第25話 決戦

文字数 3,835文字

 予定どおりだった。
 とかげ鳥の群れは、予定していた場所にいた。
 少し離れた場所から笛を吹いただけで、群れ全体がこちらを見た。
 馬を反転させて走らせると、追ってきた。

 予定どおりだ。

 だが、エルの胸中は、不安でいっぱいだった。

 ──数が、少ないのではないか?

 群れと対峙した瞬間に、正確な数がわかったわけではない。
 斜面上から見下ろしたルパード隊と違い、平地での対面である。奥までは見えない。
 けれども、ただただ違和感が、恐怖よりも緊張よりも大きなそれが、エルの胸を支配した。

 ルパード隊との戦いで、どれだけのとかげ鳥が斃されたのか、正確なところはわからない。
 餌がとれず、自然と数が減ったということもあろう。
 群れの規模が思ったよりも小さいのなら、喜ぶべきことだ。


 本当にそうか?



 馬が走りだしてから、ずいぶん時間が経ったような気がする。
 とかげ鳥の群れは、かわらず追ってきている。
 最初に戦ったときにくらべれば、冷静になれている。そう、思う。馬を操るのに必死で後ろをみるいとまはないが、音と気配で、距離感は十分につかめる。
 このままなら、追いつかれることはない。

 しかし、
 やはり、胸のどこかで判っていた。

 言葉にはしなかったが、

 だから、岩場のむこうから、もうひとつの群れがあらわれたときも、たいして驚きはしなかった。



「エル!」
 ルナがさけんだ。もちろん、いわれるまでもなかった。
 手綱を放す。
 腰から、弓と矢をとる。
 剣のありかを目でたしかめる。
 何度も、頭に思いえがいていたことだ。

 前方の群れを、はっきりとみすえながら、エルは覚悟をなぞった。

 ジャスの生首を、
 カルナーのはらわたを、
 そして、見たはずもない兄の死に姿を、思い浮かべた。

 自分が、これからゆくはずのところを。

(たとえ、逃げきれず、とかげ鳥に喰われるとしても、)

 背中の温もりを感じながら、

(その最後の瞬間まで、私はあなたと共にいます)

 思い出す。勇気を与えてくれた言葉を。

 きりりと、弓をひく。
 馬上で弓をとるのは初めてだが、不思議と、体は揺れなかった。
 ぎりぎりまで引き絞って、指をはずしかける。

 はなとうとした刹那──

 ふいに、背中の気配がうごいた。
 腰にまわされていた腕が、胸のあたりに動いて、ぎゅっと締めつけられる。
 抱きしめられたのだ、と気づくまでに、すこし時間がかかった。
 耳元で、やさしい声がささやく。
「大丈夫です、エル。……落ち着いてください。」

 頬がかあっと熱くなった。

 弓をおろす。右手で手綱をつかみなおす。
「……ごめん。」かすれた声で謝った。
「いいえ。」
 そういいながら、巫女はにっこりと微笑んだ。見えたわけではないが、エルはそう感じた。

 進路をかえる。
 南へ。



 南へ進路をとったのは、そちらが下り坂だからだ。
 前の群れも後ろの群れも、ある程度の幅をもって広がっているから、逃れるには左右どちらかへ一気に駆け抜けなければならない。上るよりも下るほうが速い。とっさにそう思った。
 しかし、この先には海があるばかりだ。
 とかげ鳥の数は、ざっと見たところ数十匹。2つの群れをあわせて、ルパード隊が戦った数よりは少し減っているくらいだ。
 もっとも、この場合、数は関係ない。10匹だろうが20匹だろうが、追いつかれれば死ぬ。保護の魔法で守られてはいても、たった二人でまともに戦えるはずもない。
 逃げ切るには、どこかで反転しなければならない──
「……やってみましょう、エル」
 ルナが、ちいさく囁いた。
 白い魔法球。
 閃光弾の魔法を使おうというのだ。
「わかった。」
「馬をお願いします。」
 短い会話。
 訓練場で慣らしてはおいたが、いざこの場で、轟音と閃光に耐えながら馬が走れるかどうかは、はっきり分からない。
 しかし、やらなければ、追い詰められてしまうだろう。
 少なくとも、とかげ鳥に効果はある筈だ。
 強烈な光と轟音をまともに受けると、獣も動物もひとしく動けなくなる。人間ならば、しばらく闇に包まれたように感じて、立っていられなくなる。視力も、聴力も失ってしまう。
 エルは、馬の首にもたれるようにして、そっと馬の耳をふさいだ。
 ルナは、腕を曲げて自分の耳を両手でふさぎ、肘でエルの耳をおさえた。
「いきます!」
 ルナが大声でさけんだ。魔法球は、合流しようとする群れにむけて放ってある。距離があるから、群れの中心とはいかない。
 エルは指先で馬の目をふさいだ。ほんの一瞬だけ。
 同時に、自分も目をとじる。ルナもそうしているはずだ。

 白い光が瞼にやきつく──
 衝撃が、全身をつらぬく。

 一瞬、ふわりと浮いたような感覚に包まれて、次の瞬間には痛みに襲われた。

 目をあけると、土くれと石が目の前にあった。
 落馬したのだ。
 耳をやられて、音はきこえない。たぶん、一時的なものだろうが。
 あたりを見回す。目がちかちかする。それでも、見えないことはない。
 すぐそばに、ルナ、もう少しはなれて、馬が倒れている。

 しかし、
 とかげ鳥は、かわらず走り続けていた。

 ──なぜ!?
 
 前後にあった2つの群れが合流する前に、魔法球ははじけた。
 カルナーの隊にいたころ、魔獣に閃光弾を使うのを見たことは何度もある。とかげ鳥を相手にしたことも、ある。
 目や耳ををふさぐことなくまともに受ければ、感覚を失う。
 走り続けることなど、できないはずだ。

 横で、ルナが起き上がっていた。何事かつぶやいたらしく、唇が動くのがみえた。
 お、に。
 鬼。
 そう、言ったようにみえた。
 とにかく、エルは立ち上がった。馬は使えそうにない。ルナの手をひっぱる。
 南へむかって、走りだした。



 ルナはもう息を切らしていた。
 とかげ鳥は、二人が走りだした直後に、さっきまで倒れていた場所へ突っ込んできた。馬はふみつけにされ、動かなくなった。ころがるようにして必死で逃れたが、すぐ追いつかれそうだった。
 しかし、そうではなかった。
 走りだして、少し経っても、とかげ鳥は追いついてこなかった。
 エルは、こちらのペースにあわせてくれている。
 本当なら、とっくに殺されているはずだ。
 ちらりと、背後を見る。
 とかげ鳥の2つの群れは、合流して、ひとつになっていた。
 しかし、様子がおかしい。
 一匹として、こちらを向いているものはいない。
 ぶつかりあって、転倒したらしきものも多い。
 それに、馬。
 一匹のとかげ鳥が、倒れた馬を踏みつけにしているが、それだけだ。
 喰われていない。はっきりと攻撃された様子もない。
 これは──

 ぐいっと、手が強く引かれた。
 エルがこっちをむいて、何事か叫んでいる。
 気を散らすなと叱咤しているのだろう。

 また前をむいて、全力で足をうごかす。
 しかし、まだ先程の光景が頭を離れなかった。
(見えていない?)
(それでも、走れた)
 必死で、考えをめぐらす。生きのびるためには、それしかないと思った。
(間違いない。閃光弾で、目はつぶされているんだ。たぶん、耳も)
 それでも、すぐに回復して、追ってくるだろう。
 あたりに隠れるようなところはない。
 馬の足がない以上、逃げ切れるとは思えない。
(狂戦士の魔法──)
 覚えてはいるが、ほとんど使ったこともない術の名前が頭をよぎる。
 ルナは知るよしもないが、カルナーが死の寸前に使った魔法。
 一時的に恐怖や痛みをなくし、力を何倍にもする強化の術である。
(感覚をつぶされても動けるのは、たぶんあれと同じだ)
(興奮状態で走っているから、見えなくなってもそのまま体を動かし続ける)
 事前に、エルから聞いていたところでは、普通なら閃光弾はとかげ鳥にも効くらしい。
 しかし、そもそも群れをつくる獣ではない。
 こうして、何十匹もの集団で走っている状態そのものが、異常なのだ。

 考えている間に、どんどん海が近づいてきていた。
 いきどまりだ。
 背後から、群れの足音がきこえる──

 隠れるところはない。
 海に潜ったら、と思うが、すぐに無理だと気づく。
 もうほとんど間はない。波打ち際で追いつかれて捕まるだろう。少しばかり海に入れたとしても、完全に身を沈める前に攻撃される。余計に動きにくくなって、捕まりやすくなるだけだ。
(だったら──)
 そこまで考えたところで、ぐい、と肩を掴まれた。
 エルが、剣を抜いて、とかげ鳥たちの前に立ちはだかっていた。
「エル、」
「ごめん、ルナ」
 なにを謝っているのか、ルナにはわからなかった。
 最期までいっしょにいると言ったのは、自分のほうだというのに。

 けれど──
 いまは、その時ではない。

「ちがう、エル。……伏せて!」
 ルナはさけんだ。
 エルの腰を抱いて、思いきり引き倒す。
 狂気にみちたとかげ鳥の群れが、もう目の前にせまっている。
 足元はもう砂地だ。ほんの何歩か先には、波が打ち寄せてきている。
 やるなら、ここしかない。
 最後に残った、白の魔法球。

 閃光弾が、炸裂した。
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