下ろされる──
そう、感じた刹那。
迅、と刃がはしった。
青いひかりが、ルナの目にやきついた。
それは、剣のはなつ光であった。
アーサーだ。
横あいから、いつのまにかかけ寄ってきていた。
とかげ鳥の首は、一撃で斬り落とされて、地面に転がっていた。
「……エル、ルナ──」
「アーサー」
ルナは、割れそうな胸の鼓動をおさえながら、頭をさげた。
「ありがとうございます。……さすが、王となられる方ですね」
「冗談をいっている場合か、」
アーサーは顔をしかめながら、身をかがめてエルの顔をみた。呼吸はしているようだ。
「治癒の魔法を、いや──」
あせりのにじむ口調で、そんなことをつぶやく。治癒の術は用意してきていない。作戦のために必要な魔法を優先したからだ。
「エル──」
唇をかんだアーサーの頭上を、
ひょうと音をたてて、矢が通りぬけていった。
「気をぬくな!」
フォスターの声。
矢は、海岸から這い出ようとしていたもう一頭のとかげ鳥の頭をつらぬいていた。
「まだ何頭か息がある。手伝え」
「でも、」
「ルナ。治癒の魔法が必要だ。できるな?」
坂を降りながらこちらを一瞥して、フォスターはそう指示をとばした。
ルナは無言でうなずいた。すぐにその場にすわりこんで、目をとじる。
瞑想に入る。
アーサーは、少し暗い気持ちになって目をそらした。
自分なら、もっと静かな場所で、落ち着いてからでなくては精神集中に入れない。
そもそも、魔法球を生むのに時間がかかりすぎて、治癒が間に合わないだろう。
フォスターに肩を叩かれた。
「おまえにはおまえの役割がある。……行くぞ」
アーサーは頷いた。深呼吸。
まだ、戦いは終わっていないのだ。
*
結局、大半のとかげ鳥はそのまま溺れ死んでいた。
なんとか息があったものも、上陸する前に矢で仕留めた。
陸まであがってこられたのは、最初の2頭だけだった。
*
ルナの魔法でエルは治癒したが、動けるようになるには半日ほど必要だった。
その間、フォスターとアーサーが交代で見張りをし、置いてきた荷物を回収した。
そして、その日の昼すぎ。
主のいない営巣地へと、4人はやってきた。
斜面の下、広い草地に、たくさんの巣が設置されている。
枯れ枝と、草と、土くれでできた丸い巣である。
いくつかの卵と、産まれたばかりの雛の姿もあった。
「……焼き払うぞ」
フォスターがいった。まって、とエルが叫んだ。
営巣地の中央あたりに、白いかたまりのようなものがあった。
アーサーが息をのんだ。
それは、骨であった。
おそらくは、人の。
いくつもの死体が重ねられて朽ちたものか、小さな山のようになっている。
(雛に、食わせていたんだ……)
ルナは口のなかでつぶやいた。本当にそうかは、確かめようがないが。
やぶれた服のかけらや、身につけていた品も、そこらに転がっている。
エルは、ずかずかとそこへ近づいて、膝をついた。
落ちていたものを、ひとつ拾いあげる。
それは、剣であった。
銅製の長剣である。雨風にさらされたせいか、汚れて錆びている。
血のような痕もある。
どこにでもあるような品だったが、エルにはわかった。
それは、兄の遺品であった。
エルは、あの日から初めて、大声をあげて泣き叫んだ。
上下左右の感覚を失ったなかで、ルナは背中ににぶい衝撃を感じた。
吐きそうになる。
ようやく感覚をとりもどしたとき、ルナのからだの上には、エルがうつぶせになって倒れていた。
「エル──」
つぶやきながら、這いだす。
エルの口元から、血が漏れていた。
とっさに、ルナをかばって、とかげ鳥に踏まれたのだ。
ルナは唇をかんだ。
同時に、助かった、とも思った。
ともかくも、エルは生きている。自分もだ。
保護の魔法をかけていなければ、もっとひどい怪我をしていただろうが──
ルナは、海のほうを見た。
海面に、たくさんの羽根や、突き出した嘴が見えている。
頭だけを苦しげに水面からだして、もがいているものもいる。
魔獣の群れは、二人のいた場所を通り抜け、海へと突っ込んでいった。
水に足をとられ、おそらくほとんどのとかげ鳥は、転倒しただろう。
転ばなかったものも、まわりの仲間にぶつかって、あともどりはできなかったはずだ。
とかげ鳥は泳げない。目も耳もきかないとなれば、なおのことだ。
ここらの海は深いとはきいていたが、確かめたわけではない。いちかばちかの賭けだった。
……ぞわりと、悪寒がした。
一頭のとかげ鳥が、海から這いだしてきていた。
群れの末尾にいた個体らしい。ゆっくりと、砂を踏み固めるようにして、こちらに進んでくる。
(何匹……!)
そう考え、すぐに意味がないと悟る。
何匹生き残っていようと関係ない。自分たちが死ぬには、一匹で十分だ。
ルナは歯噛みした。エルは動けない。いや、動かすことさえ危険だ。
先ほどエルがみせた覚悟を、今度は自分が背負う番だった。
短剣を、腰からぬきはなつ。
銘を心にきざむ。
かまえる。
生き物を斬ったことはない。けれども、とまどいはなかった。
たとえ、斬る前に、命がなくなるのだとしても──
間近で見ると、とかげ鳥は思ったよりずっと大きかった。
荒い吐息が、獣臭とともに顔にかかる──
鉤爪が、頭上にみえた。
背後には、エルが倒れている。といって、受け止められるはずもない。
ただ、短剣をかざして、睨みつけることしかできなかった。
死が、振り下ろされる──
そう、感じた刹那。
迅、と刃がはしった。
青いひかりが、ルナの目にやきついた。
それは、剣のはなつ光であった。
アーサーだ。
横あいから、いつのまにかかけ寄ってきていた。
とかげ鳥の首は、一撃で斬り落とされて、地面に転がっていた。
「……エル、ルナ──」
「アーサー」
ルナは、割れそうな胸の鼓動をおさえながら、頭をさげた。
「ありがとうございます。……さすが、王となられる方ですね」
「冗談をいっている場合か、」
アーサーは顔をしかめながら、身をかがめてエルの顔をみた。呼吸はしているようだ。
「治癒の魔法を、いや──」
あせりのにじむ口調で、そんなことをつぶやく。治癒の術は用意してきていない。作戦のために必要な魔法を優先したからだ。
「エル──」
唇をかんだアーサーの頭上を、
ひょうと音をたてて、矢が通りぬけていった。
「気をぬくな!」
フォスターの声。
矢は、海岸から這い出ようとしていたもう一頭のとかげ鳥の頭をつらぬいていた。
「まだ何頭か息がある。手伝え」
「でも、」
「ルナ。治癒の魔法が必要だ。できるな?」
坂を降りながらこちらを一瞥して、フォスターはそう指示をとばした。
ルナは無言でうなずいた。すぐにその場にすわりこんで、目をとじる。
瞑想に入る。
アーサーは、少し暗い気持ちになって目をそらした。
自分なら、もっと静かな場所で、落ち着いてからでなくては精神集中に入れない。
そもそも、魔法球を生むのに時間がかかりすぎて、治癒が間に合わないだろう。
フォスターに肩を叩かれた。
「おまえにはおまえの役割がある。……行くぞ」
アーサーは頷いた。深呼吸。
まだ、戦いは終わっていないのだ。
*
結局、大半のとかげ鳥はそのまま溺れ死んでいた。
なんとか息があったものも、上陸する前に矢で仕留めた。
陸まであがってこられたのは、最初の2頭だけだった。
*
ルナの魔法でエルは治癒したが、動けるようになるには半日ほど必要だった。
その間、フォスターとアーサーが交代で見張りをし、置いてきた荷物を回収した。
そして、その日の昼すぎ。
主のいない営巣地へと、4人はやってきた。
斜面の下、広い草地に、たくさんの巣が設置されている。
枯れ枝と、草と、土くれでできた丸い巣である。
いくつかの卵と、産まれたばかりの雛の姿もあった。
「……焼き払うぞ」
フォスターがいった。まって、とエルが叫んだ。
営巣地の中央あたりに、白いかたまりのようなものがあった。
アーサーが息をのんだ。
それは、骨であった。
おそらくは、人の。
いくつもの死体が重ねられて朽ちたものか、小さな山のようになっている。
(雛に、食わせていたんだ……)
ルナは口のなかでつぶやいた。本当にそうかは、確かめようがないが。
やぶれた服のかけらや、身につけていた品も、そこらに転がっている。
エルは、ずかずかとそこへ近づいて、膝をついた。
落ちていたものを、ひとつ拾いあげる。
それは、剣であった。
銅製の長剣である。雨風にさらされたせいか、汚れて錆びている。
血のような痕もある。
どこにでもあるような品だったが、エルにはわかった。
それは、兄の遺品であった。
エルは、あの日から初めて、大声をあげて泣き叫んだ。