第2話 魔獣狩り

文字数 4,155文字

 強弓から放たれた矢が、鋭い音をたててエルの頭上をかけぬけていく。
 ぎりぎりのところで、雪ねずみには届いていない。
 エルは、地面に伏せたまま、構えていた小弓をさげた。ここからでは射っても無駄のようだ。
「登るぞ、エル」
 アスターに促され、立ち上がった。
 雪ねずみを狩るには、高所を占めるのが重要である。
 アスターのあとに続いて、がけに手をかける。それほど高い斜面ではないが、急いで登らねばならない。
 この狩りに参加しているのは9人。うち、強弓をもった射撃手がアスターをいれて3人。槍をもった戦士が2人。荷運びの見習いが2人で、魔法使いが1人。
 エルは、そのどれでもない。小弓と剣をもち、状況により射撃手と戦士のどちらも務める。小柄で力がないかわり、隠れて待ち伏せるのが得意である。
 だが、今はたいして役にたちそうもない。
「上には?」
「フォスターと、たぶんジャスが」
「カルナーは?」
「あっちで雪ねずみを追ってた。上にはまだ来てないと思う」
 登りながら、短く会話する。
 雪ねずみは、西側を大きく迂回して登ってきている。このがけを登れば、先回りできる。
 崖上に出てすぐ、エルはあたりを見回した。一足遅れて上がってきたアスターに、状況を報告する。
「雪ねずみは登って来てる。ジャスが狙ってるみたい。フォスターの姿は見えない」
「そうか」
 アスターは小さくこたえて、背中にしょっていた強弓をはずした。
 雪ねずみは、人間の倍ほどの背丈がある、強大な魔獣である。
 重さは、成人男性のおよそ10倍もあり、力も相応にある。だから、まともに戦うのは下策だ。
 離れたところから、弓で狙う。
 相手より高所をとりたがる習性を利用し、斜面を登るところを撃つのである。
 その時、射撃手は、雪ねずみと同じ高さで横から狙うのが望ましい。斜面の下と上から、戦士が囮となって注意をひき、射撃手の安全を確保する。
 今は、下からカルナーが追い、上ではフォスターが注意をひいている筈であった。
 アスターは強弓をかまえた。
 エルは、かれの視線をふさがぬよう注意しながら、剣に手をかけて周囲を警戒した。今のところ、雪ねずみはこちらに向かってきていないが、もし来ればアスターを守らねばならない。来なければ、弓に持ち替えてアスターの援護だ。
「……ジャスがあそこに、」
 なるべく声をおさえながら、アスターの注意をうながす。わかっている、というふうに頷く。
 雪ねずみとかれらのちょうど中間あたりに、新入りの魔法使いがいる。
 遠目でも震えているのがわかる。雪ねずみを狙っているようだったが、位置どりが悪い。
 斜面を登ってくる魔獣の横ではなく、前方に近い場所にいる。これでは、雪ねずみの注意をひいてしまう。それは、撃ちつくせば無防備になる魔法使いの役目ではない。
 新入りをフォローするはずのフォスターの姿は、ここからは見えない。囮役として動くうちにはぐれたか、新入りが先走ったかだ。
 アスターが舌打ちした。
「射線に入るなッ!」
 するどく叫ぶ。
 ぎりぎり聞こえるくらいの声に抑えていたが、おそらく雪ねずみの耳にも入っただろう。
 新入りの魔法使いは、すぐに反応した。
 胸の前にかざした手のうちに包んでいた、茶色の光球が、瞬時に大人の頭ほどの大きさの岩となり、かちかちに張った強弓で撃ち出した矢のように、するどい音をたてて宙を走ってゆく。
 岩弾の魔法である。命中すれば、雪ねずみといえど無傷ではすまない。
 ぎぃんと、大きな音をたてて、太い枝が幹から抜け落ちる。
 枝の根本に岩弾があたって、狙いがそれたのだ。
 雪ねずみの耳元をかすめて、轟音とともに地面に刺さる。
 魔獣がこちらをむいた。
 ジャスはあわてた様子で、こちらへ向かって走ってきた。
「ばか!」
 しんそこ慌てた声で、アスターがさけぶ。
 エルは剣をぬきはなち、雪ねずみに向かって走り出そうとした。
 とん、と右肩に軽い衝撃を感じた。
 ジャスがぶつかってきたのだ。
 バランスを崩しかけて、あわててもちなおす。反射的に後方に目をやる。
 アスターが落ちかけていた。
 考える間もなく、体が動いていた。
 崖際へと体を投げ出し、手首をつかんだところで、二人分の体重を支えられないことに気づく。足がすべり、空中に浮いてから、とどまるべきだったと後悔した。
 ジャスは、アスターとぶつかった後、一人で逃げたらしい。
 エルはなんとか大きく転がって受け身をとり、崖下の地面に足をつけた。弓はあるが、剣は落としたようだ。
「アスター!」
 思わず悲鳴をあげる。
 アスターは崖から10歩ほど離れた木にぶつかって倒れていた。顔色がおかしい。右腕と、左足が、おかしな角度に曲がっているように見える。
 駆け寄る途中で、ふと嫌な予感がして、崖の上に目をやる。

 雪ねずみが、大きな赤い目でこちらを見下ろしてきていた。

 ぞくり、と身が震えた。
 雪ねずみが高所へ向かうのは、その体重を利用して低いところにいる獲物を叩き潰すためだ。
 そして今、崖の下で弱っている人間を、雪ねずみは見た。
 手元に剣はない。仮にあったとしても、牛よりも重い雪ねずみの突撃に、一人で対処できるとは思えない。
 アスターが何かうめいた。
 ひざまづいて、耳を近づける。
 荒い吐息にまじって、こう聞こえた。

「……はやく、逃げろ。エル」

 それを聞いた瞬間、何かがはじけた。
 アスターの強弓を奪い取る。
「よせ、」
 なにか言っているようだったが、
「女の力で引けるものか。」
 無視する。
 ぴたりと、雪ねずみの眉間にむけて、矢をつがえる。
 雪ねずみが体を丸めた。
 鞠のように丸くなって転がり、おしつぶす。それが、雪ねずみの攻撃方法だ。
 だから、急がないといけない。
 きりり、と指が悲鳴をあげる。
 革手袋に弦がくいこむ。
 肩の筋肉が限界を訴えてくる。
 奥歯を噛みしめる。
 
 雪ねずみが地面を蹴った。

 弦が半ばほどまで動いた。
 きしきしと、いやな音が聞こえる。弓ではなく、腕と指からだ。
 汗が目に入る。
 まだ一呼吸ほどの時間も経っていないはずだが、息苦しくて頭が痛い。

 崖の半ばほどを転がる雪ねずみが見える。やけに、ゆっくりと。

 だれかの悲鳴のような声が聞こえた。自分の声だったかもしれない。

 肘のあたりの強烈な痛みで、我に返った。
 弓は、かたく引き絞られていた。
 腕の感覚はないが、支障はない。
 全身で狙いをつける。

 はなつ。

 どん、と大きな音がした。
 矢が、雪ねずみの背に突き刺さる音であった。
 血がしぶく。
 だが、転がり始めた勢いは止まらなかった。
 ぱきん、と矢が折れた。雪ねずみの背に突き刺さったまま、地面との間に挟まれたのだ。
 血まみれになったまま、魔獣の巨体が向かってくる。

 次の矢。
 あわてて、構えようと意識を向けるが、体は動かない。
 押しつぶされる──

 目を閉じてはいなかったはずだ。
 だが、そうとしか思えなかった。
 気がつくと、雪ねずみの突進は止まっていた。
 えんじ色のマントをまとった壮年の男が、両手で構えた素槍で、魔獣の喉を刺し貫いていた。
 男の頭のまわりには、白い魔法球が2つ、浮いている。
 カルナー=メンサ。もと僧兵で、今はこの退魔師団の隊長をつとめる戦士である。
「……遅れて、すまぬ」
 低い声で、カルナーはそういった。
 鉄の柄をささえる太い腕は、ぴくりとも動かぬ。
 身丈は人間の倍ほどもある雪ねずみの重みを、それだけで支えているのだ。

 と、見えた刹那、

 雪ねずみの手、いや右前足が、動いた。
 槍でさしつらぬかれた喉もとから、かるがると、カルナーの左頬に張り手をするように。
 岩を壊すほどの力をこめて。
 カルナーも上体をそらすが、ただ手を伸ばすほうが速い。当たれば、頭はつぶれるだろう。
 
 しかし、その手が届くことはなかった。

 雪ねずみの全身から一気に力が抜け、カルナーの前にどうと転がる。
 その背中に、小剣がささっていた。
 ちょうど心臓の位置である。
 鉄片入りの革鎧で全身を覆った大男が、渋面をしてそこに立っていた。
 フォスター=リマム。囮を引き受けたはずの戦士である。
「遅れて、すみません」
 言葉はカルナーに向けていたが、目線はそれを通りこしてエルとアスターのほうを見ていた。

 エルは、いつのまにか膝をついていたことに気づいた。

「応、」
 カルナーは満足げに頷くと、くるりと後ろをむいた。
 つかつかと二人のほうに近づき、
「ご苦労だった」
 言葉とともに、魔法球がひとつ、アスターのところに飛んでゆく。
 光球が触れたところから光が広がり、怪我がいえていく。
 巫女と僧兵が使う、治癒の魔法である。
「ありがとうございます、…」
 アスターはすぐに顔をあげたが、立ち上がることはできなかった。
 治癒の魔法を受けると、体力を消耗する。傷が深いほど、その度合も大きい。
 動こうとするアスターを制して、カルナーは言葉を続けた。
「エル=サラナよ。素晴らしい勇気だった」
 エルは、顔が紅潮するのを感じた。
「だが、方法は最善ではない。矢を受けただけでは、雪ねずみの突進は止まらぬ。あの場合、何としてでもアスターを線上から逃がす方法を考えるべきだった」
「はい」
 こくんと頷く。全くその通りであった。
「とはいえ、その覚悟は珠玉である。他の者も見習うように」
 いつのまにか、雪ねずみの死体を囲むように、他の仲間たちも集まってきていた。
 フォスターは、崖を大きく迂回してきていたジャスを見つけ、硬い声で言った。
「ジャス。……解体は、おまえ一人でやれ。半日かかってもだ。いいな」
 はい、と消えいりそうな声で、新米の魔法使いは目を伏せたままうなずいた。

 すこしは手伝ってやろう、とエルは考える。
 雪ねずみの生命力の一端なりとも、理解したい気持ちもあった。
 
 ともかくも、凱旋であった。
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