第25話 決戦
文字数 3,835文字
予定どおりだった。
とかげ鳥の群れは、予定していた場所にいた。
少し離れた場所から笛を吹いただけで、群れ全体がこちらを見た。
馬を反転させて走らせると、追ってきた。
予定どおりだ。
だが、エルの胸中は、不安でいっぱいだった。
──数が、少ないのではないか?
群れと対峙した瞬間に、正確な数がわかったわけではない。
斜面上から見下ろしたルパード隊と違い、平地での対面である。奥までは見えない。
けれども、ただただ違和感が、恐怖よりも緊張よりも大きなそれが、エルの胸を支配した。
ルパード隊との戦いで、どれだけのとかげ鳥が斃されたのか、正確なところはわからない。
餌がとれず、自然と数が減ったということもあろう。
群れの規模が思ったよりも小さいのなら、喜ぶべきことだ。
本当にそうか?
*
馬が走りだしてから、ずいぶん時間が経ったような気がする。
とかげ鳥の群れは、かわらず追ってきている。
最初に戦ったときにくらべれば、冷静になれている。そう、思う。馬を操るのに必死で後ろをみるいとまはないが、音と気配で、距離感は十分につかめる。
このままなら、追いつかれることはない。
しかし、
やはり、胸のどこかで判っていた。
言葉にはしなかったが、
だから、岩場のむこうから、もうひとつの群れがあらわれたときも、たいして驚きはしなかった。
*
「エル!」
ルナがさけんだ。もちろん、いわれるまでもなかった。
手綱を放す。
腰から、弓と矢をとる。
剣のありかを目でたしかめる。
何度も、頭に思いえがいていたことだ。
前方の群れを、はっきりとみすえながら、エルは覚悟をなぞった。
ジャスの生首を、
カルナーのはらわたを、
そして、見たはずもない兄の死に姿を、思い浮かべた。
自分が、これからゆくはずのところを。
(たとえ、逃げきれず、とかげ鳥に喰われるとしても、)
背中の温もりを感じながら、
(その最後の瞬間まで、私はあなたと共にいます)
思い出す。勇気を与えてくれた言葉を。
きりりと、弓をひく。
馬上で弓をとるのは初めてだが、不思議と、体は揺れなかった。
ぎりぎりまで引き絞って、指をはずしかける。
はなとうとした刹那──
ふいに、背中の気配がうごいた。
腰にまわされていた腕が、胸のあたりに動いて、ぎゅっと締めつけられる。
抱きしめられたのだ、と気づくまでに、すこし時間がかかった。
耳元で、やさしい声がささやく。
「大丈夫です、エル。……落ち着いてください。」
頬がかあっと熱くなった。
弓をおろす。右手で手綱をつかみなおす。
「……ごめん。」かすれた声で謝った。
「いいえ。」
そういいながら、巫女はにっこりと微笑んだ。見えたわけではないが、エルはそう感じた。
進路をかえる。
南へ。
*
南へ進路をとったのは、そちらが下り坂だからだ。
前の群れも後ろの群れも、ある程度の幅をもって広がっているから、逃れるには左右どちらかへ一気に駆け抜けなければならない。上るよりも下るほうが速い。とっさにそう思った。
しかし、この先には海があるばかりだ。
とかげ鳥の数は、ざっと見たところ数十匹。2つの群れをあわせて、ルパード隊が戦った数よりは少し減っているくらいだ。
もっとも、この場合、数は関係ない。10匹だろうが20匹だろうが、追いつかれれば死ぬ。保護の魔法で守られてはいても、たった二人でまともに戦えるはずもない。
逃げ切るには、どこかで反転しなければならない──
「……やってみましょう、エル」
ルナが、ちいさく囁いた。
白い魔法球。
閃光弾の魔法を使おうというのだ。
「わかった。」
「馬をお願いします。」
短い会話。
訓練場で慣らしてはおいたが、いざこの場で、轟音と閃光に耐えながら馬が走れるかどうかは、はっきり分からない。
しかし、やらなければ、追い詰められてしまうだろう。
少なくとも、とかげ鳥に効果はある筈だ。
強烈な光と轟音をまともに受けると、獣も動物もひとしく動けなくなる。人間ならば、しばらく闇に包まれたように感じて、立っていられなくなる。視力も、聴力も失ってしまう。
エルは、馬の首にもたれるようにして、そっと馬の耳をふさいだ。
ルナは、腕を曲げて自分の耳を両手でふさぎ、肘でエルの耳をおさえた。
「いきます!」
ルナが大声でさけんだ。魔法球は、合流しようとする群れにむけて放ってある。距離があるから、群れの中心とはいかない。
エルは指先で馬の目をふさいだ。ほんの一瞬だけ。
同時に、自分も目をとじる。ルナもそうしているはずだ。
白い光が瞼にやきつく──
衝撃が、全身をつらぬく。
一瞬、ふわりと浮いたような感覚に包まれて、次の瞬間には痛みに襲われた。
目をあけると、土くれと石が目の前にあった。
落馬したのだ。
耳をやられて、音はきこえない。たぶん、一時的なものだろうが。
あたりを見回す。目がちかちかする。それでも、見えないことはない。
すぐそばに、ルナ、もう少しはなれて、馬が倒れている。
しかし、
とかげ鳥は、かわらず走り続けていた。
──なぜ!?
前後にあった2つの群れが合流する前に、魔法球ははじけた。
カルナーの隊にいたころ、魔獣に閃光弾を使うのを見たことは何度もある。とかげ鳥を相手にしたことも、ある。
目や耳ををふさぐことなくまともに受ければ、感覚を失う。
走り続けることなど、できないはずだ。
横で、ルナが起き上がっていた。何事かつぶやいたらしく、唇が動くのがみえた。
お、に。
鬼。
そう、言ったようにみえた。
とにかく、エルは立ち上がった。馬は使えそうにない。ルナの手をひっぱる。
南へむかって、走りだした。
*
ルナはもう息を切らしていた。
とかげ鳥は、二人が走りだした直後に、さっきまで倒れていた場所へ突っ込んできた。馬はふみつけにされ、動かなくなった。ころがるようにして必死で逃れたが、すぐ追いつかれそうだった。
しかし、そうではなかった。
走りだして、少し経っても、とかげ鳥は追いついてこなかった。
エルは、こちらのペースにあわせてくれている。
本当なら、とっくに殺されているはずだ。
ちらりと、背後を見る。
とかげ鳥の2つの群れは、合流して、ひとつになっていた。
しかし、様子がおかしい。
一匹として、こちらを向いているものはいない。
ぶつかりあって、転倒したらしきものも多い。
それに、馬。
一匹のとかげ鳥が、倒れた馬を踏みつけにしているが、それだけだ。
喰われていない。はっきりと攻撃された様子もない。
これは──
ぐいっと、手が強く引かれた。
エルがこっちをむいて、何事か叫んでいる。
気を散らすなと叱咤しているのだろう。
また前をむいて、全力で足をうごかす。
しかし、まだ先程の光景が頭を離れなかった。
(見えていない?)
(それでも、走れた)
必死で、考えをめぐらす。生きのびるためには、それしかないと思った。
(間違いない。閃光弾で、目はつぶされているんだ。たぶん、耳も)
それでも、すぐに回復して、追ってくるだろう。
あたりに隠れるようなところはない。
馬の足がない以上、逃げ切れるとは思えない。
(狂戦士の魔法──)
覚えてはいるが、ほとんど使ったこともない術の名前が頭をよぎる。
ルナは知るよしもないが、カルナーが死の寸前に使った魔法。
一時的に恐怖や痛みをなくし、力を何倍にもする強化の術である。
(感覚をつぶされても動けるのは、たぶんあれと同じだ)
(興奮状態で走っているから、見えなくなってもそのまま体を動かし続ける)
事前に、エルから聞いていたところでは、普通なら閃光弾はとかげ鳥にも効くらしい。
しかし、そもそも群れをつくる獣ではない。
こうして、何十匹もの集団で走っている状態そのものが、異常なのだ。
考えている間に、どんどん海が近づいてきていた。
いきどまりだ。
背後から、群れの足音がきこえる──
隠れるところはない。
海に潜ったら、と思うが、すぐに無理だと気づく。
もうほとんど間はない。波打ち際で追いつかれて捕まるだろう。少しばかり海に入れたとしても、完全に身を沈める前に攻撃される。余計に動きにくくなって、捕まりやすくなるだけだ。
(だったら──)
そこまで考えたところで、ぐい、と肩を掴まれた。
エルが、剣を抜いて、とかげ鳥たちの前に立ちはだかっていた。
「エル、」
「ごめん、ルナ」
なにを謝っているのか、ルナにはわからなかった。
最期までいっしょにいると言ったのは、自分のほうだというのに。
けれど──
いまは、その時ではない。
「ちがう、エル。……伏せて!」
ルナはさけんだ。
エルの腰を抱いて、思いきり引き倒す。
狂気にみちたとかげ鳥の群れが、もう目の前にせまっている。
足元はもう砂地だ。ほんの何歩か先には、波が打ち寄せてきている。
やるなら、ここしかない。
最後に残った、白の魔法球。
閃光弾が、炸裂した。
とかげ鳥の群れは、予定していた場所にいた。
少し離れた場所から笛を吹いただけで、群れ全体がこちらを見た。
馬を反転させて走らせると、追ってきた。
予定どおりだ。
だが、エルの胸中は、不安でいっぱいだった。
──数が、少ないのではないか?
群れと対峙した瞬間に、正確な数がわかったわけではない。
斜面上から見下ろしたルパード隊と違い、平地での対面である。奥までは見えない。
けれども、ただただ違和感が、恐怖よりも緊張よりも大きなそれが、エルの胸を支配した。
ルパード隊との戦いで、どれだけのとかげ鳥が斃されたのか、正確なところはわからない。
餌がとれず、自然と数が減ったということもあろう。
群れの規模が思ったよりも小さいのなら、喜ぶべきことだ。
本当にそうか?
*
馬が走りだしてから、ずいぶん時間が経ったような気がする。
とかげ鳥の群れは、かわらず追ってきている。
最初に戦ったときにくらべれば、冷静になれている。そう、思う。馬を操るのに必死で後ろをみるいとまはないが、音と気配で、距離感は十分につかめる。
このままなら、追いつかれることはない。
しかし、
やはり、胸のどこかで判っていた。
言葉にはしなかったが、
だから、岩場のむこうから、もうひとつの群れがあらわれたときも、たいして驚きはしなかった。
*
「エル!」
ルナがさけんだ。もちろん、いわれるまでもなかった。
手綱を放す。
腰から、弓と矢をとる。
剣のありかを目でたしかめる。
何度も、頭に思いえがいていたことだ。
前方の群れを、はっきりとみすえながら、エルは覚悟をなぞった。
ジャスの生首を、
カルナーのはらわたを、
そして、見たはずもない兄の死に姿を、思い浮かべた。
自分が、これからゆくはずのところを。
(たとえ、逃げきれず、とかげ鳥に喰われるとしても、)
背中の温もりを感じながら、
(その最後の瞬間まで、私はあなたと共にいます)
思い出す。勇気を与えてくれた言葉を。
きりりと、弓をひく。
馬上で弓をとるのは初めてだが、不思議と、体は揺れなかった。
ぎりぎりまで引き絞って、指をはずしかける。
はなとうとした刹那──
ふいに、背中の気配がうごいた。
腰にまわされていた腕が、胸のあたりに動いて、ぎゅっと締めつけられる。
抱きしめられたのだ、と気づくまでに、すこし時間がかかった。
耳元で、やさしい声がささやく。
「大丈夫です、エル。……落ち着いてください。」
頬がかあっと熱くなった。
弓をおろす。右手で手綱をつかみなおす。
「……ごめん。」かすれた声で謝った。
「いいえ。」
そういいながら、巫女はにっこりと微笑んだ。見えたわけではないが、エルはそう感じた。
進路をかえる。
南へ。
*
南へ進路をとったのは、そちらが下り坂だからだ。
前の群れも後ろの群れも、ある程度の幅をもって広がっているから、逃れるには左右どちらかへ一気に駆け抜けなければならない。上るよりも下るほうが速い。とっさにそう思った。
しかし、この先には海があるばかりだ。
とかげ鳥の数は、ざっと見たところ数十匹。2つの群れをあわせて、ルパード隊が戦った数よりは少し減っているくらいだ。
もっとも、この場合、数は関係ない。10匹だろうが20匹だろうが、追いつかれれば死ぬ。保護の魔法で守られてはいても、たった二人でまともに戦えるはずもない。
逃げ切るには、どこかで反転しなければならない──
「……やってみましょう、エル」
ルナが、ちいさく囁いた。
白い魔法球。
閃光弾の魔法を使おうというのだ。
「わかった。」
「馬をお願いします。」
短い会話。
訓練場で慣らしてはおいたが、いざこの場で、轟音と閃光に耐えながら馬が走れるかどうかは、はっきり分からない。
しかし、やらなければ、追い詰められてしまうだろう。
少なくとも、とかげ鳥に効果はある筈だ。
強烈な光と轟音をまともに受けると、獣も動物もひとしく動けなくなる。人間ならば、しばらく闇に包まれたように感じて、立っていられなくなる。視力も、聴力も失ってしまう。
エルは、馬の首にもたれるようにして、そっと馬の耳をふさいだ。
ルナは、腕を曲げて自分の耳を両手でふさぎ、肘でエルの耳をおさえた。
「いきます!」
ルナが大声でさけんだ。魔法球は、合流しようとする群れにむけて放ってある。距離があるから、群れの中心とはいかない。
エルは指先で馬の目をふさいだ。ほんの一瞬だけ。
同時に、自分も目をとじる。ルナもそうしているはずだ。
白い光が瞼にやきつく──
衝撃が、全身をつらぬく。
一瞬、ふわりと浮いたような感覚に包まれて、次の瞬間には痛みに襲われた。
目をあけると、土くれと石が目の前にあった。
落馬したのだ。
耳をやられて、音はきこえない。たぶん、一時的なものだろうが。
あたりを見回す。目がちかちかする。それでも、見えないことはない。
すぐそばに、ルナ、もう少しはなれて、馬が倒れている。
しかし、
とかげ鳥は、かわらず走り続けていた。
──なぜ!?
前後にあった2つの群れが合流する前に、魔法球ははじけた。
カルナーの隊にいたころ、魔獣に閃光弾を使うのを見たことは何度もある。とかげ鳥を相手にしたことも、ある。
目や耳ををふさぐことなくまともに受ければ、感覚を失う。
走り続けることなど、できないはずだ。
横で、ルナが起き上がっていた。何事かつぶやいたらしく、唇が動くのがみえた。
お、に。
鬼。
そう、言ったようにみえた。
とにかく、エルは立ち上がった。馬は使えそうにない。ルナの手をひっぱる。
南へむかって、走りだした。
*
ルナはもう息を切らしていた。
とかげ鳥は、二人が走りだした直後に、さっきまで倒れていた場所へ突っ込んできた。馬はふみつけにされ、動かなくなった。ころがるようにして必死で逃れたが、すぐ追いつかれそうだった。
しかし、そうではなかった。
走りだして、少し経っても、とかげ鳥は追いついてこなかった。
エルは、こちらのペースにあわせてくれている。
本当なら、とっくに殺されているはずだ。
ちらりと、背後を見る。
とかげ鳥の2つの群れは、合流して、ひとつになっていた。
しかし、様子がおかしい。
一匹として、こちらを向いているものはいない。
ぶつかりあって、転倒したらしきものも多い。
それに、馬。
一匹のとかげ鳥が、倒れた馬を踏みつけにしているが、それだけだ。
喰われていない。はっきりと攻撃された様子もない。
これは──
ぐいっと、手が強く引かれた。
エルがこっちをむいて、何事か叫んでいる。
気を散らすなと叱咤しているのだろう。
また前をむいて、全力で足をうごかす。
しかし、まだ先程の光景が頭を離れなかった。
(見えていない?)
(それでも、走れた)
必死で、考えをめぐらす。生きのびるためには、それしかないと思った。
(間違いない。閃光弾で、目はつぶされているんだ。たぶん、耳も)
それでも、すぐに回復して、追ってくるだろう。
あたりに隠れるようなところはない。
馬の足がない以上、逃げ切れるとは思えない。
(狂戦士の魔法──)
覚えてはいるが、ほとんど使ったこともない術の名前が頭をよぎる。
ルナは知るよしもないが、カルナーが死の寸前に使った魔法。
一時的に恐怖や痛みをなくし、力を何倍にもする強化の術である。
(感覚をつぶされても動けるのは、たぶんあれと同じだ)
(興奮状態で走っているから、見えなくなってもそのまま体を動かし続ける)
事前に、エルから聞いていたところでは、普通なら閃光弾はとかげ鳥にも効くらしい。
しかし、そもそも群れをつくる獣ではない。
こうして、何十匹もの集団で走っている状態そのものが、異常なのだ。
考えている間に、どんどん海が近づいてきていた。
いきどまりだ。
背後から、群れの足音がきこえる──
隠れるところはない。
海に潜ったら、と思うが、すぐに無理だと気づく。
もうほとんど間はない。波打ち際で追いつかれて捕まるだろう。少しばかり海に入れたとしても、完全に身を沈める前に攻撃される。余計に動きにくくなって、捕まりやすくなるだけだ。
(だったら──)
そこまで考えたところで、ぐい、と肩を掴まれた。
エルが、剣を抜いて、とかげ鳥たちの前に立ちはだかっていた。
「エル、」
「ごめん、ルナ」
なにを謝っているのか、ルナにはわからなかった。
最期までいっしょにいると言ったのは、自分のほうだというのに。
けれど──
いまは、その時ではない。
「ちがう、エル。……伏せて!」
ルナはさけんだ。
エルの腰を抱いて、思いきり引き倒す。
狂気にみちたとかげ鳥の群れが、もう目の前にせまっている。
足元はもう砂地だ。ほんの何歩か先には、波が打ち寄せてきている。
やるなら、ここしかない。
最後に残った、白の魔法球。
閃光弾が、炸裂した。